巴里地獄変・中

エブルー:田園地帯



 フォード社製のガソリンエンジンを轟々と唸らせながら、車体に星を描いた重戦車の群れが進んでいく。

 本土で訓練中であったところを急遽前線へと送られた、最新鋭のM26パーシングである。50口径90㎜砲を搭載した合衆国最強の地上戦闘兵器たるそれらは、パリへの道を啓開せんとする三叉槍の穂先それぞれに据えられ、激烈なる戦闘を繰り広げていた。


 部隊は未だ錬成途上であり、早急な実戦投入には同意しかねる。そうした声も確かにあった。

 だがそれがまったくの杞憂だったことは、直近の戦歴を見れば明白だろう。頼もしい近接航空支援の後、進撃を開始した部隊の傍らには、黒煙を吐く金属塊が幾つも転がっている。ティーガーやパンターといった、恐怖の代名詞であったドイツ軍の重戦車。それらを正面切っての戦闘で撃ち破ったという事実は、アメリカ人の戦車乗りにとって何よりの福音となった。


「パーシング量産の暁には、ドイツ軍などあっという間だ」


「まさしく百獣の王ライオン。虎や豹はソーセージに早変わりよ」


 第3機甲師団で戦車小隊を率いるニールセン中尉は、そう豪語して憚らなかった大隊長の面を思い出す。

 実態は言うほど容易くはなかったし、自分も3号車を撃破されもしたが……確かな手応えを実感することはできていた。何しろ脆弱なM4シャーマン中戦車を駆っていた頃は、犠牲を覚悟での物量戦をやり、戦友を囮として敵の側面を取るなどせざるを得なかった。当然、被害は甚大。それと比べれば天と地ほども違うというものだ。


(ともかく、死んでいった連中の仇を取る。それからパリの友軍を救援し、ヒーローになるのだ)


 ニールセンは拳を握り、メラメラと戦意を燃やす。

 願望を叶えるために必要なのは、周辺に対する怠りない警戒だ。


「4号車より1号車、異状ありません」


 ちょっとした丘に陣取った小隊軍曹が、落ち着き払った声で報告してきた。

 ニールセンは再度の確認を指示。念入りに索敵しても、見つからぬ時だってある。しかしつまらぬ死に方を避けるためには、それが必要不可欠なのだ。


「やはり異状ありません」


「よし、5号車は躍進。ミッキー、お前達の番だ。落ち着いて、教範通りやれ」


「了解。5号車、躍進します」


 車長の中で一番若い伍長の返答が、無線機を通じて木霊する。

 直後、彼の操る車輛が動き出した。小隊軍曹が見守る中、着実に進んでいく。生き残ればいい戦車乗りになるだろう。そう思った直後、事態は急変した。


「前方、敵戦車。距離およそ2000」


 小隊軍曹が叫び、


「5号車、応戦しろ。方位15に敵だ」


「了解。ただちに……」


 無線は途切れ、代わって金属の拉げる音が響いてきた。

 それに続くは轟然たる爆音、つまりは弾薬庫の誘爆だ。見込みのありそうだった若者は、死神の鎌によって刈り取られてしまった。その事実にやり場のない憤りを覚えつつも、ニールセンはまず真っ先に尋ねる。


「軍曹、敵は何だ? キングタイガーのお出ましか?」


「違います。もっと大きい……何だあいつは!?」


 経験豊富な小隊軍曹の声は震えていて、ただ事ではないと即座に理解できた。

 ニールセンは間を置くことなく中隊本部への回線を開き、敵新型戦車出現と報告した。ただし敵が1輛のみであったことから、中隊長は交戦するよう命令してきた。


 そしてその結果として……ニールセン小隊は全滅した。

 丘の向こうに潜んでいたもの、それはヒトラーの発案を元に設計され、何故か実戦配備にまで至ってしまったⅧ号戦車マウスだった。155㎜榴弾の効力射にすら抗堪し、12.8㎝砲であらゆる車輛を切り裂いてくる化け物。その脅威はロンドンのアイゼンハワー元帥をも震撼させ、第17軍集団の進軍を遅滞させるなど、実際の戦果以上の戦略的影響を及ぼすこととなる。





パリ:市街地



 一般論として都市部での戦闘は、守る方が有利だとされている。

 容易に破壊し得ぬ近代建築物は、そのすべてが要塞のようなもので、圧倒的な地の利を発揮できるためだ。加えて車輛への近接攻撃も行い易く、攻め込む側と比べればまだ部隊間の連携もし易いなど、戦術的には利点が多過ぎるくらいである。


 しかしたいていの場合、防御側は袋小路に追い詰められているものだ。

 故に断固たる意志をもって攻勢を決意し、粘り強く1ブロック1ブロックを制圧していけば、必ずや勝機は訪れる。陸軍第85師団のベヒラー少将は作戦開始の前日にそのように訓示し、今のところ状況はその通りになっていた。パリ外縁の陣地より後退する連合国軍部隊を追うように、北東および南から市街へと侵入したドイツ軍は、怪しげな建物を戦車砲で粉砕したり片っ端から手榴弾を投げ込んだりしながら、着実に支配地域を拡大させつつあったのである。


「午前4時をもって、我が隊はパリ北駅構内へ突入する」


 新任の小隊長たるベーム少尉は、些か鯱張った声で宣言した。

 鉄筋コンクリート造りのアパートメントに集った兵隊達は、黙ってそれに肯く。犠牲は大きく、戦えるのは30名ほど。それでも一番槍をいただいてやろうと、誰もが意気軒高といったところだ。


「それまでは休憩だ。薬のお陰で眠れんかもしれんが、とにかく頭と身体を休ませろ。以上だ」


「了解でさ」


 軍曹達は命令を受領し、時計を合わせた後、それぞれの分隊の屯する建物へと戻っていく。


「さて……皆、一服でもしよう」


 ベームは少しばかり息を吐いた後、煙草のカートンを取り出し、室内に残った者達に配給する。

 民族の健康に害毒が及ぶ、北米有色人種の悪質な嗜好品に他ならぬ。総統閣下はそう仰せになられたとのことだが……硝煙と砂塵、死臭を誤魔化すにはこれしかない。


 そうして暫くの間、他愛もない話などしながら紫煙を燻らせる。

 これが人生で最後の煙草となるかもしれないから、代用品ではなく本物を吸うべきなのだ。だいたい戦争ほど健康に悪いものもないだろう。そんな具合に盛り上がっていたところ、1人の若い兵隊が妙な顔をした。


「フリッツ、どうした?」


「はい、少尉殿。先程から妙な音がします」


「この街は戦場だ、幾らでもするだろう」


「少尉殿、自分にも聞こえてきました」


 スターリングラード帰りだという軍曹が、剣呑な表情を浮かべて言う。


「これは恐らく……米軍の重爆です。それも相当な数の」


「どういうことだ!?」


 ベームは驚愕し、北に向いた出口より飛び出した。

 そうして辺りを見回すと……幻想的に煌く何らかの物体が、数ブロックほど先に降着していた。重爆撃機のエンジン音はもはや疑いようもなく耳朶を叩いていて、その直後、街並みが連続的に爆ぜ始めた。


「空襲、空襲だ」


 誰かが叫び、またもや炸裂音が響き渡る。

 敵重爆撃機の意図するところは容易に想像でき、それだけにベームは途方もない悍ましさに襲われた。


「糞ッ、奴等……俺等を街ごと焼き払う心算かッ」





「市街を廃墟と瓦礫に変えれば防御戦闘に有用な障害物となる」


「ドイツっぽや裏切り者も一緒に窒息死させられるから、まさしく一石二鳥」


 4月25日のパリ爆撃を主導した米陸軍航空隊のルメイ少将は、一切憚ることなくそう主張したという。

 流石は後に鬼畜などと呼ばれたる人物である。しかも彼はたじろぐ部下の尻を叩いて言う通りにさせ、その後もドイツ軍の支配地域となった辺りに、誤爆上等で爆弾と焼夷弾をばら撒き続けた。そうして至極当然に発生した大火災により、瀟洒な街並みは灰燼に帰してしまったのである。


 無論それにより、ドイツ軍は結構な人的被害を受けはした。

 だがそれ以上に潰えてしまったのは、市街にあったあらゆるフランス人の戦意に違いない。彼等はナチズムへの敵意は当然有していたが、無軌道な戦術を繰り返す米英に対しても相応の憤りを有しており、また何よりパリの都を愛していた。そうした中で歴史に対する敬意の一切を踏み躙った、自棄っぱちな空襲が行われたとなれば――これ以上の戦闘は得策でないと考える人間が増殖したとしても、別段不思議なことでもないだろう。


「如何なる理由があろうとも、パリは守られなければならないんだ」


「今は雌伏の時。悔しいだろうが仕方ないんだ」


 かつてレジスタンスを名乗っていた男達は、そう言い合って自分達を納得させた。

 今まさに行わんとしているのは、どう言い繕ったところで寝返りである。あるいは先に裏切ったのは米英の連中なのかもしれないが――ともかくも彼等は地元の人間ならではの地理感覚を発揮し、夕刻の紅に染まる瓦礫の街を抜け、米軍が仮設の補給所としている建築物へと忍び寄る。


「よし、やれ」


 リーダー格のモローが命じ、割れ窓より手榴弾が投擲された。

 カツンと乾いた音と英語の絶叫、その直後に爆発音。衝撃で僅かに残っていた窓ガラスが飛散し、激痛に悶える声が木霊した。


「悪く思うなよ」


 モローが無理な要求を口にした直後、小銃弾が彼の頬を掠めた。

 米軍の歩哨に発見されたのだ。元レジスタンスの面々はただちに物陰に伏せ、勇敢にも反撃に転じたパン屋のトマが、間もなく断末魔の叫びを上げて倒れる。


「ばらけて逃げるぞ。例の場所で落ち合おう」


「分かりやした。どうかご無事で」


「お前等もな」


 不敵な声で笑った後、モローはいただきものの煙幕手榴弾で血路を開く。

 そうして部下の離脱を確認し、自分も続こうとした矢先、彼の肉体はズタズタに引き裂かれた。ドイツ軍の15㎝榴弾が目標を外れ、偶然にも至近距離で炸裂したのだ。


「糞ッ、最悪だぜ……」


 モローは無念そうに毒づき、間もなく息絶える。

 彼が最後に見たもの、それは爆炎に包まれるエッフェル塔だった。パリを象徴する歴史的記念碑の展望台は、何時の間にやら観測所に変わっていて、それ故に戦場と化したのだ。

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