奇想! 天麩羅機動部隊⑤

太平洋:択捉島南東沖



「このまま30ノットで一気呵成に突撃する」


 深夜。第56任務部隊を統べるクラーク少将は、まったく意気軒高といったところである。

 彼の指揮下にある航空母艦は旗艦の『サラトガ』に同じくエセックス級の『ランドルフ』、それからインディペンデンス級の『プリンストン』。これをアイオワ級戦艦の『ミズーリ』と『ケンタッキー』、アラスカ級大型巡洋艦『ハワイ』を始めとする20隻が守る形で、そのすべてが燃費という概念を忘却したかのような速度で荒波を蹴立てていた。


 星条旗を凛々しくはためかせた艨艟達が目指すは、択捉島の南東250海里。

 夜明け前に艦載機隊を発進させ、北海道東部から千島列島南部にかけて点在する日本軍の飛行場を、陽が昇るのと同時に爆撃するのである。そうして基地航空隊を叩き潰した後、シャーマン少将の快速機動部隊と協同し、悍ましきことを企みし敵艦隊を挟み撃ちにする――それこそが名高きマクモリス少将のまとめしサニタイザー作戦だ。避退せんとした先に大戦力が現れ、頼れる仲間は皆ジュラルミンの残骸という状況ともなれば、さしもの食中毒空母も最期を迎えざるを得ないだろう。

 加えて任務部隊は未だ、索敵機や潜水艦による接触を受けていない。となれば何もかも主導的に事を運べそうで、司令部の誰もがその幸運に胸を打ち震わせていた。


「とはいえ、危ないところでしたね」


 眠気覚ましのコーヒーを嗜みつつ、参謀長は漏らす。


「まさか支援艦隊がジャップ野郎どもに見つかるとは」


「うむ。その意味でも我々は幸運だ」


 クラークもまたおもむろに肯く。

 第56任務部隊は欺瞞も兼ねてウェーク島空襲を敢行し、ハワイ方面に引き上げると見せかけた後、全速力で太平洋を北上してきたのである。無論それでは燃料が尽きてしまうから、高速給油艦と護衛空母を含む支援艦隊をミッドウェー諸島の西北西1000海里に事前展開させておき、洋上補給を行ったという訳だった。


 そうしたらその数時間ほどの後、支援艦隊は敵に捕捉されてしまった。

 大型かつ高速の長距離偵察機が現れ、しかも取り逃がしてしまったというから、まったくもって厄介極まりない。ただ日本軍はこちらを追加の機動部隊と誤認したらしかった。故に横須賀空襲の時と同様に各艦の無線封止を徹底し、被発見性を可能な限り低減した上で、払暁の第一撃に全力投球することとしたのだ。

 これで敵の目には、空母を含む艦隊が3つも出現したように見えるだろう。別動隊がいるとしたら食中毒空母の南東辺りだろうが、彼等もまた大混乱に陥ること請け合いだ。


「なお敵の飛行場ですが」


 生真面目そうな航空参謀が口を開き、


「情報を総合するに、かなり抗堪性を高めている模様です。第一撃だけでは不十分かもしれません」


「案ずるな。その時は第二次攻撃隊もそちらに回す」


「ありがとうございます」


「実際、脅威としてはそちらの方が大きいだろうからな。それにだ」


 クラークは傍らの航空母艦に相応しからざる人物を一瞥し、


「必要とあらば、食中毒空母を水上砲戦で沈めたっていい。そのためのアイオワ級だ。あの恐るべき大和型が相手では、確かに分が悪いだろうが、あれらは3隻揃って呉に停泊しておるのが確認されている」


「はい。航空機の援護さえあれば、リー中将の轍は踏まずに済みます」


 砲術参謀が自信満々に応じる。


「何しろアイオワ級の最高速力は33ノット、8ノットも劣る食中毒空母では絶対に逃げられません」


「うむ、ともかくあの呪われた艦を沈めてやろう。作戦名の通り、汚物は消毒だ」


 己が精神をざわつかせる何かを抑制し、クラークは己が戦意を昂ぶらせた。

 それから前の作戦で一緒に戦ったハルゼー大将の、自信と戦意に満ち溢れた表情を思い出す。日本本土への痛撃を成功させ、無事すべての航空母艦を帰投させたこの偉大なる指揮官は今、理不尽な責任転嫁によって査問にかけられてしまった。しかも現場に出たこともないようなお偉方が、


「何故、あの場で『天鷹』を仕留めなかった?」


「敢闘精神が欠如していたものと思われるが……」


 などと愚にもつかぬことを言ってのけ、まったく恥じ入らぬらしいのだ。


「もしやこれも、食中毒空母の呪いということなのか」


 クラークとしても、そう思わさるを得ないところがあった。脳裏に汚らしく付着した何かが、常軌を逸した思考を誘うのだ。

 だがだからこそ、冒涜的で名状し難き敵艦と、ここで決着をつけてしまわねばならぬ。見事それを討ち果たし、信ずるべき道理を打ち立て、風にざわめく枯木の如きものを亡霊と恐れていただけなのだと示さねばならぬ。悪魔退治の務めを果し得るのは自分をおいて他にない。激烈なる信念を胸に、漆黒の闇に溶けたる水平線を睨みつける。


 そうして改めて意を決した矢先――無線封止命令を破っての報告が飛び込んできた。


「戦艦『ミズーリ』より緊急入電! 方位310、距離9マイルに敵艦!」


「何ッ」


 脳天を打擲せんばかりの情報に、言葉が一瞬失われる。

 その直後、逆さ向きの流星が曇りがちなる夜空を駆け抜け――第56任務部隊のまさに直上で、病的な燐光を何百万カンデラと湛えた鬼火に変わった。世界を祝福する綺羅星とは正反対のそれが意味するところを、理解できぬ者などいるはずもない。






 遠藤機動部隊と第56任務部隊の遭遇は、偶然のなせる業以外の何物でもなかった。

 お互いが別の目標を追い求めて海原を疾駆し、かつ自身の秘匿性を高めて運動した結果、指呼の間に至るまで相手の存在に気付かなかったという顛末である。更にはどちらも有力な戦艦を擁していたことが、何がしかの心理的作用を及ぼしたのかもしれないが――ともかくも気付いた時には、彼我の最短距離は15キロにも満たなかった。


 かような状況で決め手となったのは、夜間見張り員の肉眼に他ならぬ。

 日中を暗室で過ごすという狂気的な鍛錬と、特殊な薬剤等をもって増強された視力が、遂に真価を発揮したのだ。水上電探が次第に性能を向上させていく中、どれほど役に立つものかと言われ始めてもいたが、一切の電波輻射を伴わぬところが大変に優れている。今回はそうした非能動的特性が見事活きた形だった。

 そして旭日旗を掲げたる艨艟達に乗り組む者達は、何故ここに敵艦隊がと困惑しつつも咄嗟に合戦準備を整え、機先を制することに成功したのである。


「敵は戦艦2隻、それもアイオワ級を擁するか」


 航空戦艦『伊予』の戦闘艦橋にて、遠藤中将は固唾を呑む。

 照明弾の煌々たる輝きが闇夜を払うや否や、海原に浮かび上がった恐るべき輪形陣。その前縁を占める2隻は紛れもなく米海軍が誇る新鋭高速戦艦で、4万8000トンの威容には思わず身震いした。


「本艦をほぼすべての性能で上回っていそうな、まったく侮り難い敵です」


 艦長の篠田大佐は声を弾ませ、


「ならば個艦性能の違いが、戦力の決定的な差ではないと教えてやりましょう」


「そうだ。いずれにせよ先手必勝、勝機は十分」


 勇猛果敢な言葉に遠藤も大きく肯き、皆の臆する心を封じ込める。

 実際、上手く丁字を描けそうな具合であるから、敵アイオワ級は第三砲塔を当面使えまい。加えて比較的近距離での戦闘に重きを置きたる砲熕は、今この場でこそ最大限活用できるはずだった。


 であれば――天佑神助我にありと考えるべきだろう。

 敵の最有力艦をとにかく迅速に叩き潰し、戦果拡張を図るのだ。明るみに出た敵艦の中には、仇敵たるエセックス級航空母艦まで含まれている。ここで撃沈できたならば大金星であるし、少なくとも速力を低下させることさえできれば、あとで幾らでも料理のしようがあるというものだ。


「砲雷戦用意だ。敵がもたついておるうちに一切合切片を付ける。第七、第八戦隊および第四水雷戦隊は一気呵成に突撃、敵空母を確実に仕留めよ」


「長官、七航戦は?」


「おっと、忘れとった。ただちに退避させろ、この場では役に立たん」


 参謀長の指摘に、遠藤は些か慌て気味に命じた。

 それから少し前のことを思い出す。天麩羅軍艦に誘引されたる米機動部隊を何処で叩くべきか、一応は航空戦の経験豊富な高谷少将に尋ね――その通りにした結果がこの遭遇戦なのである。


「とすればあの野郎、案外と奇運の持ち主なのかもしれんな」


「長官、どうなされました?」


「何、些細なことだ。ともかくも右砲戦。主砲、撃ち方始め!」


 不可解な確信を抱きつつ、遠藤は出し得る限りの大音声で叫んだ。

 『伊予』の前甲板にまとめられたる2基の四連装主砲塔が滑らかに旋回し、並びたる正38㎝砲の半数が鎌首を擡げ、諸々の情報で修正された目標未来位置を指向する。


「撃てッ!」


 発令。主砲は轟然と咆哮し、赤橙色の猛炎が空を焦がす。

 低仰角で放たれた38㎝砲弾は鋭利な弾道を描き、僅か20秒ほどで敵艦周辺に水柱を屹立せしめた。最初はすべて遠、次は等しく近、しかし三度目の正直と相成った。挟叉をもって正しき諸元を得た『伊予』は斉射に移行し、その時になってようやく、大出力電波の照射を受けたとの報告が舞い込んだ。


「ははは、遅いわッ!」


 遅まきなる水上射撃用電探の動作に、遠藤は思わず相好を崩す。

 間もなく第4斉射の弾着。時計を携えた水兵が高らかに宣言し、その刹那、敵艦に火の手が上がった。命中弾となったのは2発で、そのいずれも重要区画を射貫するには至らなかった。


 だがある意味では、最も効果的な一撃となったと言えそうだった。

 何故なら命中と同時に、敵艦より輻射されたる大出力電波がスッパリと停止したのである。

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