食中毒空母を撃沈せよ⑫
太平洋:南硫黄島南方沖
アメリカ海軍にとって幸運だったのは、衝突事故だけで済んだことだろう。
実際、伊二一〇の艦首魚雷発射管には、当然ながら4発の九五式魚雷が装填されていた。それらが艦底部でドカンと誘爆していようものなら……エセックス級航空母艦といえど、あっという間に海の藻屑となっていたに違いない。
とはいえそれは、最悪の事態は免れたというだけの話である。
被害判定としては中破だろうか。神の嫌がらせとしか思えぬ一撃を食らった航空母艦『レイク・シャンプレイン』は、結構な浸水に見舞われた上、艦内が停電してしまったのだ。主機は間違いなく動作していたものの、機器の駆動音と喧騒に満ちていた戦闘指揮所は、今や真っ暗闇に落ちていた。
「糞ッ、どうなっとるんだ」
非常灯が点き始める中、ハルゼー大将はどうにか立ち直らんとする。
猛烈な衝撃によって頭を強かに打ち付けたが故、強烈な痛みと眩暈が充満してした。ついでに上着がコーヒーを飲んでしまって気持ちが悪い。だがまずは状況を把握せねばならぬのは明白だ。
「魚雷か機雷でも食らったか?」
「潜水艦と思われます」
艦を預かるラムジー大佐は即答し、それから己が説明不足に気付く。
「不正確でした。偶然か意図的なものかは不明ですが、本艦艦底付近に敵潜水艦が衝突したものと思われます」
「ぬうッ……」
これも食中毒空母の術策か。そんな思考とともに、呻吟の声が漏れる。
意図してこのような真似などできるだろうから、本当に偶発的な事故ではあるのだろうが、まさか第38任務部隊の旗艦がかくも理不尽な被害に遭うとは普通思うまい。だがそれより問題なのは、戦闘指揮所に据えられた機器が悉く機能を喪っていることで……その直後、迎撃管制主任士官のローア中佐の声が室内に響く。
「司令官、迎撃管制権限を『キアサージ』に委譲願います。このままでは夜間戦闘機隊が」
「ああ。『キアサージ』に発光信号、迎撃管制の指揮を執れ」
ハルゼーは即座に発令。それから敵潜水艦撃沈だと嘯いてみせた。
しかし迎撃管制の引き継ぎはなかなか容易なことではない。その間、夜間戦闘機隊は宙に浮く形となる訳で、日本軍の夜間攻撃機が五月雨式の襲撃を仕掛けてくるやもしれぬと考えると、事態はまったく深刻としか言えそうになかった。
そして第38任務部隊に対する脅威は、今まさに迫りつつあり……低空侵入であったことも相俟って、対応は致命的なまでに遅れてしまっていた。
パナマ運河を一目拝んでみたいという塩井大尉の夢は、遂に叶わなさそうな情勢だった。
一応それらしき作戦計画はなされていて、真珠湾強行偵察を生き延びた彼を始めとする搭乗員達は、ガツン閘門破壊のための爆撃訓練を積み重ねてはいた。それでもマリアナ沖海戦で聯合艦隊が撤退し、米軍がサイパン島に上陸。更には信じ難い性能の潜水艦が出現したことから、目下の課題を優先せざるを得なくなったのだ。
それでも塩井はまったく意気軒昂、士気は天を衝かんばかりだった。
言うまでもなく、米機動部隊の夜間襲撃を命じられたが故である。しかも敵は原子爆弾奪取作戦をやってのけた航空母艦『天鷹』を、頭に血を昇らせて追い回しているという。戦果皆無の無駄飯食いと陰口を叩かれまくっていた非スマート艦が、突然に『三笠』や『大和』に匹敵するような存在になったというのも驚きではあるが……ならば彼女を守るべく死力を尽くすに、疑念を抱く余地などあるはずもない。
そして彼が率いるは、合計13機の瑞雲改。生産機数の問題で晴嵐でなくなってしまったのは残念だが、誉エンジンに換装したこいつも、なかなか素晴らしき機体であった。
「高梨、こいつらで間違いないな?」
伝声管越しに塩井は尋ね、
「友軍を誤爆する訳にはいかん。敵戦闘機もいるだろうから、迅速かつ正確に頼む」
「それってトレードオフですよね」
ペアを組んで長い高梨飛曹長は苦笑し、しかし自信満々に続ける。
「先程、『天鷹』の連中と交信した通りです。イタリヤ戦艦が米巡洋艦3隻と撃ち合っているとのことですし、射撃の間隔から見て、手前にいるのが敵に違いありません」
「よし、信じるからな」
塩井は愛機の主翼を翻させ、改めて目を凝らした。
夜間の索敵というのは本当に困難で、敵艦の種別を判定するのはより難儀である。しかし眼下を進む敵艦は、高梨の言う通りクリーブランド級軽巡洋艦であるようで、活火山の如く射撃する様子がありありと見て取れた。
また更に観察してみると、射撃の具合にも差があるようだった。
特に敵一番艦はだいぶ火力を減衰させられているようで、後続する艦と比べて若干勢いが落ちている。熾烈なる砲戦の過程で、主砲塔が1基機能を喪ったりでもしたのだろう。とすれば健在なのを討つべし、塩井は意を決した。
「目標、敵二番艦」
航空無線越しに宣言し、三舵を鋭く操作。僚機を率い、単縦陣での緩降下爆撃へと移った。
すると遅まきながら、対空砲火が撃ち上げられ始めた。漆黒の闇の中で何かがパッと爆ぜ、機体はガクンと揺さ振られる。ジュラルミンに何かが命中し、生理的恐怖を惹起せしめる異音を次々と生じもした。
「だが、もう遅いッ!」
塩井は鬨の声を上げながら、野太い光弾を連射する敵艦へと迫っていく。
そうして射爆照準器いっぱいに艦影を捉え、投弾。放たれた重量550キロの四号爆弾改は、ダブルベース火薬を猛烈に燃焼させ、人工の流星となって目標へと突き進む。手応えは十割といったところで、実際彼等は米夜間戦闘機が到着する前に、軽巡洋艦『フリント』に3発の命中打を与えることに成功した。
「伊戦艦『インペロ』より入電。米先鋒艦隊、撤退を開始した模様」
「水上攻撃機隊との連携が奏功したようです。戦果は敵巡洋艦1撃沈、1撃破、駆逐艦1撃沈」
齎された朗報に、航空母艦『天鷹』の乗組員達は沸きまくった。
重巡洋艦『ボルツァーノ』に曳航されたままの彼女にとっては、友軍の活躍だけが望みである。このまま何とか夜が明けてくれさえすれば、何とか逃げ切れるのではないかと思えてきた。
だが正直に述べるならば、状況はほとんど好転していなかった。
まさに前門の虎、後門の狼という諺の通りである。しかもこの場合の狼というのは、ドイツ神話に登場するフェンリルも同然の化け物なのだ。事実、大和型に勝るとも劣らないと評される改モンタナ級戦艦の『サウスダコタ』が、既に60海里の距離にまで迫ってきていて、このままでは2時間ちょっとで18インチ砲弾の洗礼を受けることとなりそうだ。
無論それ故に夜間雷撃機の靖国が、何とか食らいつこうとしているようではあるが……こちらは米夜間戦闘機に阻まれ、何度か回避運動を強要させたくらいしかできていないようだった。
「なお大規模な黎明攻撃を意図し、既に攻撃隊が各基地より発進した模様ですが、これらの到着は午前5時45分の見込みです」
「おい、それじゃ間に合わんじゃないか」
高谷中将は渋面を浮かべ、少しばかり声を荒げる。
すると航空参謀の草津大佐はたちまち塞ぎ込み、訳の分からないことをブツクサ言い出した。ペルシヤ湾の海賊的戦闘で深手を負った『天鷹』が、大修理を終えて復帰した直後、一瞬だけ艦長をやっていたこの糞真面目系の人物は……第七航空戦隊および第一強襲艦隊に配属させられたことを、最低最悪の懲罰人事と思って止まないようだ。
「それとイタリヤ艦隊の戦艦『インペロ』ですが」
航海参謀の鳴門中佐が引き継ぎ、
「米巡洋艦隊との戦闘で射撃用電探が破損したとのことです。とすればこれ以上の夜戦継続は困難かと。特に改モンタナ級のような格上を相手取ってのそれは自殺行為にしかならなさそうで……」
「ううむ」
八方塞がりで四面楚歌な状況に、さしもの高谷も脂汗を垂らす。
機関の動かぬ状況でどうやって米艦隊の突撃を躱すか。突如反撃の妙案が閃くか、それとも友軍が来て助けてくれるか。できればそのいずれかであって欲しいところであるが……先程説明があった通り、まるで期待はできそうにない。とすれば現実は非情であるというのが正解になってしまいそうだった。
「ならば致し方あるまい、神仏にでも祈ろう」
「えッ!?」
「何だ、困った時の神頼みって奴だ。案外それで何とかなったりするやもしれんだろ」
高谷は剛毅に笑い、いい加減な念仏など唱えたりする。
司令長官公室に詰め掛けていた面々はまあ呆れ、約1名は余計に真っ青になって頭を抱える。とはいえ窮地を切り抜ける名案がある訳でもないので、まったく如何ともし難い雰囲気で、何時の間にか現れた抜山主計少佐が「退艦時には秘蔵のウィスキーを持たせてほしい」といけしゃあしゃあと抜かし、盛大に顰蹙を買ったりした。
ただ実のところこの時、第38任務部隊にはまた新たな異変が起き始めていた。
後衛を務める駆逐艦『チャレット』の水上レーダー。その見通し線ぎりぎりのところに、奇妙な反応がポツポツと映り始めたのだ。それらが今後の戦況に与える影響を鑑みると、神頼みも案外馬鹿にできぬと思えてしまうかもしれぬ。
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