一杯の珈琲を①

 ドイツ人とロシヤ人、ポーランド人が神の許へと召された。

 慈悲深き神は、彼等の願い事を1つずつかなえてやることとした。


 ドイツ人の願いは「ロシヤ人を皆殺しにしてください」


 ロシヤ人の願いは「ドイツ人を根絶やしにしてください」


 ポーランド人の願いは「1杯の珈琲を」


 神は困惑し、ポーランド人にそれでよいのかと尋ねる。

 ポーランド人は満面の笑みを浮かべて肯き、答えた。


「もちろん珈琲だけで十分です。先にあの2人の願いを叶えていただけるなら」





ベルリン:市街地



 世界に冠たる大欧州の中心であるはずの市街には、自己破壊的な雰囲気が充満し始めていた。

 このところ特に増大傾向にあったのが若者の自殺行動である。1950年代に大弾圧を受けて地下化し、やたらめたらにおかしな方向に先鋭化していったエーデルヴァイス海賊団。本来は個人的自由を求めていたはずのこの組織は、死によってこそこの悪しき世界から救済されるという教義を確立してしまい、異常なほど陰鬱としか評しようのないそれに基づいて、10代の少年少女に乱射や自爆などをさせているのだった。


 ただ年端もいかぬ実行犯達の境遇を鑑みたならば、同情の余地は若干ながらあると思うやもしれぬ。

 何しろこの時期のドイツといったら、遺伝子による選別が本格始動してしまっていた。人類の調停者を僭称するまで至った黄道同盟の喧伝とは裏腹に、実のところ科学的根拠に乏しく、また極めて恣意的かつ政治的に運用されていた"運命"制度。それに基づき、すべての子供は5歳に達した段階で適性試験を受け、就くべき職業やら配偶対象やらを決定されてしまうのだ。かくして不本意な進路を余儀なくされた児童の幾許かは、おおよそ思春期頃に発狂するなりしたし、帝国の将来を担う逸材との期待に押し潰された末、絶望的な反体制運動に身を窶す者の姿もあった。

 更にはオギャアとこの世に生まれてきたその瞬間、実の父母に、


「目の色が違うわ!」


「劣等人種的特徴だと!? 何をやってたんだ! せっかく高い金をかけて遺伝子操作したものを!」


 などと叫ばれてしまった赤子までいたりする。

 出所不明の可塑性爆薬を背負い、今まさに自爆を決行せんとしているオイゲン少年は、まさにそうした出自であった。遺伝子を編集された超アーリア人の失敗作。そう断じられて両親に捨てられた彼は、以後レーベンスボルンの養育施設で育ち、成績優秀な建設労働者となろうとしていたのだが……15の誕生日を迎えた辺りで、エーデルヴァイス海賊団に出生の秘密を吹き込まれ、狂気に囚われてしまったのである。


「オイゲン、準備はいいか」


「ああ。とてもいい気分だよ」


 行動をともにする親友のペーターに、オイゲンは清々しい口調で応じる。

 高貴な生まれ、優良なる遺伝子。あまりにも皮肉な己が名を、彼は大層嫌っていた。だがその通りの存在に、これからなるのだと思うと、暖かな光に包まれているかのよな気分になった。


「審判の日は間もなく訪れる。その前に自ら死を選び、神の座に至る。だろ?」


「ああ。そろそろ時間だな」


「なら行くとしようぜ」


 オイゲンは屈託なく笑い、組織の隠れ家たる地下3階の頽廃クラブを出る。

 外の四角四面な街並みは何時になく重苦しく、また酷く剣呑で、充満する空気までが自分を阻害しているかのように思えた。だがそれも今日までの話。すぐに寄せられる奇異の視線も構わずに、彼はサッと辺りを捜索する。


「あいつにするか」


 標的となったのは、今まさに停車したばかりのバス。


「喜べ、君達は選ばれた!」


「皆死んで神になるのだ!」


 オイゲンは渾身の力を込めて叫び、露ほどの逡巡もなく駆け出した。

 付近に居合わせた秩序警察官はすぐさま異変を察し、大慌てで武器を構えんとする。だが銃撃がなされるより早く、彼は車体に取りついてしまっていて、ギラギラと不気味に輝く両眼が、突然の恐怖に怯える学生達を捉える。


「そうだ、死んで神になるのだッ!」


 刹那の後、身体に取り付けたる可塑性爆薬が一斉起爆。犯人たる者の肉体は、木っ端微塵になった。

 それからバスもまた、原型を留めぬくらいに吹き飛んだ。運転手および乗客20余名は悉く即死。更に爆風と飛散した破片を受け、更に数十人が死傷するに至る。偉大なる大ドイツ国にあっては前例のなかった自爆テロは、数時間以内の十数か所で同時多発的に発生し、社会を大いに震撼させるはずだった。


 ただ些か予想外だったのは、審判の日とやらが本当に訪れようとしていたことだろうか。

 この時既に、独ソ軍事境界線付近では師団規模の小競り合いが生じていて、間もなく本格的な戦争に発展すると予想されていた。言うまでもなく、原水爆が多数使用される可能性も十分に高い。そのような状況においては、かの事件も些事と扱われるのもある意味では自然なことで……実際黄道同盟の報道官は、原理としては人種的アポトーシス現象で、付帯被害の低減に向け努力するという内容の声明を発表した。





ラステンブルク:総統大本営



「総統閣下、我々にはもはや一刻の猶予もありません」


 国防軍戦略部の長たるシュリーマン大将が、有無を言わせぬ口調で断じた。

 陰翳に満ちたる表情が、本意に非ざることを示す。それでも主張は変わらぬようだった。大深度地下の会議室に詰めかけたる陸海空の将官達も、既に同様の結論に達している模様で、肯定を意味する沈黙だけがそれに続く。


「ソ連軍は間もなく作戦行動を開始する模様で……情報部の見積もりでは、それに先立ち、全面的な原水爆攻撃を実施してくる公算が著しく高いとのこと。とすれば無駄にできる時間など少しもございません、今すぐご決断を」


「ううッ」


 大帝国の頂点たるギースラー総統は苦しげに、微かな声で呻く。

 彼は一瞬、救済でも求めるかのような面持ちで、円卓を囲んだ部下達を見渡した。それが徒労だと察するのに、時間はほとんどかからなかった。彼等の視線は肉体を容易に貫通せんばかりに鋭利で、迫る運命より逃げ遂せる道などまったくありはしないのだと、何よりも雄弁に物語ってるようだった。


 そうして仕方なしに、決断を求められたる指導者は、眼前に置かれたる計画書を改めて捲る。

 陸上配置されたる弾道弾戦力の大半と、地球周回軌道上の新Z艦隊の総力を一挙に投じ、仮想敵国すべての戦略目標を撃滅。しかる後にソ連邦の主要都市を悉く灰燼に帰さしめ、共産主義者の脅威を根本から抹消するというものだった。言うまでもなく、全世界に宣戦を布告するも同然の内容だ。だが何より悍ましきは、反撃によってドイツ国民の3割前後が喪われると計算された作戦に、十分以上の妥当性が存在してしまっていることで……躊躇すれば生き残れる国民が3割前後になってしまうぞと、誰も彼もが目でもって訴えているのだ。


(糞ッ、本当にどうにもならんのか?)


 ギースラーは歯を軋ませ、とにかく思考を巡らせる。

 少し前までは、希望もあったように思えた。屈辱的な展開とも思えたが、欧州における勢力均衡の崩壊を望まぬ日本および共栄圏諸国と、緊張緩和のための協力を行い得る可能性があった。特にソ連邦が強大な軍事力を維持できている背景には、間違いなくアジアの生産力と労働力があったから、そちらから事態を制御すればよいという発想だった。


 だが所詮それも、表情の読めぬ者達の時間稼ぎに過ぎなかったようだ。

 忌々しき名を受け継いだ巨大な軌道空母が、地球周回軌道に乗ってしまった瞬間から、有色人種達は見事なくらいに態度を翻し、諸々の外交努力を放り出してしまった。とすればもはや二進も三進も行くまい。米ソとの妥結は、あるとすれば隷属以外ないだろうし、イタリヤでのでのクーデターも失敗に終わった。すべては前任者がスペインでろくでもない真似をして、米英との衝突を招いたためとも考えられたが、今更何を言ったところで無意味だろう。


「せめて……」


「総統閣下、事態は悪化しつつあります」


 国防情報本部のマルクス中将が発言する。


「軌道巡航艦『ザイドリッツ』が、西シベリヤにおいて高高度気球の放出を確認したとのことです。これが弾道弾発射の兆候であることは言うまでもありません」


「共産主義者どもは本気で原水爆戦争を仕掛けてくる心算です。総統閣下、もはや議論の余地は何処にもございません。今すぐ先制攻撃のご決断を」


「分かった、やってくれ」


 ギースラーは力なく俯き、恐らくは世界最終戦を招来するであろう決断を下した。

 その瞬間、すべてが一斉に動き出した。ゲルマン的几帳面さの発露と言うべきか、戦略部隊はとうに待機状態にあり、後戻り不可能な命令がそれらに向けて伝達されていく。





リヴォフ近郊∶丘陵地帯



 赤星を描いた空の猛禽が、東方より大挙して押し寄せているようだった。

 当然のように、原子爆弾が使用された形跡もあった。あるいは弾薬庫の誘爆のような現象も混ざっているのかもしれないが、地震計が不自然な波を多数捉えている。それらの爆発規模はおおよそ数キロトンから十数キロトンといった具合で、しかも軍事境界線に沿って発生しているようだから、もはや論を俟たぬ状況としか言いようがない。


 武装親衛隊のオーレンドルフ中佐はそうした中、ひたすらに時を待っていた。

 指揮下にある戦略砲兵大隊は、A-24弾道弾を背負った16輪の大型移動発射台を、カルパティア山脈北麓に分散させている。それでも共産主義者の攻撃に晒されたならば、幾らかはやられてしまうだろう。とすればせめて第一射は全力で実施したい。彼はそう切に願いながら、腕時計をチラチラと見、無事に決定的瞬間を迎えた。


「少佐、始めるぞ」


「はい」


 副長たるミュラー少佐が、何とも機械的に応答した。

 そうして発射用の鍵を見せ合った後、オーレンドルフは駆け出し、指揮統制車輛に備えられたる発射管制室へと入る。公衆電話ボックスを思わせるそれは、正副の2つが並んでいて、双方に入室者が検知された瞬間、ブゥンという低音とともに端末が動作した。彼は可能な限り慎重に符牒を入力し、任務遂行可能な状態へと持っていく。


「鍵を差し込む」


「はい。差し込みます」


 命令はすぐに実行に移された。

 正副の端末はどちらも発射態勢に入り、少しばかり耳障りな高周波が聴覚を刺激する。


「1、2の3で回す。いいか?」


「はい。1、2の3で回します」


「よろしい。では……」


 オーレンドルフは淡々と数を読み上げ、3と発声すると同時に鍵を回した。

 そのコンマ数秒の後、ミュラーも続いたようだった。かくして発射は承認され、信号が通信線を駆け抜ける。基盤上に点灯するランプの色が変化し、麾下の移動発射台すべてが問題なくそれを受け取ったという事実が示された。


「少佐、ご苦労だった」


 労いの言葉をかけた後、オーレンドルフは指揮統制車輛を降りた。

 ポケットから煙草を取り出し、ライターで着火する。北米先住民が白人への復讐のためにばら撒いたと規定されているそれは、大陸欧州においてはほぼ禁制品の扱いで、それを目撃したミュラーの表情が歪む。


「中佐、煙草は健康に悪い影響を与えます」


「ははッ、健康か」


 オーレンドルフは失笑し、忠告を意に介することなく一服した。

 空には龍の勢いで昇っていく幾つもの弾道弾。共産主義者への先制攻撃には成功したかもしれないが、露助の反撃も熾烈を極めるはずで、そもそも自分達も間もなく蒸発してしまうかもしれない。そうした神々の黄昏が如き大破壊と比べれば、煙草の及ぼす害など誤差でしかないだろう。

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