奇想! 天麩羅機動部隊④
太平洋:占守島沖
冷たく澄んだ空には折り重なる飛行機雲、荒々しい黒群青の海原にも幾重にうねる航跡。
天麩羅機動部隊は択捉島を発って間もなく捕捉され、米艦載機による空襲を受けていた。幌筵島の飛行場から来援した機を含め、零戦隊は奮戦するも、やはり多勢に無勢といったところ。かくして制空任務を完遂したF6Fは次から次へと降下を始め、大馬力でもって対空砲火の槍衾を突破し、熾烈なる銃爆撃を仕掛けてくる。
それらの集中攻撃を受けたるは、『天麩羅鷹』こと特設艦『伊笠丸』に他ならぬ。
悪名高き航空母艦『天鷹』を徹底的に模したるこの軍艦もどきは、既にロケット弾複数と至近弾2発を食らっている。商船構造艦体の拉げたるは、立派に務めを果たしていることの証明に他ならぬと、指揮官たる黒島少将はほくそ笑んだ。
「いやはや、"いかさ"丸はよう狙われる」
「少将、濁点を忘れとります。"いがさ"丸です」
艦長の戸頃大佐がすかさず訂正する。
この掛け合いも何度目だか分からぬが、空襲下にあっても余裕綽々といったところだ。
「ただ、ちょいと不自然でもあるな」
回避運動で艦が軋む中、黒島は幾らか頭を悩ませる。
爆装している機もあるとはいえ、襲ってきたのは戦闘機ばかり。これが敵の常套戦術であるらしいことは、昨年の忸怩たる航空戦が示す通りではある。とはいえ後続するはずの急降下爆撃隊などが、どうにも現れる気配がないのだ。
そうして改めて時計を確認すると、既に午後3時を過ぎていた。
米機動部隊の位置は未だ捕捉できていないとはいえ、そろそろ到着せねば、彼等が帰投時刻は薄暮あるいは日没後となるだろう。北太平洋での着艦には相当の危険が伴うから、好き好んでやりたがる人間もおるまい。であれば今日のところはこれまでで――そこで結論は固まった。
「こりゃ、敵に別動隊がいるか」
「やはりそうなりますか」
「うむ。まず間違いなくそちらが本隊、忌々しい横須賀空襲と似たやり方だ。初っ端の空襲で我等に転針を強要し、一時避退したところを叩くという寸法だ」
黒島は目をギラリと研ぎ澄ませ、かように推測する。
それから通信参謀を急ぎ呼びつけ、有力なる米機動部隊がもう1群存在するとみられる旨を急ぎ打電させた。恐らくエセックス級が2隻はおり、明日にも千島沖に到達するだろう。それを叩ければ決戦の帳尻は合うのだ。自分がその役回りでないのは残念だが、要は囮作戦が成功すればいいのだ。
「であれば遠藤中将、それから高谷少将、後は頼みましたぞ」
太平洋:シャツキー海台付近
後に太陽系最大級の山塊があるとされた海域の遥か上空を、翼に日の丸の大型機が飛翔していた。
帝国海軍がようやくのこと完成させた、本格的な四発陸上攻撃機たる連山である。4基の誉エンジンを轟々と唸らせ、高度8500メートルの成層圏を300ノット超で飛翔するそれは、すぐにでも米本土空襲作戦が始まりそうな印象すら醸しており、例えば中島飛行機小泉工場を擁する群馬県太田市では、その種の噂話を聞かぬ日はないくらいになっていた。
しかし市井の期待とは裏腹に、かような計画は今のところ存在していないのである。
それどころか増加試作機に当たるかの翼は、爆装能力すら有していない。代わって搭載されているのは各種無線機材や水上捜索電探などで、つまるところ長距離索敵機として運用されているのだ。昨年の中頃よりB-29の偵察型が艦隊や船団の上空に現れ、位置を盛んに打電していくのに業を煮やした海軍が、ならばこちらもと圧をかけた結果で――本来の用途に供される型は、4月くらいからようやく量産が開始されるといった具合であった。
もっとも結果的には、それは正しい判断だったに違いない。
マリアナ決戦に向けて烈風や流星、銀河といった新鋭機を揃えねばならぬ状況で、製造費用のやたら嵩む大型機を拵えようとするなど愚かである。更に少数機での爆撃作戦を今更やったところで、戦局に与える影響も微々たるものだろう。であれば直近の課題である洋上捜索能力の強化に用いるべしというのは、まったくもって道理だった。
そしてかような航空行政に関する賢明さは、今まさに実を結ぼうとしていた。搭載されていた空六号電探の改良型に、顕著なる反応が表れ始めたのである。
「あッ、電探に感あり」
電探員の報告に、機内は一気に緊迫する。
「距離、およそ40海里……大型艦のようです」
「なるほど、敵サンのお出ましか」
機長の山岡大尉は固唾を呑み、すぐさま無線員に第一報を打電させる。
出撃前に隊司令から説明があった通り、この辺りを航行中の友軍艦隊は存在しない。更に電探員がもう幾つかの反応を検出するに至り、すべては確信に変わった。
「よし、このまま敵艦隊上空を飛ぶ」
操縦桿を優しく握り、山岡は決断した。
見つけたのがどの艦種であるかは、電探の反応だけでは分からぬから、目視で確かめる必要があった。なお前方の空の雲量は低め。索敵という意味では有利だが、敵機にとっても事情は同じで、吉と出るか凶と出るかはまだ分からぬ。
「機動部隊なら直掩機がいるだろう。アメ公の搭乗員はお喋りだ、航空無線を聞き逃すなよ」
「了解……あッ、早速迎撃指示と思しき通信を傍受」
「ならば高速でもって振り切るまでよ」
連山は320ノットまで増速し、数十海里を一気に駆ける。
高高度を大速力で飛翔したが故か、グラマンらしき敵機の迎撃は難なく摺り抜けることができた。そうして目標上空へと躍り出るや、海面にポツリポツリと艦影が見え始める。うち4隻ほどは、紛れもなく俎板のような形状の艦だった。
「間違いない、アメ公の機動部隊だ。こりゃ大金星だわい」
山岡は満面の笑みを浮かべ、眼下の敵艦隊が壊滅する様を脳裏に描く。
無線員が諸々の情報の打電を完了するや、連山はすかさず離脱に移り、機銃員は手を煩わせずに済んだ。大型機による索敵はB-29の専売特許に非ず、それが見事に証明されたのだ。
ただ惜しむらくは、燃料が既に心許なくなっていたことだろう。
それさえなければ尚も接触を続け、違和感に気付いたかもしれないが、世の中なかなか上手くいかぬものである。
太平洋:北海道東方沖
「海軍の面汚しの動物運搬戦隊司令官に、雪辱の機会を与えるものである」
そんな文面を含んだ信号が、旗艦たる航空戦艦『伊予』から投げつけられた。
索敵飛行中だった連山が捕捉した、明日にも射程に捉えられるであろう米機動部隊。それを叩き潰す上で最適な位置取りを、ただちに教えて寄越せというのである。航空母艦1隻に航空戦艦3隻、航空巡洋艦2隻が中核という変則的艦隊を率いる遠藤中将は、実のところ砲術筋の人間で、あまり航空作戦に長じてはいなかった。
「ううむ、まだ例の件を根に持っておるな……」
第七航空戦隊を率いる高谷少将は、上官のやり口に眉を顰めて溜息。
例の件とは記すべくもなく、日伊親善フットボール大会での事件である。『天鷹』乗組員がイタリヤ人と集団大乱闘を起こし、それを収拾する過程で、大変な失礼を働いてしまったことがあった。
「確かにあれは俺の落ち度だ。だが未だにグチグチと言ってくるとは、器が小さい事この上ない」
「まあ盛大に踏ん付けてましたよね」
「いいかスッパ、人間の度量というのはこういうところに出るのだ。遺恨はその場で晴らして終わりとすべきで、女々しく引き摺るのは将として最悪の態度に他ならん」
「とりあえず、計画を早く立ててしまいましょう」
航海参謀の鳴門中佐が、妙に長生きなチビ猿を撫でながら割って入る。
「今回上手く戦果を挙げれば、我々も汚名返上できますし、遠藤中将も機嫌を直すのではないかと」
「ふむ……まあいいか。メイロ、どうするのがよいと思う?」
「恐らく明日の明け方、米機動部隊はこの辺りに遷位すると予想されます」
鳴門はそう言って海図の一角を指差した。
発見の報告があった海域から、概ね北北西に300海里ほど進んだ辺りである。千島列島に沿って"避退"中の天麩羅機動部隊を叩かんとする訳であるから、相当な速力で急行してくるはずだと付け加える。
「であればここから西に120海里くらいに陣取るべきでしょう。そして夜明けと同時に索敵攻撃隊を発艦させ、敵発見と同時に全力出撃を命じて横合いから引っ叩いては如何でしょうか?」
「なるほど。ダツオ、お前からは何かあるか?」
「別段何も思いつきませんので、大丈夫ではないでしょうか」
第666海軍航空隊司令なんて肩書になった打井中佐もまた、ケロリとした表情で肯定する。
「実のところ金的殺法とやらを試してみたくはあります。ただ今回あれをやると、天麩羅のイカサマに向かうはずの攻撃隊が、こっちに集中してしまいかねませんしね。それと想定距離が120海里なら、反復攻撃もやり易いでしょう」
「よし、ならばこいつでいくか」
異論が出そうな雰囲気でもなく、特に不審な点も思いつかなかったので、高谷はそれでいくこととした。
そうして遠藤中将の座する『伊予』に向けて信号が送信され、鳴門案はそのまま艦隊の方針として採用された。間もなく各艦は増速し、陽が沈み夜が更けていく中、20ノットの速力で東奔する。航空攻撃の計画についても、打井の尽力によって詳細が定まり、あとは戦を待つばかりとなった。
なお当然ではあるが……やはり『天鷹』ではエビ天大会が催された。
だが今回に限っては、誰かの胃腸がおかしくなる前に、大変な事態が勃発してしまうのである。そのことに勘付いていたのは、どうしてか"Inattention"などと独り鳴く、オウムのアッズ太郎くらいかもしれない。
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