煉獄への階段⑤

地球周回軌道:日本海上空



 一気に過熱し始めた紛争の影響は、宇宙空間にも及び始めているようだった。

 既に幾つかの人工衛星が、突如として機能を失ったりしているのだ。そのうちの大部分は、無秩序に撒き散らされたスペースデブリの衝突が原因と結論付けられている。それでも何件かは、極めて敵対的なる行動の結果と考えられていた。例えば光学観測衛星たる望遠14号が、ポーランド上空において天体現象では説明のつかない温度上昇に見舞われたが、その直下に当たる場所には、ドイツ軍の大規模レーザー実験施設が存在していた。


 とすればもしかすると、自分達も愛機と運命をともにすることになるのかもしれない。

 世間では宇宙時代の零戦などと持て囃され、漫画および動画に因んでコスモゼロなどと呼ばれたる、帝国空軍が誇る四〇式複座軌道戦闘機。その複雑だが慣れ親しんだ計器類を眺めながら、操縦士の本庄大尉はぼんやりと感慨に浸っていた。『天照』基地へ帰投するに際しては、脅威に満ち溢れている大陸欧州の上空を、どうあっても航過せねばならぬ。狭苦しいコクピットと主エンジンを連結させ、その周囲に燃料タンクと兵装を据えて軽く装甲板で覆っただけの、大戦中の名機のような運動性などまるで持ち合わせていない機体であるから、対宙砲火に狙われたら一巻の終わりという他なかった。

 そしてそうなったら、少々苦しい死に方をする破目になるかもしれない。流れ星となって宇宙の露と消えるという最期は、なかなかに浪漫的に思えるかもしれないが、問題はそこに至るまでの過程だ。


「とはいえそれも一瞬とは言えるのかもしれんなァ」


「大尉、どうかなされましたか?」


 航法と兵装を担当する菊原中尉の声が、後部座席より響いてくる。

 またかとばかりの気配を、言外に臭わせていた。実際、そこはかとない雑談だ。とはいえ単調な軌道飛行中にあっては、案外それが重要なのかもしれない。


「ああ、いや、この間映画を見てな」


 本庄は薄っすらと内容を思い出し、


「破滅的な原水爆戦争が勃発し、何処もかしこも滅茶滅茶になっちまう……って奴だ。まあよくある物語かもしれん。ただ真っ先に死ねた奴は案外幸運かもしれなくと、見ていて思えたな。核爆発で死ななかったとしても、医療が崩壊しちまったところに何百万という重傷者だからほとんど助からなかったりするし、食糧や薬を巡ってチンピラゴロツキどもが暴れ回る。ついでに頭上からは放射性降下物。そんな地獄を生き延びたとしても、大昔の農奴みたいな暮らししか待ってなくて、当然教育なんざできやしないから、育った子供は"起きろ"とか"仕事"とかカタコトの言葉しか喋れんと」


「BBC製作の『脅威』でしょうか」


「ああ、確かそんなタイトルだった」


「ハリウッド映画よりは圧倒的によくできていたと思います」


 菊原は辛辣に微笑し、


「あちらは放射性物質が減衰せず何時までも残り、更には被曝した人間が理解し難い怪物に変わったりするなど、科学的考証が出鱈目もいいところですし……そもそも尺のほとんどが銃撃戦と色恋沙汰に費やされていたりします。率直に言って、フラットヘッド黒鉛炉の時から進歩がない」


「まああちらは、サメ台風みたいな映画が得意な訳だし、流石に冗談の心算でやってるんだろう」


 本庄はそう言いながら航空時計を一瞥し、飛翔軌道に逸脱がないことを素早く確認する。

 それから冗談の類は、冗談として受け入れる余地があってこそだと思った。今この瞬間も、スペインやトルコでは激烈なる戦闘が繰り広げられている。更には地球上で最も過酷な領域とされ、数年おきに衝突が発生したりしている独ソ軍事境界線においても、最近になって数個師団同士がぶつかり合う大紛争が勃発していた。世界最終戦ものの作品で描かれてきたような展開が、まさに現実のものとなってきており、しかも慢性化しているのだ。もちろん皇国と共栄圏の友邦は、国際政治的にも地理的にもそれらから一歩引いたところにあるが、当然無関係であり続けることはできそうにない。


「それに冗談といえば」


 起床の直後に見たニュースを思い出し、


「このところの好景気というのも、悪い冗談みたいに思えるな」


「そうですかね?」


「ああ。東証株価が大暴落したとか、地価が急落したとか、何処そこの系列が倒産したとか……ちょっと前にあった気がする」


「問題を切り分けて考えれば理解し易いかと」


 菊原はそう言った後に少し黙り、端末をカタカタと叩いた後、再び口を開いた。


「それこそ都市部や基地周辺の土地に関しては、真っ先に水爆で破壊されかねない訳ですから、手放したくもなるでしょう。一方で田舎の土地や建物などは、有事の際の疎開先として機能する訳ですから、当然高騰します。また国民が揃って生活関連物資や医薬品、建設用具に小型トラック、対電磁仕様の電化製品なんかを買い込んだり、あちこちに防空壕をこさえていたりする関係で、インフレも相当に進んでおりますから、関連産業としては作れば作っただけ売れるような状況となっており……端的に言ってしまえば、不況と好況が国内に同居していて、かつ後者の影響の方が大きいという話かと」


「なるほど。いざって時にはカネよりモノか」


 本庄はおもむろに肯いた。


「とはいえそうした特需は、おおよそ一過性のものなんじゃないかね。最初は大慌てだったものが、そのうち皆飽きてきて、何故こんなにあれこれ買い込んだんだろうかと頭を抱えるような。売れると思って在庫の山を抱え、思ったより売れずに倒産……なんてのはたまに聞く」


「はい。これまでの経験則から言えば、そうなるはずです」


 明瞭なる口調で回答がなされ、亜細亜原爆動乱の時も同様だったらしいと付け加えられる。


「ただ今回は、当てが外れるかもしれません。自分の叔父にかつてちょいと世間を騒がせた相場師がおりまして、まあ最終的にスッテンテンになって実家に逃げ帰ってきたりしたようなのですが……彼が言うには、これは本物だと。それからつい先日、緊急の補正予算が通りましたし、あくまでまだ噂の段階ですが、臨時軍事費特別会計が設置される可能性があると」


「おいおい、それだと本当に最悪な冗談じゃないか」


 空恐ろしさを覚えながら、本庄は呻く。

 すなわち何十億もの死と現代文明の壊滅的破壊を齎すであろう世界最終戦の勃発を、十分に蓋然性の高いシナリオだと想定した上で、何もかもが動き始めているということなのか。喉が途端に渇き、咄嗟に宇宙用コーヒーのパウチ容器を取って、中身を無雑作に啜る。まったくもって美味くなく、少しばかり眩暈がしてくるようだった。


 ただその直後、搭乗員としての自覚を促すかのように、警報音がコクピットに木霊した。

 今まさに駆っている四〇式複座軌道戦闘機は、弾道弾迎撃演習のために基地を発ったのだ。彼は余計な物思いをすぐさま意識の片隅へと追いやり、操縦系と己が精神とを一体化させる。程なくしてマーシャル諸島はクェゼリン環礁に、大規模な赤外線放射が確認されたとの通報が、府中の航空宇宙総隊司令部より飛んできた。


「よし、撃墜しにいくぞ」


 本庄は宣言し、ゴクリと唾を呑む。

 神聖なる国土を狙う悍ましき長距離弾道弾。それを模したる標的弾の飛翔軌道は、ロケット燃料を使い切るまで判明せぬから、それまではもどかしく重苦しい時間に耐えねばならない。


「標的、燃焼終了」


 待ちに待った報告が飛び込み、


「標的軌道および迎撃軌道、計算完了。天羽々斬、迎撃に移行せよ」


「了解。天羽々斬、迎撃に移行する」


 命令を受領。ただし自動操縦であった機体は、その時には既に機首を上げ始めていた。

 標的弾はロフテッド軌道を描くようで、それに合わせてエンジンが噴射されていく。加速度はそれなりに大きいが、大気圏内での空戦において生じるほどのものではなく、むしろ心地よいくらいだった。


 そうした中、菊原は端末を叩き、送信されてきた情報に齟齬がないか確認していた。

 この段階でパイロットに仕事があるとすれば、計算機が故障したり誤った結果を弾き出したりした場合に備えることくらい。やっているのは演習であるから、案外そんな事態が"発生"するかもしれぬと本庄は期待したが……幸か不幸か、手動操縦に切り替える機会は訪れなかった。


「兵装最終確認よし。間もなく投弾点」


「投弾ッ」


 言葉とはまったく無関係に、2発の四一式迎撃弾が切り離された。

 数秒ほどの後、それらは轟然とロケットモーターを吹かし、宙の高みへと昇っていく。もちろん窓のないコクピットから、それらの軌跡を追うことなどできはしない。それでも人間など足許にも及ばぬほどの演算能力を持つ機械は、すべてを上手くやるのだろうと確信され、程なくして出力1キロトンの弾頭が目標を捉えたとの報告が舞い込んだ。


「もっとも、次は実戦かもしれんか」


 自動制御される機体の状況を数値的に把握しつつ、本庄はぼそりと呟く。

 今回は演習であったから、1目標に2発という教科書通りの迎撃となった。しかし実際の原水爆戦争においてはかような手法を採るべきなのか、あるいは計算機がその判断をし得るのか、とりとめのない思考が脳裏を過る。

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