日米貿易物理摩擦④

太平洋:キスカ島南方沖



 悪天候で知られるアリューシャン諸島沖は、別の意味でも荒れ模様となっていた。

 太平洋において双璧をなす日米海軍の艨艟が、次から次へと集まってきているのだ。その直接的な切っ掛けは、佐々山通商大臣がぶち上げてしまった船団護衛演習を、米太平洋艦隊所属の艦艇があからさまに妨害したことだろうか。あるいは国籍不明潜水艦による領海侵犯が関係しているのかもしれない。ただそれまでに苛烈な貿易摩擦やら貨物船『あかぷるこ丸』の失踪やらがあった関係で、両国とも驚くほど行動が早かった。結果、


「おい、ただちに真珠湾の『サウスダコタ』を出撃させろ。ジャップどもの好きにさせてたまるかってんだ!」


「呉にでかくて伝説的なのが1隻いる。舐め腐った態度のアメ公どもに、目にもの見せてやろうじゃないか!」


 といった具合に、どちらも虎の子を持ち出す始末となり、有視界距離で18インチ砲を向け合うまでになってしまった。

 もちろん、それ以外の艦艇とて負けてはいない。旭日旗を掲げたる愛宕型原子力防空巡洋艦の3隻は、同数のバンカーヒル級大型原子力ミサイル巡洋艦を相手に一歩も引かず、双方合わせて20隻超の駆逐艦や対潜艦もまた、何時終わるとも知れぬ徒競走に興じまくる。状況は静寂なる海中であっても似たようなもので、ほんの僅かな音響を頼りとしての追尾合戦を、現代の海の女王たる原子力潜水艦が繰り広げていたりするのだ。


 そして低く立ち込めたる雲海の上を、凄まじい数の航空機が飛び交っている。

 超音速突破の轟音を響かせて、目まぐるしき勢いで天翔けるは、『神鳳』や『エンタープライズ』といった航空母艦の艦載機。その少しばかり後方には、超重爆撃機やら空中給油機やらが護衛機とともに展開し、世界原水爆戦争の脅威を好き放題に撒き散らす。そうした中でもひときわ目立っているのは、翼長300メートル超、総重量6000トンの空の怪物『ユナイテッド・ステーツ』だろうか。米空軍とロッキード社が発狂した末に実用化してしまったこの原子力空中航空巡洋艦は、当然ながら最悪の運用性を誇っていたが……そんなものまで持ち出すくらいに、アメリカ人も本気なのである。


「いやしかし、どうするんだこれ?」


 並走する巨艦を双眼鏡で望みつつ、第一戦隊司令官たる斎藤中将は訝る。

 私物のそれでくっきりと艦影が判別できるくらいの距離を、あれこれ大改装のなされたモンタナ級の五番艦が、随伴艦を引き連れて威風堂々進んでいるのだ。『大和』と『サウスダコタ』といったら、今も現役を貫く戦艦の両横綱で、その対決を夢想する者は今も多い。とはいえ実際に起こり得るのは、お互い原爆砲弾を撃ち合って、あっという間に両艦とも焼け熔けたガラクタになる展開だけであろう。


「凄い数の海空兵器が集まってきておる。誰だかの学説によると、戦争とは化学反応のようなもので、一定以上の量が集まると自動的に反応が始まりかねんというじゃないか」


「といって退く訳にもいかんでしょうからなあ」


 艦長の西村大佐がぼんやりと言い、


「共栄圏諸国の手前もあります。国際商戦が国の大事となった今、指導国たる我々が下手をやると、米経済圏に転ぶところまで出てきかねませんので」


「まあその通りではある」


 斎藤は少しばかりコーヒー飲料を口にし、諸々を頭の中で整理する。

 退けないとしても、流石に無用の衝突は回避せねばならぬ。何しろつい数時間前、麾下の駆逐艦『峰雪』が米航空巡洋艦『ベローウッド』と衝突しかけ、Fワードだらけの抗議文を嫌というほどもらったばかりだ。類似の事例は他にも幾つも上がっているようだから、とにかく慎重を期さねばなるまいと思う。


 そうして暫く睨み合いを続けていたところ、不可解な報告が齎された。

 すなわち上空を蠅みたいにブンブン飛び回っていた米軍機が、どうしてか退き始めたとのことだった。理由はまったく不明。ただ先刻までやたらと挑発的な飛行を繰り返していたパイロット達が、急に物分かりが良くなったという訳では絶対にないだろう。とすると嫌な予感しかしてこぬもので、それから数分後、とんでもない爆弾が投げ込まれた。


「米戦艦『サウスダコタ』より入電。コレヨリ射爆演習ヲ開始ス、近傍ノ艦ハ注意サレタシ」


「おい、まさか」


 斎藤は呆気にとられ、思わずその方を凝視する。

 発砲があったのは、それから2分ほどの後だった。鎌首を擡げたる18インチ砲より放たれた、重量1.6トンの大口径砲弾。流石に『大和』とは反対の方向へと、超音速で飛翔していったそれは、30秒ほどして強烈な閃光へと変わった。言うまでもなく、炸薬の代わりに高濃縮ウラニウムが装填されていたのだ。


「マジかよ……」


「やっぱヤバいっすね米軍は」


 水平線上にきのこ雲がもくもくと立ち昇る中、艦橋に詰め掛けたる者達が口々に零す。

 不幸中の幸いと言うべきは、巻き添えがなかったことだろうか。10キロトン級の核爆発に伴う空電雑音のため、通信が困難となった部分はあったが、近隣の艦艇や航空機はいずれも無事であることが確認された。


 ただほっと息つく暇が、斎藤に与えられるはずもない。

 演習という名目であるとはいえ、米戦艦が原子砲弾を用いた以上、帝国海軍も同様の手法を採って均衡を回復させねばならぬ。目には目をのハンムラビ法典的な原理しか存在しないこの世界にあって、それは必然というべきもので……程なくして『大和』も原子射撃を実施し、何千トンという海水を蒸発させることとなった。





「おうおう、派手にやっとるようだな」


 占守島沖を侵入した後、再びこの海域に潜伏したU-8894。その艦長たるクレーマー中佐は、報告を総合しながら零す。

 大観艦式もかくやと思えるほどの水上艦が犇めく海原からは、猛烈な殺気と航走音、それから大衝撃が伝わってくる。最後のそれは言うまでもなく核爆発によるもので、既に10発の使用が確認されていた。もちろん今のところは、何もない海面を奔騰させているだけのようではある。とはいえ何らかの切っ掛けがあれば、お互いの艦艇や航空機を蒸発させ合う原爆海空戦が容易に勃発しそうな、一触即発の雰囲気が充満していた。


「ならばそれを後押しし、共倒れさせてやるのが得策というもの。総統閣下はそのように判断された。つまりは諸君、待ちに待った狩りの時間だ。これより"適切なる目標"を雷撃、轟沈させる」


「おおッ!」


 乗組員の静かなどよめきが伝わってくる。

 その成分を分析したならば、歓喜が9割、危惧が1割といったところだろうか。反応としてはまったく妥当なところと、クレーマーも理解する。世界原水爆戦争の引き金となってしまう可能性もあるが、これまでの経験からしてそれは決して十分に低く、であれば日米合わせて40隻超の艦艇を消滅に至らしめる好機となりそうだった。


 それから機密故、全員に伝える訳にはいかないが、素晴らしき欺瞞策もあった。

 すなわち搭載している原爆魚雷のプルトニウムが、リガ湾はルフヌ島の秘密施設で処理された代物だということだ。おおよそ核分裂物質というものは、僅かに含まれる放射性同位体の特性などから、製造元となる原子炉を特定できるとされる。であれば意図してそれらを添加してしまえば、鑑別を攪乱できるという寸法だ。まあ正確に言うならば、厳密な検査をすれば見破られる程度の誤魔化しにしかならぬようだが……更に何十発と原爆が炸裂するならば、まともな調査をする余裕もなくなるだろう。


「ところで艦長」


 副長が尋ねかけてきて、


「より取り見取り選び放題といったところですが、この場合はどの艦が適切でしょうか?」


「もちろん、でかいのを食らうのが一番だ」


 クレーマーはさらりと言ってのける。


「本艦の近傍を、ちょうど大戦艦が航行しているからな。このどちらかを目標とするのが適切だろう。状況からして雷撃の難易度はほぼ同じであるようだから、コインで決めてしまおう。表なら『大和』に向け奇数番の原爆魚雷、裏ならば『サウスダコタ』に向け偶数番の原爆魚雷を使用する」


「茶目っ気がありますな」


「潜水艦乗りには一番重要なことだろう」


 クレーマーは陽気に笑い、言葉通り謎の記念硬貨を取り出す。

 ギムナジウムに通っていた頃、オカルト好きの友人に貰ったそれで、彼は人生を決めてきた。例えば海軍士官学校を選んだのも、妻に結婚を申し込んだのも、つまるところはそれの導きで……すべてが上手くいったのだから、今回も同様と念じた矢先、最近父親になったばかりの二等兵曹の声がまたも割り込んだ。


「直下より低周波音」


「何ッ」


 すわ敵潜か。発令所に誰もが戦慄し、幾多の視線が報告者に集中する。


「何処の艦だ、級別は分かるか?」


「不明です。聞いたこともない音で、そもそも潜水艦のものとも思えません」


「分かった、引き続き報告を……おおッ!?」


 まったく予想外の事態に、乗組員は揃って仰天せざるを得なかった。

 何ら注排水操作を行っていないにもかかわらず、U-8894の大なる艦体が、突如として沈降し始めたのだ。何らかの対潜兵器を食らったか、あるいは厄介な自然現象に巻き込まれたのか。恐らく後者と直感できたが、今はそんなことはどうでもよい。ともかくも艦と100余名の乗組員を守るのが最優先で、クレーマーはよろめきながらも発令した。


「メインタンク排水、機関全速。急ぎ当海域より離脱するッ!」

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