激烈! マリアナ沖航空戦⑥

太平洋:エニウェトク環礁沖



「あッ……二時方向の敵艦、こちらに向かう」


「急速潜航、急げ」


 正午過ぎ。緊急の報告が齎されるや否や、伊二〇五艦長の田村少佐は即座に命じた。

 電測をやっている兵曹長は相当のベテランで、技量も確かな逸材だった。何しろ1時間ほど前、艦橋に据えられたる新型の電波探知機を活用し、水平線の彼方にいる駆逐艦らしき艦艇の大まかな針路や速度を、信号強度と到来角の偏移から割り出したほどなのだ。そんな彼が気取られたと言っているのだから十分な根拠があるに違いなく、そこに疑問を差し挟む余地などあるはずもない。


 ともかく諸々の機材を急ぎ収容し、メインタンクに一気に注水。伊二〇五は海面下に没する。

 要した時間は1分強と、及第点とも言い難かった。乗組員の錬度もそうだが、どちらかというと技術的新機軸と不具合が山盛りの潜高型であるが故だろう。とはいえここで贅沢は言っていられない。主電動機が故障しようと電池室で火災が発生しようと、20ノットという圧倒的な水中高速性能をもって米主力艦を襲撃し、皇国を勝利に導かねばならぬのだ。


「もっとも、敵の機動部隊は既にマリアナ沖で暴れておるのだったな……」


 発令所に降りた田村は、海図を睨んで忌々しげに唸る。

 潜水艦は通報艦をも兼ねるべしとされているが――横須賀空襲に引き続き、またしても機動部隊の捕捉に失敗してしまったためだ。伊五十八が金門橋もろとも米巨大空母を撃沈したが故、何とか第六艦隊の面目は保たれてはいるものの……これでは『天鷹』を無駄飯食いと嗤えなくなってしまう。


「まあ、それはいい。問題は目下の敵だ」


 田村は素早く思考をスイッチさせ、


「副長、相手は何だと思う?」


「やはりタンカー護衛の快速機動部隊ではないかと」


 切れ者然とした副長が分析する。


「あるいは交代の空母群を送り込んだのかもしれませんが……艦載機と母艦との間で交わされたと思しき無線通話も何度か傍受しておりますから、大物がいるのは確実かと」


「だろうな」


 軽く首肯した後、田村は航海長の方へ視線をやる。


「さて、敵空母がこの先にいるとして……今後どう動くだろうか? 転針あるいは避退にでも移るかな?」


「何から何まで推測にはなりますが、五分五分かと」


 航海長はノンビリした口調で述べ、


「大事をとって転針するかもしれませんが、敵駆逐艦が本艦を制圧するとの判断の下、そのままの針路を維持する可能性も十分あるかと考えます。後者であるとすれば、襲撃の機会もあります」


「ああ。何しろ潜高型の実戦は今回が初めてだ」


 彼我の位置関係を脳裏に浮かべつつ、田村はほくそ笑む。

 航海長の言う通り、賭けにはなるとはいえ……6ノット程度で北に向かって水中航行すれば、航空母艦と鉢合わせできる公算が高そうだ。米海軍は潜高型の存在とその水中高速性能を把握してはおらぬだろうし、いずれにせよ向かってくる敵駆逐艦の追撃を躱すために電池は使わねばならぬから、進むべき道はただひとつしかあるまい。


「よし、いっちょやってやろう」


 田村は決意を表明し、爽やかなる敵愾心が艦内に伝播する。


「逃げれば1隻、進めば2隻、敵艦は沈められるものだからな」





 伊二〇五が6ノットで潜航していた午後2時過ぎ。航空母艦『天鷹』もまた、とんでもない騒ぎに見舞われていた。

 索敵を強化して落伍した敵主力艦でも狙おうと思っていたら、いきなり発見されてしまったのだ。田中少将がラバウルから連れてきた重巡洋艦の『足柄』と『羽黒』が、これでもかと検波起爆式の三式弾を撃ちまくり、艦隊上空を航過せんとしたSBDドーントレスらしき機体を撃墜しはしたのだが……その前に位置を打電されてしまったからどうにもならぬ。


 もっともそれから数分後、今度は索敵に出ていた彩雲が、敵発見と通報してきた。

 北東およそ100海里の海域に、級別不明の中型航空母艦1隻を含む数隻がいるとの内容で、先の敵機もここから発進したに違いない。とすれば殴り合うしかない状況だ。豊田司令長官が余計なことをするなと厳命してきていた気もするが、彼我の距離がえらく近い訳であるから、麾下の艦艇の安全を確保するためにも、これを排除する他にないのである。


「まさかこんなところで出くわすとは思わなんだが、ここで遭ったが百年目。是が非でも敵空母を撃沈し、マリアナ決戦の手土産としてやろうではないか」


 高谷少将は猛烈に精神を昂らせ、拳を振り上げ意気込みを示す。

 実際待ちに待った空母対決、それもタイマン勝負だ。役立たずだの無駄飯食いだのという悪評に苛立っていた者どもが、今こそ汚名返上の時と白熱しまくっていた。


「それでダツオ、何機をどう出し、どう沈める?」


「第一波攻撃隊として32機、紫電改と流星を半分ずつ。相手はそれなりに規模のあるフネのようですから、まずこれで敵の飛行甲板をぶち壊します」


 666空司令たる打井中佐もまた、眼を血走らせながら返答する。


「それから残りの紫電改を片っ端から発艦させ、上空で待機。敵攻撃隊も来るでしょうからこれでもって千切っては投げ、しかる後に80番徹甲爆弾装備の流星12機でもって敵空母を撃沈しようかと。ああ、爆装しておっても流星なら日没まで飛んでおられますし、敵との距離も近いですから、こちらもさっさと発艦させちまいましょう」


「うむ。しかし魚雷がないのが辛いな」


「ええ。聞き耳爆弾が使い物になればよかったのですが、ありゃポンコツガラクタの聾爆弾ですからどうにもなりません。とはいえ666空の流星乗りは、ゴリラを始めとして荒武者揃いですから、水平爆撃だろうと当てるでしょう」


「よし! 早速出撃準備にかかれ」


 高谷は大音声で発令。打井は迅速果敢に敬礼し、ゴム毬めいてすっ飛んでいく。

 目と鼻の先に敵空母がいるのだから、とにかく撃沈あるのみ。実際ここで戦功を立てれば、海軍の誰も『天鷹』と七航戦を馬鹿にはできなくなるだろう。加えて聯合艦隊の主力たる『赤城』や『翔鶴』なんかにしても、ここ数年は別段手柄を立てていないから、大威張りできるのではないかと思い至った。


 ただ熱狂的なる空気の中、航海参謀の鳴門中佐が、些か難しい顔をしているのが気にかかる。


「うん? メイロ、何か妙な顔をしておるな。変なものでも拾って食ったか? 今回も貴官の操艦技量が頼りであるのだから、ショボくれていてもらっては困るぞ?」


「いえ、何故こんなところに敵空母が……1隻だけポツンといたのか気にかかりまして」


 鳴門は更に複雑な顔をし、高谷もなるほど確かにと首を傾げる。

 とはいえ単細胞の"低"督などと言われるだけあって、それも長続きはしなかった。何であれ敵空母が間近にいるのだから、まずその撃滅に集中すべしとの判断で、一応それも間違いではないからややこしい。





 間もなく始まろうとしている海空戦に、航空母艦『ダカール』の乗組員もまた盛り上がっていた。

 格納庫内の艦載機に整備員達が爆弾やロケット弾を取り付けていき、エレベータがせわしなく昇降する。飛行甲板後部にはF6FヘルキャットやらTBFアベンジャーやらがズラリと並び、それぞれがエンジンを轟々と鳴らしまくる。準備が整った隊から随時発艦させていく段取りで、カタパルトが最初の1機を射出するまであと数分といったところだ。


「それにしても、奇しくも客船改装空母同士の殴り合いとはな」


 艦長たるシャーウッド大佐は、水平線の彼方を望みながら呟いた。

 邪神の眷属だの悪魔の化身だのといった荒唐無稽な迷信すらまとい、しかし幾人かの提督を憤死や精神異常に追いやっている食中毒空母。それが『ダカール』から100海里の距離にいるかと思うと、何か因縁めいたものを感じずにはいられない。


「これもまた神の定めし運命というものだろうかね」


「いえ、軍事的必然と考えるべきではないかと」


 副長が素早く、なかなかに真剣な面持ちで反駁する。


「件の食中毒空母は連合国軍の嫌がるところに必ずいるなどと言われておりますが、裏を返せば我々の弱点を的確に把握し、最小限の兵力でそこを突くことに長けているということです。これは日本に古来より伝わるニンジャ、すなわち隠密活動を生業とする一族のやり方で、食中毒空母を率いる高谷なる少将は実際その末裔との説があるとのこと」


「そのニンジャとやらが機動部隊を率いたならば、確かに支援艦隊を狙いに来るか」


 シャーウッドはなるほどと納得した。

 もちろん高谷家にそんな由緒などあるはずもなく、まったくもって噴飯ものの説である。とはいえアメリカ人は滅多にコメを食わぬから、噴き出す飯がそもそもないのだった。


「とはいえ食中毒空母の悪運もここまで、艦載機さえ発進させてしまえばこちらのものだ。敵も攻撃隊を放ってくるだろうが、相打ちならば合衆国海軍の勝利だろう」


「つまり本艦が突然消滅でもせぬ限り、結果は変わらぬという訳ですな」


「副長、神は大変に……」


 耳聡い。シャーウッドはそう咎める心算だった。

 それが実現しなかったのは、直後に激震に見舞われたために他ならぬ。『ダカール』の左舷900ヤードほどの海中には、先刻動きを封じたはずの潜水艦が潜伏しており――経験豊富とは言い難かった見張り員が、至近距離で発射された九五式魚雷を見逃してしまっていた結果、立て続けに3発も被雷することとなったのである。

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