激烈! マリアナ沖航空戦⑤

太平洋:グアム島沖



 晴天に刻まれた数多の飛行機雲は、大型肉食獣が蒼穹を好き放題に引っ掻いたかのよう。

 グアム島近傍に向けて驀進する第58任務部隊の数千メートルほど上を、信じ難い数の航空機が、敵味方に分かれて乱舞しているのだ。紫電改とF6Fが互いの六時を取らんと縦横無尽に駆け回り、武運に恵まれなかった者の操る機が、あっという間に火達磨となって墜落していく。熾烈極まる空中戦の間隙を突いて降下していく銀河の一群に、F4Uの小隊が猛烈に加速しながら追随し、怒涛の如き火力を投げつける。まさしくそこは慈悲も容赦もない決闘場だった。


 ただ壮絶なる戦局を具に観察すれば、天秤は合衆国の側に傾きつつあると分かる。

 被害が相応に生じているのも事実には違いない。実際、軽巡洋艦1隻と駆逐艦2隻が爆雷撃によって撃沈され、インディペンデンス級航空母艦『クラウンポイント』が大破炎上している状況ではあった。それでも波状的に来襲したる日本軍機の脅威は、概ね過去のものとなろうとしており、対する撃墜数は1グロスほどにもなっている。マリアナ諸島に逼塞していた航空戦力に加え、ヤップやトラックから飛来した長距離攻撃機も釣り出せた形だった。

 そして挙げたる戦果の幾らかは、少数ながら配備された新型機が故かもしれないが……やはり任務部隊のチームワークがあってこそ。F8Fベアキャットで2機を撃墜した歴戦のアスティア少佐は、愛機の性能に惚れ惚れしながらも、冷静さを見事に保っていた。


「スカイレンジャー、燃料の残りはどれほどだ?」


「概ね50ガロン程度」


 防空管制からの質問に、アスティアは燃料計を一瞥もせずに回答。

 F8Fは素晴らしく軽快な戦闘機だが、大馬力エンジンを小柄な機体に据えただけあって、航続距離の短さが泣き所だ。


「あと1回戦くらいなら、敵機を相手に大立ち回りも可能だ」


「ジャップ野郎どもも流石に息切れしてきたようだ。スカイレンジャー、帰投を許可する」


「俺等が戻って大丈夫か?」


「大丈夫だ、問題ない。交代はグラント大尉の隊だ」


「スカイレンジャーリーダー了解。これより帰投する」


 アスティアは命令を受領し、僚機にそれを伝達する。

 安堵の息を吐くにはまだ早い。日本軍機の襲撃を凌ぎつつあることに疑問の余地はないが、何が起こるか分からぬのが空だ。無事に自分の足で飛行甲板に降り立つまでは、とにかく油断は禁物なのだ。


(まあ、だが……)


 海原を征く艨艟と、その先にある島影を望みつつ、アスティアは作戦成功を確信した。

 母艦たる『ワスプ』より20海里ほど西を進む水上打撃部隊が、グアム島を射程に収めんとしていたのだ。


「頑張ってくれよ」


 陰りつつある陽の眩しさに目を細めつつ、アスティアは届くはずもない声援を送る。

 すると如何なる偶然か、水上打撃部隊を率先垂範するモンタナ級戦艦の前後甲板が、パッと閃光に包まれた。開戦劈頭に占領されたグアムには、日本軍が難攻不落の要塞を建設してしまったとのことだが……デデドの市庁舎に再び星条旗が翻る日も、この分ならそう遠くはないだろうと思われた。





サイパン島:アスリト飛行場付近



「糞ッ、どう責任を取っていいのか分からん……」


 搭乗員用の退避壕に逼塞したる室田大尉は、無力感と自責の念に打ちひしがれていた。

 最新鋭のジェット戦闘機たる蒼雷を任されていながら、初動でB-29電子戦型を迎撃し損なった。結果、迎撃管制の擾乱と米夜間戦闘機の跳梁を食い止めることに失敗し――新米ながらも見込みのあった水島二飛曹を乗機ごと失ったのみならず、爾後の航空戦闘における友軍の劣勢を招いてしまったのだ。


 そして今、サイパンは艦砲射撃の猛威に曝されていた。

 何百という艦載機によって守られた、4隻の戦艦と2隻の重巡洋艦を主力とする艦隊が、10海里ほど沖を遊弋しているのだ。矢継ぎ早に繰り出される大口径砲弾が、滑走路を片っ端から掘り返し、連続的なる衝撃が退避壕を揺さぶった。弾着の度、空で勇戦できるはずだった航空機が地上において破砕され、大勢の将兵が死傷していく。凄惨なるその様子がありありと脳裏に浮かび、提げたる軍刀で発作的に切腹しそうになるほどだった。


「室田大尉、自惚れてはいかんぞ」


 唐突に予想外の言葉が投げかけられた。

 第261海軍航空隊で飛行隊長をやっている笹本少佐だった。激烈なる砲火の下にあっても尚、泰然自若を崩さぬ彼は、しかし刺すような眼光を向けてきていた。


「B公の迎撃に成功していれば、この局面はなかったかもしれぬ。大方、そう思っておるだろう?」


「はい。間違いなく私の責任です」


「それこそ自惚れではないか」


 笹本はピシャリと言い切り、大将にでもなった心算かと続けた。

 室田はコンマ数秒ほど硬直し、程なくして顏を紅潮させた。まず個人の力量で結果が左右し得たと思うこと自体が驕りで、どうにもならぬ結果を悔むのは無意味だ。それに命令を受け出撃した以上、最終的な責任は当然、航空隊司令の上田中佐ひいては第五航空艦隊司令長官たる草鹿中将に帰せられる。幾ら敵機を仕損じたのが自分であれ、上官が負うべき責を勝手に横領せんとするなど、増上慢も甚だしいとしか言えぬだろう。


 あるいは海軍将校としての基本が分からなくなるほど、頭が逃げ腰となっていたのかもしれぬ。

 そうして己が精神状態を客観視していくと、ますます恥ずかしさが増してきて、今度こそ本当に腹を掻っ捌きたくなってくる。だが過ちては改むるに憚ることなかれであるし、顔から火が出そうであっても、無恥なままであり続けるよりは遥かに良い。最終的に勝てばよい、そう断じて弱気を吹き飛ばす。


「少佐、申し訳ございません。落ち着きました」


「うむ。とにかくこの決戦、尋常なものではないからな」


 その言葉を証明するかのように、猛烈なる地響きが伝わってきた。

 かなり近くに落ちたようだ。それでも直撃でもない限り、地下化された施設は容易に破壊できぬものである。


「今は飛び立てなくとも、いずれ機会は巡ってくる。それまでは軽挙妄動を慎み、ひたすらに隠忍自重し、その時が来たら死に場所を得るまで大暴れしてやろうではないか」


「はい。心得ました」


 室田は屈託ない声で肯き、それから艦砲射撃のそれとは種類の異なる震動に気付く。


「陸軍の要塞砲が、どうやら射撃を開始したようだ」


「おおッ!」


 反撃が開始されたとの報に、飛行科の士官達がどっと沸く。

 マリアナ防衛の要として、サイパン最高峰のタッポーチョ山に据えられた45口径30㎝カノン砲。かつて巡洋戦艦『鞍馬』の主砲であったそれは、低速航行中のボルティモア級重巡洋艦と思しきを照準し、数射のうちに命中弾を叩き出す。





太平洋:エニウェトク環礁西方沖



 今年の初頭に就役した航空母艦『ダカール』は、些か趣の変わった艦に違いない。

 何しろ元々は、ユナイテッド・ステイツ・ライナー社の大西洋横断客船『アメリカ』だ。英独が激烈な航空戦を繰り広げていた頃に完成した彼女は、就役から1年と経たぬうちに海軍によって徴発されることとなり――合衆国が史上最低最悪の海軍記念日を迎えることとなった1942年の末頃、航空母艦への転用が決まったのだった。


 もっとも『ラファイエット』などとは異なり、『ダカール』の改装は遅々として進まなかった。

 ある意味で酷く中途半端な船舶であったが故である。排水量2万6000トン超と規模は十分に大きいものの、流石に最大速力が17.5ノットではお話にならぬ。そのため機関の換装などを含めた大工事となってしまったのだが、必要な資材や人員は本命のエセックス級航の建造にまず回されていたため、まともに進捗する余地がない。お陰で関係者がほぼ彼女の存在を忘れ去ってしまい、反攻のための戦力が十分に整った頃になってようやく、速力24ノットの中速航空母艦として戦列に加わったというあり様だった。


「それでも案外、この艦も役立ったりするものだよ」


 艦長たるシャーウッド大佐は、昇り始めた陽を背に、コーヒーで目を覚ましながら独りごつ。


「艦隊型空母とは比べるべくもないかもしれんが、いわば十分な自衛能力を有した戦略航空輸送艦だ。機動部隊が長距離作戦をやる上での、縁の下の力持ちとでも表現したらいいのだろうかね」


「ええと艦長、誰に対して言っておられるので?」


 副長が条件反射的に、平坦な口調で突っ込んでくる。

 まあ要するに退屈凌ぎだ。シャーウッドはノンビリと笑い、ふと遥か西方の空を見つめる。そちらに800マイルほど進んだ先では、夜が明けたる今も尚、激烈なる海空戦が繰り広げられているはずだった。


「して、状況は?」


「第58任務部隊はマリアナ諸島の航空基地群を艦砲射撃で壊滅させ、更に近隣諸島の航空戦力も誘引できた模様です。無論、既にインディペンデンス級空母2隻を含めた7隻が沈没あるいは雷撃処分となり、艦載機も200機以上損耗したようですが……残すは南雲だか小沢だかの機動部隊討伐のみともなれば、まずまずの戦果と言えるでしょう」


「であれば……我々が航空機と燃料弾薬を運び終えれば、決着がついたも同然か」


 一息ついたシャーウッドは、再びコーヒーなど飲みながら、少しばかり未来のことを考えた。

 戦争が終われば『ダカール』もお役御免で、出世街道とはあまり縁のなかった自分も退役となりそうだ。エセックス級の艦長のような雄々しい英雄譚こそないが、祖国と海軍に貢献できたことだけは間違いない。地元の造船所か何かの顔役となりながら、子や孫の成長を見守る余生を過ごすのも悪くはなさそうだ――そんなことをぼんやりと思う。


 ただもしかすると、最後に花を咲かせる機会もあるのかもしれなかった。

 何せ神出鬼没の疫病神なる食中毒空母が、トラック方面に停泊しているとのことだ。一方で『ダカール』と駆逐艦6隻からなる第54任務部隊の後方30海里には、補充機を満載したコメンスメント・ベイ級護衛空母4隻を含む支援艦隊が展開している。となればそれを巡っての海戦が勃発する可能性もあり、油断するにはまだ早いと自らを戒める。


「まあ、すべては神の御心のまま」


 シャーウッドは鷹揚にそう言い、警戒監視を強化せよと改めて命じる。

 実のところを言うならば――『ダカール』や護衛空母に乗っているパイロット達はいわば二軍で、今マリアナ沖で戦っている連中と比べれば、やはり技量が幾らか見劣りした。それでも彼等は僅かな差で、迫りつつあった脅威を先んじて発見してしまうのだから、まったく世の中は分からない。

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