日米貿易物理摩擦③

太平洋:アダック島南西沖



 おおよそ紛争においては、当事者の共倒れを狙い、あれこれ画策する者が現れたりする。

 アリューシャン諸島沖を航行する鉄十字の原子力潜水艦も、そうしたうちの1隻に違いない。U-8894と命名された水中排水量8000トンの海狼は、深刻なる日米対立が報じられた直後にナルヴィク基地を出撃。そのまま北へと針路を取って北極の氷海を踏破し、存外に警戒が手薄なベーリング海峡のチュコト半島側を突破、見事太平洋へと躍り出た訳である。


 そうした後に向かった先は、もちろんウナラスカ島近傍の米領海に違いない。

 しかも最新鋭のLXI型の音紋を容易に採取させぬよう、また顕著な反応を引き出せるよう、わざと雑音を発生させながら侵入したのだった。哨戒中に就いていたフリゲート艦や航空機も、突然の暴挙にびっくり仰天。かくして蜂の巣を突いたような騒ぎが巻き起こり、本物の爆雷や対潜ロケットがドカドカと撃ちまくられたのだが……U-8894は海底にチタン合金製の艦体を横たえて隠忍自重し、隙を見て脱兎の如く離脱したのだった。


「でもって、次は千島列島だ」


 艦長のクレーマー中佐は、気さくな声色で宣言する。

 部下の反応は、少しばかり悪戯っぽく思えた。幼い頃、家の呼び鈴を鳴らして逃げる遊びをした者は多くいるだろうが、これより遂行する任務は、それを国家規模にまで拡大させたような代物だからかもしれぬ。


「自分達でない何者かが、米海軍の根拠地を荒らしたという事実に、当然彼等も気付いてはいるだろう。そのため次なる海域には、厳重なる警戒態勢が敷かれているものと予想される。それでも本艦の高性能と諸君等の力量を鑑みれば、問題などないことは明白だ。黄色人種が相手と油断することなく、着実に任務を遂行し、奴等に吠え面をかかせてやろう。勝利万歳!」


「勝利万歳!」


 環境が故に控え目な声量で、一同が唱和する。

 相応の満足感を覚えた後、クレーマーは携えたる電文の束を一瞥する。超長波通信で送られてきたそれらの中で最重要なのは、当然ながら潜水艦隊司令部からの命令だが、今回はそれに匹敵する追加情報も届いていた。すなわち新婚間もない水測班の二等兵曹が、早々に父親になったのだ。遺伝的にも健康な優良ゲルマン男児が、昨日産まれたとのことだ。


「それからもうひとつ、めでたい報せが……」


「十時方向に感ありッ」


 件の二等兵曹が叫び、艦内はたちまち慄然とする。


「距離およそ30、速力およそ20ノット、向かってくるッ」


「相手は何だ?」


「二軸推進の駆逐艦……恐らく春風型と思われます」


「ううむ、日本艦か。向こうからおいでなさるとは、なかなかに予想外の展開だな」


 クレーマーは微妙に暢気な口調で呻き、続けて潜航を命じる。

 U-8894はたちまち深海へと没し、耐圧限界の8割ほどとなる深度500に到達。時折打たれる探信音に捕らわれぬよう、春風型と思しきの針路と鉛直をなす方角へ、慎重を期したる微速で避退していった。


 そうして重苦しい数十分が経過した後、判明し始めたのは、船団と思しきものの通航だった。

 かつての米英海軍が編成したるそれほどの規模は、当然ながら有していないようではある。それでも量産型貨物船と思しき8隻が隊伍をなし、海の牧羊犬たる駆逐艦2隻に護衛されながら、北太平洋の荒れたる海原を東進していっていた。とすれば平時には非効率に過ぎるとされる形態が採られるくらいに、日米対立は激化しているのだろう。かように分析したクレーマーは、つまり自分達は火に油を注げる立場にあると認識し、二等兵曹の吉事とともにそれを知らしめる。





「何、護送船団だと? 分かった、その通りやってやろうじゃないか」


 火花散りたる協議の場に、机をガツンと殴打する音を伴って、無茶苦茶なる絶叫が木霊した。

 元々なされていたのは、一応は商売に関する議論だった。嫌味ったらしい風貌の、デトロイトの自動車産業に支援されたと思しき通商代表が、米国産乗用車が日本本土でさっぱり売れぬのは非関税障壁のせいだとか、まったく頓珍漢な理屈を展開させたのだ。そうして首を傾げたくなるような内容を延々と喋り散らした挙句に、"護送船団的"なる商慣行をすぐさま廃すべきだと、彼は堂々と言ってのけたのである。


 ただその相手というのも、些か拙い人物だった。

 江田島出身の割にあまり英語に明るくなく、それと反比例した気位の高さを有する佐々山通商大臣は、かの干渉的に過ぎる要求を受けて激昂。いったい何を勘違いしたのか、あるいは商戦が本当に局地戦に発展すると思ったのか、席を蹴って帰国するや否や現役時代のコネを総動員し……更には『あかぷるこ丸』が遭難して以来、とにかく苛立ってばかりの海軍高官達をも口八丁で丸め込み、北太平洋公海上での船団護衛演習をぶち上げさせてしまったのである。

 そして時の首相というのもなかなか適当な人物だったことも相俟って、計略はそのまま進んでしまい……大湊の鎮守府より、幾つかの部隊が分遣される運びとなったのだ。


「とはいえこれ以上、物事を拗らせる訳にはいかん」


 対潜巡洋艦『神通』に座乗したる鳥飼少将は、まあ妥当な慎重論を唱える。

 というのも彼は、よく分からない熱狂が太平洋の両岸を支配されていると、端的に直感することができていたためだ。幾ら田舎者の米国人といえど、商船相手に原爆魚雷を使わぬだろうし、実際放射線量の増大などは確認されていない。にもかかわらず、世論は過熱する一方で、アングロサクソン諸国は爬虫人類に支配されているという言説を並べた噴飯物の雑誌が、爆発的な売れ行きを記録したりしているのだ。


 ただそうであるならば、逆に希望を見出せもするかもしれぬ。

 というのもよく分からない熱狂は、同様によく分からない理由で雲散霧消してしまうものだからだ。故に自然消滅を待つというのが立派な解決策となり得る。確かにこのところ怪事件が立て続けに発生し、外交的にも猛火にニトログリセリンが注がれるような事態になっていたりはするが、だからこそ現場の努力が最重要とも言えるだろう。ともかくも近傍を飛び回る米哨戒機に火器管制電探を照射するような真似を控え、船団護衛演習をつつがなく終了させれば、内地に帰投した時には、すべてが過去のものとなっているかもしれないのだ。


「それに地政学的に考えて、背後にいるのはソ連邦だろう」


 西方の空をじろりと睨み、鳥飼は続ける。


「ろくでもない画策をしているのはあいつらだ。かつての日米開戦においても、独ソ戦で窮地に陥ったソ連邦が、国際共産主義組織を経由してあれこれ工作しておったがためという説がある。とすれば奴等の術中にはまる訳には絶対にいかん」


「司令、またそれですか?」


 参謀長の鶏内大佐は心底呆れ、


「日米開戦がソ連邦の離反策なら、とんだ自殺点ではありませんか」


「それは結果論という奴だろう」


「かもしれませんが……大戦中はかのスターリンですら、日米講和の仲介に動いていたと聞きます。また今ではこちらはロシヤの天然資源が、あちらはアジアの労働力と消費財が、それぞれ欠かせぬ関係となっておるではありませんか」


「参謀長、だからこそ油断ならぬと言っておるのだぞ」


 鳥海は実に不機嫌そうに警め、尚も赤色分子の脅威について説く。

 確かに政治運動としての共産主義は、現代の貨幣制度の妙もあって、内地ではほとんど消滅してしまっている。諦めの悪い連中がボロ小屋で内ゲバをやり、何処だかの山中より惨殺死体がゴロゴロと出たというニュースを、大阪の漫才師がネタにしていたりするくらいだ。しかし皇国に1人の赤色分子がいたら、それは多すぎる。ソ連邦との経済協力というのも、とんでもない埋伏の毒に繋がりかねない。


「まあいい、それで仮想敵潜の行方は掴めそうか?」


「捜索範囲を拡大させてみるべきかと」


 鶏内はあれこれ駒の配置された海図を一瞥し、提言する。

 演習の対抗相手たる伊八一〇は、就役から数年ほどの最新鋭原子力潜水艦に違いない。艦載の回転翼機たる震天が30分ほど前、船団の南南東15海里ほどのところで、それらしき反応を捉えることに成功していた。もっとも幸運が続いたのはほんの一瞬で、今は何処に潜伏しているか分からない。


「現在、感のあった点から、半径5海里を重点的に捜索しておりますが……既に圏外に逃れている可能性も考えられます。10ノット未満での潜航である場合、原潜4型の探知は相当に困難かと」


「ふむ。何か案はあるか?」


「待機中の海猫3号を発艦させ、本船団の針路と……」


「海猫2号より入電」


 新たな報告が割り込み、『神通』の艦橋に緊張が走る。

 難敵たる伊八一〇を遂に捉えた。おおよそ誰もがそうした内容が続くのを期待したが、声色からして予想外のものかもしれぬと、鳥海はどうしてか直感できた。


「米海軍のAN/SPS-40対空捜索電探と思しき信号を検知。近傍を米艦が航行中の模様」


「ううむ」


 鳥海は唸り、歯を軋ませる。

 米領土に割合近い海域である以上、予期できた展開ではあった。とはいえ信号強度を徐々に増大させた後、水平線上に姿を現したのは、米海軍が誇る大型原子力ミサイル巡洋艦『タイコンデロガ』を始めとする5隻の水上艦。いざとなれば8インチ原爆砲弾を放ってくるそれらの乱入により、船団護衛演習の予定はガラガラと崩れていく。

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