食中毒空母を撃沈せよ⑯

太平洋:南硫黄島南方沖



「なるほど。今次大戦もいよいよもって終幕という訳か」


 航空母艦『天鷹』の司令長官公室で葉巻など吹かしていた高谷中将は、聯合艦隊司令部発の電文をぼんやりと受け止めた。

 乾坤一擲の義号作戦ならびに烈号作戦は成功裡に終わり、米国が頼みとしていた原子兵器もいただいた。であればごく自然な成り行きであろうし、そのためにこそ大奮闘してきた訳である。だが戦争があまりに長きに亘り、しかもつい数時間前まで近傍にて米機動部隊との激闘が繰り広げられてきたこともあって、なかなか和平の実感が湧いてこなかったのだ。


 とはいえ紫煙を燻らせているうちに、次第に呑み込めてきた気がした。

 続けて、二度と見ることの叶わなくなった者達の面影が、チラリチラリと脳裏を掠める。思い浮かんだ顏の幾つかは、己が判断の誤りがために玉と砕けることとなったかもしれぬ。それでも五里霧中の戦場にあって、常に正解の道を征ける指揮官など、率直に言って夢物語もいいところだ。一将功成りて万骨枯ると己を戒め、戦死者の存在を記憶し続けねばならぬのは当然としても……まあ自分はよくやった方だし、彼等もまさに男児の本懐を遂げたのだと、ある意味で傲慢に考えることも必要と思えた。


「まあ実際、これで王道楽土建設の一里塚は建ったろうな」


「ええ。加州を占領したりした訳ではないとしても、その意味では間違いなく戦勝と言えるのではないかと」


 葉巻の香に誘われてやってきた抜山主計少佐は、相変わらずの調子のよさだ。

 何となくだが開戦直前、海南島は三亜で適当に喋り散らした記憶が蘇ってくる。あの時はまだ、大戦がこれほど激烈なものとなるとはまったく予想外だったろうが……まあ何とかなったとは言えそうだ。


「ともかくもこれで、世界史の焦点は大西洋へと移りました」


「何だヌケサク、つまらないことを言いやがるな?」


 高谷は少しばかり憮然とし、


「それじゃアジアは今後もずっと日陰だといった具合じゃないか」


「世界史とはすなわち戦争の歴史、といった具合の意味だと思うんですよね」


 唐突にそんな台詞が響いてきた。

 誰かと思えば、『天鷹』副長に納まっている諏訪中佐に他ならぬ。スッパという渾名の如く、あるいは未だに飼育できている変色動物カメレオンの如く、例によって前触れなくやってきた。魚雷調整室や格納庫をうろついていたはずが、急にこんな具合に現れたりする訳で、行動が甚だ読み難いが……ともかくも彼は続ける。


「三国同盟で単独講和はしないと明言していますから、独伊もこれで停戦はするのでしょうけど、あちらの国々は容易に動員体制を解除できぬと予想されるんですよね。しかも緊張が続くものだから、この後も何度もドンパチやったりする。対してこちらは天下泰平、昭和元禄の世を謳歌できるかと」


「ヌケサク、そうした意図なのか?」


「はい。間違いなく」


 抜山はにこやかに言い、


「それこそ大戦特需の頃のような好景気が、これから延々と続くやもしれません。そこに大東亜振興のための土木建設ですとか、物価上昇抑制のための民需品大量生産ですとか、戦時中に喪った分を補うための大造船計画ですとか、諸々の経済事業が加わる訳ですから……それこそ日本中が目も当てられないくらいの忙しさとなってもおかしくはありませんよ。加えてこれは自分が聞いた噂ですが、ソ連邦は今後の対独戦略のため大規模なシベリヤ開発を予定していて、しかも満洲の生産力を当てにしているとも」


「ふむ。何処で仕入れてくるのか分からんが、別段悪い話でもなかったか」


 高谷はなるほどと肯き、紫煙をプカプカと吐く。

 大東亜全土を総力を挙げて開発し、運輸交通を盛んにしていけば、欧米列強にも伍していけるだろう。以前読んだ景気のいい本にそんな記述があったが、その時が到来したとばかりであった。まさに大東亜十億の曙である。キリスト教徒かつ白人でなければ人に非ずといった忌々しい風潮も、いい加減終焉を迎えそうで大変にめでたい。


「ただそうなると……またぞろ軍人の立場が悪くなっちまうやもしれんな」


「は、はあ」


「いやなヌケサク、お前は知らんのかもしれんが、大正から昭和の初め頃の風潮なんて存外に酷かったもんだぞ。人力車にでも乗るかと思ったら、車夫が軍人なら歩いたらどうだと馬鹿にしてくる。何だてめえ客は神様だろうがと叱ってやったら、皇族でもない癖に現人神を名乗るかこの不敬罪野郎がと減らず口を叩きやがる」


「なかなか上手いこと言う車夫もいたものだと思うんですよね」


 諏訪が一服しながら一言。腹立たしい逸話だが、確かにそうかもしれない。


「ただ日露戦役の後とは大分事情が違うと思うんですよね。加えて時期的に、大学は出たけれどといった事情もあったのやも」


「映画とは時期が違うように思う。といってもあん時は反動不況、景気が悪いと皆何かと苛立つか」


 高谷は再び葉巻を咥えて煙を味わいながら、ところでこの艦は来年以降どうなるのかと思う。

 恐るべき米太平洋艦隊は、ある意味で二度も壊滅した訳である。それに当面、戦乱はアジアから遠のきそうであるし、軍備も原子兵器重視のそれに移行せざるを得ないとならば……客船改装空母を態々持っておく必要性など、シャボンの膜よりも薄そうで、些か寂しい気分もしてきた。


「流石に鉄道連絡船に戻す訳にもいかんだろうし、何というかこう、この『天鷹』を記念艦とかにしてもらえんものかな? 原爆奪取をやってのけた第一強襲艦隊の旗艦なんだ、横須賀の『三笠』と並んでたっておかしくはない。佐世保に置いておけんかな?」


「でしたら陸軍にまずコッソリと頼み込んでおくのがよいかと」


 抜山はまったく抜け目ない口調で提案する。


「陸軍からそういった話が出てくれば、海軍とて対抗意識を燃やさざるを得ないでしょう。だいたいが『天鷹』の建造費の幾らかは陸サン持ちでしたし、うちらは一般の海軍からはあまり好まれてないですからね」


「相変わらず妙なところばかり頭が切れるな?」


「お褒めいただき光栄で。ああ、それと中将、自分を義兄殿の新会社に一枚噛ませていただけないかと。黒鉛炉は実際、原子兵器用燃料の製造に不可欠ですし、石油依存脱却の切り札としても普及が一気に進むと見込まれますので」


「ヌケサク、戦争が終わったら物理学者にでも転身する心算か?」


「いえ、物理は専門じゃありませんが、黒鉛炉事業をやるならば原料調達の必要性が絶対に生じます。自分は満洲でウラニウム採掘事業を手がけている業者に、幾つか伝手がありますので。それから鉱山学の心得のある知人によると、狙い目はカザフの砂漠地帯であるとか。こちらもソ連邦との取引次第で上手くやれそうな気がしますし、何なら訪露経験のある鳴門中佐にでも……」


「うん、まあその辺りはうちの義兄に好きなだけ話してくれ」


 高谷は面倒な話を切り上げさせ、何やら違和感を覚える。

 そうしてふと暦へと視線をやると、まさしく大晦日であることが改めて認識された。


「何年も先のことを考えるのも大事かもしれんが、直近の諸々を着実にこなしていくことはより重要に違いなく……とどのつまりは餅という訳だ。新しい時代の門出を祝う記念すべき餅となるのだから、無事に停戦が発効したならば、艦を挙げての餅つき大会を催して新年に備えるべきだろう」


「であれば今のうちから支度をせねばなりませんね」


「そういうことだヌケサク。早速……」


 取りかかれ。そう続けようとしたところで、電話が喧しく鳴り始めた。

 まったく無粋極まりないと思いつつ、高谷は受話器をむんずと取り上げる。すると相手は通信参謀の佃少佐で、何やら大型艦らしきものが高速で接近してきているのを、水上電探が捉えたとのことだった。


「あのやたらと勇敢なイタリヤ戦艦じゃないのか?」


 高谷は首を傾げた後、そのように推測した。

 優速の利を活かして格上を相手に奮戦した戦艦『インペロ』は、複数の18インチ砲弾を浴びはしたものの、航空攻撃が間に合ったこともあり、何とか生き延びたはずである。とすればろくでもない渾名で呼ばれたる大佐が言っていたように、イタリヤ式麺類の秘訣の伝授にやってきたのではないかと思われたのだ。


 とはいえ水上電探に映っていたのは、言うまでもなく第38任務部隊旗艦の『レイク・シャンプレイン』だった。

 砲戦で大破した艦が、26ノットもの高速を発揮できるものか。結果論的に言うならば、真っ先にそう疑って然るべきだったかもしれぬ。しかしハルゼー大将の闘志に突き動かされたエセックス級航空母艦が、ただの1隻でもって戦艦の如く突撃してくるなど、誰にとっても予想外に違いなく――今次大戦最後の海戦はその終幕間際において、まったく時代錯誤な熱を帯び始める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る