激論! 太平洋決戦戦略②

横浜市:日吉台



「己に如かざる者を友とすることなかれ」


 言うまでもなく、論語は学而第一に記されし一節である。

 その意味するところを端的に言い表すならば、お山の大将に甘んずるなといった具合だろうか。孔子の定義するところの友とは学問をともにする仲間のことである。追従ばかりが得意な下卑た連中と交わるばかりでは、自己を鍛錬していく上で得られるものがまるでないから、互いに切磋琢磨し合える者と付き合わねばならぬ。どうしても叶わぬ相手であれば、まずは師として仰ぐことを恥じるな――まったく含蓄のある言葉に違いない。


 だが表立っての侮辱に用いると、大変なる破壊力が生じてしまう。

 海軍兵学校時代の高谷学生は、心なさすぎるそれを何度か投げつけられたことがあった。確かに成績のよい方ではなかったし、課題が分からんからノートを写させろと何度もせがむなど相当のチャランポラン振りを発揮していたのは事実だが、そこまで言われる筋合いはないだろう。

 もっとも彼はその都度、剣道の授業で相手をボコボコにした上で、


「我が脳味噌は筋肉だからこれこそが俺の学問だ」


 などと珍妙な体育会系理論を開陳し、如くところを存分に見せつけたりしていたのではあるが。


 ともかくもそんな高谷からしてみると、かつて偉ぶり、現に偉くなった連中が、真剣な顔であれこれ質問してくるのは不思議な感覚だった。

 もっとも先の一節に続くのが、過ちては改むるに憚ることなかれという名言。世界大戦という危急存亡の時にあって、まさにそれを実践しているのだとすれば、会議室に集いし彼等もまた確かな人物であったということになるのかもしれぬ。というより、そうであってくれねば困るというものだ。


「珊瑚海においても硫黄島沖においても、敵機の練度が低劣であったとは考え難い。むしろ諸々の情報を総合するに、我が方に遜色ない水準に達しているものと予想される」


 横須賀で散々にやられた第一航空艦隊の小沢中将は、どうにも苦い口調で続ける。


「しかしながら被害は『天鷹』中破のみで済んでいる。海軍の恥晒し……いや、七航戦にしては驚くべきことだ。その秘訣はまず迎撃管制の高度化にあるとのことだが……貴様の些か特徴的に過ぎる報告書について、追加の説明を願いたい」


「それについては、横空の打井中佐提唱の方式を導入したが故」


 高谷は打井の方を一瞥し、ダツオ出番だぞと目配せで伝達。


「当人が出席しておりますので、まずは直接その要領を述べさせるべきかと」


「よろしい。では打井中佐、頼もうか」


「はい。つまるところ迎撃管制とは、迫るチンピラゴロツキの鬼畜米英機を最大効率で千切っては投げ、もって艦隊を航空攻撃より防護する手法に他なりません」


 打井はまったく場所を弁えぬ口調で喋り出し、


「特に一昨年の米本土空襲作戦においては、これが致命的問題になりました。空母に戦闘機だけ載せれば問題ないだろう、恐らくそんな具合に適当で現実の見れん参謀がどっかにいたんでしょうな」


「おい」


 当人だろうか。野次がどっかから飛びもする。

 それでもさっぱり獅子吼が止まらない。高谷も少し拙いかと思う。


「あの時は自分も零戦で直掩に上がりましたが、どいつもこいつも目の前の敵機にばかり食らい付いてダンゴになる、その隙を突かれてチンピラゴロツキに摺り抜けられる等、碌な結果になりゃしませんでした。つまるところチームワークが足らんのです、チームワークが。それから小沢長官、山口長官、この件に関しては作戦終了直後に原稿用紙150枚分の報告書で……」


「ダツオ、いいから戦術について話せ」


 会議室はいきなり険悪な雰囲気で、流石の高谷も苦言を呈して軌道修正を図る。

 すると打井はさっぱり悪びれずに詫び、電探による早期警戒や捕捉目標の脅威評価手順、エールストリング装置搭載の指揮戦闘機による直掩機の位置情報管理といった技術的内容について、怒涛のように話し始めた。これでよく海軍にいられたものだと不思議に思うが、一方で彼の熱心さは頼もしくもある。


「いずれにせよチンピラゴロツキ撃滅を効率的に遂行し、帝国海軍を連戦連勝せしめるには……迎撃管制に専念する指揮官の下に各種情報を集約、意思決定を円滑とし、直掩隊に迅速なる命令を伝達可能とすることが不可欠。自分はドイツおよび横空で関連研究と実験を行ってきましたし、その有効性は横須賀上空や硫黄島沖で証明されたのですから、四の五の言わずに聯合艦隊全体で提案方式を採用するべきです。というか、米海軍は既にこれを採用しとるんですよ!」


「何、そうなのかね?」


「攻撃隊の被害を見れば分かるでしょう! それに自分は横須賀でひっ捕らえた捕虜を尋問しましたし、本土からの攻撃隊に同行した試製連山が傍受した無線交信からも明らかです。ともかくもそういう訳です、迎撃戦闘を効率化するためにも、母艦航空隊ごとに専任の迎撃指揮官を新設しては如何かと。自分からは以上です」


「打井中佐、どうも」


 居並ぶ将官佐官達の反応は、まったく好意的とは言い難い。

 とはいえ何かしら得るところはあっただろう。不機嫌な唸り声は響いてきはするものの、新機材や戦術的知見を取り入れた七航空戦隊が如何なる戦闘を繰り広げたか、あるいは反省点は何かといったところへ、質疑応答の中心は移っていく。


「米機動部隊は概ね20機程度を波状的に投入してくる。特に制空、対空火力減殺を狙った戦闘機隊が先行する」


「硫黄島沖においては、直掩機の過半を敵戦闘機の迎撃に充ててしまった。505空の介入によって艦隊の被害は局限されたとはいえ、航空予備兵力の重要性を痛感する由々しき事態であった」


「巴戦に入った機体の敵味方識別および追尾は不可能。こと艦隊防空においては、一撃離脱を重視すべき局面も多々ある」


 高谷の説くそれらは間違いなく、血に塗れたる戦訓だ。

 博田、佃の両少佐が取りまとめた詳報を見返し、添え書きを頼りに内容を咀嚼しつつ、まさにその時々の生々しい記憶を脳裏に蘇らせる。誰もが一所懸命に戦い、大勢が水漬く屍となり、自分は全員に対して責任を負っていたのだ。

 であれば……彼等が尊き犠牲を活かす機会は、今を置いて他にあるまい。再び見ることの叶わぬ顔という顔を思い浮かべ、とかく真摯に伝えていく。


「少将、質問がございます」


 挙手したのはノンビリとした表情の、樋端とかいう中佐。


「機動部隊には複数の航空母艦が所属します。そのうちのどの艦が第一義的に管制を受け持つか、あるいは業務を分担し得るのか、被弾し機能を喪失した場合にどうすべきか等、お聞かせ願えれば」


「うん……」


 チョイと頭を捻り、随分前の『扶桑』の活躍を思い出す。


「機動部隊に随伴する戦艦に機能を集約したらいい。戦艦は簡単には沈まん」


「高谷少将、戦艦は必要に応じて抽出するのだぞ」


 同期トップクラスの宇垣纒が突っ込んでくる。今は中将で第一戦隊司令官だ。


「加えて米新鋭戦艦が続々と完成しつつある以上、その突撃を牽制するためにも、機動部隊の前衛として配置せねばならんぞ」


「そうですね……金剛型や伊勢型、あるいは使い道のよく分からんフランス艦とかでしたら、問題ないのではないかと。もしくは大淀型とペアを組ませ、人員をそちらに移乗させてしまうとか」


「ふん、なるほど。まあ検討課題でよいか」


 宇垣は無表情に鼻を鳴らし、それ以降は沈黙を保つ。

 代わって周囲の者達が多少ざわつく。艦内容積や通信能力を鑑みれば正解ではないか、そもそも機動部隊の旗艦を航空母艦に置いている理由は何であったか、まあ喧々諤々といった様相だ。


 それから幾つかの紆余曲折を経て、議題は艦艇の対空射撃に関するものへと移行する。

 結局のところ如何に迎撃管制を巧みに行おうと、敵機を一網打尽という訳にはいくまい。どうあっても突破される時はされるので、個艦の生存性を高める手段にも注力せねばならぬ。


「その意味では……軽巡洋艦『十勝』の対空戦闘はまっこと見事でした」


 猛烈なる噴進砲射撃を思い起こし、


「あの艦を指揮下に置いて運用した身として、喪失は慙愧に堪えない。ただ『十勝』において試験中であった電波起爆式対空噴進砲の有効性は明白。各艦への一刻も早い装備が求められるかと」


「試験機材および人員が丸ごと喪われたのは痛いな」


「まったく。ただ実用上の問題はほぼ解決済だったと伺っております」


「うむ。なお長10㎝砲弾向け検波信管だが、こちらもどうにか量産体制に入った。高谷少将、一応これは貴官が発明者であったな。技術的方面の才能があったとは驚きだが、ともかくも大儀である」


「それはそうと高谷少将、質問よろしいでしょうか?」


 今度は松田千秋なる少将が尋ねてくる。

 兵学校で一緒だったことはないようだし、よく知らぬ男だ。ただとかく頭が切れそうだとは思う。


「実のところ私も艦艇の回避運動について独自の研究を行っておりましたが、航海日誌の写しを閲覧させていただいたところ、『天鷹』の回避運動には自分のそれと符合する点が見られました。事実、『天鷹』はあれだけの規模の空襲を生き延びた訳です。その真髄をお教え願えないでしょうか?」


「ええと、それについては……」


 すかさず質問に応じるも、どうにも歯切れが悪い具合だった。

 理由は態々言うまでもない。まさにその場で舵を取っていた鳴門中佐に、この場であれこれ解説させる心算だったのだが――例によって彼が盛大に遅刻しているためである。


(まったくメイロの奴、いったい何処をほっつき歩いておるんだ)


 高谷は心中で罵るも、遅れて申し訳ございませんと飛び込んでくる気配は皆無。

 結局、聯合艦隊司令部を求めて横須賀まで行ってしまっていた鳴門が日吉に到着したのは、昼食のため一時休会となった頃。まったく監督不行届も甚だしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る