日米貿易物理摩擦②
東京:出版社
「もしや『あかぷるこ丸』は、米潜水艦によって撃沈されたのではないか?」
「あるいは拿捕されたのかも。真っ先に通信アンテナが破壊されれば、SOSだって打てん」
かような根拠薄弱なる憶測と、それを真に受けてしまう者どもの声は、日増しに大きくなりつつあった。
アリューシャン諸島沖での『あかぷるこ丸』の捜索は、途中で訳の分からない米軍機墜落事件を挟みつつも、数週間に亘って徹底的に行われた。にもかかわらず、回収できたのはほんの僅かな漂流物のみ。結果、奇天烈な陰謀論がわんさと巻き起こり、理不尽な通商要求を繰り返す米国への反感と相俟って、世間を賑わせ始めてしまったのである。
ただ異常理論を弄ぶ界隈にも、市場原理というものが容赦なく作用する。
つまり百家入り乱れての言論戦が展開される中にあっては、通り一遍の内容を記事にしただけでは、顧客の心をまるで掴めぬということである。まあそうした原理のお陰で、おおよそその種のものは先鋭化の一途を辿り、荒唐無稽を極めていくものだ。とはいえ時として、妙に筋道の通った説明が混入してしまうこともあるもので……飯田町駅近傍に本社を置く出版社の俗悪週刊誌編集部に持ちこまれたのは、まさしくそんな代物だった。
「つまり博士、これは米海軍の原爆魚雷という可能性があると?」
「うむ、その通りじゃい」
自信満々に肯くのは、興亜電子工業で顧問をやっていたらしい原子博士。
"はらこ"と読むらしい姓の通り、原子物理学に通じている彼は、アングロサクソン諸国を影より支配する"デープステート"と爬虫人類の関係性についてひとしきり講釈を垂れ、昨今の通商問題もその一環と結論付けた後、ようやく本題を切り出した。
「原爆魚雷が海中で炸裂した場合、最低でも直径数百メートルの大気泡が発生し……その直上に船舶が存在した場合、あっという間に沈没することが考えられる。『あかぷるこ丸』遭難の経緯がこれと考えれば辻褄が合うし、このところの魚雷はスクリューの音響を辿って艦船を追跡するから、少しばかり改造すれば容易に直下で爆発を起こせる」
「なるほど、大変に興味深い」
編集長は表面的な喜色を浮かべ、
「しかしながら博士、憶測だけの記事を掲載することはできません。裏は取れておるのでしょうか?」
「案ずるな。ほれ」
原子は鞄より封筒を取り出し、封入されていた写真を机上に撒き散らす。
「占守島の観測所に元教え子がおってな、そいつがこの妙な観測結果について尋ねてきた。何らかの大規模爆発があったと思しき内容で、海中の音波伝搬速度と時刻からして、『あかぷるこ丸』と関連している可能性は非常に濃厚だ」
「おおッ」
手ごたえあり。編集長は直感し、ただちに行動へと移る。
それから隠密裏に原子爆弾を使用した米軍に対する、激烈なる憤怒を滾らせる。白色人種の悍ましき謀略を白日の下に晒すことこそ、己に科せられた使命に違いないと、彼は久方ぶりに興奮する。
アンカレッジ:市街地
海防艦『新知』によって救助されたP-3対潜哨戒機の搭乗員は、異常思考の機長のブレイク少佐ではなかった。
ただ結果だけを見れば、似たようなものだったかもしれない。奇跡的な生還を遂げた機上整備員のゴッドフリー軍曹は、いったい何に感化されたのか、アジア人は両棲人類のダゴニストだといった戯言を並べるような人物で……同じ羽の鳥は一緒に群れるという諺の如く、ブレイクにやたらと目をかけられていたのである。
しかも大怪我をしていたこともあって、『新知』に収容されてから暫くは、まともに口を利けなかった。
故にゴッドフリーは応急処置が施された後、医療設備等が充実しているアンカレッジへ、ウナラスカ島経由で緊急移送された。帝国海軍としても『あかぷるこ丸』の捜索に全力を投じたいところであったし、いきなり危険飛行をかましてきた機の乗組ではあったが、下士官であるから責任などないだろう。事情聴取が必要としても後でやればいい。かような思惑の下、なされた判断ではあったが、これが見事なくらいに裏目に出てしまっていた。
そうして何とか回復した彼は、ゾロゾロと取材にやってきた者どもに対し、あることないこと言い触らす。割合でいえば、後者の方が圧倒的に多い雰囲気だった。
「それで軍曹、日本の巡洋艦はスパイ行為を働いていたとのことですが……」
「お前、フラットヘッド黒鉛炉の顛末を知らんのか?」
ゴッドフリーは途端に憤り、
「戦争中、ジャップ潜水艦が工作員を上陸させ、そいつらが空挺部隊を誘導しやがった。お陰で放射線が酷いとかで、湖の周辺は未だに立入が制限されてやがる。それくらい把握してるだろう?」
「それは昔の話で、今は戦争中ではないでしょう?」
「講和が結ばれようが何だろうが、影の戦争はずっと続いてるんだよ」
あれこれ尋ねてくる記者に対し、まったく短絡的に声を荒げた。
それから非文明人のインディアンが云々と、強引に話を逸らしていく。居留地関連条約の抜本的な改正により、当時日本軍に協力した部族については、文化的抹消政策の対象となりはした。とはいえ油断は禁物で、最近頻発しているジム・クロウ法反対運動の指導者が、上海経由で金品を受け取っているといった具合に続ける。
ただそうした諸々は、ゴッドフリーのしょうもない誤魔化しではあった。
元々あまり学のある方ではない彼は、"日本海軍のスパイ行為"なる主張についても、きちんと考えたりはしていない。上官が発していた台詞の断片を、適当に繋ぎ合わせているだけだった。あるいは心の何処かで支離滅裂さを理解していたからこそ、大した関係もなさそうなことを口にしていったのかもしれなかった。
そして若干しどろもどろになりながら、どうにかこの場を切り抜けんとする。幸か不幸か、好機は直後に訪れた。度の強そうな眼鏡をした中年記者が、傍らの同僚に苦言を呈したのを、彼は聞き逃さなかった。
「そうだ、よく分かってるのがいるじゃないか」
一転、ゴッドフリーは語気を強める。
「ジャップ巡洋艦が探していたのは、アリューシャンで極秘裏に建設が進められている原爆ロケット発射場だ。かつては空を制する者が戦場を制したが、今は宇宙を制する者が戦場を制する時代。ジャップどもは我等が祖国の猛追を躱すため、卑劣な手段で妨害する心算で……あの艦はその尖兵だったんだよ」
「な、何だって!?」
記者達は思わず顔を見合わせ、がやがやとざわめく。
とかく厄介だったのは、嘘と断じられぬ程度の真実味が、妄言にくっ付いてしまったことだろうか。米空軍が本命としているのは、フランスから分捕ったポリネシアの"大天使"宇宙港に違いないが……バックアップ用の原爆推進船打ち上げ拠点の建設が、実際にアリューシャン中部のアダック島で始まっていたのである。
オアフ島:ホノルル国際空港
「何、技術的問題で飛べん? おいふざけるな、同じ説明を昨日も聞いたぞ」
雷鳴の如き怒鳴り声が、空港の特別ラウンジを震わせる。
阿修羅の形相で係員に詰め寄るは、もうそろそろ米寿なはずの高谷代議士。彼はとにもかくにも咆哮し続け、日系米人らしき若者の顔に恐怖が浮かんでいるのに、数十秒ほど経ってから気付いた。腹の虫はまるで治まらぬが、末端の従業員に憤怒をぶつけたところでどうにもならぬのは明白で、渋々ながら引き下がる。
とはいえこれで、確実に予定に間に合わなくなってしまった。
故ハルゼー大将の没後20周年を記念してボクシングの国際試合を催すから、是非とも選手として参加されたし。かような招待状が半年ほど前に送付されてきたので、一応は議員外交も兼ねて、ロサンゼルスで記念艦となっている『レイク・シャンプレイン』まで出向かんとした訳であるが……この通り中継地のハワイで足止めである。大戦中に積もり積もった遺恨が故か、昔から度々嫌がらせを受けた気はするものの、今回のそれは度が過ぎていると思えてならぬ。
「まったくアメ公ども、舐め腐った真似をしやがって」
高谷は尚も憤り、他人の振りをしがちな同胞達をサッと見やる。
「俺に文句があるなら、面と向かって言いに来やがれってもんだ。24時間働いとる大東亜産業戦士の諸氏まで巻き込むとは、まったくどうかしているとしか言いようがない」
「あの先生、それについてですが」
賢しげなる囁きが、すかさず横より飛んでくる。
声の主はヌケサクこと抜山退役主計中佐である。いったい如何なる巡り合わせか、同じ便に乗り合わせていた彼は、それらしく聞こえるが胡散臭い口調で話し始める。
「今回は本当に、大規模障害が起きているようです」
「ヌケサク、いい加減なことを言うな。ロサンゼルスの空港に問題があるなら、隣のサンディエゴに飛べば済むだろうが」
「それがですね、どうも西海岸全域の空港の管制系がおかしくなったとのことで」
「何だそりゃあ」
高谷は思い切り眉を顰め、これ以上ないくらいの不信感を面に滲ませる。
ただ別系統で調べていた秋元秘書も、数十分後に似たような内容を携えて戻ってきてしまった。となれば事実と考える他なさそうで……かつてペナン島で味わった南国果実の類をしこたま持ってこさせ、心頭滅却してそれらを味わいまくることとした。
そして放埓で現実逃避的な所業もまた、長続きはしなかった。
気晴らしに米国の音楽でも流し、その軽佻浮薄さを論評してやろう。そんな理由からラジオを点けてみたところ、物々しいアナウンサーの声が響いてきた。ウナラスカ島南方の米領海を、国籍不明の潜水艦が侵犯したとか何とかで、率直に言って嫌な予感しかしてこない。
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