ダッチハーバー転進作戦②

太平洋:ウナラスカ島南方沖



 聯合艦隊は昭和17年の終わり頃から1年ほど、極めて積極的な通商破壊作戦を展開していた。

 それは機動部隊すら惜しげなく用いたものだった。例えば『翔鶴』と『瑞鶴』の第五航空戦隊は昨年の初夏に20万トン近い撃沈トン数を誇り、歴戦の重巡洋艦『足柄』を始めとする水上打撃艦隊はインド洋の餓狼と恐れられた。ニューカレドニア島へと逃れようとしていた大船団が第二水雷戦隊に襲撃され、ヌーメア港の手前で漁礁となったことすらあった。ガダルカナル島を根拠地として跳梁跋扈した陸上攻撃機や伊号潜水艦については、もはや記すべくもないだろう。


 一方で重雷装艦の『北上』と『大井』は、友軍が赫々たる戦果を積み上げていく中、まったく振るわなかった。

 米英の護送船団を撃滅するに当たって、隠密裏に接近して片舷20射線の酸素魚雷を一斉発射、脱兎の如く離脱すればよい。南太平洋での米戦艦追撃に際しては、ほぼ効果を有さなかった長距離雷撃であるが、精々が12ノット程度で航行する目標ならば十分に一網打尽にし得る。彼女達はかような具合に期待されていたのではあるが――実践に移してみたところ、これがさっぱりだった。貨物船を片手の指の数ほど沈め、護衛駆逐艦とスループ艦を1隻ずつ吹き飛ばしたといった程度の戦果しか挙がらなかったのである。


「分かった、この作戦はやめよう。ハイ、やめやめ」


 業を煮やした聯合艦隊参謀の何某は、心底うんざりした口調で言い放ったという。

 その真偽はともかくとしても、重雷装艦を用いた通商破壊は、有効な戦術とは見做されなくなっていた。とどのつまりは、命中率が悪過ぎたのだ。遠距離からの雷撃はまず当たらぬし、かといって距離を詰めれば手痛い反撃を食らってしまう。それ以前に射点に着けない、索敵の失敗で会敵できないといった問題も多発していて、水雷戦隊と組ませようにも、足手纏いになるからいらぬと切り捨てられる始末だった。


「となれば……ここで汚名を返上する他あるまい」


 『北上』艦長を務める田中大佐は、鬱屈を晴らさんと意気込む。

 貴重な魚雷を40発も搭載し、北の海を驀進する重雷装艦。その行き先はといえば、艦砲射撃と空襲の猛威に晒されているウナラスカ島。航空母艦『天鷹』を中核とする囮部隊および後続するかに見せかけた高速輸送船団をもって厄介な機動部隊を誘引し、その隙に第一水雷戦隊が守備隊を収容する。それがケ号作戦の骨子だが、『北上』もまたその先鋒として参加していた。


 彼女が果たすべきは、敵水上打撃部隊に対する雷撃に他ならない。

 陸軍将兵を拾い上げている間に襲撃を受けでもしたら、何もかもが吹き飛んでしまう。そうした可能性を低減するため、単艦斬り込み雷撃によって敵艦隊を減殺し、またその指揮統制に混乱を惹起せしめるのだ。生還を期し難いというか、自殺的と言うしかないような任務ではあるが、重雷装艦はまさにこうした役割を果たすために誕生した艦種である。硝煙弾雨の中を突っ走り、見事仇敵に魚雷を叩き込むことができたならば、たとえ轟沈したとしても、靖国の戦友にも存分に自慢できるであろうこと請け合いだ。


「だが……」


 田中は一転、如何ともし難い困惑を滲ませ、


「機関長、主機はあとどれくらいで直りそうだ?」


「あと1時間……いや30分で何とかいたします」


 伝声管越しに、機関長の焦燥した声が響いてくる。

 数時間ほど前より続いている機関の故障のため、『北上』の速力は18ノットほどにまで落ちていた。就役から20年以上が経過した旧式艦であるから、諸々の不具合が出るのも致し方ないとはいえ、よりにもよって肝心かなめの時にこれである。主機が直らぬことには、敵艦隊への斬り込みなど不可能なのは言うまでもない。


「とにかく、一応の目途はついております。もう少しだけお待ちいただければ」


「釈迦に説法だろうが、相手は機械だ。こちらが焦ろうと言うことは聞いてくれんから、落ち着いて頼むぞ」


「心得ております」


 機関長は心強く肯き、緊急対応へと戻っていく。

 田中は自ら発した言葉をもって、歯噛みしたくて仕方ない気分に蓋をし、辛抱強く待つこととした。


 それから泰然とした風を装い、周辺の荒涼とした海と霧がちな空を当てもなく眺める。

 時計の針の進みが重苦しい。このままでは予定時刻に作戦発起位置に達することができず、全てが水泡に帰してしまうのではないか。もし自分達の到着の遅れによって第一水雷戦隊の各艦が捕捉されて炎上し、陸軍将兵が海に投げ出されたり島に取り残されたりするようなことがあったなら、一切の申し訳が立たぬのである。


「艦長」


 焦げるような脳裏に、呼びかけが木霊した。

 それが二度目であったことに気付いた田中は、少し気まずそうな顔をする。


「どうした?」


「本艦八時方向に不審電波多数。距離不明」


「うん……?」


 首を傾げたくなるような報告だった。

 後続する第一水雷戦隊かと一瞬思ったが、木村少将は無線封止を厳命しているはずである。位置関係が明確におかしいから、『天鷹』とその仲間達という訳でもないだろう。


「とすると……まさか」


 早くも敵艦隊と遭遇したのかもしれない。田中は思わず慄然とした。

 間を置くことなく不審電波について情報収集を、特に概算でもよいから距離を測るように命じる。予想以上に近いかもしれない、そんな直感があったのだ。機関の不調が何よりもどかしい。





「おいおい、『ロス』は何処を彷徨っておるのだ?」


 パウナル少将は怪訝な顔をして尋ねる。

 彼の指揮する第51任務部隊の、それほど堅固でない輪形陣の一角は、見事にがら空きになってしまっていた。そこを占めるはずだったフレッチャー級駆逐艦が、濃霧を潜り抜ける最中に、何時の間にか行方不明になっていたからである。


 RとLを間違えたんだろう。そんな冗談を口にする者もいるが、あまり冗談ではない状況だ。

 ただでさえ護衛艦艇が少ない状況で、敵機動部隊を見敵必殺するべくひた走ってきたのだ。戦闘が近そうではあるから、輪形陣を作り直すことも考慮するべきかもしれないが、『ロス』が復帰するならそれに越したことはない。責任がどうとはあまり問い詰めぬから、さっさと戻ってきてほしいものである。


「それとだ、何故連絡すらつかん?」


「アリューシャンの気候は過酷です。通信機器に問題が生じ、修理に手間取っているのかもしれません」


 参謀長が見解を述べる。

 条件は俺等も変わらぬだろう。パウナルは一旦そう思ったものの、迷子になったのが就役から間もない、慣熟航海の途中で引っ張り出した新顔だったことを思い出した。


 旗艦『イントレピッド』を見れば一目で分かる通り、新造艦の建造は急ピッチで進んでいる。

 しかし規模が急拡大しているが故、人員の奪い合いになっているのもまた事実。しかも最初の1年で経験豊富な水兵が大勢戦死してしまった関係から、太平洋艦隊の練度低下はかなり深刻になっていて、中にはよくこれで実戦配備されたものだと言いたくなるような艦もあるのである。


「本来ならもっと時間をかけるべきであったかもしれません」


「敵は待ってくれんからな。ないもの強請りをしても仕方ない」


 パウナルはそう言うと、従兵にコーヒーを持ってこさせる。

 湯気の沸き立つそれに砂糖をしこたま溶かしていき、カップの重量が倍増した辺りで飲み込む。頭がおかしくなりそうなくらいのベタベタな甘さだが、気力体力を充実させねばならぬ時にはこれが一番。だんだんと目が冴えてくるような気がした。


 とはいえ外を見渡してみれば、視界は白んでいく一方である。

 天候もまた敵味方に関係ないものではあるが、霧が晴れぬことには航空運用は困難。索敵機を発艦させて敵情を探るためにも、この厄介な海域を早く抜けてしまいたい。とはいえ何処に敵空母がいるかもまだ分からぬし、もうじき日没となるから、今日のところは無理をするまでもないだろうか? ともかく知恵を巡らせ頭を使い、どうしたものかと悩み抜く。


「提督、レーダーに感あり。反応からして、『ロス』が戻ってきたようです」


「そうか。早いところ輪形陣に復帰させておけ」


 強烈に甘いコーヒーの効用で集中思考していたパウナルは、あまり興味なさそうに言った。

 後世には、ここでの対応が違っていればとの声もある。とはいえ敵味方の識別が不徹底となったのも、仕方ない部分がない訳ではない。まさか独航で襲ってくる敵がいるとは普通思わぬし、合衆国海軍にはこの時点で重雷装艦というものを認識していなかった。これまで大した戦果を挙げ得なかったことが、この局面において奇襲的に働いたのである。

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