航空母艦『天鷹』、新たなる旅立ち

佐世保:記念艦『天鷹』



 最も滅茶苦茶な20世紀を過ごしたと評される高谷翁も、心身の衰えを感じるようになっていた。

 そもそも今年で白寿なのだから、ようやっとかと仰天するべきところかもしれぬ。それでも未だに何不自由なく歩けはするし、意識もまた明瞭。メルボルンでの日米通商会談の最中に後頭部を強打したのを切っ掛けに、衆議院議員は引退することになりはしたものの、自分は終身官だからと鎮守府に押しかけるなど、妖怪御老人ぶりを遺憾なく発揮してばかりいるので……名誉司令長官という名目で、記念艦『天鷹』に押し込められてしまっていた。


 ただ幾つになろうとバンカラ全開に見える高谷も、このところ一抹の寂しさを感じずにはいられない。

 何せ兵学校の同期で生き残っているのは、彼ただひとりとなってしまった。ともに悪名を轟かせまくった腐れ縁の部下にしても、ムッツリやダツオは既にこの世の住人でない。それから優秀な技術者として活躍してきた次男坊も、ここに来て厄介な癌にやられてしまっていて、糟糠の妻に続いて看取らねばならぬかもしれぬ。つい10年前くらいまでは、国のため仲間のためと眼前の課題全力投球できていたのだが、やはり長生きし過ぎたのではないかと思わずにはいられなかった。


「その意味じゃメイロ、お前がチョイとだけ羨ましい」


 かつての司令長官室にて氷コーヒーなど飲みながら、高谷はぼんやりと言う。

 机を挟んで相対するは、小樽市街で迷子になった末、何故か佐世保にやってきてしまった鳴門退役大佐。かつては毎度のように遅刻する悪癖を有していたが、加齢によって余計に症状が悪化しているようである。


「お前んとこのKAは、未だに漫画連載しとるのだろ。この間も、最新巻が送りつけられた」


「作業の邪魔と、家から放り出されたりしますがの」


「それでここに迷い込んだと。徘徊老人ここに極まれりだ、お前も随分老けたよな」


「中将は……未だに70かそこらに見えますがの」


「うむ。まさに憎まれっ子世に憚るという奴だ」


 高谷は一切の憚りなく豪語する。

 米英には未だ、自分と『天鷹』を邪神の眷属と見做して、噴飯物の内容を吹聴するのがいるという。実際、米英辺りから来訪したと思しき観光客が、艦の周囲でいあいあと奇声を発しながら謎の呪術儀式を催し、警察沙汰となったことすらある。とすれば憎まれ方も尋常でなく、それ故に現世に縛り付けられてしまっているのかもしれない。


 とはいえいい加減、ポックリと逝きたいとも思えてくる。

 すなわち七生報国の精神だ。人生においてなすべき大仕事が、これより後に残っているとも思えぬから、さっさと生まれ変わって、また何処かで八面六臂の活躍をしたくてならぬ。それからマリアナ決戦にて男児の本懐を遂げたる多門丸や、停戦から10年の節目に壮烈なる自決を遂げた瀧治郎などと、あの世で昔話に興じるのも悪くない。微妙に矛盾している気もしないでもないが、まあ細かいことを気にしても仕方ないだろう。


「実際何だ、この艦には色々と思い出と伝説が詰まっておりはするが、既に歴史になっちまった。多分、俺もそうだ」


「なかなかに自慢げですな」


「メイロ、お前だって伝説の一部だぞ。実際、何度かあった『天鷹』の窮地を救ったのは、お前の操艦技能に他ならん。ただ何だ、過去の思い出は美しいかもしれんが、それだけじゃちっとも面白くない。とすればチョイと孫曾孫どもにゃ悪いが、早いとこ次に行きたいという訳でな……うん?」


 ジリジリと喧しい音が響いてきた。

 何かと思えば、携帯電話が鳴っているのだ。興亜電子工業の会長にして、最近遂に変テコ宗教を始めてしまった佃退役中佐が、爬虫人類発見の情報を迅速に共有するためと称して開発させたそれは、流行の最先端をゆく逸品だ。ついでに相手の電話番号の先頭6桁に合わせて着信音の音階が変化するので、おおよそ誰からか分かったりもするもので――曾孫の秀典からだとすぐに分かった。


「おう、ヒデ。どうした?」


「曾爺ちゃん、朗報だよ朗報」


 なかなかに重たい受話器越しに、若く弾んだ声が響く。


「さっき俺にさ、『天鷹』乗組の内定が出たよ」


「うん? ヒデ、お前ってば空軍中尉だったよな?」


 高谷は怪訝な顔をし、


「それが何故、記念艦なんぞに内定なんだ? 物好き相手の観光案内くらいしかやることないぞ。それとも何かしでかして、懲罰人事でも食らったか?」


「曾爺ちゃんじゃあるまいし」


「おいこら、図に乗るな」


「乗るのは軌道空母だよ。間もなく発表があると思うけど、特大型原爆推進船の軌道空母への改装が始まって、こいつの艦名が『天鷹』になるってもっぱらの噂なんだ。俺はその艦載機パイロットって訳」


「ほう、こらまた驚いたな」


 久々の、紛うことなき朗報だ。高谷は思わず破顔する。

 聯合艦隊の味噌っかすだの無駄飯食いだのと散々に言われながら、人目につかぬような戦果ばかりを積み重ね、遂には原爆奪取作戦までやってのけた殊勲艦。その数奇なる艦名を、国防の要となりそうな原爆推進艦が受け継ぐというのだから、万々歳という他なかった。しかも曾孫がパイロットとして乗り組むという。自分が人生において関わってきた諸々のものが、ここにきて一点に集約され、また新たな形をなそうとしているのだと実感された。


 とすれば少しばかり前言撤回した方が良いかもしれぬ。

 つい先日、欧州情勢は一触即発と外相が漏らしたように、巷間では世界最終戦の噂ばかりが囁かれている。まあスペインやトルコでは衝突が続いているとはいえ、原子爆弾の1発も炸裂していないのだから、正直心配のし過ぎではないかと思えるが……それもあって打ち上げまでにそう時間はかからぬだろう。加えて特大型原爆推進船が、有事の際に容易に軍事転用可能な設計になっていることは、代議士をやっていた頃に何度も説明を受けていたから、どうあっても忘れようがなかった。

 そうして進宙までは絶対に死なんと確約し、ガハハと笑って電話を終える。やたらと機嫌が高揚してきたので、戸棚からウィスキーの瓶を取り出し、氷コーヒーに注いで昼間から飲む始末。


「いやはや、何だか酒が美味くなった。メイロ、お前もどうだ?」


「死んでしまいますって」


「相変わらず軟弱な奴」


 高谷は自分を基準に無茶を言い、それから相応の妙案を思い付く。


「まあいい、何時なんだか分からんが、それに合わせてでかい同窓会をやるぞ。『天鷹』に乗ったことのある奴は全員掻き集め、二代目の門出を盛大に祝ってやろうではないか」





択捉島:単冠湾



 新『天鷹』進宙式。海軍と空軍の様式が混ざったそれは、単冠湾において盛大に催された。

 およそ半世紀前、南雲機動部隊が真珠湾を奇襲すべく出撃した記念すべき場所は、世界有数の原子力宇宙軍港に変わっていたのだ。しかも空前絶後の規模を誇る原爆推進艦であるから、国威発揚としてはもってこいという他ない。択捉島中部は要塞地帯として指定されているが故、居合わせたるは関係者およびその家族のみ。それでもテレビジョン中継はなされていて、日本全国果ては共栄圏の津々浦々に至るまで、熱狂の渦が広がっているようだった。


 そして衆人環視の中、秒読みが遂に零に至った。

 湾中央の浮体構造物に据えられていた、あまりにも巨大な円錐台状の艦体。それは海面下より導入されたる放射性蒸気によって一息に数十メートルほど浮上し、刹那の後、太陽もかくやと思えるような閃光が一帯を包み込む。出力およそ10キロトンの爆発が、毎秒のように生じ始めたのだ。そのうちの何割かを己が運動エネルギーとして受け取った『天鷹』は、キロ単位の直径を有する爆発痕を連ねながら、およそ2.5G加速で蒼穹の彼方へと駆け上っていく。

 仮に何処かに不備があったならば、すべてが一瞬のうちに蒸発していたかもしれぬ。しかしこれまでの実績に違わず、飛翔はまったく順調で……原爆加速はつつがなく終了し、仕上げの原子熱ロケットが作動した旨が報じられる。


「軌道投入成功。只今、『天鷹』は進宙いたしました」


「おおッ!」


 天寧地区に設けられたる退避壕に、大なる歓声が響き渡る。

 直後、奏でられたるは『軍艦』の華々しき調べ。一般の水上艦の場合と違い、『天鷹』は既に太平洋上空の遥か彼方。それでも新時代の決戦兵器と期待されし彼女の英姿は、誰の目にも鮮烈に焼き付いていた。


 そうした中で案外と物静かであったのは、大東亜戦争を戦い抜いた100名ほどだろうか。

 海軍随一の無軌道集団として悪名を轟かせ、奇天烈な伝説を幾つも作り上げたものだが、すべては半世紀ほども昔の話。皆とうに還暦を過ぎ、それぞれの人生をおおよそ果たし終えていた。そんなところで、かつてともに戦った航空母艦の魂が次代へと受け継がれ、しかも軌道上の星になってしまったのだ。となればそれは自慢の娘の晴れ舞台も同然で、最年長にして主賓の1人たる高谷翁もまた、感無量といった雰囲気であった。


「無事に上がれたようですな」


「うむ。宇宙の海で、これから公試だ」


 高谷は実に朗らかに肯き、


「まあともかくもこれで、時代にひと区切りがついたってことかね」


「Old soldiers never die」


 どうしてか未だに健在なオウムのアッズ太郎が、傍らで相変わらず生意気なことを口にする。

 とはいえ実際、そろそろ消え去るべき時期ではあろう。曾孫の秀典などは今まさに、地球周回軌道上へ無事旅立った訳であるから、もはや思い残すこともあるまい。


「とすれば後は、二代目『天鷹』の活躍を祈るばかりだ。案外あいつも主力艦撃沈にだけは恵まれん運命かもしれんが」


「戦闘の機会については、一度も訪れんで欲しいと思うべきではないかと」


 苦笑気味にそう言うは、アッズ太郎の今の飼い主なる穂津田空軍大佐。

 何処かの会議で癇癪を起こし、チンピラゴロツキと絶叫した末に脳溢血で斃れた打井海軍中将の次男坊だ。入り婿だった関係か、あるいは父親を反面教師としたのか、こちらは随分と物静かな人物で、これも時代の流れかと思えてくる。


「実際、二代目『天鷹』の主たる任務は、軌道戦闘機を用いた弾道弾迎撃です。すなわち彼女に活躍の機会があるとしたら、それはほぼ世界最終戦となる訳でして……それは絶対に避けねばなりません」


「ふゥむ、なるほどな」


 やたらと物騒なこのところの世相を思い、高谷も首を傾げる。

 南フランスの飛行場を米空軍機が爆撃しただの、ソ連邦が今にも旧領奪還に動き出しそうだの、なかなか厄介なことになっているのは事実。テレビジョンを点けてみれば、五島何とかとかいうおかしな奴が、ノストラダムスの大予言で恐怖の大王がうんたらと、日蓮もかくやと思えるような内容で喚き散らしていたりする。


「だがまあ、何事もなるようになるだろう」


「そうですかね」


「ああ。大東亜戦争から今に至るまで、色々とろくでもないことがありはしたが……すべてどうにかなったんだからな。それでも問題があるってなら、またぞろ寿府で国際武闘大会でも催して、政治家同士の拳闘で決着をつけちまえばいい」


 高谷は自身に満ちたる口調で断じた。

 惜しむらくは、流石にもう拳闘の選手はやれそうにないことだろうか。とはいえ後世畏るべしといったところで、真に喧嘩屋なる代議士も育ったりしているようだから、きっと次も大丈夫なはずである。


(なあ『天鷹』よ、そうだろう?)


 太平洋の遥か彼方に想いを馳せつつ、声にすることなく尋ねかける。

 直後、機を見計らっていたとばかりに、軌道上の『天鷹』より入電があった。全系統異常なし。高谷はその報に安堵し、強化ガラス越しに見える白色の軌跡を、実に朗らかなる面持ちで見つめた。

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