激烈! マリアナ沖航空戦④

横浜市:日吉台



「何でマリアナが攻撃されてんだ、索敵はどうなってるんだ索敵は!?」


「う……嘘だろ。こ……こんなことが許されていいのか」


 陸の上なる聯合艦隊司令部は、夜明け前よりドッタンバッタン大騒ぎといったあり様だった。

 理由については態々記すまでもあるまい。マリアナ諸島が突如として艦載機による大規模空襲を受け、即応体制を取っていたはずの機動艦隊が、揃いも揃って内地でノンビリしていたためだ。


 しかも大混乱の最中、更にろくでもない現地発の緊急電が飛んできた。

 すなわちグアム島東方200海里辺りに展開している米機動部隊は、艦砲射撃を企図している公算大との内容で、数時間後には実際に戦艦が向かってきているのが確認されてしまった。排水量5万8000トンの巨艦たるモンタナ級と高速で鳴らしたるアイオワ級が、無数の戦闘機に護衛されながら急速接近中というから、控えめに言って最悪という状況である。


「おい、どうするんだこれ……」


「どうもこうもありますまい。あ号作戦決戦ですよ」


 狼狽える豊田司令長官に、参謀長の草鹿中将はきっぱり申す。

 なお草鹿中将というと、第五航空艦隊司令長官だった気もするが、そちらは従兄の任一の方である。


「機動艦隊主力を父島沖および中城湾に集結させ、48時間以内にサイパン西方沖に進出する態勢を取らせます」


「うん、そうだな。それが必要だ」


 豊田は肯きつつも心許なげな相をし、


「しかし基地航空隊との連携が、これでは破綻したも同然だ。そこはどうするんだね?」


「敵上陸船団は未だクェゼリンを出ていないとのことです」


 航空参謀の樋端中佐が即答する。


「となれば敵機動部隊も一旦は後退するでしょうから、その隙にヤップおよび硫黄島を経由して増援を送り込んで航空戦力を再建、次なる来寇に備えるべきかと。第五航空艦隊の損耗がどれほどのものとなるか、艦砲射撃でどれだけ地上施設に損害が出るかは未知数ですが……マリアナには有力な機械化設営隊が複数おり、燃料庫や弾薬庫は厳重に地下化しておりますから、恐らく何とかなります」


「であれば現地部隊の奮戦を期する他あるまな」


「はい。それからこの際です、陸軍にも飛行戦隊を追加で出してもらいましょう。洋上攻撃が可能な陸軍航空部隊はそこまで多くはありませんが、機動艦隊の盾となるマリアナで重要となるのは戦闘機。多少本土の守りが疎かになるとしても、ここは出し惜しみするべきではありません


「う、うむ……」


 この期に及んで微妙に歯切れが悪いのが、豊田の困ったところである。

 彼の脳裏に浮かんでいたのは、ガダルカナル島を巡る軋轢や山本軍令部長の韜晦戦術、それから3月の聯合艦隊司令部殴り込み事件など。まあ特に最後のそれなどは、やるやると言っていたニューギニア支援作戦を敵機動部隊撃滅の好機だからとすっぽかした挙句、何の成果も得られなかったのが原因だったりするが……何にせよ陸海軍の組織的不仲は例によって凄まじい。


「まあ、分かった。ここが天下分け目の天王山、全力を投じる他ないな。立ってる者は親でも『天鷹』でも使えだ」


「長官、それからその『天鷹』ですが……」


「あッ、いかん」


 机上に広げられたる大地図の、南洋諸島の中心部に目が釘付けになる。

 米海軍に不可解な混乱を与えたらしくはあるものの、藪を突いて蛇を出してしまった感のある丹作戦。銀河陸爆を装備した第521航空隊が理不尽な大損害を出した中、一応は任務をこなした航空母艦『天鷹』以下7隻は、決戦地の向こう側となってしまったトラック諸島に、未だ停泊しているのである。


「なお長官、ラバウルにあった第八戦隊および第五水雷戦隊も、現在トラックに向けて航行中で……」


「ああ。全艦、大至急呼び戻せ」


 豊田は頭を抱えながら命じた。


「父島沖で角田機動部隊に合流させる。如何な客船改装のやくざ艦であれ、決戦には1隻でも多くの空母が必要だからな。余計なことは考えさせず、とにかく5日以内に小笠原まで移動させるのだ」





トラック諸島:航空母艦『天鷹』



 米機動部隊来寇との報に接した高谷少将は、たちまちのうちに戦意を昂ぶらせた。

 夏目漱石の小説よろしく親譲りの無鉄砲で、役立たずだの無駄飯食いだのといった悪評に業を煮やしまくっている彼のことだ。七航戦は可及的速やかにマリアナ沖に進出、敵主力艦を撃沈だと言いかねない勢いであった。


 ただ相手が全力出撃してきた米機動部隊ともなると、流石にクソ度胸だけではどうにもならぬ。

 硫黄島沖で航空母艦7隻からなる大艦隊を空襲し、信じ難い損害を被ったのが昨年のこと。今回はその3倍近い大兵力であるから、正面から斬りかかったところで返り討ちに遭うだけと、素人であれ理解できるというもの。司令官は弱虫だの意気地がなくなっただのナマを抜かす搭乗員も、蛮族集団の666空には山ほどいたりはするが、それらに対しては頭脳冷却棒をビシバシと見舞ったところだ。


「とはいえだ……」


 司令官室の大机に広げられた地図と、その上に並べられた駒を、高谷はサラリと一瞥する。


「基地航空隊との連携で戦えんもんだろうかな? トラックのみならず、ヤップやパラオなんかにも結構な数の陸攻やら陸爆やらがおるはずだと見える」


「残念ながら少将、現状では机上の空論なんですよね」


 憤懣やる方なしといった雰囲気の打井中佐に代わって、『天鷹』副長の諏訪中佐が諫言する。

 元々飛行長なんかをやっていただけあってか、こういう局面では妙に冷静だ。


「実のところ、基地航空隊とうちらで作戦調整がまるでできておりませんし……もう基地航空隊は出撃準備をしておるでしょうから、連携も何もあったものじゃないかなと。であれば今はカメレオン戦術が一番なんですよね」


「それに決して焦らず、急いで戻ってこいとのことではありませんか」


 艦長の陸奥大佐も呆れ気味で、


「命令違反の無謀な作戦で、自分は女房を泣かせたくはありません」


「ムッツリ、女泣かせなことしかせん癖に何を言うか」


 顔を思い切り顰め、高谷少将は改めて唸る。

 もっともそこ以外はまったくの正論である訳だ。やはりどうやっても太刀打ちできる雰囲気ではないし、豊田司令長官も逃げ道を塞ぐように、マリアナ諸島から400海里以内には近付くなと厳命してきている。


「とりあえず少将、トラック南方80海里で八戦隊および五水戦と合流。そのまま北緯17度、東経158度の辺りまで進み、北西に転針。父島沖に達するという航路でよろしいでしょうか?」


 航海参謀の鳴門中佐があれこれ計算しながら尋ね、


「重巡洋艦の『足柄』と『羽黒』は問題ないとして……五水戦の駆逐艦の燃料が些か心配にですが、夏島の重油タンクの中身は全部使って構わんそうですから、『天鷹』を満タンにしていざという場合は洋上給油で対処します。油槽船も小笠原におるんでしょうから、二戦速で一息に突っ切ってしまいましょう。5日以内に戻らねばなりませんし、潜水艦対策という意味でも、ノンビリと航行するべきではありません」


「うむ。まあそうする他あるまいな」


 高谷は不承不承肯き、それでも何らかの戦果を挙げたいものだと思いあぐねる。

 そうして改めて基地航空隊の陣容を見ていると、やはり何百という数がいる。おっとり刀で駆けつけるような戦になるとしても、米空母の何隻かが被弾して後退を余儀なくされるのではないかと予想された。


「いや、メイロ。もう少しだけ航路を西に寄せろ。その代わり索敵を厳重にする」


「ええと少将……落穂拾い戦術でしょうか? 余計なことを考えるなと言われておりますが……」


「これが余計なことなはずがないだろう。実際、ミッドウェーでは敵空母『エンタープライズ』を取り逃がし、後になって復帰されて迷惑千番だった。敵は物量に優れたる米海軍。落穂拾いだろうが何だろうが、沈められる時に沈めてしまわねばならん」


 高谷はそう断じて航路を修正させ、ここでこそ主力艦撃沈だと息巻いた。

 まったく捕らぬ狸の皮算用も甚だしい。司令官室に居合わせた幾人かがそう思った直後、新たな電文を携えた佃少佐が扉から現れ――彼の足許を猫のインド丸と陸奥の飼い犬のウナギが駆け抜けた。そうして地図上の駒が次々と、追いかけっこ中の動物達に弾き飛ばされてしまった辺り、またも上手くいかなさそうな気配が漂ってくる。

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