食中毒空母を撃沈せよ⑮
太平洋:南硫黄島南方沖
「この野郎、絶対に逃がさんぞ……」
「ヒデキ、後ろッ!」
航空無線より怒号が飛び、秋元中尉は反射的にフットバーを蹴る。
直後、流星雨の如き曳光弾が翼を掠めた。真後ろを取られていたのだ。コンマ数秒でも判断が遅れていたら、愛機たる紫電改はあっという間に火達磨となっていたに違いない。
ただ急旋回を始めても尚、敵機はピタリと追従してきた。
息つく暇などこれっぽっちもない。単刀直入に言うならば、機体性能で凌駕されているのだ。超グラマンことF8Fは驚異的なまでに俊敏で、付け入る隙がまるで見当たらない。仮に搭乗員の腕前が同じとすれば七分三分、もしかすると八分二分の不利かもしれぬ……そんな危惧が脳裏を掠めるほど、厄介極まりない相手だった。
「たが、俺はそんなもんじゃねえ」
秋元は負けじ魂を燃やし、四肢と半ば一体化した三舵を操っていく。
直線飛行に移ったと思いきや降下し、更に愛機を猛烈に滑らせる。そうして背後より迫る50口径弾の奔流を、これまた寸でのところで躱し、忌々しいF8Fを遂に前方へと押し出した。
もっとも侮り難いアメリカ人は、ただちに状況を察したようだ。
20㎜機関砲の照準を合わせることは叶わなかった。未だ陽の昇らぬ薄暗い空を、F8Fは一気に駆け昇る。特に低空での圧倒的上昇性能を誇るかの機を追うは、ただの自殺行為にしかなりそうにない。
「糞ッ」
悔しげなる毒づきが漏れる。
それから鋭い右旋回で離脱を図りつつ、己が本来任務を思い出した。改モンタナ級を爆撃せんとする流星隊を援護し、英雄スキッピオの生まれ変わりの如き戦艦『インペロ』を助けるというのがそれだった。ただ後部甲板より黒煙を棚引かせたる彼女は、既に砲戦能力の過半を喪失しているようで、まったく分が悪そうで仕方ない。
とはいえ自分はそれ以上かもしれぬと、秋元は痛感せざるを得なかった。
ふと後上方へと目をやれば、そこには新たな敵機の姿。入れ替わり立ち替わり攻め寄せてくる最強級のレシプロ戦闘機を前に、彼もまた苦闘を強いられる。誰にも負けぬほどの大和魂を胸に秘めていようと、肉体的限界というものは厳然と存在するもので、回避運動の切れも徐々に消え失せていく。
そして上から被られ、もはやこれまでかと観念しかけた瞬間――戦局は急変した。襲ってきていた敵機が急旋回し、新たなる日の丸の翼が割り込んだのだ。
「お、おおッ……!?」
「猛獣ども、助太刀に来てやったぞ」
実に頼もしい呼びかけが、航空無線より響いてくる。
「貴様等は汎用対米決戦猛獣なのだろう? アメ公なんぞにいいようにやられてどうする?」
「何、これより巻き返しよ。撃墜数でなら負けんぞ」
ゼーゼーと息を切らしながらも、秋元は気丈な声色で応じた。
真っ先に来援したのは652空、すなわち航空母艦『隼鷹』の戦闘機隊だった。実のところ色々と因縁がある連中ではあるが、そんな者どもがこの窮地に馳せ参じてくれるとは、なかなか味なことをしてくれるじゃないか。そうして至上の謝意を抱きつつ、ともかくも目的を全力で果たさんと、愛機の操縦桿を握り締める。
超グラマンは何よりの脅威であったが、どうにか道は啓けそうな状況だった。
北東太平洋での一件以来、『隼鷹』航空隊とは犬猿の仲なる博田少佐は、彼等が奮戦の成果を最大限活かすべく、流星を駆って敵艦上空へと向かう。馬鹿にならぬ数の高初速15インチ砲弾を受けながらも、未だ砲戦能力を維持している。これに爆弾多数を見舞ってやるのだ。
「今こそ好機。ゴリラ、茶之介、ジェット奔流攻撃を仕掛けるぞ」
「合点承知の助」
ほぼ異口同音に、航空無線より応答が返ってきた。
茶之介というのはもちろん、侍かぶれドイツ人のスタイン大尉である。何故かテニアン島に不時着していたので『天鷹』に収容していたら――当然搭乗割にあった訳でもないのに、何故か流星で出撃してしまったのだ。ただ一度も乗ったことのない機体を自在に操っているのだから、技量は間違いなく本物だった。
そうして長機の務めとして、黒々とした海原を征く目標を捉え、その速度と針路を迅速に見定める。
恐るべき改モンタナ級の行き脚は幾らか衰えたようだったが、是が非でも『天鷹』に追い縋らんとしてか、依然として一直線に航行し続けている。ついでに水上砲戦の最中であるからか、対空砲火もまるで展開されていなかった。であれば訓練と大差ない内容で、ここで外す道理などまったくない。一糸乱れぬ単縦陣を組ませた後、近傍に敵機がいないか後部座席の宇野一飛曹とともに警戒しつつ、大艦巨砲の権化たるそれの背後へと回り込む。
「これより攻撃」
博田は己が精神を励起させ、
「1機ずつ、確実に当てていけ。外したら『隼鷹』の連中に笑われるぞ」
「了解、当てます」
威勢のよい受領の声が幾つも木霊した。
刹那の後、博田は操縦桿を一気に倒す。またカウルフラップを閉じ、愛機を急降下へと移行させた。重力と推力とが合わさった加速度が、信じ難い心地よさを伴って身体を駆け抜けた。
「3000メートル……2500メートル……」
機体が武者震いする中、宇野が高度を読んでいく。
降下角度は徐々に増大し、闇に向かって真っ逆様に落下しているかのよう。それでも6万トンの巨大戦艦の姿は、細部に至るまで露わとなっていき……威風堂々たる艦橋の付け根当たりを、射爆照準器の中央に捉えていく。
「1000メートル……500!」
「よし、食らえッ!」
万雷の如き咆哮。投弾、同時に機体を引き起こす。
たちまち視界は闇に閉ざされ、肉体が押し潰されるような感覚が満ちる。だがこれこそが、己が生存の証明に違いない。とにかく腕力の限り操縦桿を手前に寄せ……何とか水平を取り戻した。気付けばすぐ真下は海面で、少しばかりヒヤッとしもしたが、この程度の戦慄は何時ものことだ。
「さあ、どうだ?」
「命中、命中です」
この上なき歓喜に声を弾ませ、宇野が報告する。
続けて僚機の爆撃が加わり、敵艦は紅蓮の炎に包まれる。11機で仕掛けて命中は8発、全弾命中といかなかったのが残念だった。だが如何な改モンタナ級といえど、50番爆弾をそれだけ食らえば何らかの損害があるはずで、実際その射撃管制能力を大幅低下させることに成功した。
ただ一般に決定打と認識されるのは、その7分後に始まる航空雷撃かもしれぬ。
低空より侵入した652空の雷撃隊が、大炎上した『サウスダコタ』に迫らんとしていたのだ。またそれ以外にも、合計100機以上の護衛機を伴った陸攻やら陸爆やらが、四方八方より大挙して押し寄せつつあり……代行大統領の不可解な命によって発動した『天鷹』撃沈作戦は、これにて決着と、傍目には思えそうだった。
陸海軍が沽券にかけて集めた航空戦力だけあって、夜明けと同時に始まった爆雷撃は壮絶の一語に尽きた。
対する第38任務部隊は、ジェット機を含む艦載機を総動員しての迎撃に当たったが、流石に多勢に無勢といったところ。あと僅かで連合国軍最大の仇敵に届くところだった戦艦『サウスダコタ』は、初っ端に被雷して舵が利かなくなった挙句、更に7本の航空魚雷を左舷に食らって最大速力6ノット。航空母艦『キアサージ』に至っては、大火災を死衣に漂流していて、既に総員退艦が発せられたようだった。
無論のこと旗艦たる『レイク・シャンプレイン』も、大破と呼んで差し支えなかった。
少なくとも航空作戦能力はもはや皆無だろう。爆弾5発を食らった飛行甲板は、何処から補修を始めるべきか分からぬようなあり様だったし、何よりエレベータもカタパルトも動かない。潜水艦に衝突されたところを除けば、今のところ喫水線下への損害がないことくらいしか、希望的な要素がないといった状況だった。
「残念ですが、もはやこれまでのようです」
参謀長のカーニーが、目元に悔しさを滲ませて告げた。
「我が任務部隊に、もはや作戦能力を有する艦はございません。加えて先程……」
「何だ?」
指揮官たるハルゼー大将は無感情に尋ねる。
恐らくは停戦発効の日時が決まったのだろう。覚悟して黙していると、暫しの後、予想通りの宣告がなされた。本日12月31日正午をもって、4年超の長きに亘った戦争は終結するのだ。屈辱の真珠湾攻撃から始まって、信じ難いほどの犠牲を払いながら戦い続けた結果がこれか。そう思うと諸々の感情がドッと吹き出しそうになり、陰鬱な空気も戦闘指揮所に溢れ始める。
だが水兵達を家族の許に帰してやれることだけは、提督として喜ぶべきだった。
それに今の『レイク・シャンプレイン』にできることといったら、さっさと戦闘海域を離脱することくらいしかないだろう。人間とは思えぬほど狂暴で卑劣なジャップ海軍にしても、停戦を前に撤退する艦への追い討ちはかけてこないやもしれぬし、ここは面舵を命じるしかなさそうだと判断された。
そしてハルゼーは決断を口に出す前に、この海戦に勝利しそうなニンジャ的指揮官の名を思い出し……その瞬間、神の叱咤と思しき電撃が、彼の全身を疾風怒濤の勢いで貫いた。
「まだだ、まだ終わらんよ……」
「えッ?」
カーニーを始めとする幾人かが、青天の霹靂とばかりに目を剥いた。
ハルゼーは少しの時間、部下のそうした反応を楽しんだ。それから己が脳裏に浮かんだ、たった1つのトチ狂ったやり方について、天啓を得たとばかりの態度で開陳する。
「分からんか? 我々にはまだこの『レイク・シャンプレイン』があり、戦争はまだ何時間かは続くのだ。であればこの3万トンの航空母艦の体当たりでもって食中毒空母を撃沈、あるいは接舷斬り込みでもって拿捕し、大統領直々の命令を果たしてしまえばよい。まったく時代錯誤な話だが、ジャップどもとライミーどもはペルシヤ湾で実際そんな戦闘をやってのけた。しかもそれをやってのけた艦と指揮官が目の前にいるのだ。ならばどうして我等にできぬ理由がある? ならばどうして我等がやらぬ理由がある?」
「お、おおッ……」
驚異の声があっという間に伝搬し、誰もが揃って息を呑む。
ただ一切の間違いなく、鬱屈の色は吹き飛んでいた。このままでは終われない、諦めたらそこで試合終了だ。将兵は口々にそう漏らし、高圧蒸気のような熱量を持ち始めた闘志は、瞬く間に艦内の隅々にまで浸透していく。戦争終結を目前にした狂気の一種、そうとしか評せぬ性質のものかもしれないが、そこに疑問を差し挟んでしまうような精神性の持ち主は、『レイク・シャンプレイン』には1人として乗艦していなかった。
そうして士気が最高潮とならんとする様を眺めつつ、如何にして目的を果たすかを思考する。
まだ十分に速力は発揮できるのだから、一旦離脱したように見せかけた後、最大戦速で突入してはどうか。既に普段の冷静さを取り戻したカーニーは、かの如く提案してきて、概ね妥当と断じて容れる。それから艦長のラムジー大佐に念のため確認し、これほど面白い戦は後にも先にもないとの大絶賛を得た。
であればもはや何の躊躇もいらないだろう。ハルゼーは艦内放送用のマイクの前に立ち、聖書に手を置きながら、乗組員全員の爆発的なる激情に応えた。
「我等は最後の1秒まで諦めず……断固として食中毒空母を撃沈せんとする。野郎ども、戦争はこれからが本番だ!」
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