ダッチハーバー転進作戦①

ウナラスカ島:丘陵地帯



 昭和19年3月下旬。上空を跳梁跋扈する敵爆撃機に対抗する手段を、島の守備隊は実質的に失っていた。

 使用可能な水上戦闘機は既に1機としてなく、砲弾を節約せねばならぬから高射砲も火を吹くことはない。可能なことがあるとすれば、爆弾を食らわぬよう陣地に擬装を施し、壕に逼塞して被害を局限することくらいではなかろうか。


 何しろここは、敵の只中に孤立した島である。

 昨年の米本土空襲において、機動部隊が行きがけの駄賃とばかりにアラスカ方面で暴れ回り、洋上あるいは港湾にあった輸送船多数を撃沈したのは事実。更にはアラスカ湾とアンカレッジを繋ぐトンネルを、爆撃でもって崩落させもしたという。お陰でそれから暫くの間は、ウナラスカ島も平穏そのものであったものだが……それもまた今は昔と言う他ない。もはや息つくことができるのは、北太平洋に特有の濃霧が出ている間くらいのものだ。


「とすればここで頑張る理由は、いったい何なのであろうか?」


 それは誰もが抱いている疑念に他ならない。

 皇国不朽の大義のため、命を賭してでもこの極北の島嶼を守り抜かねばならぬというのであれば、玉砕もまた上等ではある。とはいえそうするべき理由は、周辺の気象よろしく五里霧中といった具合。特にミッドウェー諸島からの転進だか撤退だかが報じられて以来、その傾向は否応なく強まっている。


「もしや大本営は……撤退の時機を見過ったのではあるまいな?」


「遊兵となるのは御免だぞ」


「ここで戦えというのなら、せめてもう少し増援が欲しい。特に火力がまるで足らん」


 士官室と名の付いた半地下壕にて、若い尉官達が口々に言い合う。

 生きて故国の地を踏めぬ覚悟を固めていても、遠流に等しい配置ともなれば、やはり心細さを拭い切ることは難しい。故郷では花の咲く頃か、そんな嘆きも僅かながら漏れたりもした。


 実のところを申すならば、彼等がウナラスカ島に掲げたる日章旗は、大戦略的影響すら及ぼしていた。特に昭和18年後半以降の、熾烈な爆撃の中での持久戦が重要だった。

 しかしその影響の大なるが故、最前線から詳細を窺い知ることはできそうにない。守備隊を率いる山崎大佐の明晰なる頭脳をもってしても、それは想像の埒外だった。いわんや末端の将兵においておやである。


「まあ今は根比べなんだろう」


 親父という渾名で慕われたる老練な中尉が、そう結論付けて現地製の鮭の燻製を齧る。

 それから下らぬお喋りに興じている暇があったら、穴掘り計画の見直しなどしている方が建設的。彼がそう続けようとしたところ、血相を変えた伝令の兵隊が、とんでもない報告を携えて飛び込んできた。


「報告! ウナラスカ島北東沖に敵艦多数を見ゆ!」





北太平洋:ウナラスカ島沖



「提督、オルデンドルフ少将の部隊が艦砲射撃を開始したとのことです」


「おう、そうか。黄色人種の奴等、島ごとミンチになっちまうだろうな」


 第51任務部隊を率いるパウナル少将は、航空母艦『イントレピッド』の艦橋にて、好みのコーヒーを飲みながら応じる。

 忌々しい日本軍をアラスカから追い払うための作戦は、今のところ順調に推移しているようだった。標準戦艦3隻を擁する水上打撃部隊によって、島に築かれた陣地を滅茶苦茶に撃ちまくり、アンカレッジ防衛軍団から抽出した1個師団でもって制圧する。揚陸船団は既に港を出たとのことだから、西海岸の安全が確保されるまで大した時間はかからないだろう。


 そしてパウナルの任務は、その過程で日本海軍の機動部隊を痛撃することだ。

 千島の何とかいう島には航空母艦を含む十数隻が集結しており、暗号解読班の徹夜作業のお陰もあって、疫病神の食中毒空母が混入していることも分かっている。ダッチハーバーが包囲されたとなれば必ず出てくるであろうから、見事それらを返り討ちにしてやるのだ。最近体調を崩しがちなニミッツ長官は、そのための戦力として宝石よりも貴重な3隻を割いてくれた。旗艦としている『イントレピッド』に、インディペンデンス級の『モンテレー』と『プリンストン』で、是が非でも期待に応えたいところである。


「ただ……護衛がどうにも、心許なく思えます」


 船酔い気味で心配性な参謀長が、またもや懸念を表明する。


「重巡洋艦と軽巡洋艦が1隻ずつと、駆逐艦が8隻では流石に」


「んなもん足りないんだから仕方ない」


 パウナルは溜息混じりに言い、左右後方を進む僚艦の姿を思い浮かべる。

 インディペンデンス級航空母艦は元々は9隻の予定だったが、主力艦の逼迫のため倍の18隻が就役する運びとなった。彼女達は元々クリーブランド級軽巡洋艦として完成するなるはずだったから、艦隊護衛戦力はその分だけ低下する。そうした懸念については、迎撃機を展開させられる方が有益として退けられた訳だが、どうにもいい気分でないのも事実である。


「まあその分、小回りが利いて快速だ。この快速でもって先手を取り、ジャップ機動部隊を沈めてしまえばいい」


「やはり奴等も迎撃に来るでしょうか?」


「連中にとってのダッチハーバーは……ムカつく限りだが米本土攻撃の要だ。間違いなく来るだろう。そうでなかったら……孤立した味方を置き去りにするチキン野郎とショドーして、東京にばら撒きに行ってやればいいだろう」


 パウナルは何とも威勢よく高言し、幾人かが追従的に笑う。

 参謀長がどうにも訝しげなように、疑問点もなきにしもあらず。だが今は敵の来航を前提とし、南インド洋のゲロ塗れ航海でやったように、奇襲的な一撃をかますことだけを考えるべし。


 そうして再びコーヒーと菓子を嗜み、逸る心を落ち着かせていたところ、通信兵が駆け込んできた。

 やはり敵が出てきたようだ。そう直観したパウナルは、手渡された電文を一瞥し、瞬く間に戦意を沸騰させた。


「なかなかどうして、愉快なことになってきたぞ」


 肉食獣が舌なめずりするかの如き声が、獰猛で好戦的な口許より漏れ出ずる。

 真珠湾の太平洋艦隊司令部より打電された情報によると、日本海軍は中規模の機動部隊に加え、高速輸送船団まで出航させたとのこと。いずれの針路も北太平洋、ダッチハーバーへの増援を目論んでいるに違いない。





太平洋:千島列島東方沖



「別に、敵空母を沈めてしまっても構わんのだろう?」


「いかん。今回は陽動、要するに囮任務。余計な欲をかくと失敗する」


 飽くなき戦果追求への熱意は、第五艦隊司令長官の志摩清英中将により、かくの如く全否定された。

 しかも作戦協議の結果、格納庫には戦闘機ばかりが積み込まれることとなってしまった。配属されているのが『天鷹』1隻だけの名ばかり航空戦隊とはいえ、せっかく司令官になり遂せたというのに、どうして初っ端からふざけた話になってしまうのか。高谷少将は憤懣やるかたないといった様子である。


「しかもだ……」


 司令官室で改めて作戦書類に目を通すと、首を盛大に傾げたくなってしまう。

 『天鷹』が囮ということだから、本隊はさぞや豪華なのだろうと思いきや、実際のところは第一水雷戦隊である。しかも海兵で1期後輩の、何故か自分よりも早く昇進した木村少将が率いるかの部隊は、主武装であるはずの魚雷を択捉島で半分くらい降ろしてしまった。


 こんな状況でいったい何をするのかといえば……ウナラスカ島からの撤退作戦に他ならない。

 どうも米軍がアリューシャン方面で反攻作戦をおっ始めたようだから、軽快なる艦艇群を霧か宵闇かに乗じて突入させ、人員をまとめて収容させてしまうという内容だった。地理的にアラスカに近過ぎる関係から、当初は一時的な占領に留める予定だったが、よく分からぬ戦略事情のため随分と長引いてしまったらしい。お陰で面倒な時期に退かせることとなった訳で、端的に言うなら大本営の誤断の尻拭いである。

 なおそうした作戦を遂行する上で、一番の脅威となるのが遊弋する敵機動部隊。そのためこれを『天鷹』に食いつかせるというのである。重巡洋艦『利根』や秋月型駆逐艦がいるとはいえ、護衛もたった5隻である。最悪喪われてしまっても構わない、そんな内容が暗に書かれているかのようだ。


「まったく、相変わらずの継子扱いか」


 高谷は鼻息を荒げ、何かをぶち壊したい衝動に駆られる。

 だがちょうどそこにネズミ捕り三等水兵のインド丸がやってきて、足許にゴロゴロと擦り付いてきては、餌を寄越せと強請り出した。すると案外、怒りが治まってしまうから不思議なものだ。


「うん……?」


 適当に買い込んでおいた干物などを与えていた高谷は、脳味噌に何かが引っ掛かったのを感じた。

 それから改めてインド丸を見つめ……何処だかに猫が虎に稽古をつけるという変テコな民話があったのを思い出す。


「そうだ、つまり猫は虎なのだ」


 導き出された理屈には、インド丸すら呆れてしまいそうである。

 だがそれは更に捻じ曲げられ、幾度かの腸捻転的転回を経て、零戦を爆撃戦闘機として運用すればいいとの結論に到達した。珊瑚海の戦いで無理矢理それをやり、何とか駆逐艦を沈めたりもしたし、最新型の零戦は25番爆弾を搭載して緩降下爆撃を実施できる。とすれば空襲を行った後は制空戦闘に参加すればよく、まったく一石二鳥ではなかろうか。


「何だ、俺もなかなか知恵が回るようだな」


 高谷は己が着想を自画自賛し、敵空母を撃滅する様を脳裏に描いてほくそ笑む。

 誰一人として突っ込む者のない議論とはかように危険極まりないものだが、その場にはノンビリ欠伸をするインド丸しかいないのだから仕方ない。

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