煉獄への階段②

バスク州:ビルバオ近郊上空



「ミサイル、ミサイル警報」


 警戒装置の耳障りな音声が耳朶を叩く。

 国際義勇航空軍所属のピーリス少佐は、その意味を頭で理解するより先に、必要な操作を行っていた。急速接近する脅威を逸らすべく、愛機たるMig-29にフレアを連続射出させたのだ。


 直後、先程までと逆方向に機体を横転させ、操縦桿を引いて急旋回。

 ドイツ製の赤外線誘導ミサイルは欺瞞にかかり、明後日の方向に突き進んだ末に炸裂した。けたたましい警報音が消失する。代わって強烈無比なGが身体を襲い、視界も色褪せていくようだったが、特殊薬剤まで服用して鍛え上げた心身は、その程度で音を上げたりするほど軟ではなかった。


「攻守逆転」


 前方へと押し出した敵機を睨み、ピーリスは淡々と呟く。

 ミラージュの新型と思しきフランス空軍機は、追従攻撃を振り切らんとブレイク。しかし運動性能に勝るMig-29を相手としたそれは、自殺行為と評する他なかった。


(この場合に正解となるのは急降下)


 何処か醒めた頭で分析しながら、一気呵成にアフターバーナーを吹かす。

 敵機は大慌てで回避を試みているようで、その動きを読むのはまったく容易だった。四肢を操縦系と一体化させ、無駄な運動なしに距離を詰め、当然の如く六時を取る。


「選択、機関砲」


「敵機、射程内、交戦」


 唇より漏れるは実に機械的な宣言。同時に目標の未来位置を見定め、躊躇なく射撃した。

 闘争本能を励起する震動とともに放たれた30㎜機関砲弾が、光の束となって蒼穹を切り裂く。寸秒の後、それらが描きたる奇跡は、捕捉したる目標のそれと交叉した。優美なるデルタ翼がパッと爆ぜ、砕ける。少なくとも戦闘能力は奪ったと確信されたところで、敵機は炎に包まれた。


 そうして自身に迫る脅威を排除し得たところで、高圧縮言語を用いた無線交信を実施する。

 隊の状況を確認するためで、仲間達は次々と応答。空戦の結果として残弾が心もとなくなった機はあったが、誰ひとりとして欠けてはいなかった。それも至極当然のことだろう。国際義勇航空軍第3戦闘飛行団に属するパイロットは皆、対ファシスト決戦兵器として養成された強化人間であるから、こんなところで損耗していいはずがないのだ。


(ただ……)


 少々下品な管制官達の声に注意を傾けつつ、ピーリスは少しばかりの疑念を抱く。

 スペインを侵犯したるファシストどもを撃滅し、この地方の同志達を支援する意義は、彼女はよく理解してはいた。それでも対ファシスト決戦の時は何時になるのかと、やはり思わざるを得なかった。特に米英と独仏がイベリア半島で激突している今こそ、ウクライナを解放する好機であるはずなのに。





カタルーニャ州:丘陵地帯



「おいレアンドロ、お前ってば昨晩は上手くやれたんだって?」


「ああ、よかったぜ。銃ってのはまさに即席モテモテ道具だな」


 やたらと治安の悪い雑談が、州道沿いの陣地で何気なく繰り広げられていた。

 一帯の守備を命じられている者達が話すのは、もちろんスペイン語である。ただ概して士気旺盛とは言い難く、規律は元より持ち合わせていないかのようだった。それから戦闘には役立ちそうにないものが、背嚢に詰め込まれていたりもした。つまるところ住民が逃げ出した後の市街において、換金できそうな物品を漁って回った訳で、地元住民との関係も良好であるはずがない。


 もっとも連合国軍欧州戦線最高司令部のお偉方は、無軌道を見て見ぬ振りをするばかりだった。

 というのも多種多様な問題を起こすのが、大西洋の向こうからやってきた傭兵達であるためだ。合衆国軍の慢性的な員数不足を受けて設立された民間軍事会社が、中南米諸国においてそこそこの賃金でチンピラゴロツキの類を集め、時代遅れの兵器を持たせて戦地に送り込んでいたのだ。当然ながら、まともな戦力になるとは一切期待されていない。それでもイベリア半島に展開する部隊の何割かがこうした連中であったし、治安維持と限定的な防御戦闘くらいはできるだろうと判断されてもいて、故に多少のことは目を瞑るようにとの通達が、隠密裏に飛んでいたりしたのである。


「まあでも、俺ってば割と信心深くってよ」


 ガラの悪い傭兵が、ロザリオを手にして言う。


「せっかく先祖の地に来たんだ、有名なバルセロナのサグラダファミリア教会ってのを早く見てみたいんだよ」


「ホセよお、お前新聞くらい読んでおけよ」


 馬鹿にしたような口調がすぐさま返り、


「どうせ完成しないから構わんだろうと、ナチどもが爆破しちまった。昨日の記事にそう書いてあったぜ」


「えッ、マジかよ許せねえ」


「こうなったら俺もドイツ人をしこたま殺して、填めてる金歯でも……ん、ありゃ何だ?」


 傭兵の1人が何かに勘付き、稜線付近の空を指差した。

 それから顔を真っ青にして、M113装甲兵員輸送車を納めたる壕へと逃げ込んでしまった。元々臆病者と見做されがちな若輩だったことが災いし、仲間のおおよそ8割ほどは、彼の後ろ姿に軽蔑の眼差ししか送らなかった。その代償はあまりに大きく……数十秒ほどの後、陣地に15㎝ロケット弾が降り注ぎ、幾人かが永久に減らず口を叩けなくなった。


「糞ッ、敵の砲撃だッ!」


「こんなところで死ねるかよ」


 誰もが一瞬狼狽え、しかし塹壕や蛸壺へと迅速に退避していく。

 スペインにおける戦争は、米英を中心とする連合国優位に進んでいるはずだった。故に鋼鉄の暴風も一過性のもので、逼塞していればどうということはない。凄まじい爆音が耳を劈き、濛々たる砂塵が巻き上がる中、口内に侵入した砂を吐いたりしつつ、傭兵達は無理に猥談などして耐え忍ばんとした。


 とはいえ時間が経過するにつれ、動揺が次第に広がっていく。

 これまでの経験に基づく予測に反して、砲撃が止む気配がまるでなかったのだ。もしや本当にろくでもない展開になろうとしているのではないか。あまり学のない大勢がそう思い始め、生理的恐怖と混乱が蔓延してきた頃、慣れぬ地鳴りが響いてきたのだ。


「おい、まさか」


 程なくして正面よりやってきたのは、もちろんそのまさかだった。

 トゥールーズ南方にて再編中であるはずだった、ドイツ陸軍の最精鋭たる第4装甲軍。何時の間にやらピレネー山脈を越えていたそれが、航空火力と砲火力による支援を受けながら、乾坤一擲の反攻作戦を開始したのだ。





地中海:タラゴナ沖



 大統領選を控えた1984年11月1日深夜、米英合同の第64任務部隊はジブラルタルを出撃した。

 大型原子力ミサイル巡洋艦2隻と航空巡洋艦1隻に、防空および対潜に優れたる駆逐艦6隻を随伴させた、なかなかに有力な水上打撃部隊だ。これに与えられたる命令は、迅速なる地上支援。突如として大反攻を開始したドイツ装甲軍の一部が、地中海岸の重要拠点たるタラゴナに到達しようとしていたので、大口径艦砲でもって吹き飛ばしてしまえとなったのだ。


 そして損害らしい損害を被ることなく、艨艟は目標海域へと到達しようとしていた。

 航路上に脅威が多々あったことは言うまでもない。それでも関係する全員が一丸となって事に当たった結果、類稀な幸運を手にすることができたのだ。事実、対潜ヘリ部隊は頑として敵潜水艦を近付けなかった。直掩に当たっていた垂直離着陸戦闘機ハリアーⅡは、その特性故に独仏軍機相手に苦戦を強いられたりはしたものの、アルジェより来援したF-15とよく連携し、どうにか艦隊防空の任を全うしたのだ。


「であれば後は、この天佑神助を活かすまで」


 旗艦『シャイロー』の戦闘指揮所にて、モートン少将は厳かな声を響かせた。


「可及的速やかに8インチ砲弾を叩き込み、しかる後に最大戦速で離脱する。陸軍の連中には悪いが、この辺り一帯の制海権が流動化しつつある以上、長居は無用と言う他ない」


「はい。司令官、砲撃準備完了いたしました」


「よろしい。砲門開け」


 発令。前甲板に据えられたるMk.72 8インチ砲が旋回し、60口径の砲身が鎌首を擡げる。

 艦砲射撃は遂に開始された。『シャイロー』は僚艦の『チャンセラーズビル』とともに、5秒に1発の割合で大口径砲弾を送り込み、事前に指定されたる目標を次々と粉砕していく。その途上、自走砲と思しきが反撃を試みてきた例もあったが、当然返り討ちにしたまでだった。


 とはいえモートンの気は、どうしてかさっぱり晴れなかった。

 恐らくその幾割かは、生来の慎重さが故だろう。それでも何か見落としがあるように思えるのだ。指揮下にある艦隊と航空機すべてを情報的に統合したるイージス戦闘システムは、今のところ異常を捉えてはいないようだったが……どれほど高度技術の粋を集めようと、指揮官の勘は機械に宿らぬというのが、彼の持論に違いかった。


「司令官、間もなく即応弾を……」


「あッ、何だ」


 レーダー員の1人が奇異の声を上げ、場の空気が途端にひりついた。

 艦長のパーキンス大佐が何事かと尋ね、ただちに報告がなされる。方位320、距離25マイルほどの陸上において、低空を亜音速飛翔するものが一瞬だけ検出されたという内容だった。その辺りは友軍が確保しているラベリア自然公園であるはずで、常識的な人間は敵性のものとは思わなかったが、モートンはそこですべてを察した。


「全艦、対空戦闘用意」


「えッ、司令官?」


「全艦、対空戦闘用意。ハルマゲドンモード。ヒュドラが接近中だ」


 モートンは落ち着いた、しかし有無を言わせぬ口調で命じた。

 かくして艦載のコンピュータ群は、対空戦闘に関するすべての権限を掌握。海岸線に現れた数十もの目標を捕捉・追尾し、脅威判定から兵装選択に至るまでの処理をコンマ数秒で実行、シースパロー艦対空ミサイルを次々と発射せしめた。それぞれの軌跡が交叉し、幾つかが木っ端微塵に砕け、生き残ったものが尚も突っ込んでくる。各艦の両用砲が目にも止まらぬ早さで撃ちまくり、近接防空システムが唸りを上げるも、脅威を消滅させるには至らない。


「糞ッ……総員、衝撃に備えろ」


 絶望的な命令が木霊し、コンピュータ群を除いた誰もがそれに従った。

 直後、『シャイロー』は被弾。激震とともに電子戦闘能力の一部が喪われ、次なる一撃が損害を更に拡大させた。とはいえ一番不運だったのは、殿を務めていた駆逐艦『イングラハム』だっただろうか。排水量5800トンの彼女は、さほど強靭ともいえぬ艦体に4発もの命中打を受けた結果、総員退艦以外にできることがなくなってしまったのだ。


 なお第64任務部隊を痛撃したのは、確かにヒュドラと渾名されている地対艦ミサイルだった。

 ドイツ陸軍が沿岸防衛の切り札として開発したそれは、自律的に地形を回避しながら洋上目標を目指すという、相当に稀有な性質を有していた。そしてその有効性が戦場において如実に示されてしまった結果、米英は海軍力の運用に消極的とならざるを得なくなり……イベリア半島の戦況もまた、一気に流動化し始めるのだった。

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