月穿ちの大計・中

太平洋:得撫島沖



 米国の月面着陸計画がいよいよ佳境に入り、対抗馬のドイツが水爆による月震を起こしたりしていた頃。

 宇宙開発において独自過ぎる戦いを繰り広げる日本帝国が、千島列島の特別実験場にて、性懲りもなく滅茶苦茶をやるという。言うまでもなく、世界中から奇異の目で見られまくっている原爆推進ロケットのことである。地上付近での浮揚試験を曲がりなりにも終えたらしいそれを、今度は成層圏まで打ち上げるというから、相当な急ぎ具合としか言いようがなかった。


 ただ無軌道極まりない内容であったとしても、無視する訳には絶対にいかない。

 故に英空軍の最新鋭戦略偵察機が、オーストラリア領パプアの秘密基地より発進することとなった。広範な原子力航空宇宙技術開発を目的として、英連邦王国を挙げて進められているサンダーバード計画。その一環として試作され、素性の良さ故にほぼそのまま制式採用されてしまったのがかの巨人機で……胴内に備えたるプルトニウム核分裂炉の生み出すエネルギーにより、成層圏を半永久的に超音速飛行可能という仕上がりだった。

 そして諸々の観測機材に加え、自己防御用の装備が、機体の各所に備えられている。準同盟関係にあるとはいえ、日本空軍機は接近を歓迎してくれる訳ではないから、最悪の場合は空対空誘導弾などを自力で躱さねばならぬ。


「とはいえ日本機は、ここまで上がってはこないようだな」


 機長を務めるトレーシー中佐は、紅茶など飲みながら悠然と呟く。

 飛翔高度は8万フィートといったところで、コクピットの外は限りなく黒に近い群青色。カーマンラインにはまるで及ばぬものの、体感としてはほぼ宇宙空間だった。


「栄光といったか。彼等もなかなか見栄えのいい高高度迎撃機を持っていたと思うがね」


「我々同様、吝嗇のなせる業かと」


 副操縦士が苦笑し、


「未だ如何ともし難い中国大陸の混沌と、復興支援名目で雪崩れ込んでくる植民地人の製品に、彼等も対処せざるを得ない状況でしょうから」


「道理だな」


 トレーシーはおもむろに肯き、しかしそれでも原爆推進は諦めぬのかと思う。

 それほど自信があるのか、あるいは後発が故に突飛な手法に賭けるしかなかったのか。恐らくは後者ではあろう。ただすべてが成功裏に終わった場合、宇宙開発の勢力図が一気に塗り替わる可能性すらあるのも事実で……とりあえず間もなくショーの開幕かと、航空時計を一瞥する。


「さて、どうなる?」


「あッ、初期放射線を検知」


 格納庫を改造した観測室より、報告がすぐに齎された。離陸が開始されたのだ。

 重量にして数千トンはあるらしい実験船の軌跡は、核爆発に伴う電磁的擾乱があっても尚、あまりにも明瞭にレーダーに映った。しかも膨大な赤外線とガンマ線、中性子線の脈搏は、きっかり0.5秒間隔で到来し……打ち上げがまったく順調であることを、取得したすべてのデータが示していた。


 そうして30秒ほどの後、加速は停止したようだった。

 成層圏下層に到達していた大質量体は、猛烈な衝撃波を纏って空を駆け上っていく。無論のこと、ここから先はただの弾道飛行だ。また着陸機構など備えていないそうなので、最終的には北太平洋の何処かへと突っ込むこととなるようだが、技術実証としては十分以上の結果に違いない。


「何とまあ……」


「こりゃあ、本当に番狂わせになるかもしれん」


 トレーシーは瞠目して呻き、日本人はこれを見せびらかしたかったのかとも思う。

 もちろん本格的な軌道投入が実現するまでには、まだ幾つか解決せねばならぬ課題があるのだろう。とはいえ地球周回軌道上に何万トンという貨物を、原子爆弾1000発分の値段で打ち上げる未来はそう遠くないはずで……彼は帰投を命じつつ、来るべき空想科学的大戦の形態を、まあ軍人らしく脳裏に描く。





ベルリン:大学街



「ううむ、よろしくない。まったくもってよろしくない」


 心底やり場のなさげな愚痴が、些か古めかし過ぎる喫茶店に木霊する。

 幾度にも渡った空襲や原爆攻撃、大戦後の政治動乱などを生き延びたそこは、フォン・ブラウン博士にとって懐かしき場所に違いなかった。ベルリン工科大学の学生であった頃、コーヒーなど飲みながら、宇宙に魅せられた仲間と何時間も議論をしたものだ。


 だが今となっては、惨めさばかりが増幅される場となっているのかもしれぬ。

 実際、現在のブラウンは、燃焼を終えて切り離された第一段エンジンも同然だった。しかも悪い事に、二段目移行はあらぬ方向へと突き進んでしまっている。月のマントル構造や内核の存在などを明らかにした水爆月震観測を最後に、宇宙科学探査や地球外天体有人着陸などの事業の大部分が打ち切られ、"軌道艦隊"整備を目的とする新Z計画へ予算と人員が回されることになった。それに併せて彼は、頭脳明晰なる幾人かの技術官僚ともども、お払い箱とばかりに地位を追われてしまったのである。

 そしてもうひとつ、文字通り致命的な問題まで浮上していた。昨今、ナチ党内で黄道同盟なる一派が勢力を拡大させているが、これが人種遺伝子理論を棍棒の如く振り回す連中で……長らく宇宙開発を主導してきた者にすら、劣悪遺伝子保持者のレッテルを貼ってくるのだ。


「故に博士、そろそろ我々も、身の処し方を考えねばならぬかと」


 何かと気の利く秘書のケーニヒが、警戒感を滲ませた声量で言う。


「このところは古参のナチ党員ですら、亡命を余儀なくされたりしているほどです。宇宙は政治的中立地帯のはずでしたが、クラインの戯けが土足で踏み入ってきた以上、そうも言っていられません」


「ううむ」


 ブラウンは忌々しげに唸り、コーヒーを一口啜る。

 ふと視線を移ろわせた先に、ちょうど雑誌棚が置かれていた。女学生向け月刊誌の表紙に、"遺伝子で理想の伴侶を見つける方法"などと書かれていて、たちまち気分が悪くなった。健全なアーリア人種の頭蓋骨は云々という映画を垂れ流していた時期から、その片鱗はあったのかもしれないが……ドイツは政治概念と組み合わさった疑似科学に汚染され切っているのだ。


 とすれば腰を落ち着けての仕事など、もはやできぬだろうと思う。

 無論、祖国を裏切るとなると、痛みは身を切るようである。しかし命あっての物種であるし、自分は人類を宇宙へ羽ばたかせる使命を神より授かったのだから、その程度のことを気にしても致し方ない。つまるところは、我々が二段目に移行すべき時が到来しただけだ。ほんの数秒ほど逡巡した後、あっさりと思考を切り替える。


「それで、行き先は?」


「順当に考えれば、米英のいずれか」


「僕はアメ公が好かん。ベルリンを吹き飛ばしていっただろう」


 ブラウンは吐き捨て、


「それから英国人も苦手だ。嫌味が三度の飯より好きな連中だからな」


「ならば大穴の満洲にでもいたしますか、ユダヤ人が嫌いでなければの話ですが。アメリカにも居られなくなった一部が、大連付近の何処だかに住み着いて、日本帝国の宇宙開発を支援しとるそうです」


「一応、それも選択肢にはなるのかもしれんな」


 上機嫌とは言い難い口調でブラウンは評し、それから少し前のニュースを思い出す。

 出鱈目な政争に巻き込まれていた関係で、まともに情報を精査できていなかったが……このところ世界的な潮流となりつつある原子力ロケットのうち、特に先鋭的な代物が、千島列島で実験中という話だったか。とすると案外、それも面白いのかもしれない。





室蘭:工業地帯



「おおッ、順調に仕上がっておるようだ。結構、結構!」


 流石にしわがれ気味になってきた声で、高谷代議士は呵々と笑う。

 急ピッチで建造が進められている原爆推進実験船。その工程を視察しにやってきた彼の眼前に、威風堂々聳え立っているのは、直径40メートル超の金属皿に10本ほどの円柱を取り付けたような、古代ギリシヤの円形神殿を思わせる巨大構造物だった。


「こいつが原爆の爆風を受け止め、フネを加速させる訳だな?」


「はい。またあの円柱状の部分がダンパー機構となっておりまして、搭載する貨物が壊れたり乗客が怪我をしたりせぬよう、爆発の衝撃を緩和いたします」


 係の者が端的に説明し、間もなく上部区画の組立も始まると付け加える。

 原爆推進船は構造が単純なだけあって、建造自体にさほどの難はないらしい。ただ重量に偏りがないかといった品質管理だけは死活的に重要で、むしろ検査にこそ時間がかかり、また完成後にある程度寝かせておかねばならぬらしかった。


 ただそれでも、来年の打ち上げにはまったく問題ないとのこと。

 しかも次なるそれは、正真正銘の軌道投入となる予定である。今までに各国が打ち上げた人工衛星などの総重量の、優に何倍にもなる大質量体を、高度500キロの宇宙空間への投げ込むのだ。米国の月面着陸やドイツの新Z計画、英国のサンダーバード3号など、このところ宇宙関連の大事業が目白押しであるが……原爆推進船に勝るものなどあるまいと実感する。


「なお打ち上げ時のGにつきましては」


 手帳を見やりつつ、係の者は続ける。


「既存の化学ロケットと比べて大幅に緩和される計算で……まあプルトニウム生産などの問題から、将来的にも打ち上げは1年に1回あればいいくらいかもしれませんが、空想科学作品に出てくるような宇宙旅行も、案外夢物語でなくなるかも」


「ん、ちょいと待て」


 高谷は数秒ほど考え込み、


「ならばこいつに、俺が乗っても構わんということか?」


「え、ええ……」


 あまりにも自然に零れた言葉に、係の者が思い切り目を丸くする。

 ただ破天荒の実績だけは豊富な高谷は、既に宇宙飛行をする心算になってしまっていた。多少の訓練は必要かもしれないが、未だビフテキをワシワシと食える程度には健康であるので、その程度どうとでもなるだろう。そうして彼は深く呼吸し、齢80過ぎでありながら、田舎のガキ大将さながらに笑んで宣った。


「よし決めた。世界最高齢の宇宙飛行士になって、ちょっくら地球を拝んでやろうじゃないか」

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