食中毒空母を撃沈せよ⑭

太平洋:南硫黄島南方沖



 航空母艦『天鷹』の機関が復旧したのは、午前4時44分を44秒ほど過ぎた頃であった。

 数字の4が並びまくっていて、ちょっとばかり縁起が悪い。何十年か後の時代の児童文学であれば、妖怪物の怪の類が鏡の中から現れたりしそうであるし、変テコなコックリさん遊びが流行ったりと海軍は案外オカルトである。だがまさに絶体絶命という状況にあって、予定を25分ばかり繰り上げられたのだから、そんなことを気にする者などいるはずもなかった。


 なおこれまでの被雷の影響もあって、出し得る速力は最大9ノット。

 急速接近中の改モンタナ級戦艦との速力差を鑑みると、およそ1時間ほどで18インチ砲の射程に捉えられてしまうだろう。それでもイタリヤ太平洋艦隊は妙なくらい勇敢で、強力無比なる敵を相手に決死の迎撃戦闘を始めんとしている。これまで曳航の任を担ってくれていた重巡洋艦『ボルツァーノ』も、遅ればせながら本隊に合流する心算のようで、彼等が武運長久を祈らぬ者など1人としていなかった。

 そしてそれに加え、物理的な支援も可能となっていた。『天鷹』の飛行甲板にズラリと並ぶは、機関復旧を見込んで出撃準備をしていた艦載機群。それらがカタパルト射出される瞬間は間もなくだ。


「間もなく来援する基地航空隊に先行し、米巨大戦艦を反復爆撃。イタリヤ艦隊の水上戦闘を援護してこい」


 待機所へとやってきた高谷中将は、居並ぶ搭乗員達を前に、拳を振るって訓示する。


「爆弾やロケット弾で6万トンの艨艟を沈めるのは至難の業かもしれんが、電探やら測距儀やらをぶち壊せれば、あんなものは浮かぶアイロンに早変わりだ。ならばその通りやってこい。どうだゴリラ、できるな?」


「ゴリラ顔面パンチ、準備万端」


 流星乗りの五里守大尉は豪語し、例によって己が胸部をドカドカ叩く。


「バクチ、お前はどうだ?」


「百発百中をご期待ください。自分も久々の急降下爆撃ですが、外す道理なんてありゃしません」


 博田少佐もまた自信満々に言ってのける。

 それから五里守大尉と類人猿めいて拳を突き合わせ、続けて少しばかり首を傾げた。


「ところで中将、少しばかり気になったのですが、今日ばかりは敵主力艦撃沈と言わんのですか?」


「バクチ、俺等はさっきまでイタリヤ人に助けてもらっとった身分だ。彼等から戦果を横取りしたら一生恨まれちまうだろう。故に少しばかり弁えねばならん」


 高谷はわざとらしい口調で諭し、


「加えて主力艦撃沈だ何だなんてのは、もはや些事だ。大業をなした者ってのは、些末な事柄に拘ったりせんもんだ。実のところ俺は『天鷹』艦長に就任した際、歴史に残るような戦ができるようにと祈ったものだが……まあ大変に変則的かつ嫌がらせ的な形であれ、願いは叶ったようなものだろう。であれば後は堂々と凱旋するのみ、今はそのためにこそ力を尽くせ」


「了解。艦の防衛のため全力を尽くします」


 一同を代表し、博田が命令を受領する。

 それからかかれの号令の下、搭乗員達は尋常ならざる熱気を周囲に発散しながら、紫電改やら流星やらに向かっていった。暫しの後、車輪止めの外された機体がカタパルトへと移動し始め、射出装置に括りつけられる。機関復旧と同時に再稼働してくれたそれは、大加速度を与えるに十分なエネルギーを蓄え――若干明るみ始めた夜空へ、爆装した艦載機を飛び立たしめた。


「ともかくも頼んだぞッ!」


 何百という帽振れの中、高谷は一層の声援を送る。

 つい先刻までは、自棄っぱちに神頼みなどしていた気もするが、どうしてかそれが天に届いたのだ。であればこの窮地を何とか脱し、波乱万丈の運命をともにした『天鷹』とともに内地へと帰投してやる。それこそが今の自分に課せられた義務だと、彼は強烈に認識した。


 ただ電探室からの報告によると、米艦載機も発艦を始めた模様。

 ジェット機すら含むであろう恐るべきそれらと、奇妙な運勢に付きまとわれているとはいえ技量優秀なる666空。そのいずれが勝るかは、現時点ではまだ分からない。





「さあ諸君、一世一代の大冒険といこうじゃないか」


「おおッ! 待ちに待った海戦だ!」


 パロナ中将は歌でも吟じるように命令し、誰も彼もが感極まって呼応。戦艦『インペロ』以下8隻は突撃を開始した。

 時刻は午前5時25分。快速の駆逐艦群は米艦隊の前衛と衝突し、激しく撃ち合いつつ雷撃の機会を見出さんとする。数年前に日本海軍より供与され、今やイタリヤ本土防衛の要と喧伝されたる酸素魚雷を、いずれの艦も搭載しているのだ。特にソルダティ級七番艦の『グラナティエーレ』が轟沈直前に放ったうちの1発は、必中の執念が乗り移ってか米クリーブランド級巡洋艦の右舷を捉え、見事それを脱落せしめた。


 それから驚くべきことに、1時間ほど前に長距離雷撃を成功させた田中少将率いる水雷戦隊は、未だ1隻を喪っただけらしい。

 つまるところ包囲と言えそうな状況になっているのだ。更に空を見上げてみれば、自力航行が可能となった『天鷹』より出撃した艦載機の、まったく頼もしい排煙の煌きが見て取れる。とすればまさに立体作戦が成りつつあるといった具合で、世界最強の一角たる改モンタナ級であっても、十分相手取れそうな雰囲気が充満してくる。


「ただ油断は禁物」


 参謀長のマラゾッキ大佐が不敵に笑み、


「かの東郷平八郎が宮本雅史を引じた通り、勝ってメンポを確かめねばなりません」


「うむ、そのようだ。特にここは東洋であるから、偉大なる先人に倣うが良いだろう」


 パロナもまた少しばかり厳かに肯いた。

 その直後、『インペロ』の数百メートル後方に、海龍を思わせるような大水柱が立ち上ったとの報告。既に改モンタナ級との距離は既に2万5000を割っていて、当然の如くレーダー射撃を受けているのだ。


 だが容易く諸元を渡し、斉射に移らせる心算はさらさらなかった。

 何しろ『インペロ』は舞踏でもするかのように転舵を繰り返し、しかも米巨大戦艦とほぼ正対し続けている。であれば敵が使えるのは前甲板の18インチ砲4門で、交叉射撃ならば一度に撃てるのは半分のみ。余程距離が詰まりでもしない限り、まず命中が期待できぬ状況だった。


「実際、当たらなければ問題ないよな」


 まぐれ当たりに対する懸念を押し退けるように、パロナは痩せ我慢をしてみせる。

 そうして波濤を蹴立てること数分。致死的なる18インチ砲弾はいずれも空振りに終わり、彼我の距離は2万を割った。空も若干明るみ始め、撃ち合うにいい頃合いだと判断された。


「よゥし、取舵一杯」


 大舞台に立ったオペラ歌手の如く、パロナは晴れやかに命じた。

 かくして『インペロ』は敵前大回頭。海原に大きな円弧を描いた彼女は、依然として直進を続ける改モンタナ級に対し、全砲門を指向できる態勢を取る。砲弾の重量では倍近い差があるものの、これで投弾重量では上回った形となった。


 そして撃ち方始めの号令が木霊し、4万トンの戦闘機械が覚醒した。

 司令長官の傍らに立つ参謀長の下半身よろしく、まず主砲6門が鎌首を擡げ――轟然たる火焔とともに、38.1㎝砲弾を放った。今次大戦最後となりそうな戦艦同士の対決、しかもダビデがゴリアテを倒さんばかりのそれに、乗組員達は揃って酔い痴れる。





「第一砲塔、被弾するも異常なし」


「第五両用砲塔、通信途絶。壊滅した模様」


 被弾と損害の報告が次々と、戦艦『サウスダコタ』の戦闘指揮所へと飛び込んでくる。

 厄介なヴィットリオ・ヴェネト級戦艦が、30ノットの高速で殴り込みを仕掛けてきて、既に38.1㎝砲弾5発を食らっていた。無論のこと、防御力においては大和型をも上回るとすら言われる改モンタナ級が、その程度で戦闘力を喪ったりすることはない。機関砲や両用砲、カタパルトなどが破壊されたとはいえ、重要区画には一切損害が生じていなかった。


 とはいえ一方的に撃ちまくられている現状が、好ましいものであるはずはない。

 加えて『サウスダコタ』は先手を取りながら、未だ1発の命中打も得られていなかった。後部甲板に備えられた主砲塔2基が、ほとんど無用の長物と化しているが故だった。主砲や機関が無事であっても、速力が低下してしまえば食中毒空母撃沈は叶わなくなるし、レーダーや測距儀がやられて統制射撃が不可能となるかもしれない。かような懸念が蓄積し、幾人かの士官の面持ちに、居ても立ってもいられぬとばかりの焦燥が滲み始める。


「艦長」


 痺れを切らしてか、砲術長からの連絡が入った。


「こちらも転舵し、敵戦艦に対して全砲門を使用可能とすべきでは」


「駄目だ、それでは目標を達成できん」


 艦長たるロックウェル大佐は、厳然たる口振りで意見具申を却下する。

 実のところ、それはまったく無意味な行為でしかないだろう。食中毒空母に逃げる隙をそれだけ与えてしまうというのもあるが、現状『サウスダコタ』は最大速力が22ノットまで落ち込んでいる。一方で、チョコマカと鬱陶しいヴェネト級戦艦は29ノット。6ノット以上優速の敵は、常に頭を押さえてくると考えるべきだった。


「であれば『サウスダコタ』のタフさを信じろ。戦艦は簡単に沈まぬし、本艦は改モンタナ級だから余計に沈まん。マリアナ海戦での『メイン』や『ワシントン』は残念だったが、あれらは18インチ砲弾を20発以上食らってようやく沈んだそうだ。ならば15インチ砲弾くらいで狼狽えるんじゃない」


「浅慮でした」


「分かったならよろしい。とにかく耐えに耐え、こちらの弾が1発当たる瞬間を待て。それが決まればすべてが変わる」


 北極星の如き不動の精神を胸に、朗らかなる言葉で言って聞かせた。

 何時になったら決定的なる瞬間が訪れるのか。それは当然、神のみぞ知るところだった。またほぼ40秒ごとに降り注いでくる15インチ砲弾が、大変なまでに物理的な揺さぶりをかけてくる。艦の上空で航空戦が始まったとの報まで齎され、絶大なる自信にも多少の陰りが生じもした。


 だがそろそろ当たるだろう。ロックウェルの脳裏に確信が、些か唐突に湧き出でた。

 こうした直感は案外当てになるのだ。多量の情報を入力された脳髄が、人間の思考速度を追い越して結論を導出することがあると、経験的に知っていたからだ。故に彼は静かに瞑目し、戦闘指揮所にあっては視認することの叶わぬ敵艦を千里眼的に捉えんと試みる。すると……ほんの少し先の未来が見えた気がした。


「さあ、どうだ」


「第17射……弾着、今」


 期待と焦燥が入り混じった声が到来し、


「め、命中ッ! 敵戦艦に命中1ッ!」


「うむ。これで形勢逆転だ」


 乗組員達が揃って歓喜に沸く中、ロックウェルは預言者めいた態度で宣った。

 直後、再び15インチ砲弾の群れが到来し、複数の激震が押し寄せてきた。だがその程度が何であろうか。被弾の衝撃をいなした彼は、すぐさま斉射に移行するよう命令し、『サウスダコタ』はそれまでの鬱憤を晴らすかのように火を吹いた。


 そうして放たれた強烈な18インチ砲弾は、続けざまにの優美なる敵戦艦を叩きのめす。

 それがどれほどの効果を及ぼしたかは、数十秒ほど経った後に明らかとなった。一度に到来する敵弾の数が、9から6へと減じた――すなわち主砲塔を1基無力化することに成功したのだ。ただ機関には影響が出ておらぬようで、速力は依然29ノット。確かに潮目は変わったはずだが、まだまだ予断を許さぬ状況だ。

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