地を這う者達

コミ自治共和国:ウラル山脈西麓



 1976年春。ロシヤ北方の常緑針葉樹林帯に住まう動物達は、狩猟や交尾、それから睡眠を邪魔されてばかりいた。

 高く聳えたるモミの木のほぼ真上を、巨大な金属製の猛禽が、大気を切り裂くようになったためだ。特にそれらが音速を超越した際の衝撃波は、とにもかくにも強烈無比。梢を行き交うリスやモモンガは枝葉ごと吹き飛ばされ、鳥類すら空より叩き落とされるほどであった。


 かような超低空飛行を繰り返しているのは、第49襲撃航空連隊に属するSu-12に他ならぬ。

 鉛筆に翼を生やしたようなかのジェット機は、率直に言ってあまり信頼の置けない電波高度計を頼りに、地表すれすれを100キロ以上も飛翔する。常識外れの所業であることは言うまでもない。少しでも操縦を誤れば墜落事故へと発展するし、時にはエンジンが異物を吸い込んだり風防にツバメが命中したりする。実際、殉職者は既に10人ほども出ていて、訓練であるのか実戦であるのかすら分からぬような状況となっていた。


(だが、負けはせん)


 部下とともに飛ぶスミルノフ少佐は、露も臆することなく三舵を操っていく。

 視界正面に小高い丘陵が迫ってきた。機首を僅かに上げ、主翼をチョイとばかり傾け、鋭利なる左旋回へと突入。魔王が如く迫る地形を寸でのところで躱し、再び機体を水平に戻した。同じ経路を飛ぶ度に、命が幾つあっても足りぬと思えるが、冷静沈着に対処していけば問題ない。


 そうして射爆照準用の演算装置を起動し、指定された目標を捕捉する。

 耳朶を叩く高周波に、全身が研ぎ澄まされていくかのよう。間もなく左右よりすっ飛んできたのは、一応は被弾しても墜落はしない演習用機関砲弾の束。回避のために反射的に操縦桿を傾けてしまいそうになる心理を、人民の勝利に向けたる鋼の意志でもって抑圧し、針路を維持し続けた。


「よし……投弾ッ」


 神経を集中させたる親指を動作させ、胴体下の模擬爆弾を切り離す。

 操縦桿を少しだけ手前に引き、同時にスロットル最大。音速の壁をズドンと突き破って離脱する。実戦で投下するのは出力50キロトンの原子爆弾であるから、爆風に巻き込まれぬようにせねばならぬためで――どうにか時間内に、想定される危害半径の外へと飛び出すことができたようだった。


「セルゲイ、相変わらず大した腕前じゃないか」


 上空のTu-126早期警戒管制機より、飛行隊長の労いの声が飛んできた。


「爆弾も命中判定だ。基地に戻ったらウォッカで乾杯しよう」


「ええ。隊長のおごりで」


「それからピーリス中尉」


 講評は僚機のものへと移り、


「貴官の投下した爆弾は……僅かに目標を外れたようだ。射爆の腕前をもっと磨け。それ以外は問題なかったが、新人にしては上出来だとか、甘い事を俺は言わんからな」


「はい。射爆の腕前を磨きます」


 まったく冷静というか、感情の起伏に乏し過ぎる声が響く。

 これが増強人間の第一世代という奴かと改めて思えた。雨宮とかいうチビで喧しい日系女医に連れられてやってきた、対ファシスト戦争の切り札なるパイロット。特殊なる薬剤によって諸々の能力を底上げされた彼女は、飛行時間がまだたったの200でしかないのが嘘と思えるくらいに技量優秀で……代償として脳まで焼かれたのか、日常生活においては人間らしさがこれっぽっちも見当たらず、存在そのものが良心を咎めてきているようだった。


 そしていざという時には、まあこれは自分にも当てはまるが、対独飽和核撃のため出撃するのだ。

 戦術としての妥当性については、当然ながら理解できる。ウクライナで滅茶苦茶な殺戮を繰り広げるドイツ人の野蛮性も、キエフ出身の父によく聞かされている。それでも人民にとって何より重要なものが、ごっそりと削り落とされようとしているのではなかろうか。スミルノフは帰還を宣言しながら煩慮し、しかし打開策と呼べそうなものを思いつくことができなかったので、夕刻の迫る空を逃避的に見上げた。


「糞ッ」


 舌打ちとともに罵声が漏れ、歯がぎりぎりと軋む。

 スミルノフの視線の先を偶然過った不可解な星。それが最近米国が原爆推進で打ち上げた『フリーダム』宇宙基地だと、昔から天文学に詳しかった彼は、理解せざるを得なかったのだ。





モスクワ:クレムリン宮殿



「つまりは宇宙を舞台とした軍事競争から、我々は降りるべきだということかね?」


 紆余曲折を経て党中央委員会書記長となったブレジネフは、苦虫を噛み潰したかのような面持ちで尋ねた。

 人類の月面着陸と原爆推進船の軌道投入が同時にやってきて以来、尋常ならざる宇宙熱に世界は包まれている。実用面で重要となったのはやはり後者で、真っ先に異常な冒険をやってのけた日本に、米国が大慌ての力技で追随。ドイツもまた巨大な洋上発射台を用意しているとのことで……カムチャッカ半島にて実験場の建設が始まるなど、ソ連邦においても導入に向けた動きが加速していた。


 しかしながら机上の報告書には、それに真っ向から異を唱えんばかりの内容が記されている。

 すなわち他の列強のように宇宙戦艦を並べるのを目指すのではなく、軍用を含めた人工衛星の支援や科学研究のために原爆推進を用いるべきであり、過剰な軍事的投資は得策でないというものだった。まったくもってあり得ない。第一印象はそんなところで、2億2000万の人民を裏切る何らかの陰謀が進んでいるのではないかと勘繰りたくなりもした。


「率直に尋ねるが、正気かね? ここにいる同志諸君等は皆、軍事的問題に関する広範な知識見識をもって人民を導く責務を負っているはずだが、それならばこんな内容が出てくるとは思えん」


「同志ブレジネフ、そうお考えになるのも無理からぬことと存じます」


 気障に眼鏡など直しながら、ウスチノフ国防大臣が言う。


「しかしながら空軍と戦略ロケット軍、科学アカデミーが合同でシミュレーションを行った結果……低軌道に展開される宇宙艦艇は、見た目こそ派手となるかもしれませんが、予想以上に脆弱性が高いとの結論に至りました」


「どういうことだね?」


「具体的な内容につきましては、同シミュレーションの統裁官を務めた同志チェレンコフに解説させるのが適切かと考えられます。同志ブレジネフ、よろしいでしょうか?」


「わかった。同志チェレンコフ、発言を許可する」


 怪訝そうに顔を歪めながらも、ブレジネフは了承した。

 そうして起立した空軍参謀次長のチェレンコフ中将は、如何にもな秀才型技術将校といった雰囲気で……同姓の科学者が発見した放射光を纏っているかのようだ。


「まず重要なのは、軍艦は陸上砲台と撃ち合ってはならないという故事が、ほぼそのまま適用可能だということです。この場合、軍艦は将来的に就役する敵性宇宙艦艇、陸上砲台は我が連邦に多数存在する戦略ロケット軍基地もしくは一部の地対空誘導弾基地となります」


「ふん、なるほど」


 ブレジネフは肯き、陸に据えてあるが故に不沈かつ命中精度も良好という話だったかと思う。

 そうした後に開陳されたのは、集中的な弾道弾あるいは地対空誘導弾での攻撃を行った場合の想定。軌道上への大質量投入が実現した以上、装甲化もある程度は可能となるかもしれない。それでも巨大な艦体すべてを防御することは困難であるし、至近距離での核爆発にはどうあっても耐えられないと、論はまったく滑らかに展開されていった。すなわち宇宙艦艇というのは案外脆弱な存在で、モスクワやレニングラードが軌道爆撃を受けるという空想科学小説にありがちな想定は、現実的とは言い難いのだ。


 もちろんそうであったとしても、巨大な水爆投射装置としての用途は残りそうではある。

 だがそれについても、既存の兵器に対する顕著な優位性を獲得できそうにないとの分析だった。特に致命的とされたのは、性質的に位置の秘匿が困難という部分。先制的に破壊されてしまいかねないものに、すべてを賭する訳にはいかぬから、結局のところ大陸間弾道弾あるいは潜水艦発射式弾道弾への投資は、何処の国も継続せざるを得ないだろう。かような説明を聞いているうち、全員の主張を最後まで聞いてから話し始めたというレーニンの偉大さが、否が応でも認識された。


「こうした観点から申し上げますと、宇宙艦艇は自己防衛を兼ねた弾道弾迎撃能力の獲得を第一目標として、また同級の艦艇および人工衛星を無力化する能力の獲得を第二目標として、今後進化していくものと考えられます」


 チェレンコフはそこで語気を強め、


「すると将来的には、迎撃の困難性故に戦略兵器運搬手段として最適と現在考えられている弾道弾の優位が低下すると見積もられ……特に低高度侵入が可能な巡航誘導弾や航空機によるそれが、相対的に有効となってくるものと予想できます。となれば地理学的条件を鑑みましても、ここに突破口を見出すべき。そうした結論が導かれたという訳です」


「地理学的条件ね」


 ブレジネフは少しばかり思案し、


「悍ましきファシストどもがウクライナに居座っているが故ということか」


「同志ブレジネフ、ご明察の通りです。低高度侵入の巡航誘導弾や航空機による攻撃が最も有効となるのは、まさにこうした局面であり……陸軍の長距離多連装ロケットおよび囮弾多数を含めた巡航誘導弾の一斉射撃によって防空網を飽和、現在開発中の超音速戦略爆撃機を含めた航空部隊をその間隙より送り込み、1時間以内にベルリンをはじめとするドイツ本土の都市を消滅させ得る態勢を構築すべきかと」


「ああ、よく理解できた。もう一度、戦略方針を再検討した方が良さそうだ」


 先のレーニンの逸話を噛み締めつつ、ブレジネフは厳かに肯く。

 空軍に連なる者達の反応は上々で、これが産業資源配分面でも適切な解なのだとウスチノフが付け加える。原油輸出の伸びに支えられ、このところ経済状況はある程度改善の兆しが見られているものの、国内総生産の3割以上を軍事に費やさざるを得ない現状は変わっていない。とすれば国力の濫費は回避すべきで、党の指導者としてこれを是とすべきなのだろうと思えた。


 ただやはり気になるのは、戦略ロケット軍司令官のヤコブレフが病欠していることだった。

 しかもその代理として着席した人物は、まるで痴愚魯鈍を思わせるような態度で、ひたすらに沈黙を守っている。とすれば政争の気配が、あからさまなまでに漂っていると言うべきだろう。そしてそれが祖国人民と己が地位を貶めぬようにするには、いったい何が必要となりそうかと、ブレジネフは政治家然とした能面で考える。

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