煉獄への階段①

大西洋:スペイン西方沖



 ダブリンの奇跡と呼ばれた合意が成立したのは、1982年3月のことであった。

 依然として国交を回復させる気配すらない米独の代表が、一応は笑顔で握手を交わした。これだけでも大変な驚きだというのに、スペイン39度線を挟んで大軍勢が対峙している状況において、イベリア半島から原子兵器を完全撤去するという約束が、どうしてか交わさてしまったのだ。当然多くの者が耳を疑い、とんでもない陰謀論が吹聴されもした。それでもスウェーデンやスイス、アイルランドといった中立国からなる合同査察団が、数多の記者やらカメラマンやらを引き連れて現地入りするに至り、雪解けの季節が本当に訪れたと大勢が思うようになった。


 ただ惜しむらくは、緊張緩和が長続きしなかったことだろう。

 非核化完了宣言の数か月後に実施された米英の"無尽の剣"演習に、ベルリンの新たな主となったギースラー総統がどうしてか過剰に反応。それまでになされた外交努力の成果が、あっという間に雲散霧消してしまった。しかもその翌年には、ヒースローへと向かっていたヴァリグ・ブラジル航空第180便がビスケー湾上空で撃墜されたり、ベイルートに潜伏していた狂信的シオニスト集団がドイツ人観光客を殺戮したりと、とにかく陰惨な事件が立て続けに発生し……ほぼすべてが元の木阿弥となってしまったのだ。

 なお例外的に、原子兵器持ち込み禁止は効力を保っているようで、そこに好機を見出す者もあった。その代表格が合衆国の現職大統領たるワインバーガーで、彼は些か冒険的な賭けに出る決断を下した。すなわちイベリア半島全域において行われる、通常兵器のみを用いた先制攻撃である。


「でもってその一番槍を任されたのが、俺等って訳だ」


 米空軍屈指の戦闘機乗りなるロドリゲス中尉は、眼前の漆黒の空を睨みながら意気込む。

 彼が五番機を務める第14戦闘飛行隊は、真新しいF-16で揃えられていた。しかも原子力空中航空巡洋艦『ユナイテッド・ステーツ』の艦載機であることから、普段以上に多くの兵装が搭載されてもいる。先祖の土地を再び侵犯した国家社会主義の軍勢に向け、それらを発射する瞬間を、彼はとにかく心待ちにしていた。


「エスパーダリーダーより各機」


 長機のウィルソン少佐が無線封止を破り、


「敵は罠にかかった、北に向け急行中の模様だ」


「おおッ」


 ロドリゲスは思わず声を上げ、喜色を露わにする。

 スペイン北岸に展開している移動警戒レーダーや地対空ミサイル。目標たるそれを粉砕するに当たって最大の障害となる鉄十字の翼が、コーンウォールより大挙出撃した友軍機により、見事誘引されているということだった。


「つまり舞台は整い、俺等はベストを尽くせるようになった。各機、これよりベストを尽くしに行くぞ」


「エスパーダ02、了解」


 二番機を駆るメイソン大尉がまず応答し、更に隊の仲間が続く。

 ロドリゲスも順番を待った後、渾身の力を込めて命令を受領。そうして点呼が完了した後、編隊はパッと解かれた。分隊ごとに目標が割り振られているためで、鋭い旋回を経て緩降下へと移る。敵性のレーダーを回避するのに低空飛行が有効であることは、物理法則がおかしくならぬ限り変わらぬから、高度計を頼りに海面ぎりぎりを飛行していく。


 そして更に数分が経過したところで、遂に火蓋が切って落とされた。

 すなわち真に一番槍たる巡航ミサイルの弾着が始まり、ビーゴ近郊に居座っているドイツ人やフランス人が、寝ぼけ眼で防空システムを作動させ始めたのだ。水平線付近に瞬く光は、高射砲あるいは地対空ミサイルのものだろうか。ともかくも様々な帯域において、電磁波輻射がなされているようで、それだけでも奇襲成功が確信できた。


「次は俺等の番だ」


 操縦桿を握る力を僅かに強め、ロドリゲスは宣言する。

 僚機に待機を命じ、上昇。機体は盛大にレーダー波を浴び始めるも、同時に照準装置が輻射源を特定していく。当然それら情報は、両翼に提げられたるAGM-88へと転送され……準備はすぐさま整った。


「さあ、プレゼントを受け取りなッ」


 咆哮とともに親指が動作し、発射ボタンが勢いよく押された。

 かくして切り離されたる2発のミサイルは、コンマ数秒の自由落下の後、固体燃料を轟然と燃焼させて大加速。音速の3倍ほどにまで到達したそれは、一直線に目標へと吸い込まれていき、約150ポンドの爆風破砕弾頭が起動した。爾後の航空作戦を実施する上での脅威がひとつ、それによって取り除かれたようだった。


(ただ……いや、大丈夫だ)


 攻撃を終えたところで、ロドリゲスは若干の不安を覚え、すぐさまそれを振り払った。

 曾祖父の暮らした土地よりナチどもを追放し、忌まわしき思想から自由世界を守るべし。今は確固たる意志と闘争心こそが肝心で、余計な雑念など害になるだけだと、彼は自身に言って聞かせる。実際そうでなければ、後続する友軍機が危険に晒されたりしかねないのだ。





バレンシア近郊:田園地帯



 1984年6月29日未明に発動したレコンキスタ作戦は、絵に描いたような奇襲となった。

 四方八方からイベリア半島に襲い掛かった米英空軍800機と、それにほぼ倍する数の巡航ミサイルは、北スペインに張り巡らされたる防空網を瞬く間に半身不随とした。しかもその後、大西洋上で待機していた戦略爆撃機が大挙して侵入。出撃機の1割強という決して少なからぬ損害を被りながらも、最新鋭の精密誘導兵器でもって滑走路や司令部、通信施設などを猛爆し、数に驕れる国家社会主義の軍勢を、揃って麻痺状態に陥らせることに成功したのである。


 もっとも空軍力による戦果というものは、往々にして一過性のものであったりもする。

 それ故、最も重要となってくるのは、初動において確保した優位を如何に有効活用するかだった。そしてその第一人者は自分を置いて他にないと、合衆国陸軍第35機甲連隊を統率するダッソー大佐は自負していた。彼がモットーとしているのは、珍妙なフランス風の姓が示す通り突撃。ともかくも圧倒的衝撃力をもって敵陣を悉く破りながら、燃料が切れるまで遮二無二戦車を突っ走らせることこそが、今は何よりも求められているはずだった。


「そうだ、止まるんじゃねえぞ!」


 尋常でない高揚感に酔いながら、ダッソーは敢然と叫ぶ。

 タラゴナへと至る州道を駆ける何十というM70戦車が、それに呼応したような気がした。夜明け前に行動を開始した肉食獣の群れは、赤外線暗視装置でもって鉄十字の同族を食い千切りながら進撃し、既に25マイルもの距離を稼いでいた。多少の脱落車輛はあったが、十分に許容範囲内ではあった。


「敵火点があれば即座に砲撃、敵司令部があればすぐさま蹂躙。敵補給処があれば焼き討ちあるいは強奪し……何が何でもアクセル全開で突き進め。さすれば勝利の果実は熟し、自ずと落ちてくるというもの」


「連隊長、前方に車輛多数」


 先鋒を任せた第1大隊のクレイトン少佐より連絡が入り、


「道を塞いでおります。如何いたしましょう?」


「ニック、聞くまでもねえだろ。撃て」


「ええと、連隊長、渋滞中の民間車輛の可能性がありますが」


「まず撃って、それから質問だ」


 ぶっきらぼうに命令し、実際そのようにさせてしまう。

 結果的には、クレイトンの方が正しかったようだ。残っていた避難民か何かが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、甲高い悲鳴が聞こえてきたようにも思えた。ただこれで車輛は無人となっただろうから、体当たりで弾き飛ばすのに都合がよい。


「ともかくも全速前進、減速厳禁だ」


 ダッソーは些かの狂気を滲ませ、恨めしげなる者どもの視線を無視した。

 それから改めて腕時計を一瞥し、あまり余裕がないことを再確認する。日が暮れるまでにあと10マイルほど距離を稼がねばならぬし、この先何処で敵の抵抗に遭うか分かったものではないから、1分1秒であっても時間を無駄にはできなかった。兵力において劣る側が奇襲的に戦端を開く場合、緒戦において敵主力を殲滅してしまう以外、勝ち筋は見えてきはしないだろう。





ワシントンD.C.:ホワイトハウス



「いやはや、案ずるより生むは易しという言葉の通りだな」


 執務室で悠々とコーヒーを飲みながら、ワインバーガー大統領が得意満面に言う。

 スペイン全土において現在進行形で実施されている作戦は、彼が西翼地下のシチュエーションルームに缶詰になる必要がないくらいには円滑に進んでいた。事実、開戦劈頭に行われた空陸一体の大攻勢により、軍事境界線付近にあった独仏4個師団が壊滅。更には最精鋭の第1機甲軍団がタラゴナに上陸した海兵師団と連絡し、一転北西へと驀進し始めていた。もう間もなく始まるビルバオ着上陸と合わせれば、見事な大包囲が形成されることとなる。


「ディック、確か君は本格的な徴兵動員を実施する他、イベリア半島での劣位を回復する方法はないと分析していた気がするが……現状を見てどう思うね?」


「大統領閣下、まったくお見それいたしました」


 妙な汗をかきながら、国家安全保障担当次席補佐官のオブライエンは追従を述べる。


「兵力において我に不利があるならば、敵を奇襲して減らしてしまえばいい。自分達の有利を確信し、攻められるとは露も思わぬ敵は、これで効率的に叩き潰すことができる。並の大統領であったならば、たとえ思いついたとしても、絶対に決断できないでしょう」


「だろうな。支持率もまさにV字回復で、むしろ平方根記号になりそうだというじゃないか」


 まったく上機嫌なる声。それを一応聞きながら、頭の中で経緯を整理する。

 ドイツを中心とする大陸欧州諸国は合計300万の地上兵力を現有しており、そのうちの一部をイベリア半島に投じただけで、あっという間に自由世界の軍勢は不利となってしまう。かような現実認識に基づいた慎重論を弱腰と断じた末、無茶苦茶な作戦計画の立案が指示されたのが、概ね半年ほど前のことだった。以来、閣僚が解任されたり補佐官が自殺未遂を起こしたりといった事件が頻発。オブライエンもまた通常兵器のみを用いた先制攻撃の素案の作成に携わりながら、大統領の頭脳がおかしくなったのではないかと訝ったりしていた。


 だが実際に蓋を開けてみると、これが驚くほど上手く進捗しているのである。

 もちろん当初は誰も彼もが唖然とし、世界原水爆戦争の恐怖が囁かれまくったことから、買い占めや暴動があちこちで起こったりもした。だが開戦から数日が経過しても尚、ニューヨークやシカゴへの大陸間弾道弾攻撃も発生せず、それどころか小規模な核爆発すら確認されなかった。すると平静を取り戻しつつあった市民達は、それまでの狼狽えぶりなど一切覚えていないかの如く態度を翻し、ワインバーガー政権とスペインでの限定的戦争を祭めいて支持し始めたのだ。

 つまりすべては、眼前の人物の思惑通り。何度目だか分からぬが、オブライエンは改めて驚嘆の念を抱き……そこでふと、大変気になっていたことを思い出す。


「ところで大統領閣下」


 オブライエンは意を決し、


「前々回の国家安全保障会議において、ダブリン合意の他にも、ドイツが原水爆を使用できないと確信するに足る根拠があると仰っておられましたが……それについて、そろそろ明かしていただくことは可能でしょうか?」


「ああ、私の直感だよ」


「えッ」


「冗談だ。まあそうとでも思ってくれ、君にだって明かせない機密はあるんだからな」


 悪童めいた笑みを浮かべ、ワインバーガーは煙に巻く。

 とはいえオブライエンは、どうにか顔に出さなかったものの、猛烈に嫌な予感を抱かざるを得なかった。つまり本当にすべては個人の直感で、ドイツが原水爆を使用しないという根拠など、実際には何処にもなかったのではないかと。

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