動乱! 講和条約締結前夜・下

南シナ海:台湾南西沖



「艦長、駄目です。スクリューがまったく動きません」


「馬鹿な……いったい何が起こったというのだ!?」


 致命的という他ない報告に、U-4643艦長たるピッチ少佐も目を白黒させた。

 飛行爆弾発射の予定海域に到着したと思いきや、日本海軍所属と思しき航空機が上空をぶんぶん飛び回り始め、挙句に随伴艦2隻を引き連れた大型艦まで現れてしまった。そのため仕方なしに急速潜航し、持ち前の静粛性でもってやり過ごそうとしていたものの、一向にいなくなる気配がない。そこで今度は大容量の蓄電池を活かして離脱を図った訳だが、水中航行を始めようとしたところで、まったく予期せぬ災難に見舞われてしまったのである。


 事故の直前に異音が響いたことからして、スクリューに何かが絡まってしまったようだ。

 更に言うならば、それは艦の直上を大型艦が航過して間もなく発生した。とすればこちらの潜伏位置は既に割れていて、特殊な対潜兵器を使用されたということなのかもしれない。水上レーダーで探知されてはいないだろうし、近傍でピンを打たれてもいないが、この辺りの海域の透明度はかなり高いから、単純に目視で発見されたという可能性もあり得る。加えてこちらの作戦が筒抜けだった結果だとしたら……疑心暗鬼が猛烈に渦巻き、視界がグニャリと歪むようだった。

 無論、実際のところは、何故か曳航されていた漁網が引っ掛かっただけである。優秀なるU-4643の存在は、一切露見していなかった。しかしそれが何の慰めにもならぬ状況で、しかもどんどん悪い方向へと転がっていく。


「とにかく、狼狽えるな。ドイツ軍人は狼狽えないッ!」


 ピッチは厳かなる声で言い、艦内の動揺を鎮める。

 間髪入れずにメインタンク注水、深度100と命じていく。海軍の動員はかなり解除されてしまったこともあり、乗組員の練度は低下気味ではあったが、致命的というほどでもない。


「こうなった以上致し方ない。深海で隠忍自重し、真上の厄介者どもをやり過ごしたところを見計らって浮上。艦の修理を行った後、改めて任務に復帰する」


「いっそ補機を使用しては?」


 副長が提言し、


「ヴァルター推進であれば、この場は切り抜けられます」


「あれは特徴的な気泡を出し過ぎる。それに1回こっきりの緊急離脱用だ。爆雷を食らったとかでなければ……」


 使用は控えるべきだろう。そう続けようとしたところ、いきなり激震が襲ってきた。

 乗組員の誰もが投げ出され、体躯を強かに打ち付ける。ピッチは苦痛に呻きながら、頭上の艦が紛れもない敵へと変わり、まさに爆雷攻撃を仕掛けられたのかと一瞬思った。だがそれに先駆する着水音の類は確認されていなかったし、何より衝撃は艦体から伝わってきたように思えた。


「被害報告」


「こちら機関室、浸水発生」


 どうにか身を起こして各部に連絡するや否や、絶望的な報告が到来した。

 原因はすぐさま直感された。先程副長が言及した、緊急離脱用のヴァルター推進装置だ。艦の両舷に外付けされているそれは、過酸化水素水という危険極まりない酸化剤を用いていることもあって、元々信頼の置けぬ代物で――いったい何の因果か、最悪のタイミングで爆発してしまったのだろう。


 そしてこの推測が正しいとすると、潜航はもはや不可能との結論に帰着する。

 つまりは緊急浮上するか、このまま艦が圧壊するに任せるかの二者択一という訳だ。恐らくピッチは、戦時中であったら後者を選択しただろう。しかし現在は曲がりなりにも停戦が維持されているし、講和条約を巡る諍いから台湾近傍島嶼に向けて飛行爆弾を発射する予定であったとはいえ、日独は未だ同盟関係にあった。とすれば相当に怪しまれるかもしれないが、日本海軍も公然と戦争行為を仕掛けてはこないと考えられた。

 それに任務遂行を断念せざるを得ず、また自分は軍法会議にかけられたりするとしても、乗組員達は守ってやらねばならない。


「メインタンク排水。緊急浮上する」


 ピッチは打ちひしがれながらも決断し、発令した。

 かくしてU-4643は海水を吐き出し、一気に海面へと躍り出る。仰天するような現実を彼が目にしたのは、それから間もなくのことだった。





「げェーッ! Uボートが網に掛かっちまったってのか!?」


 生起した想定外の事態に、傍若無人の高谷中将も真っ青になっていた。

 大漁を期待した引き網がいきなり切れ、何処かへ流れていってしまったと思ったら……後方数2海里ほどから突然、潜水艦が浮上してきた訳である。ドイツ海軍所属らしいかの艦は、どうやら大変なことになっているようで、しかも艦尾にやたら見覚えのあるものが巻き付いている。マグロどころか鯨がかかるかもしれないと意気揚々としていたら、鋼鉄製の鯨がかかってしまったのだ。誰も彼も唖然とするしかない展開だった。


 それから当然ながら、大不祥事である。

 軍艦が漁船めいた真似をしていること自体、かなりの無軌道ぶりとしか言えないが、悪行三昧の結果として同盟国艦の航行に重大な問題を生じさせてしまったとなったら、絶対に始末書で済むような話ではなくなる。発光信号で救援の要否を尋ねたりしている中、『天鷹』に乗り組む佐官将官達は揃ってカチンコチンになり、またどうにか弥縫策について話し合う。何とか責任を擦りつけないと、帰投するなりおまんまの食い上げとなりかねない。

 とはいえ喧々囂々しているうちに、少しばかりの光明が見えてきた。そもそも何故あんなところに潜航していたのか、下手をすれば敵対行動になるはずだ。まったく苦し紛れの言い訳を、現飛行長の五里守少佐がひり出したのである。


「それに台湾海峡付近をドイツの潜水艦が通るなどという情報は、さっぱり受け取ってはおりません」


「確かに、その通りだ」


 冷や汗をどうにか抑え、高谷は肯く。

 余計な騒ぎを起こさぬため、何処をどの潜水艦が通るといった情報は共有するのが礼儀だ。フィリピン近傍で緊張が高まっていたのだから猶更で、米独が和睦し秘密協定を締結とかいったあり得そうにない可能性を除けば、南シナ海でコソコソする理由もないはずだった。


「加えてあのU-4643とかいう潜水艦、やはりどうにも不審ですよ」


 今度は打井大佐が口を開き、


「被害甚大であるにもかかわらず、こちらからの救援を謝絶してくる」


「ダツオ、それはまことか?」


「はい。駆逐艦が向かおうとしたら、危険だから近付くなと言い出す。率直に言って、何やら疚しい理由があるんではないかと。実際あれは対米攻撃用のXXXII型ですし、普通であればアジアにまでやってくることもありません」


「ではどんな理由が考えられる?」


「そうですね……一応、我が帝国は近日中に、米英のチンピラゴロツキどもと和平を締結する見込みです。世に言う単独講和ですな。でもってあのチョビ髭総統が腹を立て、米海軍の仕業に見せかけての飛行爆弾攻撃を指示した、というのは如何でしょうか? もしかするとマカッサル海峡で見つかった国籍不明潜水艦というのも、実のところあいつだったのやもしれません。とすれば不逞のジャガイモゴロツキ極まりない」


「ふゥむ、なるほどな」


 このところの世界情勢からしても、案外ありそうな気がしてきた。

 今は何処にいるのか分からぬが、妙な分析を吹聴して回っていたヌケサクこと抜山主計中佐によると、ドイツというのは地理的条件から自動的に我儘な国になるのだという。つまるところ幾つもの列強とほぼ国境を接しており、それらへの軍事外交的対処が常に最優先課題となるため、ロシアが動員を始めたらフランスを攻めるだの不可侵条約の挙句に奇襲を仕掛けるだのといった傍目には理解困難な冒険主義に走るという説である。世界大戦の決着が一応はついたはずの今も、かような性質が残っているとすれば、色々と理解がし易そうだった。


 それから打井の仮説を前提に、適当に筋書きを考えていく。

 元々浮上するまでかの潜水艦を見つけられていなかった訳だが、まずこれを何らかの方法で探知していたとする。その上で米アジア艦隊の1隻と判断して警戒し、流石に撃沈するのは拙いからと、漁をやるという名目で網を展張したとすれば整合性が取れそうな気がした。随伴の駆逐艦も色々と目撃しているので、いらんことを言ってしまいそうな気もするから、その辺だけは上手く口裏を合わせておく必要がありそうである。


「まあ考えてみれば、連絡も寄越さずにあんなところに潜んでおるのが悪い」


「ですね」


「うむ。つまり俺は悪くねぇ」


 何とも酷い言い草である。しかし高谷は開き直り、責任転嫁に勤しむこととした。

 無論、彼等がしょうもない供述は、すぐに疑いの目を向けられることとなる。もっとも飛行爆弾を主兵装とする潜水艦が台湾沖で発見されたということ自体、信じ難いくらい怪しかったこともあって、処分は何時の間にやら有耶無耶になってしまった。ついでに非公式ながら、スールー諸島で新型聴音網の試験をしていた米海軍からも、マカッサル沖の国籍不明潜水艦に関する情報が齎され……どうも本当にドイツが悪質な工作をしようとしていたらしいという見解を、日米当局者が共有することとなる。


 そして厄介なる問題の処理を経て、重光首相率いる全権団は、マドリードでの講和条約署名式に臨むこととなる。

 日本の戦争が法的に終了したのは、昭和25年6月30日。仮にU-4643が飛行爆弾の発射に成功していたら、大戦の再開とまではならぬとしても、太平洋が名実とともに平和の海となるのはもう何年か遅れたかもしれない。とすれば再就役のなった『天鷹』は、またしても大手柄を挙げたということになるのかもしれないが……この事件が永らく公には語られなかったこともあり、彼女の活躍もまた、日の目を見なくなってしまったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る