ル大統領、特大健康不安
ワシントンD.C.:ホワイトハウス
四度目の就任式典を間近に控えたルーズベルト大統領は、いきなり窮地に立たされていた。
理由については言うまでもない。サンフランシスコでは海軍があり得ない大失態をやって何千もの市民を巻き込み、欧州ではドイツ軍の大反攻が始まってしまったからだ。後者に関して言うならば、陸軍将兵20万超が既に戦死するか捕虜となったという体たらくで、空前絶後の損害に世論が突沸、孤立主義が急速に勢いを増しているという。
となれば欧州戦線の建て直しこそ、目下の最優先課題と言う他ない。
だが戦況はまったく思わしくなく、死傷者ばかりが徒に増加していた。無論、英本土の予備兵力は片っ端から投入している。それでも激戦の末にルーアンを制したドイツ軍は、ル・マン方面より行動を開始したロンメル軍団と合撃する構えを見せており、傘型陣形を組んだティーガー重戦車を先頭に突っ込んでくる敵を相手に、連合国軍は大苦戦を強いられているのだ。
そしてその原因の何割かは、大統領自身の判断に起因してもいそうだった。パリが第12軍集団ごと包囲されかけ、陸路での補給が実質不可能になりつつあるにもかかわらず、未だ市街の確保に拘泥しているのである。
「トラックが駄目なら輸送機を使えばいいだろう」
執務室のルーズベルトはあくまで強硬で、しかも本気だった。
それを耳にした陸軍参謀総長のマーシャル元帥などは、思わず卒倒しそうな顔をする。
「大統領閣下、よろしいでしょうか。まず輸送機というのは……」
「元帥、それについては耳にタコだよ」
うんざりした声色で発言を制し、
「効率は最悪に悪い。それは承知の上だ。だが英本土の飛行場には、ナチのジェット爆撃機に襲われたりしたとはいえ、2000機くらい輸送機が揃っているはずだろう?」
「確かに展開してはおります」
「ならばそれを総動員すれば1日5000トンくらいは運べるはずだ」
「大統領閣下、それはあくまで理屈の上での数字で」
「分かっている。だが援軍が到達すれば開囲作戦も十分可能なのだろう、ならそれまでの辛抱ではないかね」
ルーズベルトは眉間に皺を寄せながら、大護送船団の勇姿を脳裏に描く。
大西洋を驀進する数多のヴィクトリー船によって、3個機甲師団を含む12万の兵力が輸送されているはずだった。元々は太平洋方面に投入予定だった兵力で、対日戦は幾分遅れはしそうだが、二兎を追う者は一兎も得ずであろう。
「それに必要があるならば、爆撃機隊も一旦そちらに回せばいい。ヘンリー、君ならできるな?」
「ご命令とあらば、万難を排してでも実施いたしますが……」
「何だね?」
「僅少な損害では済まなくなるかもしれません」
陸軍航空軍を率いるアーノルド大将もまた、言葉に懸念を滲ませる。
北フランスの制空戦闘には勝利しつつある。それは紛うことなき事実ではあったが、鈍重な輸送機が大挙してパリまで飛ぶのを護衛するとなると、何もかもが別次元の難易度となるのは言うまでもない。
ただそれでも、最高指揮官たる人物の決意が揺らぐことはなかった。
パリを解放しさえすればフランスの戦いは片付く。随分と調子のよいことをキング海軍長官が言っていて、それはどうやら間違いだったようだが……ここで退いたら何もかもが水の泡になる。十字軍的な聖戦を、大勢の市民が見守っているのだ。かように世界史的で人類史的な観点こそ、傑出した指導者に不可欠なものに違いない。
「とにかく……撤退は認めん。合衆国の国威に傷がつくからな」
ルーズベルトは両眼をぎらつかせながら頑とした口調で断じ、渋りがちなる将軍達を下がらせる。
それから芳醇なるコーヒーでもって心身を温めた後、新たな大統領就任演説の原稿に改めて目を通そうとし――猛烈なる眩暈と頭痛に襲われた。
「だ、大統領閣下!?」
「ああ、大丈夫だ」
すっ飛んできた秘書官に、ルーズベルトは気丈な態度で応じる。
とはいえ今日のところは早々に切り上げ、床に就いた方が良さそうだ。自分も持って数年といったところかもしれないが、逝くとしてもベルリンや東京に星条旗が翻ってからでなければならぬ。
「全能の神は、我が国に様々なる恵みを与え給うた。悪と戦うための勇敢な心と屈強なる腕力を、国民に与え給うた。そうした天与の恵みが故、我が国に芽吹きたる信条は、苦悩する世界に済むすべての人々の希望となってきました」
「故に私達は今、正しい道を堂々と、一切の恐れなく進まねばなりません。そして地上に平和を齎さんとする神の意志を、万難を排して成就させなければなりません」
慣わしに反してホワイトハウスで行われた大統領就任式は、そのような言葉でもって締め括られた。
南玄関前の芝生からは、聴衆の割れんばかりの拍手が響いてくる。とはいえ式典はえらく簡素で、恒例の祝賀パレードも中止されるなど、非常事態らしい雰囲気が満ちている。
当然、改めて指導者として祝福されたるルーズベルトの頭の中も、軍事的問題によって占領されていた。
特に厄介だったのは、正体不明の大型爆撃機によってグリーンランド南方の氷晶石鉱山が空襲されたとの報。実質的な被害はなかったとはいえ、ドイツ軍は少なくとも1500マイルもの作戦行動半径を有する機体を実用化したということになる。新鋭のB-29にも匹敵する性能で、片道攻撃であればワシントンD.C.すら攻撃圏内かもしれなかった。
加えて未確認ながら、どうしてか日本で原子炉が動き出したとの情報もあった。識者の分析したところでは、シカゴ大学のフットボール場にあったそれと同規模とのことだが、彼等もまた原子力兵器を開発しているかと思うとぞっとする。
(とすれば、やはりここで退く訳にはいかん)
にこやかに写真撮影などこなしつつ、ルーズベルトはあれやこれやと思案していく。
熾烈な迎撃網が敷かれているとはいえ、ドイツやイタリヤは爆撃機の射程圏内。一方で日本列島はといえば、空母機動部隊や潜水艦でもってしか攻撃できぬ聖域となったまま。今は欧州戦線に全力を注がねばならぬとしても、何らかの形で太平洋方面でも積極的な作戦行動に出る必要があるだろう。
(そのためにも航空母艦を……うん、またか)
悟られることのなきよう、心の内で大きく溜息を吐く。
ケラケラと嗤う小悪魔が如き何かが、唐突に頭の中で蠢き出したのだ。こいつこそがここ最近の寝覚めの悪さの元凶で、昨晩もパリの第12軍集団が揃って降伏するなどという不愉快極まりない夢を見せてきた。
無論、神に選ばれたるルーズベルトが、かようなものに屈するはずがない。彼はこれまでと同様、キリストの言葉を幾つか慎重に選び出し、もって邪を祓わんと欲した。
だがサタンの遣いと思しき存在を何度も退散せしめた聖句は、今日に限ってはまったく逆効果であったようで、獣の雄叫びにも似た哄笑ばかりが脳裏に木霊する。それは思考の一切を蝕み始め、しかも次第に激痛へと変わっていった。
「ううッ、頭が……」
思わず呻き声が口外に漏れ、
「頭が割れるようだッ……!」
「だ、大統領閣下、どうされました!?」
駆け寄ってくる側近の声すら、途中から耳に入らなくなった。
全身の自由はあっという間に失われ、肉体はゴロリと廊下に崩れ落ちる。
「閣下、お気を確かに!」
「医者だ、早く医者を連れてこい!」
周囲がたちまち騒然となる中、ルーズベルトは遂に意識を失った。
歴代の大統領経験者で、かくも幸先の悪いスタートを切った者はおるまい。とはいえベセスダ海軍病院へと緊急搬送された彼は、医師達の懸命の治療の結果、奇跡的に一命を取り留めることに成功した。
ただ――もしかするとここで急死していた方が、多くの合衆国国民にとってはよかったのかもしれない。
結局のところ復帰から数か月の後には、大統領職から身を退かざるを得なくなるためだ。しかもルーズベルトが患ったのは脳卒中だった。生死を彷徨った末の後遺症でやたらと臆病な人格となった彼は、回復を宣言するや否や連合国軍欧州遠征軍に介入し、その作戦計画にろくでもない影響を与えてしまうのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます