激烈! マリアナ沖航空戦②

サイパン島:タッポーチョ山上空



 漆黒の世界に浮かぶサイパンは、盛んに火を吹く活火山のように見えた。

 サンフランシスコ市と同じくらいの地積に、1個任務群に匹敵するほどの対空火力が集中しているのだ。高射砲や機関砲が猛烈な弾幕を形成し、サーチライトと無数の火球が黎明の空を埋め尽くす。その中に飛び込めと言われたら、歴戦の勇者であっても尻込みしてしまうかもしれない。


 だがF6F夜戦型を巧みに操るマーティン大尉は、それが虚仮威しの類だと見抜いていた。

 冷静に考えれば誰にでも分かる話だ。まず対空砲火とは滅多に当たるものではないし、運動性能良好な戦闘機を狙うとなれば尚更。加えて今は照準の付け難い夜間で、電子攻撃によって敵のレーダーや無線通信は擾乱されてもいる。となれば当てずっぽうの盲目射撃も同然であるはずで、実際その通りであったが故、彼とその部下達は大要塞島の直上を旋回することができているのだ。


「では……そろそろ行くぞ」


 マーティンは僚機に伝達し、照明弾に照らされた目標を双眸に焼き付ける。

 アスリト飛行場――日本軍航空戦力の西太平洋における中枢だ。その1マイル半ほどの長大な滑走路に、両翼に3発ずつ抱きたる高速航空ロケット弾を叩き込むのだ。


「ここが正念場だ。一番狙われ易く、操縦を誤れば即墜落だ。各機、死にたくなければ死ぬ気で俺を追え」


「ラジャー。隊長をリタ・ヘイワーズと思って追いかけます!」


「その心意気やよし。さあ攻撃だ」


 剽軽な部下の言葉に微笑んだ後、緩やかに愛機を反転させる。

 続けて降下に突入し、針路を固定。対空砲が一斉にこちらに向いたように思え、少しばかり心が怯む。


「滑走路にロケット弾など撃ち込んだところで、大した損害にもならぬだろう」


 かような合理化を図らんとする内なる声に、耳を貸すことなどあり得ない。

 とにもかくにも怯懦の念を抑圧し、日本軍機の離着陸妨害という本来任務を、全身全霊で遂行せんと奮闘する。機関砲弾の1発が機体近傍を掠め、本能が赤子のように泣き叫ぶ。


(何のこれしき……ん、あいつは?)


 マーティンは唐突に違和感を覚えた。

 限りなく薄暗い滑走路の上を、何かが移動しているようなのだ。どうやら着陸しつつある敵機のようで、もしかすると噂に聞くジェット戦闘機かもしれず……それはちょうど攻撃圏内に飛び込んできそうだった。


「せっかくだ、こいつを食らえッ!」


 ただちに針路を微修正し、目標をどうにか照準環中央に入れ、マーティンは発射スイッチを押した。

 高速航空ロケット弾が次々と拘束を解かれ、コンマ数秒の後に固体燃料に点火。明々と燃え盛る槍となったそれらは、大加速して音速の壁を貫き、地表めがけて轟然と突き進んでいく。


 そして寸秒の後――攻撃は成功した。空中にあっては恐るべき威力を発揮するであろう航空兵器が、明々と燃え盛るジュラルミンの残骸へと変わったのだ。


「よし、1機撃墜」


 マーティンは思わず喝采し、更に50口径弾をばら撒いた後、高度500フィートで機体を引き起こした。

 そして迅速に首を左右させ、着陸せんとしている機体が他にないか捜索する。ご都合主義な話ではあるが、そちらも撃墜できてしまえば、リタ・ヘイワーズとの1日デート権が授与されたっておかしくはないだろう。





太平洋:サイパン島沖



「畜生この野郎、好き放題にデストロイしてくれたな」


 第343海軍航空隊で編隊長を務める菅野大尉は、午前5時過ぎの空で獅子奮迅の戦いを繰り広げていた。

 突然に米夜間戦闘機の大群が出現し、飛行場上空に居座って頻繁に銃撃を仕掛けてくる中、どうにか間隙を突いて出撃したのだ。その途上で紫電改1機を撃破されはしたものの、空に出てしまえばこちらのもので、上方から襲ってきたF6Fを返り討ちにしていたほどである。


 ただ離陸後の空戦は、かなり場当たり的なものとなっているのもまた事実。

 厚木空のジェットが何とか1機を撃墜したとはいえ、B-29による電磁波攻撃が依然として続いていて、組織的な迎撃戦闘ができていないのだ。これまでに何百時間と積み重ねた、レーダーと航空無線を積極活用した編隊空戦訓練の経験。日米太平洋決戦において絶大なる威力を発揮するだったそれは、まるで役に立たなくなってしまっていた。

 それでも小隊をきっちり掌握し、一撃離脱戦法を心掛けながら、厄介なる敵機と渡り合っていく。既に水平線は明るみ始めているから、夜間の不利もそろそろ帳消しとなるはずだった。


「ふむ、ふむふむ……」


 菅野は愛機の翼を翻させ、薄暗い周辺空域を隈なく捜索。

 サイパン島上空は高射部隊に任せ、ある程度洋上に出たところで、一時離脱してくる敵機を狙い撃つ作戦だ。ともかく限界まで両目を凝らし――花火めいて打ち上げられた、黄色の光弾を目撃した。


「むッ……!」


 唐突なるそれは信号弾で、菅野は意味するところを即座に察した。

 敵機がそちらから向かってくるから、ただちに迎撃しろ。かような内容に違いなかった。


「了解。デストロイタイムだ」


 菅野は独りごち、懐中電灯を振って列機に追随するよう命令する。

 間を置くことなく示された通りサイパン島四時方向へと転針。誉エンジンを赤ブーストで吹かし、愛機たる紫電改を一気に加速させていく。そうして暫く進んだところ、禍々しい殺気の空に充満したるのが知覚された。


「ふむ、アメ公何処だ。今すぐデストロイしてやるぞ」


 菅野は冷静に咆哮し、研ぎ澄まされた直感に従って索敵する。

 その成果はすぐに出た。ちょうど明るみ始めた東南東の空に、雲霞の如く押し寄せる米艦載機群があったのだ。夜間戦闘機でもってマリアナ上空の制空権を確保した後、大規模な航空部隊を送り込んで滅多打ちにする戦法と思われ、敵ながら天晴と感心してしまいそうな手際である。


 そして彼我の戦力差はまったく歴然としていた。

 相手は少なめに見ても100機超、対してこちらは僅か1個小隊。ランチェスター方程式を当てはめるなら625対1で、まったく絶望的と思えてくる。


「だがデストロイに支障なし」


 菅野は臆することなく断じ、寡兵をもって突撃する。

 戦闘機同士の空戦において、六時を取れるのは1機のみ。純然たるこの事実を踏まえて戦えば、衆とて恐るるに足らぬのだ。





サイパン島:バナデル飛行場



 日の出前に始まった空襲は、熾烈という言葉では物足らぬほど激しかった。

 やたらと俊敏なる新型機の援護の下、F6Fが矢継ぎ早に放つロケット弾が高射砲陣地を襲い、1000ポンド級の爆弾を抱いたF4Uが滑走路に大穴を穿つ。爆撃を終えた戦闘機は機銃掃射でもって戦果の拡張を図り、駐機場に並べられた零戦があっという間に火達磨となる。襲来したる米艦載機はサイパンだけで300超。その圧倒的なる数の暴力を前に、マリアナ諸島防衛を担当する第五航空艦隊は、早くも壊滅したかに見えた。


 だが……日の丸の翼は死滅してなどいなかった。

 それらが逼塞する掩体壕は贅沢なコンクリート製で、しかも半地下化されていたものだから、大型爆弾の直撃でもない限り破壊されなかった。しかも誘導路を含めて高度な擬装が施されていたものだから、大部分が生存することに成功していた。第343海軍航空隊が使用しているバナデル飛行場に至っては、マッピ山北麓の断崖に紫電改80機を収納可能な横穴が掘られていた関係で、空戦に出た機を除けば被害は皆無。まったく土木建設万々歳といったところである。


 そして米海軍は要塞化の進展を把握していたに違いないが、それでも工事の規模を見誤ったようだ。

 結果として艦載機の攻撃は、アスリト飛行場南部の囮掩体などに集中。朝鮮出身の労務者達が哀号と愚痴を零しながら、毎日意味もわからず動かしていたベニヤ製インチキ飛行機を、親の仇とばかりに銃爆撃していき……150機地上撃破などという景気だけはいい報告をする破目になったりしたのだった。


「であれば我等剣部隊の本格反撃は、ここから始まるということになる」


 弾着の衝撃で時折砂の落ちてくる司令室にて、源田大佐は得意満面にそう言い放つ。


「所謂後の先だ。空襲が一段落したところでブルドーザーを出し、滑走路を緊急修復。稼働機を片っ端から上げて米第二波を痛撃し、何処にいるんだか分からんが米機動部隊の航空戦力を大幅に減衰せしめ、聯合艦隊の到着まで持久する作戦だ」


「オヤジ、何時もの見敵必殺はどうなったんです、見敵必殺は?」


 怪訝そうにそう尋ねるは、眉目秀麗の飛行長なる志賀少佐。


「間抜けなことをやってはいるようですが、米軍機は今も傍若無人に飛び回っておるじゃありませんか。搭乗員達もさっさと出撃させろ、カタパルトがあるだろうと喚いとりますよ、特に先程戻ってきたばかりのデストロイヤーが」


「ヨッシーな、流石に時と場合を考えろ?」


 頭のいい志賀の向こう見ずな言動に、源田は些か眉を顰める。

 そのコンマ数秒後、再び地面がドカンと揺れ、天上から落下した砂が机上のコーヒーカップに降り注いだ。


「直上に敵機がウヨウヨいる状況で、出撃しろと命じられる訳もなかろう。それから隠忍自重だと草鹿中将も言っておる、俺等だけで統制を乱す訳にもいかん」


「いえ、そもそも一段落などするものかと考えまして」


 途端に志賀の双眸が鋭さを帯び、


「自分が米海軍の指揮官なら、絶対に隙を与えません。恐らく空襲を仕掛けてきとるのは米機動部隊の本体で、1500の艦載機を有するとてつもない相手です。であればマリアナ諸島の航空基地を反復攻撃し、ブルドーザーすら展開できぬようにするでしょう」


「なるほど。だがそれでは流石の米機動部隊とて……」


 明日以降の航空作戦が困難となるはず。源田はそう言いかけ、今日中に決着させる心算だったらと思い立つ。

 次の瞬間に意識に昇ってきたのは、概ね1年半ほど前に勃発した、伊豆での珍騒動の記憶。戦局に相当の好影響を与えながらも、事実を列挙するだけで頭痛がしてくる事件ではあったが――その直前、海軍一の問題児提督として名高い高谷少将と気狂いパイロットの打井中佐が、大西中将主催の研究会で無茶苦茶な戦術を披露してきていたのだ。


「となると、まさか……」


 源田はマラリヤに突然罹患したような寒気を覚え、しかもそれは志賀が呈した懸念にも直結した。


「奴等、航空作戦の後に戦艦を突っ込ませ、飛行場を撃ちまくる心算か!?」

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