食中毒空母を撃沈せよ⑬

太平洋:南硫黄島南方沖



 闇と混沌とが支配する戦場に新たに馳せ参じたのは、田中少将麾下の4隻であった。

 『天鷹』救援のため第一機動艦隊より抽出され、真っ先に空襲を受けた部隊の残余だ。爆弾魚雷多数を食らった航空母艦『千代田』はパガン島沖に座礁させざるを得なかったものの、それ以外の艦は酷くとも中破寄りの小破といった程度だった。故に尚も務めを果たさんとし、またイタリヤ太平洋艦隊が先着したとの報を受けた結果、米機動部隊撃滅に舵を切ったという訳である。


「おい、ここで奴を食い止めるぞ」


 軽巡洋艦『能代』の艦橋にて、田中は敢然と獅子吼する。

 彼我の戦力差は歴然で、それだけ見れば勝機はない。しかしこれまでに得られた諸々の情報から、相当に錯綜した戦況であることは分かっていた。であれば付け入る隙もありそうなものだった。


 加えて恐るべき米巨大戦艦は、ひたすらに直進を続けているようである。

 要は全力で『天鷹』との距離を詰め、夜が明けぬうちに決着を付けんとしているのだろう。であれば案外、魚雷を当て易いかもしれなかった。あるいは回避運動を取られて命中が皆無だったとしても、友軍航空部隊が大規模な黎明攻撃を企図していることを踏まえれば、戦局に貢献するところ大となるに違いない。


「どうだ、敵艦隊の動きは?」


「駆逐艦がちと、ウロチョロしてますな」


 艦長の堂本大佐が即答し、


「間もなく群れをなして、こちらの頭を抑えに来るでしょう。とはいえその前に、敵戦艦への雷撃は可能です。電探の諸元を元に距離一五〇で雷撃、しかる後に敵駆逐艦を邀撃し、再雷撃の機を伺っては?」


「電探諸元での長距離雷撃か。前代未聞だな」


「針路と速力が合っていれば1発は当たります。そちらに問題はございません」


「分かった。距離一五〇で雷撃といこう」


 田中は颯爽と決断。『能代』と麾下の艦を35ノットで走らせ、敵艦隊へと殴り込む。

 4か月前のエニウェトク島沖海戦では、手柄をほとんど独り占めする形となり、少々厄介ものな先輩を不機嫌にしてしまったようではあるが……当該の人物は今や、乾坤一擲の義号作戦をなした英雄だ。ならばその窮地を救う役回りも悪くない。


「それに上手くやれば……」


「敵戦艦、発砲」


 希望的観測を打ち砕かんばかりに、見張り員の絶叫が木霊する。

 数十秒後、4発の大口径砲弾は『能代』の数百メートル遠方に落下し、巨大な水柱を林立させた。敵艦の射撃精度は今のところまったく不良、とはいえ1発当たりでもしたらお陀仏だ。





「ううむ、何たる無様かッ」


 戦艦『サウスダコタ』の艦長たるロックウェル大佐は、思わず呪詛の言葉を吐き出しそうになった。

 三時方向より急速接近してきた、日本海軍の夜戦部隊。都合4隻でしかないそれらを速攻で撃滅するべく、大威力を誇る18インチ砲弾を十数射と見舞ったのだが……最新鋭の射撃管制レーダーを用いたにもかかわらず、これがさっぱり命中しなかったのだ。


 敵艦がジグザグ運動を繰り返していることや、未だ世界が宵闇に包まれていることも、当然影響はしているのだろう。

 だが乗組員の錬度があからさまなまでに不足しているのが、どうしても目についてしまった。職務に忠実なる彼等の素性が悪いということは絶対にない。それでも『サウスダコタ』は就役してすぐにドレーク海峡を渡り、真珠湾の太平洋艦隊へと配属されただけあって、慣熟航海の時間がまともに取れていなかった。

 そして敵は距離10マイル弱で回頭し、迎撃に向かった駆逐艦群と激烈な砲戦を繰り広げている。日本軍は凶悪な長距離魚雷を有しており、また水測が航走音らしきものを一瞬捉えたと報告を上げてきていた。とすれば、既にそれらは放たれたに違いない。


「食中毒空母撃沈のためにも、ここで被雷する訳にはいかん」


 ロックウェルは己に言って聞かせるかのように呟く。

 圧倒的防御力を誇る改モンタナ級戦艦といえど、魚雷を食らえば速度は落ちる。一方でここで大きく舵を切るなどして時間を浪費し、夜間のうちに捕捉するという目標が果たせなくなっても拙かった。


「サーチライトで右舷海面を照射し、見張りを厳としろ。雷跡を見逃すな」


「了解」


 復唱がなされ、間もなく強烈なる投光が黒々とした海原を煌かせる。

 それから舵を少しばかり、取舵に寄せておく。大型艦は急には曲がれぬが故の措置で、それが活きる局面は、ほんの1分ちょっとでやってきた。


「四時方向に雷跡3つ、距離およそ1300ヤード!」


「取舵一杯」


 ロックウェルは声を枯らさんばかりに命じた。

 秒が分にも思えるような時間の後、『サウスダコタ』の艦首がようやく移ろい始める。その間も恐るべき魚雷は急速接近。露天艦橋に肉体を縛り付けた見張り員が、秀でた観察眼でもって実況報告を続け――遂にその声色に安堵が混ざった。


「雷跡、いずれも右舷を通過ッ!」


「よしッ!」


 誰も彼もが喝采し、歓喜がワッと伝播した。

 ともすれば艦の被害がなかったことより、任務継続に支障がないことへの悦びの方が大きそうな雰囲気だった。どうも本国は神経ガスやら放射能やらで大変なことになっていて、戦争も陰鬱な終わり方をせざるを得ないようだったが、連合国軍の仇敵たる食中毒空母をここで撃沈することができれば、名誉も幾許かは回復するに違いない。


 だがだからこそ、ここで気が緩むようなことがあってはならぬ。

 感情の潮が退き始めた頃を見計らい、ロックウェルは改めて警戒を促した。そうして緊迫した時間は過ぎていき、数分ほどの後、雷撃を回避し得たと判断した。確かに余計な時間を食わされはしたが、別段致命的というほどではなさそうだ。


「よし、針路を戻す。面舵……」


「五時方向に雷跡、距離500ヤード!」


 絶望的なる声が突如、極北の氷水でも投げつけんばかりに木霊した。


「総員、衝撃に備えろ」


 被雷は不可避。そう悟ったロックウェルは、大音声で命令する。

 その20秒ほどの後、悍ましき衝撃が艦体に迸る。『サウスダコタ』は6万トン超の大戦艦であったから、弾頭重量780キロの九三式魚雷三型を食らったとはいえ、1発で戦闘航行不能となるようなことはなかった。


 ただそれでも、まったくの無傷といくはずもない。

 日没前の空襲で艦首付近に被弾し、最高速力が25ノットまで落ちていた『サウスダコタ』は、更に3ノットの速力低下を余儀なくされた。連続した戦闘の果てに敵に捕捉され、遂に果てた先代が、否が応でも思い出される状況だった。





 鳴門中佐の予想に反して、イタリヤ太平洋艦隊はまだまだ戦う心算だった。

 ただ指摘されていた問題については、打開策が見出せない状況にあった。戦艦『インペロ』は測距儀こそ無傷ではあるものの、レーダー関連は米巡洋艦と撃ち合った際に壊されてしまった。このまま改モンタナ級相手の夜戦などやろうものなら、一方的に18インチ砲弾を撃ちまくられ、下手をすれば英戦艦『フッド』の如く轟沈といったことも考えられた。


 しかし日の出を待つというのも、これまたできない相談だった。

 言うまでもなく、『天鷹』が撃沈されてしまうからである。何故我等を頼らぬのかと、高谷中将を相手に大見栄を切ってしまった以上、退くなどという選択肢は絶対にあり得ない。であればいったいどうするか。火事場の馬鹿力めいた知恵が、ポロリと出てくることを期待したいが、今のところ出たとこ勝負のままである。

 そして参謀長たるマラゾッキ大佐は、暗き海を茫洋と眺めながら、暢気にエスプレッソなど飲んでいた。日本では果報は寝て待てというらしいが、ならばこちらは喫茶しながら待つのである。


「どうだ、味わえとるかね?」


「ええ。あちこちの豆を飲み比べられるのも、太平洋艦隊ならではの役得というものでしょう」


 司令長官たるパロナ中将からの問いかけに、マラゾッキはこれまた楽しげに答える。

 場合によっては『インペロ』が沈んでしまうかもしれぬから、夜明け前の眠気覚ましも兼ねて、艦をあげてのコーヒー大会が催されていた。彼の場合はまた訳の分からぬものを混ぜたようで、下半身が未だ戦闘態勢であったりもする。


「それに少しばかり迷信ですが、世の中には引き寄せの法則なるものがあるとか」


「何だね、そりゃあ?」


「端的に言えば、強く思考すればその通りになる、とのこと。ならば友軍の奮戦でも願えばいいと思って、先程から実践しております。実際、新手が敵艦隊に接触したようですから、案外そろそろ……」


「航空母艦『天鷹』より入電」


 如何なる神の気まぐれか。狙い澄ましたかのように、新たな情報が齎された。

 しかも用紙を受け取ったマラゾッキの面持ちは、みるみるうちに高揚し始めた。茶褐色の双眸は爛々と輝いた。科学的根拠が欠片もない出鱈目を吹聴していたら、予想以上のものを引き寄せてしまったようで、彼はエスプレッソを一気飲みして声を上げる。


「長官、やりました。日本海軍の水雷戦隊が改モンタナ級戦艦に魚雷1発を命中させ、速力を数ノット低下させた模様です。また『天鷹』も機関復旧の目途が立ったとのこと。復旧見込み時刻は〇五一〇時」


「おおッ、光明が見えてきたようだな」


「はい。これならばやりようはあります」


 マラゾッキは拳を固く握り、更に何かをガチガチにしながら、はっきりと言ってのけた。

 同時に彼我の位置関係や針路、速力といった情報を脳髄へと放り込み、あれこれ概算と検算を何度も繰り返した後……成算ありとの結論を胸に、自信に満ち溢れた音吐で朗々と続ける。


「かの大和型と双璧をなす改モンタナ級戦艦。かくなる格上を相手取る我等が武勇を、遍く世界に知らしめてやりましょう」

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