日米貿易物理摩擦⑤

北太平洋:キスカ島沖



「何だ何だ、海から泡がブクブク出てきとるようじゃねえ」


「海底火山でも爆発したか? とするとトンズラしねえと拙いぞ」


 突沸的現象を真っ先に目撃した駆逐艦『キッド』の乗組員が、ガヤガヤと喚き立てる。

 実際、相当に危険な状況だった。気泡が噴出し始めているところまでは、未だ数海里ほど離れてはいるものの、何時範囲が広がってくるか分かったものではない。かつその圏内に捕らわれてしまったら、一巻の終わりとしか言いようがなかった。船を船たらしめている浮力そのものが喪われるのだから、あっという間に海底に引き摺り込まれてしまう訳で、船乗りにとっては海獣リヴァイアサンとの遭遇も同然の現象だった。


 そうした事情はすぐさま、艦長のバーンスタイン中佐の把握するところとなった。

 当然、決断されるべきは離脱である。自然現象相手に戦うなど、風車を相手に突撃するよりも無謀としか評せない。急ぎ駆逐艦隊司令に連絡し、とにもかくにも現場から距離を取らんとする。通信は平文かつ緊急周波数で行ったから、近傍の日本海軍艦艇が事態を理解できていなかったとしても、間違いなくこれで気付きはするだろう。それでも尚、遭難する艦が出てしまうのなら、それは単に間抜けだからに過ぎぬ。


「それにしてもまったく、とんだ災難だ」


 バーンスタインは冷や汗を拭いながら呻く。


「海には魔物が棲むというが、科学万能の現代にあっても、こんな厄介な現象が起こり得る訳だからな。とはいえ、災い転じて福となすとか言うんだったか? これでこの馬鹿騒ぎも収まるかもしれん」


「ですね」


 水測長のマンデル大尉が肯き、少しばかり考え込む。


「それにもしかすると……『あかぷるこ丸』でしたっけ。事の発端になった日本貨物船も、これにやられたのかも」


「なるほど、あり得るな」


「はい。気泡の噴出がもっと凄まじかった場合、ほんの十数秒程度で船舶が沈没してしまうことも十分考えられ、その想定では実際、SOSを打つ余裕すらないことも……」


「な、何だァ!?」


 誰かが大声で叫んだ。彼の指差す方へ、大勢の視線が集中する。

 泡立つ海原の端で、あまりに巨大な鯨が跳ねた。相当な急角度で浮上してきた後、サブンと水飛沫を上げて停止したそれは、あからさまなまでに原子力潜水艦だった。


 そうして当然のように、捕鯨銛の名を冠した兵器が準備される。

 とはいえ浮上しての誘導弾攻撃を行うといった素振りも、また再度の潜航をする気配もなかったので、発射寸前のところで駆逐艦隊司令より待ったがかかった。水上艦にとっての天敵たるそれが、ドドンと間近に居座っているとなると、まったくもって気が気でない。とはいえ命令である以上、従わざるを得ないのが軍人だ。


「しかしありゃあ、何処の艦だ」


 バーンスタインは怪訝な面持ちで、


「ジミー、お前確か詳しかったよな?」


「あッ、はい」


 硬直した感を漂わせていたマンデルが、慌てて双眼鏡を対象に向ける。

 恐るべき原子力潜水艦がほぼ真下にいたのに、今までまるで気付けていなかった。かの大失態に押し潰されていたのかもしれないが、彼はどうにか正気に戻って分析する。


「艦影からして、恐らくドイツ海軍の最新鋭原潜たるLXI型かと。目撃例がほとんどないため推測になりますが、特徴が情報とほぼ一致しております」


「なるほど。何でまたUボートがこんなところにいるんだよ」


 かの問いに対する回答は、当然ながらなされない。

 ただまた変な思想を拗らせたナチ党の連中が、余計なことをしでかしていたのではなかろうか。誰もが顔を見合わせながら、そんな具合に思ったようだった。





ワシントンD.C.:ホワイトハウス



 ドール新大統領はこのところ、諸々の引き継ぎに追われまくっていた。

 黒人イスラム過激派の連続爆弾テロによって前任者が殺害されてしまい、急遽副大統領より昇格したが故である。大戦末期、神経化学爆撃によって閣僚がごっそり喪われるという経験があったことから、事前の準備はそれなりにできていたし、円滑に権力を継承することもできた。それでも故人を悼む暇もあまりないくらいには激務で、燃え上がるような愛国心と世界最大の国家を率いる自覚を胸に、どうにか頑張っているのである。


 そうした中で気を休められる時間があるとしたら、それこそ就寝中くらいだろう。

 実際、少々遅めの夕食も、現在進行形の軍事的緊張に絡む説明を受けながらのものとなっている。何より厄介なのは、事の詳細について冷静かつ理知的に話す国防長官のコーエンが、とんだ食わせ者であることだ。これまた怪しからぬ統合参謀本部議長ののパーク大将と結託して、北太平洋の小火にガソリンを注いでおり……しかも経済学と軍事学を統一したと称する、奇妙な説得力を有する独自理論でもって己が判断を弁解し、追及を煙に巻く能力にも長けているのだった。


「ともかくも大統領、ゲームはまだ続いておるのです」


 居並ぶ重鎮達を前に、パークは淡々と喋り続ける。


「それから我々から先に降りるという選択肢は、やはり存在しないと言わざるを得ません。原爆砲弾を用いた演習を実施することにより、69%の確率で日本艦隊を退却させ得るという見積りにつきましては、確かに外れた形にはなったかもしれませんが、現在の経済環境を不確実性分析に関するサーストン=エインジェル方程式を用いて説明いたしますと……」


「サイモン、英語で頼む」


 レアステーキをナイフで切り分けながら、ドールは思い切り顔を顰める。


「君は大変に頭がいいし、幾つか博士号も持っておるのかもしれんが、ここは君の研究室でも学会発表の場でもない。もっと簡潔に、重要なところだけ話してくれんと、牛肉が喉を通らなくなる」


「申し訳ございません、大統領」


 あまり悪びれた感のない口調でコーエンは詫び、


「つまりは我々に有利な形で決着する確率が、現段階でおよそ78%もあるということです。また時間経過は我々に味方をしますから、何なら交渉を一度ひっくり返してしまっても問題ありません」


「サイモン、君に通商代表を兼任しろと言った覚えはないのだがね」


「言葉が過ぎました。とはいえ以前と違い、貿易黒字を計上しているのはこちらです」


「なるほど」


 ドールは肯き、口の中にステーキを放り込む。

 肉質のしっかりとした赤身と香ばしいガーリックソースの妙を楽しみながら、彼は少しばかり思案する。似たような発想で事を進めた挙句、とんでもない大惨事を招いた事例が、真っ先に頭に浮かんできた。この中に間抜けな民主党員などいるはずもないし、前提条件がまるで異なるが故に的外れと主張することもできるのだろうが、歴史は繰り返さないが韻を踏むというものだ。


 そうして咀嚼を続け、コーエンの尚も喋りたそうな相を無視していたところ、執務室の扉を開く者があった。

 入ってきたのは連絡将校と思しき人物で、寡黙だが内心の読めないパークの許へと駆け寄る。何らかの耳打ちがなされ、制服組のトップは珍しく驚異の露わにした。想定に反する事態であることは間違いなさそうだった。


「バート、いったい何があったんだね?」


「大統領閣下、報告いたします」


 パークはひと呼吸置き、


「本日18時半、現地時間午前11時半頃、キスカ島南方沖――すなわち我等が合衆国軍が日本軍部隊を牽制している海域において、海底火山活動が原因とみられる現象によって大量の気泡が放出されました。これを受け、太平洋艦隊麾下の艦艇はただちに退避を開始しましたが、その際にドイツ海軍所属と見られる原子力潜水艦が近傍に浮上するのを確認した、とのことです」


「やたら早口な上に情報量が多い……それで何、ドイツの原子力潜水艦だと?」


「はい、大統領閣下。間違いなく、ドイツの原子力潜水艦が、我々の艦の近傍に浮上いたしました」


「どういうことなんだ」


 盛大に眉を顰めながらドールは毒づき、濃く淹れたコーヒーとともに情報を呑み込む。

 俄かには信じ難い話であったが、裏は取れているようだった。数年前に新設された海洋大気庁から、アリューシャン沖で何らかの地球科学的現象が起こったとの報告が上がってきていた。また戦艦『大和』を始めとする忌々しい艦艇を繰り出し、あからさまな挑発を仕掛けてきた日本海軍も、同様に蜂の巣を突いたような騒ぎになっているようで、本国との間で盛んに通信がなされているとのことであった。


 それから先程までは意気揚々としていたコーエンを見やり、しどろもどろぶりに呆れる。

 ベーリング海峡には濃密な聴音網が敷かれているから、それが突破されると考え難いのは事実。とはいえウナラスカ島沖で領海侵犯事案が発生した時、彼は真っ先に日本の仕業だと断定していた。結局のところそれは、かつて何処だかで食中毒空母に煮え湯を飲まされたという個人的怨恨が故のものだったのかもしれないし、あるいは方程式に余計な項を入れたくないという発想に基づいていたのかもしれないが……どうしてこんなのが国防長官に任命されたのだろうかと首を傾げる。

 そしてドイツ人の、明白に二虎競食の計と思しき意図について考察し始めたところで、ドールは唐突にハッとなった。少し前、中央情報局長官より説明のあった内容と、完璧に符合すると気付いたのだ。


「なあバート、君は少し前、在仏独軍の動きがおかしいと言っていたな?」


「はい、大統領閣下。しかし本件とは……」


「おい、分からんのか? 北太平洋にドイツの原子力潜水艦がやってきたのは、ほぼ間違いなく陽動で、本命は恐らくスペインだ。現在あの国では、何十年も総統をやっておったフランコとやらが危篤状態にあって、再度の内戦に至る可能性があると、ラングレーがレポートを寄越してきておった。つまりナチどもはまたもコンドル軍団を送り込み、イベリア半島を掌握せんとしておるんだ」


「大統領閣下、大陸欧州の安全保障環境につきましては、ウィルコックス法を用いて考えますと……」


「サイモン、君の三文数学もどきなどもう聞きたくない。三体問題ですら解が定まらないというのに、その比でなく複雑怪奇な運動をする国際情勢が、そう易々と解けてたまるか」


 ドールは少々声を荒げ、怪理論をバチンと弾き飛ばした。

 続けて海底火山活動を理由として艦艇と航空機を撤収させ、大西洋および北アフリカ方面の警戒を厳とすべしとの判断を下す。本土の即応師団2個を動員し、48時間以内に緊急展開可能とさせることも忘れない。傍から見れば、行き当たりばったりも同然だったが、彼はまったくもって真剣で……オーストラリアはメルボルンにて、厄介な東洋人を相手に火花を散らしているはずのオブライエン通商代表にも、適当なところでさっさとまとめろと命じてしまった。


 そして驚くべきは、それから程なくして、思考あるいは言霊が現実化してしまったことだろうか。

 王政復古を間近に控えた1979年12月6日、マドリードのモンクロア宮殿付近にて、出力3キロトンと推定される"出所不明"の原子爆弾が炸裂。即位を予定していたカルロス皇太子および閣僚の大部分が、数万の市民とともに吹き飛んでしまった。それを切っ掛けとしてほぼ無政府状態へと陥ったスペインは、救援を名目として押し入ってきた独仏伊と米英の軍勢によって国土を分断され、かつてのそれが児戯にも思えるような戦乱へと突き進んでいくのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る