日米貿易物理摩擦⑥

メルボルン:ウィンザーホテル



「まず貴国から艦隊を退かせるべきだ。交渉はそれからでなければならない」


「ああ? いきなり原爆演習なんぞ始めやがったのはそちらだろうが。大概にしやがれ」


 といった荒れ模様だった通商交渉は、昭和55年に入るや否や、あっという間に鎮静化した。

 もちろん欧州情勢がきな臭いというか、プルトニウム臭くなってきたからに他ならぬ。実際マドリード某重大事件を機に、ほぼ南北に分割されてしまったスペインでは、今も一触即発の軍事的緊張が続いている。ドイツ軍が原子列車砲を運んできたので、米英軍は原爆地雷や携行原子ロケット弾を持ち込むといった具合で、そこに進歩があるとしたら、かつてのように電子装置保温用のニワトリを使わなくなったことくらいかもしれぬ。


 そんな訳で、テーブルに土足をドンと乗せんばかりの態度だった米通商代表団も、随分としおらしくなってきた。

 これは別のところでまとまった件ではあるが、既に日米英は核分裂物質鑑識情報の共有を始めており、ソ連邦もそこに加わる予定であるという。そうした合意形成の気風は、協議の場となったメルボルンにも及んでいるのか、懸案となっていた関税率については、おおよそ2年前の水準に戻すことでまとまりつつある。更には成立から四半世紀の通商航海条約を改訂し、最恵国待遇を認め合ってはどうかという案も、一応は出てきているようだった。

 かような具合となってくると、交渉相手を三日月刀で威圧する目的で連れてこられていた高谷代議士も、ほぼ用済みである。淡々と進む議事を適当に聞き流すくらいしかやることがなく、まったく退屈していたところだった。


「とはいえ……メリケンども、何を考えておるのか分からん」


 豪奢なウィンザーホテルの一室にて、高谷はううむと唸る。

 それから今年で米寿の彼は、年寄りの冷や水なんて言葉を吹き飛ばすように、無雑作に氷を入れたグラスに紅茶を注ぐ。お高くとまった従業員は、植民地人式の邪道な飲み方だと顔に書いていたが、そんなことは構わずにグビリとやった。


「ありゃあいったい何だ、横文字でロビイストとかいう奴か? そんなんが俺を相手に、急に泣き脅しをかけてきおった。このままでは自分はクビで、一家離散だとか何とか。当然、適当にあしらっておいたがな」


「おやまあ」


 呆れた声を漏らすのは、当選同期の寺門代議士。

 政界でも無任所の独立遊撃隊な誰かとは違い、商工政務次官なんて役職に就いている。大戦中は『天鷹』の乗組で、女形の格好をして「一航戦が何ぼのもんじゃい」などと変テコな歌を吟じていた一等水兵が、随分と出世したものであった。


「まあ米側も、相当に厳しくあるのかもしれません。国内が人種暴動と爆弾テロだらけなのは今更として……イベリア半島に展開している兵力は既に10万を突破。数合わせの傭兵部隊を足しても尚、米英は地上戦力において劣位ですから、規模は更に増大する見通し。それに加えて、金食い虫で有名な戦略空軍部隊も、例によって動員状態に入っておるようです」


「つまりどうなるんだ?」


「戦争準備も政府事業に分類されますから、その支出規模が増大することによって金利とドルの急騰が見込まれ、民間経済を圧迫する可能性が予想され始めているのかと思われますよ」


「なるほど、分からん」


 詳細を放り投げ、とりあえず景気が悪くなりそうだという部分だけ理解する。

 そうして再び氷紅茶など口にしていると、やたらとさもしい行動が目に付いた。どうしてか随行団の一員として、この場にやってきてしまったヌケサクこと抜山退役主計中佐が、余りもののローストビーフなどを見繕っては、せっせと容器に詰め込んでいるのだ。元々金魚のフンみたいにくっついてきては、タダ飯にありつこうとする人物ではあったが、還暦をとうに過ぎてもこれとは、雀百まで踊りを忘れぬという言葉の通りとしか言いようがない。


 それから余計に腹立たしくなるのは、眼前の吝嗇家が相当の資産家でもあることだろう。

 陸海軍の経理学校出身者が結託し、それぞれが知り得た内部情報の集積と分析を独自に実施、先物だの株式だのの取引に役立てていた。実のところ大戦前から暗躍していた"連絡会"の所業というのはそんなところで、特務機関として妙に優秀な側面があったため、多少の目溢しをされていたらしいのだが……暴走が過ぎるようになったからか、数年前にガサ入れを食らっていた。ただ抜山だけはどうしてか、追求の手を見事に逃れてしまっており、不正蓄財も押収されぬまま。強引にであれ選挙資金を出させたりした以上、それが暴かれたら自分にも累が及びかねないが、やはりどうにも複雑な気分になってくる。


「おいヌケサク、みっともない真似は止めろ」


 内心の蟠りを吐き出すように、高谷はピシリと叱責を飛ばす。


「だいたいお前、俺もつい最近まで把握しとらんかったが、随分な金持ちなんだろう?」


「いや先生、大部分は勝手に動かせぬ資産でして」


 抜山は相変わらず飄々と回答し、


「加えてなかなかに運営経費も嵩むと言いますか。故に常に節減を心掛け、資金ショートを回避せねばならんのです」


「相変わらず口八丁は得意だな、おい」


「それはそうと、先のロビイストですか。いったい何処の誰だったので?」


「こいつだ。このロバートソンって奴だ」


 無骨な名刺入れを漁り、欧米人にしては珍しい形式で手渡されたそれを取り出す。

 すると抜山の眼光がギラリと輝く。例によって手帳が捲られ、当該人物についてあれこれ記した部分で止まった。まったく手際がよいものだと、こういう場合には感心である。


「ああ、ロバートソン氏の素性がおおよそ分かりました。ロサンゼルスを拠点とする企業弁護士法人で取締役をやっておる、あからさまなまでに自動車業界の回し者といったところです。付け加えるならば、以前シンガポールでこの人物の眷属が動いておりました」


「つまり何だ……」


 高谷はあからさまに眉を顰め、


「大東亜を蚕食せんとする、悪辣な米資本の手先ということか? 今ではほぼ整理が終わったものの、明治の始め頃なんざ、欧米列強の植民地と特殊権益地帯だらけだった」


「流石にそれは時代錯誤が過ぎる認識かと」


 抜山は再び手帳を捲り、


「シンガポールに部下を送り込んでいた理由も、何処かに工場を建てられぬかと内容だったようで……むしろこれであれば、泣き脅しに応じてやってもいいかもしれません。形式的には、米国への譲歩となりそうですし」


「ヌケサク、本当に抜け策なことを言うなよ。外資なんぞ呼び込んでどうする?」


「むしろ米国労働者の雇用をそれだけ分捕れると考えては如何かと。率直に申し上げまして、こんなものが恩になる方が驚きですが……米国は資本家層と労働者層の乖離が依然として激しい国である上、金利上昇とドル高の見込みによって貿易条件が悪化するのはほぼ間違いありませんから、ここで米国から大東亜への投資を容易たらしめることで、我が国としてもより大きな利益を得られるようになるかと。それに最悪、問題が起きたとしても、原水爆を何千と有しているのだから大丈夫でしょう」


「ううん。寺門君、ヌケサクの説明は正しいんかね?」


「特に間違いはないかと」


「なるほど、そうなのかね」


 渋々といった具合であったが、高谷は肯いた。

 続けて何とかモデルに当てはめ、変動相場かつ資本移動があれば云々という寺門の解釈をぼんやりと聞く。用紙に図示されたそれが如何なる意味であるのかは、相変わらずチンプンカンプンであったにせよ、学問的な裏付けがありそうなことは理解できた。後世畏るべし、あるいは老いては子に従えと、昔から言うものである。


 とすれば……善は急げといったところだろうか。

 諸々の整理が終わった後、高谷は名刺に記されていた番号に連絡し、まず無作法を軽く詫びた。それから詳細は後で詰めねばならぬにせよ、前向きに検討できるかもしれんと、官僚答弁的でない口調で伝えておく。ロバートソンとやらの声色には、職業に特有の高慢さがあると電話越しにも思えたが、国益のためにはあらゆるものを利用すべきなのは言うまでもない。


「まあしかし、俺もちったァ仕事したかね」


 高谷は剛毅に笑い、


「まだいまいち理解できんところがあるが、御国のためになったのなら何よりだ」


「ええ。猛犬めいて咆哮するばかりよりは圧倒的に」


「ヌケサクてめえ、この野郎」


 瀟洒な椅子を後ろに傾け、高谷は軽く小突かんとした。

 ただその直後、己が身体が一気に倒れ込むのに気付く。そうして態勢を立て直す余裕もないまま、彼は凄まじい勢いで後頭部を床に打ち付け、意識を失ってしまった。つまりは尋常小学校低学年の子供がやりそうな馬鹿を、米寿の代議士がしでかしてしまった訳で……寺門と抜山は唖然とし、またかとばかりに顔を見合わせる。


 もっとも今回ばかりは、当たり所が少々悪かったようだった。

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