激論! 太平洋決戦戦略③

横浜市:日吉台



「すると貴官は……我が爆撃回避法を実地で試したと」


「はい。参考とさせていただきました。その上で艦の特性を踏まえ幾つか修正、改善し……」


 大遅刻魔として第七航空戦隊の悪名を更に高めた鳴門中佐だが、専門領域に関しては淀みなく回答していく。

 シベリヤはイルクーツクでの対ソ折衝に随行した際、ソ連邦高官のいい加減なる態度も相俟って、彼は相当の暇を持て余すこととなった。そこで戦艦『伊勢』艦長が内定していた中瀬大佐が、所持していた冊子について研究調査を命じたところ、驚くべき相乗効果が発揮された――ことの顛末はそんなところである。


 ただ切れ者然とした松田少将も、なかなかご満悦といった様子。

 加えて高谷少将のところの問題児参謀に、見下し切った視線を送るばかりだった者達も、案外これは使い物になるかもしれぬと思い始める。特に航空母艦『天鷹』は主力艦撃沈こそ皆無であれ、信じ難い苦境を生き延びた艦に他ならない。ならば栄光ある『赤城』や『瑞鶴』が、戦場にあってやくざ艦よりも容易く被弾するようではならぬと、良性の対抗心を惹起させられたようだ。


「ところで松田君が『摂津』の艦長だったのは……結構前のはずだな?」


 親任されて間もない聯合艦隊司令長官の豊田副武大将が、唐突にそんなことを尋ねる。


「いったい何故、かように有効なる手法について、周知徹底を図ってくれなかったんだね?」


「自分はかの冊子を何百と印刷し、海軍中の艦長および駆逐艦長の全員に宛てて郵送いたしました。それから更に詳細な報告書を、教育局にも提出しておるのですが」


「ええ、そうなの?」


 豊田は大変に困った顔をする。

 海軍は組織として脳足りん。そんな結論が導出されてしまいそうで、まったく気まずい雰囲気だ。


「まあ、改めるべきことが多々あることは痛感した」


 そんな言葉の後、軽く咳払い。


「自分も副武なんて名だが、実のところ添え物という由来でな。添え物が聯合艦隊司令長官になった訳であるし、あの『天鷹』が貴重な戦訓を齎してくれもした。となれば何事も初めから添え物と思って退けぬことが重要だ」


「は、はあ」


「それはそうと、そろそろ本題に移るべきであろう」


 豊田の厳かなる発言に、提督や参謀が揃って色めき立つ。

 本題とはつまるところ、米機動部隊という城郭をどう突き崩すかに他ならぬ。今春にも来寇すると予想されているそれは、1000機の優秀なる艦載機を擁するものと推定される。攻防ともに圧倒的としか評しようがなく、並の方法で撃滅できそうにないのは火を見るよりも明らかというものだ。


 無論、楽観的な要素がない訳ではない。

 例えばサイパンやグアムの要塞化は予定通り進捗しており、陸軍は地の利を活かして徹底抗戦する準備を整えつつあるという話だった。また欧州戦線においてはドイツ軍が大反撃に転じ、既に北フランスで十数個師団相当の地上兵力を殲滅したとのこと。その影響でルーズベルト政権は酷い混乱状態に陥っており、マリアナ侵攻が夏頃まで遅延、聯合艦隊の態勢も整うのではといった観測も確かに出てはいた。

 とはいえいずれ決戦を挑まねば決着はつかぬであろうし、そこで勝利せねば帝国の未来は見通せぬ。産業力では米国が優位である以上、時間が味方となる気配もない。


「戦の鍵となるのは制空権だ。腕利きのパイロットを集め、不沈空母サイパンで制空戦闘をやらせよう」


「連山の量産を急げないか? 連山量産の暁には連合などあっという間とのことだぞ」


「陸軍の誘導爆弾が試験において優秀な成績を残したと聞く。このところ航空雷撃や急降下爆撃での被害が増大傾向にあることから、同種の兵器を我々も早急に配備し、もって対艦攻撃を代替させることが望ましい」


「いっそマリアナは放棄したものと見せかけてはどうか? 機動部隊は強力無比ではあるが、弾薬を使い切ったならば補給に戻らねばならぬ。そうして正面戦力が減った段階でかかるべきだろう」


 かような具合に次々と提案がなされ、侃々諤々の議論がその都度巻き起こる。

 そうした中で焦点となるのは、やはり米機動部隊の防空戦闘能力。上げてくる直掩機の数もさることながら、先刻打井が述べまくったように、相当に高度な迎撃管制を実用化していると見られる。多数の攻撃隊を本土より発進させたにもかかわらず、硫黄島沖では遂に米空母撃沈に至らなかった。その峻厳たる現実が、明晰なる頭脳を大いに悩ませた。


「ところで、よろしいでしょうか?」


 そこで挙手したのは、ノンビリ面の樋端中佐。


「先のマーシャル沖航空戦では、米機動部隊攻撃に成功したのが天山の1個飛行隊のみだったにもかかわらず、米空母1隻に魚雷3発を命中させることに成功。硫黄島沖のそれと比べて効率的な攻撃が実施できたと言えます」


「先手を取れたからではないかね? あるいは零戦を多く出せたが故だ」


「それも要因としては大きいに違いありません。ただ攻撃隊はマーシャル諸島に点在する複数の飛行場から発進し、連携の不備から空中集合を行えず、半ば逐次投入になったとの報告です。ただ結果的には、大編隊をもって集中攻撃を行った硫黄島沖と比べ、逐次投入のマーシャル沖の方が上手く戦えております。これまでそこが疑問だったのですが……」


 樋端の視線が妙に研ぎ澄まされ、


「先程の説明を咀嚼した結果、腑に落ちた点がございます。高谷少将に質問なのですが、もしや5、6群以上の敵編隊が複数方向から五月雨式に侵入してきた場合、迎撃管制は困難となるのではありませんか?」


「う、うん!?」


 議論に置いていかれ気味だった高谷は、前触れもない質問にギョッとする。

 ただ記憶にないでもない。電探情報の分析と直掩隊との無線交信を担っていた通信参謀の佃少佐が、人間の脳味噌頼りではそれくらいが限界だと言い、爬虫人類が云々とブツブツ呟きながら、課題克服のための変テコ電子装置を拵えんとしていた。


 それから横に座っている打井中佐もまた、サッと詳細を耳打ちしてきた。

 つまるところ諸々の設備や電話機材などの整う地上においてすら、程度の差こそあれ、同種の問題が実際に起こり得るとのこと。横空での実験結果であるから、『天鷹』通信科の面々が揃って盆暗だからという訳でもなさそうで、それが高谷を正直にさせた。


「実のところ、相違ない。気合が足らんとか技量が足らんとかでなく、どうも技術的に難しいらしいのだ」


「やはり! 米機動部隊攻略の鍵はここにあります!」


 樋端が全身を奮わせ、声の限り叫ぶ。


「迎撃管制には技術的限界がある、これは間違いなく米機動部隊にも当てはまる話でしょう。とすればその防空能力を切り崩すには、同時に複数方向から編隊を侵入させて管制能力を飽和させつつ敵直掩機を拘束することが最重要で……つまるところマーシャルの航空隊は、図らずもこれに成功していたのです」


「なるほど。だから1個飛行隊のみであれだけの戦果を挙げ得たのか」


「ふむ。必ずしも戦力の集中ばかりが是とされる訳ではないのだな」


 綺羅星の如き提督達も思わず瞠目し、あれやこれやと論じ始める。

 言うまでもなくそれは一筋縄でいかぬ内容で、更なる検証が必要な部分が多々残っているのもまた事実。とはいえようやく光明が見え始めたといった具合だった。例によって理解力が十分でない高谷もまた、散っていった者達もこれで浮かばれるだろうと、幾許かの安堵を得ることができた。


 加えて決着がついたのが、マリアナ基地群に如何なる航空戦力を展開させるかという問題。

 長距離飛行が可能な大型機による先制攻撃は理想ではあるが、先に示された戦訓を鑑みれば、迎撃能力を飽和させぬ限り成功の見込みは低いとなりそうだ。また先手を打たれてしまった場合、図体の大きなそれらは滑走路上で一方的に撃破されかねない。となれば隠蔽分散が容易かつある程度飛行場が叩かれても運用可能な戦闘機中心の部隊を集中配備し、米機動部隊の戦力を漸減させつつ長期持久、聯合艦隊の到着と同時に一気に畳み掛ける態勢とするのが上策と相成った。

 そうして予定時間を大幅に超過した頃、ようやくのこと研究会は終了。新たに提唱された分進合撃戦術を具体化し、太平洋決戦計画に反映させるべく、海軍随一の頭脳が動き出す。


「いや何だ、貴様も随分と役に立ってくれたな」


 帰り際に莞爾とするは、研究会では妙に口少なだった大西中将。


「七航戦といえば未だあれこれ言われるが、独自の戦術をよく取り入れよく戦っておる。加えて一連の戦闘から得られた知見を今日こうして聯合艦隊中に知らしめ、米機動艦隊撃滅の一助とできた訳であるから、まったくもって大したものだ。『天鷹』の主力艦撃沈が未だないことなんざ大した問題じゃない」


「おい、それを言ってくれるなよ」


「いや、言うな。何しろ……」


 大西は何か口にしかけ、どうにも重たげに沈黙する。

 いったい何事か。高谷もまた怪訝な面持ちで、優秀なる同期の面を見据えた。


「ああいや、何でもない」


「おい、何でもないってことはないだろう。隠し立てせず正直に言え」


「仕方ない。聯合艦隊総出で七航戦の手柄を横取りする算段ができたってだけのことよ」


「あッ……まあ今は国家存亡の時、一致団結して事に当たるべき時だろうからな」


「そうだ。分かっておるじゃないか」


 大西は剛毅に笑い、別件の用があるからと辞していった。

 ただ彼の隆々とした背には、どうにも不可解な陰影があるようだった。昨日はさっぱり気付かなかったが……何時の間にやら随分と遠いところに行ってしまった、そんな印象すら感じられる。


(まあ俺なんかと違って、あいつには立場があるってことかね)


 高谷はかような具合に結論付け、あれこれ考えるのを止めにした。

 それよりも次なる決戦においては必ず、米主力艦を撃沈してやる。どうにも蛮的なる闘志を激烈に燃焼させながら、彼は大酒を飲みに向かった。

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