激論! 太平洋決戦戦略①

横浜市:日吉台



 高谷少将はバンカラで名を轟かせたる人物であるから、軟派で軟弱な私大生がとにかく嫌いだった。

 中でも特に許せないのが、世界ハイカラ党員にしていけ好かないボンボンの慶應ボーイである。実のところその半分くらいは、放蕩無頼の長男に絡む個人的怨恨が故であるのだが――学徒動員で彼等が根城から放逐されたと聞いた日には、心底胸がすくような気持ちだったというから大人げない。


 ところでそんな高谷は今、塾生どもが夢の跡へとやってきていた。

 無論のこと公務遂行のためである。現在、慶應義塾大学日吉キャンパス一帯は海軍によって接収されており、聯合艦隊司令部を始めとする中枢機関が続々と移転しつつあった。そこで司令長官交代に合わせた重要な研究会を開催するから、戦隊参謀とともに参加するようにと何故か申し付けられたのだった。

 もっとも遅れておるのは遅刻魔の鳴門中佐だけでないようで、一向に開会される雰囲気でない。それ故、彼は剣道場でひと暴れした後、タールで真っ黒く塗られた旧寄宿舎の士官室にて、プカプカと煙草を吹かすなりしていた。


「しっかし……司令部を陸に揚げちまうとは、随分と味気ないことをしたもんだ」


 衛兵に守られたる地下壕入口を思い出しつつ、高谷はつまらなさそうにぼやく。

 昨年10月の終わり頃、呉に怒鳴り込みに行った時は、戦艦『信濃』が聯合艦隊旗艦を務めていた。だがそれも今は昔。確かに自分には一生縁のない話かもしれないが、司令長官とその取り巻きは今後、陰鬱な穴倉に鎮座するのだ。


「いやまあ、決戦兵力を旗艦として遊ばせておくなど愚の骨頂なんだろうが」


「米海軍はモンタナ級なる5万8000トンもの大戦艦を、5隻も拵えておるそうで」


 若干嬉しそうな声は、ダツオこと打井中佐のものである。

 戦闘機乗りの癖して大艦巨砲主義なこやつは、例によって毒舌オウムのアッズ太郎を肩に乗せ、堂々とふんぞり返っていた。それから昇進ついでに第666海軍航空隊司令として、近々第七航空戦隊に戻ってくるらしい。


「しかも就役も間近であるとか。これらは並のチンピラゴロツキじゃありませんから、容易に千切っては投げられんでしょう。となればそれらを確実に撃滅し得る戦力を柔軟運用可能とし、日本海海戦に次ぐ大勝のために役立てねば。しかし『大和』対『モンタナ』、いやはや血沸き肉踊ります」


「ダツオな、それだったら指揮官先頭でいいんじゃないか?」


 高谷は紫煙を燻らせながら、随分と前のことを思い出し、


「ミッドウェーやニューヘブリディーズでも、山本長官は『大和』ごと突っ込んだろう」


「むしろそこで問題が噴出しておったとか。実際、今の海戦は日露戦役の頃とは大違いです。少将も曲がりなりにも航空戦隊指揮官なんですからお分かりいただけとると思いますが」


「ダツオ、曲がりなりにもとは何だ。俺を誰だと思っておる」


「Liar Ahomiral」


 代わってアッズ太郎のふざけた返事が飛んできた。

 相変わらずこいつはまともな言葉を覚えない。まったく、何食ったらこうも下品な鳥類が生まれるのだろう? 煙草で燻して懲らしめてやろうと立ち上がったら、"Arsonist"と鳴きながら飛んで逃げる始末。


「まあともかく現代は立体作戦の時代です。一辺が何百キロという盤面で、縦横無尽に戦場を駆け回る航空隊や潜水艦隊まで指揮せねばならんのですから、指揮官先頭、全艦我に続けでは済みません」


「ダツオ、そんなことは承知の上だ」


 高谷は流石に憮然とし、


「だが穴倉に籠っておっては戦況が把握できん。そんなんで決戦の指揮が務まるか」


「少将、それは思い上がりでしょう」


「何ィ!?」


「最前線に立ってりゃ戦況が把握できるなんてのは指揮官の思い上がりだ、そう申しております」


 これまた随分と挑発的な発言だ。

 だがその表情は至って真剣で、打井は臆することなく早口で続ける。


「これは自分の経験からですが、いざ戦闘となった時に見渡せる範囲なんて本当に狭いもんですよ。確かにその場にいれば色々把握できる気もしますし、一致団結して臨機応変に戦っておる気にもなりますが、結局のところ見えておるのは自分の周囲だけなんで、全体として見たらさっぱり駄目なんてことも起こり得ますよ」


「生意気言いやがる。それになダツオ、潮風に当たっておらんようなのに、遥か後方から指図されたいか?」


「少将、自分は実際に、搭乗員でもない奴の指図で戦いました」


 打井は強烈な三白眼を更にぎらつかせ、


「地上や艦上から搭乗員でもないのに、ああしろこうしろと言われるのは癪です。正直ムカついてこん畜生と殴り倒したくなります。ですが今最も重要なのは、チンピラゴロツキの米英機を効率的に千切っては投げることに違いありません。そのためにはこうするのが一番だと信じて要員を育成し、試行錯誤の末に戦術を編み出し、苛立ちをグッと堪えて戦ってきました。それが有効なことは横空で実証しましたし、『天鷹』航空隊でも積極活用いただいておるそうじゃありませんか」


「なるほど。それはそうかもしれん」


 高谷も唸る。思い返してみれば、確かにそんな気もしてくる。

 実際、二度目の珊瑚海や硫黄島沖で『天鷹』が生き残れたのも、新たな艦隊防空戦術を導入したが故かもしれなかった。イタリヤはタラントに居合わせた打井があまりに獰猛に主張したものだから、あまり難しく考えずやらせてみたのだが、棚から牡丹餅だったと言えそうである。


「といっても、あくまで迎撃管制の話じゃあないか」


「聯合艦隊の運用にだって同じでしょう。当然ながら現場との意思疎通に遅滞があってはなりませんから、通信容量の拡充や冗長化は必須ですが、ともかくも司令長官が直卒しとる艦隊しか見んようでは困ります」


 打井はヒョイと手を伸ばし、飛翔中だったアッズ太郎を腕に着陸させ、


「それからお言葉ですが少将、昇進を契機に妙に守りに入っておられはしませんか? 敵は世界に覇を唱えんとするメリケンチンピラやブリカスゴロツキです、もっと敢闘精神を高揚させていただかんと」


「黙って聞いていりゃ何だダツオ、俺の戦意に不足があるとでも言う心算か?」


「ええ、まったくもってその通りです。もっと激情を滾らせまくり、もって真剣にチンピラゴロツキ撃滅について知恵を巡らせていただきたい。そうすれば自分の言っておることに一理も二理もあるとご理解いただけるはずで……」


「おい、なかなか実りのある話をしとるようだな」


 高谷がいきり立ちそうになっていたところ、唐突に第三者が割り込んできた。

 随分と耳に覚えのある声で、すぐさま大西瀧治郎と分かった。間を置かず敬礼。何だかんだで相見えるのは伊豆の潜水艦騒動以来で、考えてみればあの時も打井がおったかと思い出す。


 なお近況を伺ってみれば、海兵40期で山口多聞と双璧をなすこの逸材は、第二航空艦隊司令長官に着任予定とのこと。

 横須賀空襲に端を発する大騒動人事の結果らしいが、将官になれているのが奇跡と言われる高谷には、その辺りの事情はよく分からない。ただ軍需省の何とか局長とかいう仕事と比べれば、圧倒的にやり甲斐がありそうだと思う程度である。


「それにしてもだ」


 大西はやたら好戦的な面構えの打井を一瞥し、


「相変わらず貴様、面白い部下を連れておるよの。無礼千万なのが玉に瑕だが、火山みたいな闘争心を上手く昇華しとる」


「一応まだ、こいつは横空の預かりですがね」


「ああ、そうだったか。まあ何にせよ、研究会では貴様等に尋ねておかねばならんことが山ほどある。次の決戦で米機動部隊を確実に撃ち破るためには、ありとあらゆる戦術戦略の革新が不可欠だからな」


「うん?」


 高谷はキョトンと目を丸くし、


「そんな重要会合に俺なんぞ呼んでどうする?」


「貴様、ふざけておるのか?」


 大西はあからさまに眉を顰め、怪訝に首を傾げる。

 それから何かを悟ったような面持ちをし、大層呆れたとばかりの雰囲気を発散した後、おもむろに口を開いた。


「結果は思わしくなかったとはいえだ……再建された米機動部隊を相手に海空戦を繰り広げた経験がある将官は、実のところ貴様くらいのものなんだぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る