激烈! マリアナ沖航空戦③
太平洋:サイパン東方沖
8月11日午前8時半頃。世界最強を誇る第58任務部隊は、ようやくのこと偵察機による接触を受けた。
航空母艦22隻を中核とする総勢178隻の大艦隊が、それまで存在を秘匿することができたのは、奇跡の類に非ず。むしろ無線通信量や暗号解読に加え、大型機や潜水艦を動員しての徹底的な情報収集活動を行い、西太平洋における日本軍の哨戒パターンを割り出していたが故だ。ただ想定よりも被発見が遅れたのも事実で、まあその部分に関しては、前髪を掴まれた幸運の女神の恩寵と言えるのかもしれない。
(であればやはり……タワーズが正しかったという結論になるのだろうか)
航空母艦『タイコンデロガ』に将旗を掲げたるミッチャー中将は、現時点での作戦経過に満足しつつも、幾分苦々しく思った。
というのも突拍子もなく作戦発動を繰り上げてきたのが、海軍自画自賛学校首席のタワーズ大将だったためだ。如何なる政治的工作があったのか、どうしてか太平洋艦隊司令長官の椅子に着いてしまったこの人物は、不言実行型の提督とはまったく水に油。しかも一部の上官を除いた全員に対して傍若無人で、しかも将兵の事情など一顧だにせぬような言動ばかりするのだ。
だが司令長官の人格がどうであっても、今まさにマリアナ諸島を空襲しているのは紛れもない事実。
それも日本海軍主力が未だ呉や佐世保にある中で、サイパンやグアムの航空戦力を徹底的に叩けている。つまりは各個撃破の好機ということだ。命令が伝達されてきたその時は、乗組員に休息も与えず出撃しろというのかと激怒したものだが――疲れた兵をそれでも走らせてこそ勝利を手にできるという、何処だかの古い戦場格言を、思い出さざるを得ない状況だった。
「とはいえ往々にして、勝ったと思った時が一番危ない」
司令官公室に居並ぶ参謀達を前に、ミッチャーは厳かな口調で告げる。
「我が軍は延べ1100機をもってマリアナ諸島の航空基地を空襲、同諸島全域の制空権を確保した。日本軍の抵抗は予想以上に微弱で、撃墜および地上撃破は合計500機にも上ったとのことだが……各自、これをどう見るか? 遠慮会釈なく分析してもらいたい」
「既に十分な打撃を与えたのではないかと愚考いたします」
真っ先に見解を述べたのは、参謀長たるブローニング大佐。
「特に厄介な長距離攻撃機に関しましては、アスリト飛行場およびハゴイ飛行場に展開していたそれに大打撃を与えました。また敵戦闘機につきましても、少々楽観的だとは思いますが、ほぼ掃討できたのではないかと考えております」
「ふむ。根拠はどんなところかな?」
「第三次攻撃隊と第四次攻撃隊の間隙です。ご承知の通り、日本軍機の誘引撃滅のため、我々はわざとここに30分ほどの空白時間を設けました。日本軍が航空戦力を残していた場合、ここで積極的な迎撃戦闘を挑んできたはずです」
「しかしそうではなかった、か」
「その通りです、閣下。であればマリアナ諸島への爆撃は本日正午までに留め、トラック諸島方面へと転進。同方面に残存する艦艇および航空戦力を撃滅し、後顧の憂いを絶つことを優先するべきではないかと」
「なるほど。よく分かった」
ミッチャーは肯き、コーヒーを少しばかり飲む。
そうした後に一同を見回すと、航空参謀のヒギンズ中佐が挙手しているのが目についた。
「航空参謀、君の見解を聞こう」
「はい。自分といたしましては、やはり日本軍が戦力温存を図った可能性が高いのではないかと考えます。何しろ連中はマリアナ諸島に膨大な資材を投じ、2年近い歳月をかけ、あちこちを掘り返しておりますので」
ヒギンズはそう言うと、関連写真を改めて取り出した。
陸軍航空隊のB-29写真偵察型が撮影したものが大半だが、工事現場付近で撮影したと思しきものも2枚ほど混ざっている。
「これら工事の進捗を鑑みますに、マリアナ諸島には数百機を格納可能な硬化施設が存在すると予想され……実のところ我々は、滑走路に穴を穿っただけという可能性もあるのではないかと」
「地上撃破した敵機も相当あるというぞ」
物言いたげなブローニングの機先を制し、ミッチャーが尋ねる。
「まあ確かに、そのうちの何割かが偽物だったのかもしれんがな」
「むしろ実際に撃破できたのが全体の10%、20%だったという可能性すらあり得ます。地上で見れば実にいい加減なダミーでも、空から見れば本物と区別がつかなくなる……ということは実証されております」
「とはいえ参謀長が先程言ったように、第四次攻撃隊はまともな迎撃機に出くわさなかった。彼等の好戦性を鑑みるに、まともな戦力が残っていなかったように見える」
「閣下、とりわけ日本海軍は、元々かなり防御的な性格を有しております」
ヒギンズは慎重な声で指摘し、幾人かが意外とばかりの呻きを漏らす。
だが事実だったかもしれぬ。バルチック艦隊を完膚なきまでに叩き潰した東郷平八郎の子孫達は、太平洋で対馬沖の再現を狙っている――仮想敵に関する分析は、常にそうした内容であり続けていた。実際、日本海軍は開戦から1年ほどは好き放題に暴れてくれたものだが、戦争が3年目に突入して以降は、あまり積極的な行動を取ってはいない。それは彼等なりの原則に回帰したということで、さもなくば再度の真珠湾奇襲を企図し、返り討ちにでも遭っていただろうと推測できた。
とすれば――孤立無援の敵航空隊が、強固な防護施設を頼りとして、戦力を温存している可能性も高そうだ。
そしてそれこそ、今一番危惧すべき状況だとミッチャーは理解した。今回のマリアナ諸島空襲で最も重要なのは、間もなく起こるであろう一大決戦において敵指揮官が頼みとする基地航空戦力を、先制的かつ一方的に叩き潰してしまうことに違いない。仮にそれが不十分であったなら、揚陸船団を伴っての本作戦が始まった時、凄まじい悲劇に見舞われることとなりかねない。
「ふゥむ……」
ミッチャーは唸った。それから角砂糖を幾つかカップに放り込み、べた甘くなったそれを味わう。
「敵が本当に撃滅できたのか、確認するいい方法はないものかな」
「その、よろしいでしょうか」
唐突に航海参謀のメイヤー中佐が口を開き、
「日本軍に教えてもらえばいいと思います」
「おまえは何を言っているんだ」
あからさまに怪訝な声が幾つも漏れ、更に直球の罵倒も飛ぶ。
だがメイヤーは真剣な面持ちを崩しておらず、そこが些か気になった。
「航海参謀、いったいどういうことだろうかな? まさか現有戦力は如何ほどですか、是非教えてくださいとサイパン島に打電しろという訳ではあるまい?」
「はい閣下、もちろん違います」
メイヤーは堂々胸を張り、
「つまりは自ら答えを出さざるを得ない状況に、日本軍を追い詰めてしまえばよいとの考えです。具体的にはサイパンとグアムに戦艦で突撃インタビューしに行くのです」
「何、戦艦で突撃インタビュー!?」
「はい、疑いようもなく。モンタナ級とかアイオワ級とか、大きくて強い戦艦が任務部隊にありますので。敵の要塞も1000ポンド爆弾には堪えられても、18インチや16インチの砲弾では厳しいでしょうから、連中が航空戦力を残していたなら確実にその阻止を目論むはずで、それを戦艦で突撃インタビューと定義いたしました。そうして集まってきたジャップ機を、何百という戦闘機でもって、片っ端から迎撃してしまえばよろしいかと。仕上げに艦砲射撃を食らわせれば大勝利間違いなしです」
「なるほど、つまりは……」
2年ほど前の海戦の記憶を、ミッチャーはすかさず呼び起こす。
バンクーバー沖において旗艦『エセックス』と多くの優秀なパイロットを喪いはしたが、神聖なる本土を襲った日本海軍の航空母艦『蒼龍』を撃沈した。その時の闘志もまた、昨日のことのように蘇ってくる。
「シアトル空襲に際しての、日本軍のやり方を真似る訳だな?」
「端的に申し上げるならば、その通りです」
「うむ、名案に聞こえてきたぞ」
ミッチャーは光明を得て微笑み、居並ぶ参謀達もまた同様。
そうなれば恐らくヤップやトラックの航空隊も出てくるから、敵戦力を一挙に撃滅する好機。かような説明が付け加えられ、先程まで見解の分かれていたブローニングとメイヤーが、お互い妙な顔を突き合わせる。
「多少のリスクはあるが、それだけの価値はありそうだ。これでいこう」
ミッチャーは決断し、その場で異論が出ることはなかった。
かくして戦艦4隻、大型巡洋艦1隻を中核とする高速水上打撃部隊が2つ編制され、それぞれサイパンとグアムに向けて28ノットで驀進し始めた。無論のこと、十数海里後方に空母任務群が追随。圧倒的な規模の艦載機に守られたそれらが、艦砲の射程に飛行場を捉えるのは、概ね午後4時半の予定である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます