動乱! 講和条約締結前夜・中

松本市:神林空軍基地



 東條首相の大軍政改革を受け、昭和24年初頭に独立する運びとなった帝国空軍。

 未だ小所帯ながら、大変に戦略的なる任務を担う彼等が根城の1つは、松本市郊外に置かれていた。立地的に航空産業の支援を受け易く、また米超重爆撃機の侵入に際して多少の縦深を有しているというのが選定の理由で、元々あった陸軍飛行場を拡張する形で設定された4000メートル弱の滑走路には、日の丸を描いた多数の大型機が屯していた。


 その中でも特に目を引くものといったら、やはり中島飛行機の傑作機たる富嶽だろう。

 米本土への無給油爆撃を目指して陸海軍合同で開発が進められ、停戦が成立した翌々年にどうにか初飛行した、空中戦艦などと呼ばれたる六発の巨人機だ。実のところを言うと、搭載予定の新型ターボプロップエンジンが間に合わなかったことから、爆弾搭載量が半分になるなど、当初予定より性能が幾分下方修正されたりはしている。それでも合計2万馬力弱の出力を有し、対蹠地までの飛行が可能なそれは、霊峰の名を冠するに相応しい存在となっていた。

 そしてこの全幅60メートル超の銀翼は、一朝事あらば、原子爆弾を搭載して飛び立つこととなる。海軍よりペアともども移籍してきた山岡少佐は、そのために機内待機を続けており……直と夜が明ける前、厄介な命令を受け取った。


「うん、空中待機とな?」


 予想外の事態が発生したのだろうか。山岡は僅かに眉を顰めた。

 ただ余計な物思いとは無関係に、肉体は条件反射的に動作した。ただちに命令があった旨を部下に伝達し、機体に異常がないか最終確認。アイドリング状態にあった6基のハ50エンジンはいずれも快調で、出撃に支障なしと管制へと連絡する。


 そうして車輪止めを外させ、愛機を発進させていく。

 積荷は約4トンの原子爆弾1発のみだが、ガソリンはほぼ満タン。車輪が地面を離れたのは、滑走を始めてから2500メートルほどのところだった。失速に陥らぬよう操縦桿をゆっくり引き寄せ、背後に過ぎていく松本市街の風景を脳裏に描きながら、息子と遠足に行く約束が台無しになってしまったとぼんやり思った。


「またぞろアメ公が余計な真似でもしたんでしょうかね」


 副操縦士の愚痴が響き、


「連中、余計な真似しかしてくれませんが」


「まったくだ」


 明るみ始めた地平線を一瞥した後、平坦な口調で応じる。


「今回もハワイかアラスカで妙な兆候が見られたとか、恐らくはその程度だろう。とはいえ俺達が油断する訳にはいかん。長丁場となりそうだが、御国のためしっかりやらんとな」


 山岡は気を引き締め、日本アルプス上空の周回飛行へと移る。

 当面は単調で退屈な任務であるが、そうでなくなったら一大事だ。とはいえ今回はいったい何が起きているのだろうか。彼は強壮チョコレートを噛み砕きながら東の空を眺め、数千海里彼方の様子を想像する。予想に違わず、オアフ島のヒッカム空軍基地は結構な騒動になっていたが、根本的な原因はそこにはなかった。





 南シナ海:台湾南西沖



 第二次世界大戦後の動乱期を経た米軍は、些かおかしな編成となってしまっていた。

 洋上ではあまりに多くの艦艇が沈没し、陸上ではとてつもない数の将兵が戦死したり捕虜となった末に虐殺されたりしたため、陸海軍ともにまったく不甲斐ない組織と認識されるに至った。結果、新たに独立した空軍が、やたらと肥大化してしまったのだ。その長となったアーノルド元帥は仰天するくらいの殺戮愛好的な人物で、彼とその取り巻き達の原子爆弾崇拝が現在の外交環境を招いたとも言えそうであるが……相対的に傷が浅かったことだけは間違いない。しかも長距離爆撃機という兵種自体が、タフト大統領の唱える新大陸要塞構想に見事に合致したものだから、権力拡大に歯止めがかからなくなってしまったのである。


 もちろんこの極端かつ奇天烈な軍備体系が、面倒事を引き起こさぬはずがない。

 中でも特に厄介なのが、軍隊の移動か破滅的戦争準備か傍目には分かり難いという構造的問題だった。例えば1個歩兵連隊を展開させるために、超大型輸送機C-99が何十と飛び立ったりする。かの機体は対蹠地爆撃機B-36を転用したもので、実際区別がなかなかつかない。それ故、もしや原子爆弾を用いた先制攻撃を企図しているのではと各国の当局者が疑心暗鬼に陥り、自動的に警戒段階が上がってしまったりするという訳だ。

 講和条約締結を目前に、日米が緊張状態に陥ったのは、まさにそうした経緯だった。国籍不明の潜水艦騒動で日本軍機がフィリピン周辺を飛び回ったことから、


「念のため第25歩兵師団の一部を緊急展開させておけ」


「フィリピンには長距離爆撃機を配備しない取り決めだが、一時的な着陸なら問題だからない」


 といった決定が米太平洋軍においてなされてしまった。

 その果てに何が起こったかというと、ビリヤードであれば高得点が狙えそうな、まったく見事な玉突き事故。警戒が警戒を呼ぶような連鎖反応により、あちこちの部隊が動き出し……泰山が鳴動せんばかりの騒ぎとなった挙句、両国首脳間の連絡がどうにかつき、何とか事態は収束に向かい始めたという顛末であった。


 無論、意思決定の中枢にいなかった者達の認識は、呆れるくらい適当だったりもする。

 その最右翼に位置しそうなのは、南遣艦隊司令長官なんて大層な役職に就いてしまった高谷中将だろう。陸海軍のすったもんだと大蔵省との予算的な綱引きの末に大改修がなされ、強襲航空母艦として再就役した『天鷹』に将旗を掲げていた彼は、二転三転する命令に嫌気が差し、そのうち考えるのを止めた。最終的に何もせず待機しろといった内容になったのだから、結果だけ見れば正解だったと言えるかもしれない。


「いやしかし、何だったのだろうな?」


 お気に入りの洋モクなど吹かしながら、高谷は呑気に呟いた。

 自称アジア第二位の艦隊が屯するサタヒープ海軍基地へと向かっていたところ、いきなりフィリピン沖に急ぎ進出しろときた。そうしてバシー海峡に差し掛かった辺りで、今度は別命あるまで待機とのお達し。合流を予定していた重巡洋艦『鈴谷』以下3隻も、既に引き返したとのことだった。


 なおサタヒープ行きを命じられていたのは、同じくタイ王国が対連合講和を結ぶ予定で、関連の式典に参加するためである。

 実のところを言うと、折角『天鷹』の修理がなったのだから、かの殊勲艦をスペインまで派遣してはどうかという意見も一部から上がっていた。しかしながらこの案については、外務省が断固拒否の姿勢を即座に見せたし、どうしてか耳聡く噂を聞きつけた米英の当局者が、「世界大戦を再燃させるような真似は慎んでもらいたい」と文句をつけてきたとのこと。大戦中に色々あったのは承知しているとはいえ、何故そこまで嫌われねばならぬのか分からない。


「正直言って、嫌がらせでもされとる気分になってくる」


「状況を鑑みるに、恐らくは潜水艦騒ぎの余波ではないかと」


 悪口オウムのアッズ太郎を肩に乗せた打井大佐が、例によって猛獣みたいな声で喚く。

 こいつは言葉通り海軍に残り続け、何時の間にやら『天鷹』艦長に収まっていた。海兵の卒業年次と停戦後の停滞人事などを鑑みれば、少しばかり異例の着任とも見える。とはいえ艦内の逸脱気味な気風は、大改修と人員の大幅入れ替えがあっても変化していなかったから、結局のところ他に誰もやりたがらなかったのかもしれない。


「このところチンピラゴロツキどもは、ニューギニアの高地部族をやたらと虐めて回っとると言いますし、セレベスやボルネオに食指を伸ばそうとしているのやも。ここらでチンピラゴロツキどもを千切っては投げ、懲らしめてやるべきかもしれません。『天鷹』にジェットは載っておりませんが、新型対潜装備を積んだ流星改があります。バシー海峡に敵潜がいるやもしれませんから、1隻くらい血祭りに上げてしまえばいいでしょう」


「ダツオな、あまり危なっかしいことを言わんことだぞ」


「Oh, I found a chicken!」


「てめえッ!」


 高谷はすぐさま掴みかかろうとする。未だ大人気とか落ち着きといった言葉とは無縁であるようだ。

 とはいえ体力という意味では、もうじき還暦ということもあって、確実に衰えが来てもいた。一方、オウムというのはとんでもなく長寿であるらしく、アッズ太郎は罵詈雑言を面白そうに撒き散らしながら、艦橋内をパタパタと羽ばたき回る。おまけに爆撃で仕返してきたりもするから最悪だった。


 そうしてドタバタやっているうちに、アッズ太郎は何処かへ飛んで行ってしまった。

 『天鷹』へと渡ってきたばかりの頃は、もう少しばかり可愛げがあったはずだが、時間を経るごとに性格が捻じ曲がっているような気がしてならぬ。まあ過去の記憶というのは自ずと綺麗になってしまうから、当時から一切変わっていないのかもしれないが。ところで昔といえば……高谷は気晴らしにしょうもないことを思いつく。以前、かの性悪鳥類に自艦製マグロ肝油ドロップを与えたら発狂し、一時的に行儀が良くなったことがあったのだ。


「寿司が食いたくなった。エフ作業をやろうじゃないか」


「は、はあ……何でまた?」


「いや、寿司が食いたくなったからだと言ったろう。どうせ適当に待機してろという命令しか下っておらんのだ、マグロみたいなでかい魚を捕まえて、ここは士気を高めるべきだろう」


 まさに小人閑居して不善をなす。高谷は無理を通し、道理はどっかへすっ飛んだ。

 しかも流石は『天鷹』と言うべきか、何故かどでかい引き網が用意された。艦尾扉を開いてこれを流し、泳いでいる魚を片っ端から漁獲するのである。何でも飛行甲板でマグロを解体したという逸話が、妙な形で引き継がれた結果であるようで、「軍艦が勝手なことをする」と漁師達が訴えるくらいだからどうしようもない。


 とはいえこの迷惑極まりない所業を始めて30分と経たぬうちに、網はプツンと切れてしまった。

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