日米貿易物理摩擦①

北太平洋:キスカ島南方沖



「米国特別通商代表は本日、1970年通商法に基づく対共栄圏貿易不均衡是正措置に関する声明を発表」


「これに対し、第9回大東亜通商会議を終えて上海より帰国した佐々山通商大臣は、緊急の記者会見を開き……」


 どうにも物々しげなる報が、短波ラジオ放送より流れてくる。

 貿易を巡る紛争を契機として、このところ日米関係は悪化の一途を辿っているのだ。実際、金本位制を離脱してからというもの、米国の輸出攻勢は凄まじく……特に輸送用機器や電子機器といった分野において、大陸市場をこれでもかとばかりに蚕食し始めた。これに対して共栄圏諸国が歩調を合わせて関税率を幾らか引き上げたところ、そちらが11.4%ならこちらは51.4%だとばかりの、とんでもない過剰反応を招いてしまったのである。


 そんな具合であったから、中型貨物船『あかぷるこ丸』の乗組員は、まったくもって気が気でない。

 既に汎用コンテナに詰め込まれている商品の売れ行きは、円高ドル安の影響もあって芳しくなくなってきている。しかも米本土では日貨排斥運動が再燃しつつあり、単車をバールのようなもので破壊する下院議員まで出てきた。お互い水爆弾道弾を突きつけ合っている以上、こんな程度で開戦となったりはしないだろうが……何かの拍子に大圏航路経由の貿易がぱったりと止み、商売あがったりになってしまうかもしれなかった。


「それにしても、分からねえなあ」


 新米の江口三等航海士が、昼食のコロッケ定食を食べつつ首を捻った。


「学校を出た頃はまだ、日米蜜月とか言ってたような気がするのにな。米国のニクソン大統領が香港までやってきて、南支にどでかい額の融資を発表したりとか」


「どうもそいつが罠だったらしいぜ」


 同期入社でこれまた三等の飯田機関士が、味噌汁を啜りながら訳知り顔で応じる。


「何でも現在の管理通貨制度においては、他国にお金を貸した方が有利だって話だぜ」


「ええ、どうしてだ?」


「実は俺もそこまでは詳しくねえんだけど……損して得取れってか? 民国にドルを大量に貸したお陰で輸出が増えたり、米国の業者が広州新港の建設を請け負ったりしたらしくて、ここ最近の騒動の発端になってるらしいぜ」


「ううん、何だか妙竹林な話だな」


 疑問符を頭上に浮かべつつ、江口は半分に切ったコロッケの残りを頬張る。

 南京政府が物理的に消し飛んだり、原子爆弾が何十発も炸裂したりした結果、南支は未だに半ば無政府状態になっていて……治安戦と復興が未だ途上であった。それ故に米資本の参入が合意されたという流れであったはずだが、それが予想以上の毒饅頭だったということだろうか。


「まあ何にせよ、上手い具合に話をつけてほしいもんだ。この時世に職探しは御免だ」


「そいつは俺もだぜ」


 飯田は気さくに笑い、殺風景だが穏やかな窓外を望む。


「珍しく凪いでくれてるこの海みたいに、世はすべて……おわッ!?」


 事もなしと続きそうだったところに、悲鳴が突然に割り込んだ。

 いったい何事かと思う前に、身体は椅子から弾き飛ばされ、壁面に頭を打ち付けることとなった。激痛ととも視界に火花が飛び、意識はたちまち朦朧とする。


「糞ッ、何だ……?」


 江口は苦しげに呻き、何とか状況を把握せんとする。

 理解できたことといったら、船体が考えられぬほどの大傾斜を始めたことくらい。しかもその直後、北洋の冷酷なる海水が怒涛となって押し寄せ、それ以上の思考はまったく不可能となった。


 そうして1分と経たぬうちに、『あかぷるこ丸』は海中へと没してしまった。

 原因はまったく不明で、当然ながら生存者は皆無。また救難信号を打電する余裕すらなかったことから、遭難が判明するまでに随分と時間がかかってしまい……これがややこしい事態を招いてしまうのだった。





 午前5時。極北の夏の日の出を背に、翼に星のP-3対潜哨戒機が飛び回る。

 無論のこと、捜索救難のためである。昨日の正午過ぎ頃、キスカ島沖で貨物船『あかぷるこ丸』が消息を絶った。恐らくは何らかの理由で一瞬で沈没したものと思われ、しかも失踪から既に17時間が経過してしまっているようだから、状況はまったく絶望的という他なかった。


 それでも生存者がボートに乗って避難していたり、救命胴衣を着用して波間を漂っていたりするかもしれぬ。

 かような境遇に追いやられた者は、いったいどれほどに心細いだろうか。副操縦士を務めるドライバーグ大尉は、荒海の真っ只中で孤立無援となった自分の姿を想像し、少しばかり身震いする。そうして改めて、全力で任務に当たるのだと心中で宣言した。このところ貿易を巡り、日米関係は悪化の一途を辿っていて、本土に残った数少ない日系人に対する嫌がらせまで発生しているとのことだが……公海上では人種や国籍など関係ないのだ。

 ただ問題があるとすれば……異なる見解を持つ人物が、全権を握っていることだろうか。つまるところ機長のブレイク少佐は、1500もの飛行時間を有する熟練者だったが、モンタナ州出身であるが故か、強烈なまでの偏見の持ち主でもあったのだ。


「畜生ッ、何故こんなところに」


 ブレイクは刺々しく毒づき、


「何故こんなところに、ジャップ巡洋艦がいやがるんだ」


「生存者を捜索している模様です」


 努めて冷静な口調でドライバーグは応答する。

 ちょうど眼下に、マストにHLの国際信号旗を掲げたる艨艟の姿があった。日本海軍の『新知』なる1万2000トンの艦で、正確には巡洋艦ではなく海防艦だと付け加える。


 だがどうしてかそれが、ブレイクの気に障ったようだった。

 彼はブツブツと文句を連ね、支離滅裂な思考を開陳し始める。貨物船が消息不明となったのは、実のところスパイ任務に従事するためで、あの駆逐艦はその支援のためにやってきたに違いない。いったい何を根拠にと思わざるを得ないが、幼き頃に遭遇したフラットヘッド黒鉛炉爆発の記憶が、直感を強引に正当化したのかもしれなかった。


「糞ッ、奴等の好きにさせてなるものかよ」


「えッ、何を?」


「ちょいとした挨拶だ。一発かましてやる、総員備えろ」


 ブレイクは憎悪を滾らせて宣った。

 まさかと思う前に、機体は大きく傾く。そうしてP-3は右旋回へと入り、海面高度へと突き進んでいった。血の気はみるみるうちに引いていく。


「機長、止めてください」


 ドライバーグは懇願するように叫び、後席より航法通信士の悲鳴も響いてきた。

 しかしそれが奏功しそうな雰囲気は皆無。あからさまなまでに軍機に反した危険飛行は継続され、日本海軍艦艇のゴテゴテとした艦橋が、恐ろしい速度で眼前に迫ってくる。





「べ、米哨戒機、本艦に急速接近中ッ!」


「こりゃあまた、いったい何の心算だ?」


 何処か暢気に聞こえる音吐で、海防艦『新知』の艦長なる陸奥大佐は呻く。

 毀誉褒貶の激し過ぎる『天鷹』組の副将で、最後まで女の尻を追いかけた挙句に昨年腹上死した父と違い、彼は至極真面目な海軍将校として生きてきた。その唯一の欠点が、緊張感に欠けるとされがちな声色である。しかしいざという時には、案外その方が部下の心を解すのかもしれない。


「おい、カメラだ。米軍機を撮影しろ」


「了解」


 部下が即座に応答し、手すきの者が危険飛行の証拠を撮る。

 当然ながら衝突される可能性に、乗組員達は恐怖を覚えはした。だがはた迷惑極まりない所業にもかかわらず、P-3対潜哨戒機を操る者どもの技量は優秀なようで……ぎりぎりまで接近したところで翼を大きく翻し、『新知』の鼻先をビュンと掠めていった。とりあえずはほっと一息といったところである。


 とはいえ何故、かくも常軌を逸した行動に出たのだろうかと、誰しもが首を傾げざるを得なかった。

 海軍の伝統たる北洋漁業警備と、アラスカ方面より飛来する米爆撃機の早期警戒という役割を追っていた『新知』は、海難事故発生の報を受けるや否や、搭載する原子動力機関を吹かして真っ先に現場へと急行した。そうして搭載する回転翼機を用いた、立体的な捜索を行っていた訳であるが……どうしてそれを邪魔されねばならぬのか分からない。確かに北へもう60海里か進むと、米領の島嶼にぶつかりはするものの、現在はあくまっても公海上である。


「それに向こうも、救難任務の真っ最中であろうて……」


「あッ!」


 誰かが仰天の声を上げ、


「べ、米哨戒機、墜落した模様ッ」


「どういうことだ?」


 艦橋に動揺が走る中、陸奥も思わず艦長席より起立し、視線を急ぎ移ろわせる。

 間もなく彼は、窓外に黒煙が上がっているのを目撃した。米海軍のやくざなP-3対潜哨戒機は、既に木っ端微塵になっていて、炎を纏った残骸が海原に漂っている。


 それから猛烈な嫌な予感を覚え、青褪めた。

 当然ながらこの件は、相手が勝手に墜落しただけである。とはいえまったくの濡れ衣ではあるものの、傍目には米哨戒機は対空砲火を受けて撃墜されたようにしか見えぬかもしれぬ。何しろ『新知』は自慢の長距離対空電探に加え、赤外線感応型の艦対空誘導弾やら何やらを、防空駆逐艦ほどではないにしろ搭載しているのだ。


「おい、救難対処用意だ。生存者の救助に当たる」


 陸奥はただちに命じ、艦を墜落現場へと向かわせる。

 純然たる愚行によって生じた二次遭難としか見えぬのは事実で、そもそも自分達は『あかぷるこ丸』の捜索のためやってきたのだという気分はあった。それでも眼前に助けを求める人がいる以上、救難は義務としか言いようがなく……また無実の証明のためにも、間違いなくそれは必要と思われた。


 そして何とも奇跡的に、『新知』はP-3乗組員のうち1名を救助することに成功した。

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