マーシャル闇討ち作戦⑥
太平洋:ナウル島沖
「流石にそろそろ、敵も撃ち止めだろうかな」
航空母艦『天鷹』の司令官席に座する高谷少将は、二時方向の海面を凝視しながら呟いた。
視線の先の随分離れた辺りに、かなり大きめの水柱が幾つか立ち上ってはいた。ただそれらは5海里以上も離れたところから放たれた有翼爆弾が、まったく見当違いのところに落下した痕跡だ。艦隊を構成する7隻のいずれにも被害はなく、母機たる四発重爆撃機も脱兎の如く逃げ帰りつつあったから、少しは緊張の糸を解してもよさそうだった。
すると途端に腹が減ってくるもので、胃袋の唸り声に猫のインド丸がびっくりする。
既に察しのいい従兵が、握り飯と茶を用意していたから、そのうちの1つをむんずと掴んでムシャムシャ食べた。塩気の利いた銀シャリに、何故か揚げ餃子が詰め込まれている珍妙さが際立ち、おまけに妙な味がした。もったいない精神の発露か悪戯心のなせる業か、未だに烹炊所に転がっているマーマイトが、ふんだんに使われていたのである。
「うむッ……まあ眠気覚ましにはなった」
マーマイト餃子握り飯を胃袋へと押し込み、
「艦の被害は『宵月』がロケット弾3発被弾、『五十鈴』が至近弾2発のみ。夜襲はきちんと実施、聞き耳爆弾がポンコツなのは技術者どもが阿呆だからで俺のせいじゃない。だったら中将昇進への影響はないはずだ」
「しかし少将、どうもおかしくはありませんか?」
そんなことを言い出すのは、第666海軍航空隊の長たる打井中佐。
飛行服姿の彼の額には、でかでかと"謹"の文字。聞き耳爆弾にお墨付きを与えてしまったことを反省し、部下にインクで書かせたらしいが……おかしいのはお前の顔だと吹き出しそうになる。
「それでダツオ、いったい何がおかしい?」
「昨日よりチンピラゴロツキどもが結構な頻度で来襲し、まあ全力での迎撃でもって連戦連勝いたしましたが、本来ならばもっと多くを千切っては投げられるはずでした。つまり空襲の規模が小さ過ぎます」
「なるほど、そうなのか?」
「はい。特に単発機による空襲が予想外に小さかったかと」
打井は断言し、自説を滔々と開陳し始めた。
事前の情報によると、米軍はマーシャル諸島に両手の指ほどの航空基地を設営しており、少なくとも200機近い作戦機がいるはずだった。そのすべてが一挙に襲ってくるということはなく、また敵の索敵攻撃隊が妙な墜ち方をしたのも事実とはいえ――本来ならばマジュロからの大規模な反撃が、昨日の午前中にあるはずだったというのである。
「だが確かに、昨日の昼前まではそこまで苛烈ではなかったな」
高谷もまた記憶を蘇らせ、
「午後以降も考えてみれば、大型機による空襲ばかりだった」
「はい。となればやはり妙だということになるかと。チンピラゴロツキどもの意図は分かりませんが、何やら良からぬことを企んでいるのかもしれません。となれば一大事です」
「ふゥむ……怪しい気がしてきた。しかしどうにもピンと来んな」
「問題はまさにそこでして」
「うむ。案外、腹がいっぱいになったら何か思いつくかもしれん」
実のところ空腹を満たせていなかったこともあり、無理矢理に話題を変えて2つ目の餃子握り飯を頬張る。
「む、むぐッ」
直後、激烈なる刺激が鼻腔を駆け抜け、高谷は目を白黒させて悶絶する。
それは25個に1個の割合で紛れ込んでいるらしい、洋辛子餃子が具の握り飯だった。戦闘配食でふざけるなど言語道断、他の艦の人間ならそう憤りそうなところだが、やくざ艦の『天鷹』であるからどうしようもない。
真珠湾:太平洋艦隊司令部
「ああああああ! 何で、どうして!? 洒落になりませんよ!?」
緊急の報告を受けたタワーズ大将は、傍目にも手の施しようがないくらいに狼狽していた。
朝食のホットドッグに大量にかけた洋辛子、すなわちマスタード。その名を冠した化学兵器を、マリアナ上陸作戦に備えてマジュロに隠密裏に集積していたのだが、運搬船の1隻である輸送船『ジョン・ハーヴェイ』が空襲を受けて大破した。そしてその結果、厄介な有毒物質が油に混ざって大量漏洩するという特大事故が発生してしまったためである。
しかも被害の度合いは、耳を疑いたくなるくらいに凄まじかった。
機密保全を徹底し過ぎたが故、担当者が『ジョン・ハーヴェイ』をデラップ島沖に停泊させるという失態を犯し……被弾時に微風が南に吹いていた関係で、同島の航空基地をマスタードガス混じりの蒸気が直撃。反撃の嚆矢とならんとしていた空の勇者達が知らずのうちにそれを大量に浴びてしまい、数時間ほどの後に効き始める毒により、フリードマン少佐麾下の索敵攻撃部隊が壊滅に追い込まれてしまった。加えてほぼ同時刻に発進せんとしていた攻撃隊のパイロット達も次々と失明、迷走したTBFアベンジャーが列線に突入して数十機が爆発炎上したというから、もはや意味が分からない。
「し、しかもマクモリス君、これで終わりではないというのですか!?」
「は、はい。残念ながら……」
何故か未だに参謀長をやれているマクモリス少将もまた、これまた見事にやつれていた。
しかしここで虚偽答弁をしても百害あって一利なし。そう自信に言い聞かせながら彼は続けた。
「オーストラリア海軍の護衛艦『ワイアラ』および輸送船『ロウリー・レンジャー』の乗組員多数が中毒を発症。それから……大将、落ち着いて聞いてください」
「今度は何ですか?」
「船酔いするからと上陸中だったガン博士のチームがやられました。ガン博士は一命を取り留めたとのことですが、他は……」
「ううッ、あんまりだァ!」
ダリの超現実絵画の如く顏を歪め、タワーズは現実を拒絶するように泣き喚く。
机上にあったコーヒーカップが粉砕され、何かの冊子が宙を舞う。まったく太平洋艦隊司令長官らしからぬ、極まりなく稚気めいた所業とも思えるが、日本海軍撃滅の切り札たる『ノーチラス』が整備不能も同然となってしまったのだ。しかも命中したのはたった1発の爆弾だけでしかないのに、これだけ出鱈目な被害が生じたともなれば、神の正気すら疑われるべきである。
なおそこでマクモリスは、寄せられていたある情報を揉み消した。
つまるところ夜襲を仕掛けてきたのは、混沌の神の眷属などと恐れられたる食中毒空母だという報告だ。毎度何処からともなく現れ、海軍作戦を悉く破綻させていく、名を口にすることすら憚られる邪悪なる艦。かくの如く悍ましき彼女について言及したならば、太平洋艦隊に更なる災厄を呼び込むだけだろうとの判断だった。
そしてそれは一定の効果を上げたのかもしれない。あと一押しで廃人という雰囲気を醸していたタワーズは、突如として鎮静化し、真顔で猛烈に何か思考し始めたのだ。まるで人格が入れ替わったかのようだった。
「致し方ありません。ここは我々も夜襲を敢行しましょう」
「え、ええと……」
タワーズはごく自然な摂理を説くような口調で言い、マクモリスは虚を突かれる。
爛々と輝く司令長官の双眸には、病的な色が存分に鏤められていて、尋常ならざる気配に圧倒された。
「マクモリス君、第58任務部隊は今どの辺りにいますか?」
「概ねジョンストン島とマーシャル諸島の中間、日付変更線を越えた辺りかと」
「であればただちにマリアナ諸島に第58任務部隊を急行させ、奇襲的な夜間爆撃でもって警戒網を破壊、夜明け以降に大規模航空作戦を実施して奴等の航空戦力を撃滅する……というのが最善の策です。その上で任務部隊は一時後退、航空機と燃料の補充を行った後、改めて日本海軍との決戦に望む。無論、『ノーチラス』もここで投入しますよ。原子動力機関の最終メンテナンスができなくとも当面は大丈夫でしょう」
「その、長官……」
マクモリスは猛烈な頭痛を覚えつつ、どうにか思考を取りまとめる。
実験艦も同然の『ノーチラス』にもしもの事があったらどうする、任務部隊を休養もなしに突撃させるなど無茶苦茶だ。言いたいことは次々と浮かび、それから何より直情的で無鉄砲だと思った。
「確かに第58任務部隊は航空母艦22隻を数える、史上最強の大艦隊に違いありません。しかしながら日本海軍の機動部隊も手薬煉引いて待ち構えており、マリアナ諸島に我々が食らい付いたところを狙う心算やも」
「おやマクモリス君、貴官はソックなる渾名で呼ばれていたそうですが、見事に形無しですね」
何とも挑発的な言動で、マクモリスは思わず紅潮する。
しかしタワーズは一切の遠慮のない笑みを浮かべ、淀みなく続けた。
「日本の機動部隊は出てきません。故にここで一気呵成に攻勢に出たならば、基地航空隊を相手とするだけで済みます」
「理由をお聞かせ願えますでしょうか?」
「簡単なことです。決戦を行う心算なら、態々マジュロを襲うために空母を割いたりしません。実際、被害は……」
執務机がガツンと殴打され、
「大変なことになったとはいえ、輸送船1隻。となればこれは心理的側面に重きを置いた作戦で、まさに我々を狼狽せしめて侵攻を遅滞せしめる狙いがあったと考えるのが妥当でしょう」
「あるいは……敵空母を追討するための部隊の編成を我々に強要し、戦力を分散せしめる」
「少しはソクラテスらしくなりましたね。その通り、誰がそんな手になど乗るものか。ともかくもマクモリス君、ただちに作戦計画を修正し、第58任務部隊を急行させる手筈を整えてください」
「り、了解いたしました」
マクモリスは命令を受領し、鯱張った敬礼の後、司令長官室を退出した。
当初の凄まじいまでの狼狽と、そこからは予想もつかぬ瞬発的思考力。偉大なる元上官にして現海軍作戦部長は、ホワイトハウスの報道官がお似合いだとか信じ難い自己中心主義者だとかタワーズを酷評しており、それらは概ね事実と実感してきたものだが……実のところ相当な人物ではと思えもするから不思議である。
かくして他の参謀達が呼び寄せられ、大急ぎで計画は繰り上げられた。
急転直下のそれが吉と出るか凶と出るかは、未ださっぱり分からない。それでも空前絶後の戦闘機械たる第58任務部隊はマリアナ沖へと驀進し、龍虎相打つ太平洋大海戦の火蓋は、予想外の速度で切って落とされようとしていた。
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