食中毒空母を撃沈せよ⑪

太平洋:南硫黄島南方沖



 船乗りが最も恐怖を覚える仕事のひとつが、夜間の見張りだと言われている。

 周囲のすべてが漆黒の闇に包まれ、何処からが空で何処までが海なのかも分からない。無限の孤独の中に自分だけぽつねんと立っているような気分になり、酷いと空間失調に陥ったりしかねない。そうした生理的な嫌悪感を和らげてくれるのは、僚艦の僅かな灯火を別とすれば、文明開闢の頃より変わらぬ営みを続ける月と星々くらいのものだろう。


 だがもし人間が電磁波領域の眼を持っていたならば、午前1時半の海はまったく違って見えそうである。

 米機動部隊より抽出された先遣隊は、未だ曳航中の航空母艦『天鷹』の針路上に回り込まんと、全速力で荒波を蹴立てていた。対するイタリヤ太平洋艦隊の各艦も、それらの進撃を阻止せんと動く。となれば当然の帰結として、敵味方の艨艟が盛んに水上レーダー波を発振し遭い、お互いの位置を把握せんと務める展開となった。大出力かつ連続的に輻射される電磁波は、射撃管制用のそれに違いなく、程なく水上砲戦が始まりそうな雰囲気である。


「敵一番艦、距離2万6000」


「よし、そろそろ仕掛けよう。目標、敵一番艦」


 パロナ中将はほくそ笑み、戦の火蓋を切って落とした。

 外は真っ暗闇であるから、率直に言ってまだ遠い。巡洋艦級と思しき敵一番艦は電波的には捕捉しているとはいえ、まず空振りに終わる距離――常識的には判断されそうだった。


 だがここで敵の先鋒を迅速に叩きのめさなければ、作戦成功は望めぬのだ。

 そして戦局を打開するための妙手は、まさに土壇場で手に入った。傍らをチラリと見れば、参謀長のマラゾッキ大佐が何時ものように股間を膨張させていて――実際、鍵となった人物は彼に他ならなかった。


「よゥし、撃てッ!」


 号令。同時に大気が激震し、戦艦『インペロ』はその身を激しく揺すった。

 艶めかしくすらある橙色の火炎が海面を舐め、轟然と放たれた6発の38.1㎝砲弾が漆黒を切り裂く。マダガスカル沖で米英戦艦と撃ち合った時と比べれば、何処か物足りなさがあるのも事実。しかしその差が、今は死活的に重要だった。


「第一射、弾着……今ッ!」


 ストップウォッチを持った士官が絶叫する。

 刹那の後、水平線の一角がパッと煌めいた。発射した6発はすべて対空榴弾で、そのうちの少なくとも1つが、目標上空で見事に炸裂したのだ。


「おおッ、やったか!」


「初弾から効果ありだぞッ!」


 大なるどよめきが『インペロ』の艦橋に充満する。

 かつて択捉島沖で米駆逐艦に追われた『天鷹』は、検波信管付きの高角砲弾を用いた対艦曳火射撃という咄嗟の思い付きにより、絶体絶命の窮地を脱したという。そうした秘訣を発明者にして運用者なる高谷中将から直接聞き出したマラゾッキは、重爆撃機対策として新開発された大口径対空榴弾を用いればより効果的と即興で提案し――今まさに結実したのである。


「さて、どうだ?」


「電測より艦橋。敵一番艦、レーダー出力低下」


 期待通りの報告が舞い込み、誰もが歓喜に拳を握った。

 光学的な確認はできていないものの、恐らく敵一番艦は電子的に盲目化したのだ。夜戦においてこれは致命的な損害で、特に旗艦としての能力を発揮できなくなるに違いない。


「よし。もう何発かお見舞いして、それから敵二番艦を叩くぞ」


 パロナは讃美歌でも歌わんばかりに命令じ、射撃の愉悦に身を委ねる。

 面制圧的な対空榴弾射撃といえど、初弾で有効打を得たのは奇跡だったのか、暫くは空振りが続いた。それでも第五射が再び敵一番艦を捉えて火災を生じさせ、それをもって彼は目標変更を命じた。





 やたらと率先垂範を強調する英国や日本とは異なり、アメリカ海軍においては指揮官先頭は必ずしも求められない。

 旗艦が真っ先に集中砲火を浴びて轟沈あるいは脱落するなどした場合、艦隊運用に致命的な問題が生じかねないという、まったく合理的な理由からである。故に第38任務部隊第2群の中枢たる重巡洋艦『トピーカ』は、単縦陣の三番艦の位置にあった。ムースブラッガー少将はキラウエア火山のような闘志の持ち主だったが、効率的に発揮するにはそれが必要と理解してもいた。


 だがムースブラッガーは今、心臓を槍で衝かれたような痛みを覚えていた。

 艦の内奥にある戦闘指揮所に降りているため、直接目視確認することは叶わぬが、先陣を切る軽巡洋艦2隻がたちまち苦境に陥ってしまったためだ。大口径砲弾を躱しながら接近し、注意を引き付けて駆逐艦の突入を支援するはずが……恐るべきイタリヤ戦艦は対空榴弾のつるべ撃ちを仕掛けてきて、一番艦たる『ブルックリン』は砲塔測距系を除いた射撃管制能力のすべてを喪失。更には後続する『フリント』も、強烈なる効力射を受け始めたという状況だった。


「しかも本艦には……近接信管付きの主砲弾がないだと?」


「はい。申し訳ございませんが皆無です」


 艦長のワットルス大佐が、感情を堪えた声で詫びる。

 日本海軍との死闘の中で見出された、近接信管付き砲弾を用いた対水上艦射撃。通常の主砲弾がなかなか当たらぬ距離2万超の夜戦にあって、敵艦の電子装備を効率的に破壊し得るそれは、まさしく救世主となるはずだったが……アメリカ海軍では8インチ砲による対空射撃をほとんど想定してなかったことが災いし、まともに生産がなされていなかったのだ。


「糞ッ、こいつがただのクリーブランド級であったなら」


 ムースブラッガーはギリギリと歯軋りし、建艦計画を担った者達への恨み言を漏らす。

 開戦劈頭に重巡洋艦を1ダース以上喪失した結果、『トピーカ』を始めとするクリーブランド級の何隻かが、無理矢理に8インチ連装砲搭載の重巡洋艦に改装されることとなった。それはそれで正解ではあったのだろうが、懸命の死闘の只中にある当事者にとっては何の慰めにもなりやしない。


(いや、だが待て)


 その刹那、脳裏に何かが引っ掛かった。

 すぐさまそれを引っ張り上げ、正体を探らんとする。貿易の道に進んだ高校時代の親友が、アダム・スミスをやたらと引用していたことがどうした訳か思い出され……1秒とせぬうちにそれが結論と結びついた。


「おい、本艦のデータで『ブルックリン』に射撃させろ」


「えッ、あれはまだ……」


「他に手などあるまい」


 ムースブラッガーは有無を言わさぬ口調で、


「訓練がまともにできておらんのも、あれが不具合だらけなのも承知の上。ぶっつけ本番でやってみせろ。砲側照準しかないのと比べれば、まあ何ぼかましとなるだろう」


「了解」


 発光信号をもって命令は伝達され、無線式の射撃統制機構が蠢き出す。

 ともかくも今は撃ちまくり、敵の戦闘能力を減衰せしめるべし。かくして『ブルックリン』を含めた3隻は、曲がりなりにも単一の有機体と化し、それぞれの圧倒的速射性能をもって伍さんとする。歴戦のイタリヤ戦艦に火の手が上がったのは、それから間もなくのことだった。





「何ッ、ここでデカブツが狙えそうとな?」


 伊二一〇艦長にして、海軍有数のものぐさと言われる小和田少佐は、まさかの報告に歓喜した。

 敵駆逐艦がワンサと寄ってくるから、不用意な使用は慎むべし。第六艦隊司令部よりそう厳命されている22号水上電探を、周囲がやたらと騒がしくある上、まあ夜中だから大丈夫だろうという心底いい加減な理由で発振させたところ……偶然にも大型艦が高速で向かってくるのを捉えてしまったのである。まさに鴨が葱を背負ってきたような状況だった。


「艦長、こいつは恐らくエセックス級航空母艦です」


 副長の股尾大尉も完璧に興奮していて、


「一時方向に15ノットで10分ほど潜航すれば、敵艦の真横600メートルに出る計算になります。つまりほぼ必中距離、高速航行する目標を深夜に雷撃するなど前代未聞ですが、据え膳食わぬは男の恥かと」


「ああ。木梨先輩だって敵空母を沈めて出世したんだ、手柄を立ててしまえばこっちのもんよ」


 小和田もまた激情を滾らせ、伊二一〇をすぐさま海中に潜らせた。

 実のところを言うならば、練度不足と艦内風紀の弛緩も相俟って、潜航に1分半も要してしまったのだが……どうやら股尾の計算はそれも込みであったから問題ない。ともかくも大量の蓄電池の物言わせ、雷撃位置に向けて驀進していく。


 そうした中、小和田の脳裏に描かれていたのは、戦争最後の英雄と称賛される己の姿だった。

 事実、海軍兵学校で最下位だった木梨が、生ける軍神といった扱いを受けているのだ。また信じ難い素行不良で悪名を轟かせまくった高谷某だって、どうしてか中将になってしまったという。であれば席次が下から28番だった者にも機会は巡ってくるはずで、今まさに栄光が目の前にあるのだと、瞑想しながら何度も自分に言い聞かせる。

 そして重苦しい秒が少しずつ過ぎていき、遂に決定的なる時刻が訪れた。彼はカッと双眸を見開き、運命をともにする者どもの顏をサッと見渡した。


「艦長、時間です」


「おう、奴を血祭りだ。潜望鏡上げ……」


 すべてを言い終らぬうちに、理解し難いほど激烈なる衝撃が艦体を駆け抜けた。

 まったく予想だにし得なかったそれに、誰も彼もが投げ飛ばされ、壁面に叩きつけられる。辛うじて即死を免れた小和田は、激痛に顔を歪めながらも、何が起こったのかを把握せんとし……伊二一〇が衝突事故を起こしたのだと理解した。


「ど、どうして」


 そんな言葉が漏れた次の瞬間、凄まじき濁流に小和田は呑まれ、水漬く屍となり果てた。

 事故の原因について述べるならば、それは船乗り全員が呆れるくらい初歩的な計算ミスだった。しかも誰ひとりとしてそれに気付かなかった結果、伊二一〇は襲撃せんとした航空母艦の艦底に、あろうことかめり込んでしまったのである。

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