月穿ちの大計・上

東京:大学構内



「我々はあらゆる面において、未踏の新世界に向けて力強い一歩を踏み出していくのです」


 金本位制離脱の衝撃冷めやらぬ中、ニクソン大統領はかくの如く訴えた。

 これについては、何を今更とばかりの冷ややかなる感想を抱いた者が、日本や英国には案外と多かった。何故なら新大陸を除いた世界は、第二次世界大戦を機に管理通貨制へと移行しており、貨幣政策的な真新しさなど別段なかったためである。もちろん特に産業力に優れる超大国の自縄自縛が終了した訳であるから、相場や為替は台風に見舞われたかの如き惨状を呈したりもしたが、遂に来るべき時が来たのだと、おおよそ納得していた面もあった。


 もっともかの言葉に、文字通りの意味まで含まれていたことは、誰にとっても予想外であったに違いない。

 すなわちゴールドウォーター政権時代に開始され、予算不足もあって沙汰止みの感すら出ていたアポロ計画に、景気刺激も兼ねて数百億ドルを追加投入し……己が任期のうちに人類史上初の月面着陸を実現すると、あまりにも堂々とした態度でニクソンは公約したのである。ここ20年の宇宙軍事競争の結果、胴に星条旗を描いた有人戦闘衛星が低軌道に複数投入されるなど、技術進歩の速度は確かに凄まじかった。故に実現可能性は十分あると判断されたのだろうが、流石に地球外天体となると難易度は別次元であるはずで、幾ら何でも無謀が過ぎるのではともっぱらの評判だった。

 とはいえ相手は、理論物理学上の存在だった原子爆弾を僅か4年ほどで完成させ、ベルリンやサイパン島を完膚なきまでに破壊した米国である。もしかしたならば何もかもが目論見通りに進み、本当に完遂してしまうのではないか。このところ無軌道に過ぎる方向で名を馳せてばかりの高谷代議士などは、かような危惧を隠そうともしなかった。


「であれば今こそ、原爆推進の実用化に邁進せねばならん」


 東京大学航空宇宙研究所の一角に設けられた特別会場にて、高谷は声を大にして主張する。

 実のところそこは、衛星中継される米国の月軌道船の打ち上げを、総天然色の大画面テレビジョンで見物するための場だった。とすれば彼は体のいい客寄せで、上野動物園で最近人気を博しているチベットの白黒珍獣も同然だったが……将来日本を背負って立つであろう、如何にも頭の切れそうな理工系学生達の反応は、なかなか良好なようであった。


「米国のセイタンロケットは、大戦中の秋月型駆逐艦ほどの総重量があるそうだが……その9割4分が推進剤で、実施に軌道に乗るのはたかだか100トンぽっち。しかもその更に一部をやりくりして月面に降り立つのだそうだ。まったくもったいない、呆れるような話である。これが原爆推進であれば、数千トンの総重量の半分くらいを楽に地球周回軌道に乗せることができるし、月だろうと火星だろうと難なく到達し得もする。そしてこの分野を独走しておるのは我等が大日本帝国なのであるから、国運を賭すべき事業であることは論を俟たぬ」


「なるほど、独走ですか」


 調子のいい司会が気障な感じに苦笑し、


「どうしようもなく危険なので、我が国以外では早々に放棄された、と言った方が正確なのではないかと。ドイツも原子熱ロケット推進を本命に据えたとの話ですし、実際この間は……」


「黙れ。失敗は成功の母と言うだろうが」


 高谷は年齢にまるで見合わぬ声量で一喝し、学生どもが面白がって沸き返る。

 それでも少しばかり歯切れが悪かったのは、昨年の夏に得撫島で行われた実験が、惨憺たる失敗に終わったためだろうか。すなわち指向性原子爆弾によって生じる超高温高圧のガス流でもって、宇宙船を模した大質量体を連続的に浮揚させる試験を実施していたところ、出力調整を誤って射場ごと大爆発してしまったという顛末である。


 ただそうした重大事故があっても尚、共栄圏経済のかなりの割合が戦災復興に割かれていても尚、原爆推進計画は打ち切られていないのだ。

 それが何故かと問われれば、一昨年の大動乱で顕在化した宇宙防衛の問題もかなり大きくはあるのだろうが、やはり将来のロケットはすべて原爆推進になるからだろう。世の中の動力は馬匹から石炭、石油と切り替わってきたのだから、原子力がその先に来るというも科学合理的必然に違いない。とすれば他の列強がさっさと諦めてしまった理由が、微妙に分からなくなってきはするが……先駆しているが故の油断というのも、案外あるのかもしれぬと考える。


「それに他所が軒並み撤退したところを、尚も地道に努力し続けて大成功を収めたものなら……酸素魚雷というあまりにもでかい例があろう。仮に酸素魚雷なかりせば、先の大戦においてガダルカナル沖の『インディアナ』やマリアナ沖の『オハイオ』が沈まず、聯合艦隊が致命的な損害を被っていたとしてもおかしくなかった」


「おおッ、何とも恐ろしい想像ですね……」


 司会は少しばかりお道化てみせ、


「ところで高谷先生、そろそろ質疑応答へと移らせていただいてもよろしいでしょうか?」


「おう、何でもどんとこい」


「ではまず初めに……原爆推進は船体規模が拡大すればするほど経済性が高まるとのことですが、これは何故か? 高谷先生、お願いします」


「ええと、あれ、何故だったかな」


 高谷は途端に言葉に詰まり、むぐぐと唸る。

 なるほど先生と呼ばれる人間は馬鹿ばかり、学生の群れの中からそんな野次まで飛んでくる。とはいえ回答ができぬままなので、酷い言われようではあるが、まあこの場合は事実なので仕方がない。


 そうして狼狽えていると、助っ人参上とばかりに声が上がった。

 帝国ウラニウム工業を会長職を一応は引退し、暇を持て余しているらしい義兄の浦である。年齢は高谷の1つ上であるから、当然かなりの老齢であるはずだが、こちらもはた迷惑なくらいに元気で仕方がない。本人曰く長寿の秘訣は、あちこちで放射線を浴びたことによるホルミシス効果とのことで、こればかりは少々胡散臭かった。


「まあ祐一君は昔から適当なので、僕が助け舟を出するしよう」


 微妙に呆れた顔を浮かべつつ、浦が回答を引き継ぐ。


「軍機に抵触するから、詳細に説明することはできん。しかし核分裂性物質の最小臨界質量という概念くらいは、ここにいる皆は理解していると思う。というより一番怪しいのが祐一君かもしれんが……まあこれ未満では、持続的な核分裂反応が基本的には起こり得ないという質量のことで、金属プルトニウムなら約5.6キロだ。原子力便覧にもそう書いてある」


「そうなのですか?」


「書いたのは僕だからよく覚えておるよ。それでこの5.6キロのプルトニウムを普通に爆縮させると、例えば40キロトンという出力になるのだが……精々が数千トン級の原爆推進宇宙船にこの出力を組み合わせると、昨年の事故のように、船体がドカンと吹っ飛んでしまいかねない。故に出力規模を抑制した原爆の連続起爆でもって船体を加速させねばならぬのだが、先程挙げた最小臨界質量の問題から、出力を半分にしたいからプルトニウムを半分で済ませる、出力は1割で十分だからプルトニウムを1割まで減らす、というのは原理的に不可能だ。とすると小型の宇宙船を打ち上げる場合、せっかくの原爆を不完全に爆発させて出力を抑制するしかなくなる訳で、これが非効率性に繋がってくる。本音を言うならば、100万トンくらいの大型宇宙船を拵えて、一気呵成に低軌道に放り投げてしまうのがよいということだ。その場合ですら、燃料費つまり原爆800個分の製造費は変わらん訳だからな」


「何とまあ。宇宙戦艦『大和』どころではありませんね」


 ざわめく場を代表するかのように、司会が大袈裟に驚嘆してみせる。


「しかしそうなると……これがふたつ目の質問にはなるのですが、電磁パルスの問題は解決可能なのでしょうか? 済州島上空での事件で明らかなように、宇宙空間での核爆発は厄介な問題を引き起こすのではないかと思われますが」


「打ち上げ拠点は南洋諸島の何処かになるだろう。人口密集地から物理的に離れた太平洋上でやってしまえば、大停電など起きようがないからな。それからもちろん、電磁パルス自体を抑制する研究もしておる。これについてもあまり詳しい事は話せんが、基本的には核分裂反応直後に発生するガンマ線や中性子線を、原爆の筐体部でもって吸収できればよいという話で、この機構と指向性原爆の相性が良好だとも判明してもいる。であるから今後に期待してくれといったところだが……君、そろそろじゃないのかね?」


「おっと、そのようです。時間が押してまいりましたので、残念ですが質疑応答はここまでということで。高谷先生、浦先生、どうもありがとうございました」


 謝辞。それから万雷の如き拍手が続く。

 そうした後に会場は本来の目的へと戻り、大画面テレビジョンにケープ・カナベラル空軍基地の様子が映される。巨大という他ない発射台に据えられた、月軌道船を搭載して今まさに飛び立たんとする全高100メートル超のロケット。人類文明の未来はまさにここにあると宣わんばかりの威容に、学生達はまたも盛大に沸き返り……いずれは原爆推進が勝利すると確信している高谷もまた、机上の存在に非ざるそれに圧倒された。


「ところで高谷先生」


 司会が唐突に尋ねてきて、


「今回宇宙に挑む飛行士の1人と、実は面識があるとか」


「ああ、あるな。大戦中は敵味方の間柄で、何度か干戈を交えていたようだが……実際に相見えたのはマーキュリー宇宙船が『天鷹』の脇に落下した時だ。まあボクシングで俺に勝っちまった男だから、何事も上手くやっちまうだろうよ」


 10年ほど前のバンカラな記憶が呼び起こされ、豪気な笑いが自ずと漏れた。

 そうこうしているうちに秒読みは零へと至り、巨大ロケットは盛大に炎を吹いて離陸し始める。周囲より響いてくるは若き歓声で、高谷もまた拳を交えた者の成功を切に祈った。


 無論、米国に月面競争で大きく先行されそうなところは、些か悔しくはあるかもしれぬ。

 だがだからこそ面白くなると高谷は思った。人生最後の大仕事と位置付けている原爆推進宇宙船が軌道に乗れば、世界の何もかもがひっくり返るに違いない。それに月での遅れが今あったとしても……何十年後かの子孫達が、宇宙防衛や太陽系開拓の場で優位を得られるならば、十分以上に元は取れるというものだろう。

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