煉獄への階段⑥

東京:首相官邸



「日独伊外相会談、間もなく開催。緊張緩和の糸口となるか」


「ジュネーブに到着の志村外相、記者団相手に意気込みを語る」


 かような見出しが新聞の一面を飾り、テレビジョン放送が道行く人々の歓迎の声を拾う。

 老若男女を問わず、誰もが安堵を覚えているに違いない。何せ昭和60年代に入って以来、世界は断崖絶壁に向けひた走っているかのようで、何時世界最終戦が始まってもおかしくない情勢が続いていた。まさしく撃つか撃たれるか。そんな殺伐とした雰囲気が濃厚に立ち込め、慣れ親しんだ街並みが一瞬で灰燼に帰すかもしれぬと危惧される中で、人々は精勤せざるを得なくなっている訳で……僅かであってもそれが和らぐのであれば何よりと、あまり学のない者であっても思うのだった。


 ただ実際の政治に携わる者達は、楽観らしきものを持ち合わせていなかった。

 内閣および陸海軍に直属する複数の研究機関が、合同机上演習を重ねて実施したところ、ドイツが先制的かつ全面的な原水爆攻撃に出る確率が、年に5%以上あるという結果が弾き出されてしまったためだ。単純に計算すれば、無事に21世紀を迎えられるか否かは、丁半博打も同然ということになる。しかも米ソのような対独強硬派の列強は、今こそ邪悪なる国家社会主義を打倒すべきと断じて疑わない。もちろん実際にそれがなされれば、人類にとっては相応の福音となるのかもしれないが、一歩間違えれば地獄へ真っ逆さまだという現実を、ホワイトハウスやクレムリンは忘却しているかのようだった。

 そうした事情を踏まえれば、今まさに催さんとされている外相会談の意味合いも異なってくるだろう。事実、世間を賑わせたるそれは、その場凌ぎのためにやっているようなところがあった。


「なおソ連邦は」


 陸軍参謀本部ロシア課長の服部大佐が、帝国国防会議の場ではっきりと証言する。


「疑いようもなく、大規模な地上侵攻の準備を進めております。砲火力および航空火力の支援の下、おおよそ300万の兵力をもって軍事境界線に大突破口を穿ち、モロトフ=リッベントロップ線以東を電撃的に奪還する心算のようで……」


「あいつら正気か」


 誰かが吐き捨て、出席者が眉を顰めてざわめく。

 追い打ちをかけるように提示されたのは、このところフェデックスの民間貨物機が、やたらとシェレメチェヴォに着陸しているとの情報。空対空誘導弾や電子戦装備など重量単価の高い装備品を、片っ端から供与しているに違いなかった。


 更には米ソ合作の可能性が、別方面からも示唆された。

 共和党政権の伝統というべき共産主義嫌いを、ひとまず棚上げしてでも、一気呵成に事を進める目論見なのだ。昨年に成立したラムズフェルド政権は、スペインでの戦乱を一気に片付けるために、南フランスを爆撃する作戦を検討しているという。それを独ソ開戦にぶつけるというのは、軍事的には合理的と評価できるのかもしれない。


「だが奴等、世界最終戦に繋がる可能性をまるで考慮しとらん」


「スペインでの成功体験が、最悪の形で寄与したものと考えられます」


 事務的なる口調で言うは、内閣戦略局の大橋長官。

 憲法改正以後も権勢を振るう陸海空軍を牽制すべく、総理大臣の直下に置かれた部局。その頂点に立つ、空軍中佐以後の経歴が明かされていない人物は、神経質そうにメモを見ながら続ける。


「すなわち通常兵器のみで戦っている間は、敵も通常兵器しか使ってこない。大変に理解し易い理屈ではあります。加えて航空戦力の過半を投じた一大作戦から始まった戦争が、まさにそのように推移しているとも言えます。故に独ソ戦が再開しようと、南仏を爆撃しようと、本当に致命的な事態にまではならず、先制攻撃の優位のみが得られる。彼等は現にそのような確信を抱いており、確かにその通りとなる可能性もない訳ではありません。フランスは未だ独自の原水爆を保有してはおりませんし、独東方領も所詮は植民地と割り切って考えることはできますから」


「割合としてはどんなものだね?」


「総理、こうした問題は本来、数値的に解析し得るものではないことをご理解ください」


 大橋はさらりと釘を刺し、


「その上で申し上げますれば、やはり五分五分といったところかと。ただし悪い方の五分であった場合、それは全面的な原水爆の解禁となるものと予想されます。当然、我が国に向けても撃ってくるでしょう」


「ううむ……」


 酷く苦しげなる呻き。それに続くは、心身を締め上げんばかりの静寂。

 大会議室に列席したる者の中に、アブラハム系の宗教に帰依している者はいない。それでも聖書に記されている審判の日だか何だかが、ひたひたと足音を立てて迫ってきているようだった。あるいはその先に訪れるという千年王国とやらを、原子物理学的手法によって実現せんとしているのかもしれなかった。


 そうして数十秒ほどが経過した後、一応は喧々諤々の議論が再開された。

 幾つかの基本的な想定に基づき、事態がどう推移し得るかが大まかに説明されていく。ただそのいずれにしても、最終的には破滅的事態に至る公算が高いと見積もられていた。米ソの作戦開始と機を同じくしてこちらも行動を開始し、ドイツ本土の弾道弾基地や軌道上の新Z艦隊をまとめて吹き飛ばせばいいという極端な論までまろび出たが……恐らくその場合も、すべての列強が十数分以内に原水爆戦へと移行し、日本本土および共栄圏諸国に甚大な被害が生じるとの予想だった。


「それで、何か妙案はないのかね」


 沈痛なる面持ちで、総理が尋ねかけてきた。


「諸君等の話を聞いていると、もはや世界最終戦がほぼ不可避という風に思えてくるのだが」


「対策がない訳ではありません」


 そろそろ頃合いだろう。大橋はそう判断し、口火を切る。


「率直に申し上げまして、防御能力こそが解となります。我が国の防御能力が今以上に盤石となった場合、米ソが結託して軍事的冒険に打って出たとしても、ドイツは全面的な原水爆戦を躊躇せざるを得なくなるかと」


「どういうことだね?」


「例えば甲が乙に対する全面的な原水爆戦を発起したとした場合、甲は反撃によって人口・産業の数割を喪うのを覚悟した上で先制攻撃を実施し、乙の軍事力および人口・産業に壊滅的打撃を与えることを志向すると考えられます。しかしながらここに、甲乙の紛争に対して中立の丙が別途存在すると仮定すると、甲乙が共倒れとなった後、丙が漁夫の利とばかりに覇権を獲得してしまう可能性が生じます。そのため甲は当然として乙も、いざとなれば丙をも標的とせざるを得ないという理論が成り立ちます」


 淀みない、何処か教員のような口調で、大橋は淡々と説明した。

 出席者の反応は、この段階ではあまり芳しくはない模様。彼はそれを至極当然と受け止めつつ、尚も論を展開していく。


「しかしながら丙が十分な防御能力、すなわち高度に整備された陸海空および軌道上での弾道弾迎撃能力と核爆発に対しても抗堪し得る国土を有していたとすると、状況が大きく変化すると考えられます。すなわち先の説明でいうところの甲は、乙の壊滅を主目標としつつ丙が漁夫の利を得るのを阻止せねばならぬ訳ですが、後者の達成が困難となった場合、必然的に決断を躊躇せざるを得なくなるということです」


「乙への攻撃に配分される戦力を幾らか丙へと配分させれば……」


 反論者はそこでハッとなり、


「ああ。それでは当初目標の達成が不可能で、何のための原水爆戦なのか分からなくなるか」


「はい、その通りです」


 大橋は隈なき声色で肯定する。

 場の雰囲気は少しばかり和らいだ。糸口らしきものが見出されたのを切っ掛けに、議論は良性の方向へと進み始める。甲すなわちドイツが上記の状況を打開せんとするならば、更なる軍拡が不可避となりそうだが、スペインとトルコに戦線を抱え、更にはソ連邦との本格的衝突が予想されている以上、そちらへ国力を注ぐのは難しいだろう。一方で日本および共栄圏諸国は、内憂があるとしても相対的には安定しているから、防御のための支出は明らかにやり易いはずだった。


 もちろん諸々の環境変化があったとしても、ベルリンは暴発してしまうかもしれない。

 ただその場合は、それまでの投資を直接的に活かせばよいとなる。大東亜戦争の末頃、帝都が米原子爆弾の脅威に晒されるという危機的状況にあって、あるお目出度き海相が「世界最終戦は大東亜の不戦勝」などと言い出したという与太があるが……もしかすると、それに近似した形態となるのかもしれない。ともかくもに弾道弾迎撃能力の急速拡充は、いずれの想定であっても無駄になる事だけはないと考えられたし、亜細亜原爆動乱の経験もあって基盤整備が進んでもいたので、おおよそ方針は定まっていった。


「となれば時間稼ぎが必須で……外相には、今以上に"ホウカン"をやってもらう必要がありそうだ」


「なお懸念事項として、じり貧になるのを恐れたドイツが、予想以上に早く原水爆戦に打って出てしまう可能性が考えられます」


 この時までほぼ口を噤んでいた空軍大臣の益富大将が、満を持してとばかりに発言した。

 多少のざわめきの中、大橋は素早く目配せする。かつて空軍大学校で一緒だったこの人物との間には、未だ強固な同期の誼があったし、更には組織同士の繋がりも、偵察情報の共有などの関係から密だった、


「実のところ空軍といたしましては、弾道弾迎撃能力を一挙に拡充する手段について研究を、かねてから実施しており……この場を借りて、それについて発表させていただければ」


「ほう、聞かせてくれ」


「はい、総理」


 益富は深呼吸し、僅かな沈黙をもって衆目を集めた後、再び口を開いた。


「現在、軌道工業試験場建設のため、20万トン級原爆推進船の整備が官民合同で進められております。これを買収した上で緊急改装を実施、軌道戦闘機多数を搭載し、二代目の『天鷹』として打ち上げてしまうのです」

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