激烈! マリアナ沖航空戦①

サイパン島:アスリト飛行場



「ええッ、てっきり英語のアスリートかと思っておりましたが、違うのですか?」


「いやいや、この地方の言葉だそうだ。確か意味は……」


 まったく他愛ない会話が、アスリト飛行場の待機所で弾んでいた。

 暦は8月10日、時計の針が指すは午前2時過ぎ。たいていの者が眠りに就き、虫の音ばかりが響く暗闇と静寂の世界にあって、室田大尉とその部下は元気溌剌といった具合だった。


 言うまでもなくそれは、直に当たっているが故である。

 防空任務において名を馳せたる第302海軍航空隊の、サイパン分遣隊の精鋭としてこの地に赴いた室田達には、戦略的重要性を帯びたる任務が与えられていた。このところマリアナ諸島上空を夜間、頻繁に侵犯するようになったB-29の偵察型。恐らくは電波情報の収集に当たっているであろうそれらを撃墜し、来るべき決戦を支援するというもので、言うまでもなく熟練の戦闘機乗りにしか熟せない内容だった。


「いや、それだけでは不足か」


「大尉、どうかされましたか?」


 何事だろうかと、海兵72期の伊予山中尉が興味深げに尋ねてくる。


「ああ、ちょいとな」


 室田は団扇で己が顏をパタリと扇ぎ、


「特に闇夜の戦いは、俺達パイロットと地上の邀撃管制の密なる連携がなければ成り立たんと、改めて思っていただけだ。つまりチンチンカモカモの仲でないと駄目だとな」


「そうですね。また仁義を切りに行かれますか?」


「それも大事だが……何より重要なのは実際に空に上がり、お互いが意思疎通した経験を積み重ねることだ。その余裕はどれだけあるのだろうと、ちょいと首を傾げていたのだよ」


 相応に真剣な面持ちで室田は言い、少しばかり場が引き締まる。

 実際、B-29の偵察型が現れるようになったのは、決戦の時が近いからに違いない。もしかすれば明日にも超重爆の編隊が、あるいは艦載機の大群が襲ってくるやもしれぬ――そう思った直後、飛行長の電話が喧しく鳴り、彼はすぐさま席を立った。


「電探が西南西35海里に大型機を捉えた。速力220ノット、急速接近中。第1小隊はただちに出撃し、迎撃に当たれ」


「了解いたしました」


 既に整列を終えていた室田と3名の部下は、飛行長に颯爽と敬礼。

 かかれとの号令を受け、愛機へと一直線に走っていく。待機所に程近い駐機場で待っていたのは、闇に蠢く火吹き竜を思わせる風貌の局地戦闘機蒼雷。機体の何処にもプロペラを有さぬ奇怪なそれは、ドイツ空軍の誇るMe262を小改造の後に採用した、大空の決戦兵器に違いない。


「よし」


 室田はコクピットに飛び乗り、計器の確認を迅速に行った。

 相手は恐らくB-29の偵察型、これまで何度も煮え湯を飲まされた敵だ。必殺の意志を猛烈に固めつつ、愛機を滑走路上へと移動させ、発進許可と同時にスロットルを全開にする。


「B公め……今日という今日は海に叩き落してくれる。覚悟しろ」





太平洋:サイパン島沖



「あッ……日本軍機が発進を始めた模様」


 無線員からの報告に、機内の全員が慄然とする。

 電子攻撃型へと改造されたB-29は、4基のR-3350エンジンを轟々と唸らせながら、高度3万フィートの成層圏を320ノットで飛翔していた。追い縋るもののなきと思える圧倒的な高高度性能だ。しかし科学の粋を結集して実現したるそれをもってしても、ここ1か月ほどに複数の僚機が撃墜破されたという厳然たる事実があった。


 その元凶たるは、厄介なジェット戦闘機に違いない。

 ドイツ本土上空で猛威を振るい、第8空軍の活動を実質的に封殺しつつあるMe262が、遂に太平洋戦線にも姿を現したのだ。レシプロ機の限界を超越した速力で飛び回るそれが相手では、幾ら超空の要塞と謳われたる機体であっても、一方的に捻り潰されてしまいかねなかった。


「だが、ここで逃げる訳にはいけねえ」


 機長たるテーラー少佐は拳を握り、負けじ魂に火を点ける。


「何しろ俺達の双肩に、合衆国の未来がかかってるんだからな」


「ええ。黄色人種どもに教育してやりましょう」


 後席から響いてくるのは、電子戦担当士官たるウッド大尉の声。

 今日の重要任務は、生真面目で理屈っぽい彼が主役だった。


「航空戦の勝敗は機体性能のみで決まらず、操縦者の腕のみで決まらず……ただ総合力だけが真実なのだと」


「ああ、頼むぞ。ジャップどもに吠え面かかせてやれ」


「了解。さあ、サーカスの幕開けだ」


 歌うような声でウッドは命じ、人の目には映らぬ一大作戦が始まった。

 爆弾の代わりに搭載された電子戦機材が低い音を立てて動作し、日本軍が使用している航空無線周波数に白色雑音を投げ入れる。空中からの大規模通信妨害だ。レーダーに対しても怒涛のように妨害電波を送り込み、片っ端から使用不能にしていった。


「どうだ、効いているか?」


「間違いなく効いているはずです」


 ウッドは自信満々に即答。


「日本軍の電子戦能力は猿真似水準ですし、我々も電波情報を集めるため、少なくない犠牲を払ったのですから」


「ああ、そうだよな」


 二度と見ることのできぬ仲間の顔を思い浮かべ、テーラーもまた厳かに肯く。

 英雄となった彼等のためにも、自由の樹を健やかに成長させるためにも、是が非でもこの任務を達成させなければならぬのだ。


「各自、警戒を怠るな。混乱しているだろうが敵はジェットだ、万が一もあり得る」


 テーラーは改めて警戒を促し、巧みに針路を変更させていく。

 そうした努力の甲斐あってか、彼等は不運と踊りはしなかった。逆向きの流星のように上昇してくる、敵機の一群と思しき光も見えたが、管制を失ったそれらは迷走するばかり。まさに総合力の勝利といった状況だった。





太平洋:ロタ島東方沖



 航空母艦『インディペンデンス』艦長のキンデル大佐は、命令に滅茶苦茶に噛みついたことで有名だ。

 やってきもしない長距離攻撃機を待ち構えて、見事に木偶の坊となった屈辱が故だろうか。とにかくマジュロを襲った敵空母を、ロケット弾が降ろうと爆弾が降ろうと、追撃して撃沈するべきだと主張したのである。その激しさといったら、放っておけば単艦で突っ込んでいきかねないほどだった。


 ただその後、拳銃で頭を撃ち抜かんばかりに、己の先見のなさを恥じることにもなった。

 何故なら最も手応えのある任務に就くこととなったためだ。天啓を得たタワーズ司令長官が、急遽発動を繰り上げさせたフォレイジャー作戦。マリアナ諸島を制圧すべく第58任務部隊が全力投入されるそれの先駆けを、デイヴィソン少将麾下の夜間空母群が担うこととなり、『インディペンデンス』もまたそこに組み込まれたのである。

 そして電子偵察機の支援の下、日本軍が張り巡らせたる哨戒網を巧みに躱し……部隊は平均26ノットの速度で西進。存在をまるで悟られることなく、空襲を行うに絶好の位置を占めることに成功したのだ。


「いやはや、面白い戦となりそうだ」


 眼下に広がる光景を一瞥し、キンデルは満足げに微笑む。

 僅かな灯火と月明りにのみ照らされた飛行甲板では、獰猛なる航空機が犇めき合って猛烈に嘶いていた。爆装した24機のF6F夜戦型を、4機のTBF電子戦型が支援する形で、インディペンデンス級の搭載能力を鑑みればほぼ全力出撃だ。


 しかも空の勇者達が征く先はサイパンだった。

 この恐るべき航空要塞島に、まず夜間戦闘機を送り込んで制空権を確保。夜明けと同時に殴り込んでくる本隊が到着するまでの間、上空に居座って滑走路に銃爆撃を行い、日本軍機の離陸を妨害しまくるという寸法だ。


「夜襲が大好きなジャップ野郎どもから、そのお株を奪ってやるのだ」


「この間はしてやられましたが、とっくに我々の方が上手くやれるようになっていますよ」


 航空団長のスミザース中佐が自信満々に断言した。


「個々のパイロットの技量も重要ですが、夜間航空作戦で重要となるのは科学技術。今宵、純然たるその事実を、黄色人種どもに徹底的に教えてやる心算です」


「ああ、奴等もぶったまげることだろう」


 キンデルは好戦的な面持ちを浮かべ、ふと右舷側へと視線をやった。

 夜間空母群の旗艦を務める、開戦以来の古強者たる航空母艦『エンタープライズ』。彼女もまた準備を整え終えたようで、まったく頼もしい限り。更に15海里ほど南には『ベニントン』の姿もあるはずで、合計1グロスもの夜間戦闘機が今まさにマリアナ諸島全域を叩こうとしているのかと思うと、とにかく胸が熱くなって仕方がない。


 そして精神を際限なく昂ぶらせていたその時、待ちに待った点滅が視界に飛び込んできた。


「旗艦『エンタープライズ』より発光信号。発艦はじめ」


「よし……発艦はじめ」


 キンデルは大きく深呼吸して命じ、誰もが堰を切ったように動き出した。

 既にカタパルトに取り付けられていたF6Fが勢いよく射出され、蛍光ジャケットを着用した甲板要員の誘導の下、次の機がシャトルに取り付けられる。概ね25秒おきの発艦という早業だ。徐々に組み上げられていく攻撃隊は、『インディペンデンス』の上空を危なげなく旋回し続け、発艦した機を次々と迎え入れていく。


 そうして集合を終えた夜行性猛禽の群れは、大気を轟々と震わせ、北西の空へと驀進していった。

 期せずして決戦の一番槍を担うことになった者達は、誰も彼もが意気軒高。対してサイパンに司令部を置く第五航空艦隊は、B-29による巧みな電子戦により、未だ混乱状態にあった。

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