最高戦争幕引き会議
東京:皇居
「独空軍、乾坤一擲の化学爆撃を敢行。欧州方面の連合国軍に壊滅的打撃」
「華盛頓、紐育など米国主要都市も被害甚大。ト大統領も重傷との報」
12月16日付の号外見出しに躍るは、かように壮絶なる文字列であった。
防空壕を掘ったり疎開せんと急いだりしている市井の反応は、それこそ三者三様といったところ。これで米国も講和に応じざるを得ぬという楽観主義的な見通しもあれば、逆にルール無用の残虐大戦に発展すると危惧する声も転がり出る。ただ突如として不気味になった戦局に、誰もが得体の知れぬ不安を覚えているのは事実で、カムチャッカ半島はペトロパブロフスクに米爆撃機が進出したという流言が飛び、出所不明のそれに惑わされた人々がソ連大使館周辺で暴れるという事件も発生していた。
とはいえ政府や統帥部の混沌ぶりも、似たり寄ったりだったかもしれぬ。
昨日、玉音によって示された通り、迅速なる和平をもって一億同胞の安寧を計らねばならぬことは明白。だが今まさに進行しているのは、従来の常識から完全に逸脱した最終戦争に違いない。信じて送り出した秘密交渉団が米国の高圧的かつ好戦的な態度に卒倒し、しかも原子兵器という未曾有の脅威が刻一刻と本土に迫っているという状況とあっては、帝国の舵取りは狂気的なまでに難しく……最高戦争指導会議に名を連ねる者達の面にも、火を見るよりも明らかな憔悴の色が滲んでいた。
「それで、米国の状況は?」
「まったくの混沌、そうとしか表現のしようがありません」
重光外相が当惑し切った面持ちで報告する。
「大統領が意識不明の重態、副大統領は空席のまま、閣僚および上下両院議長の生死もほぼ不明。外務省としても総力を挙げて分析を行っておりますが、権力を継承するのが誰かすら、定まった見解が存在しないというあり様です」
「どうするんだこれ……」
「これでは交渉も成り立たん、何を考えておるのだ」
錚々たる出席者達が、頭を抱えながら声を荒げる。
一大要塞であったタッポーチョ山に対する原子爆弾攻撃はともかくとしても、10万近いベルリン市民の生命を奪った米国の蛮行は、万民の批難するところとなっていた。しかもその圧倒的なる暴威をもって、ほぼまとまりかけていた停戦案を反故にする始末であったから、英国やソ連邦ですら大戦からの離脱を本格検討しているとのことで――そうした連合国内の不和を契機として、幕引きを図ることも可能と考えられていたのだ。
しかしそれが致命的な失点と認識される前に、ワシントンD.C.への化学爆撃が実施され、政府機関が壊滅してしまった。
ヒトラー総統の公言する通り、同害報復であるには違いない。国際道義の観点からも妥当とは言えるだろう。だが新たに成立するであろう米暫定政権がどのような方向性を有するか、また悍ましき神経剤に晒された米世論がどう反応するかは、まったくもって読み難い。下手をすれば全世界と敵対してでも戦争を継続する怪物合衆国が誕生してしまうかもしれず、来年春にも完成が見込まれている対蹠地爆撃機B-36の存在を踏まえると、本当に地獄めいた展開になりかねなかった。
そして直近の重大問題は、外交手段によって破滅的事態を抑止するとの見通しが、まるで立たなくなったことに他ならぬ。間もなくテニアンに搬入されるであろう原子爆弾を、最後の最後で止められる人物は、現状誰一人としていないのである。
「となればやはり、義烈作戦にすべてを賭ける他ありますまい」
軍令部長の山本元帥が、落ち着き払った口調で言ってのける。
「原子爆弾奪取を目的とする義号、フラットヘッド黒鉛炉破壊を目的とする烈号、いずれも成功率は五分といったところでしょう。ですがどちらかでも成功すれば事態の打開も可能です。米国の今月に入ってからの狂乱ぶりは、戦争の行き詰まりの中で超兵器を手にしてしまったが故。ならばその源泉たるものを打ち砕き、交渉の場に引き摺り出す他なく……作戦遂行の観点のみで申し上げるならば、米国の混乱は千載一遇の好機と言えましょう」
「まあ、間違いなかろうな」
内閣総理大臣にして陸相、それから参謀総長の東條は、無機質な口調でおもむろに応じた。
もっとも眼の焦点が微妙に合っていない。先月末、ようやく米国が停戦に同意する見通しだとの報告を受けた彼は、ようやく戦時宰相を降りられると安堵していたのだが……予定のすべてが水泡に帰したことで、精神が若干参ってしまっていた。
「とはいえ、それにしても五分か」
東條は眉を顰め、
「悲願であった米英遮断を成し遂げたにもかかわらず、神聖なる国土が何時、原子爆弾によって破壊されるか分からぬ末法の世がやってくるとは。陛下には那須御用邸に移っていただいたが……まったくもって慙愧に堪えぬ」
「首相、たとえテニアン強襲が失敗に終わったとしても、本土上空では陸海軍の新鋭機が鉄壁の守りを固めております。電探搭載の駆逐艦で本土南方に早期警戒網を構築してもおります。それにタッポーチョ山要塞が壊滅したとはいえ、サイパン島守備隊は未だ激烈なる抵抗を続けているのですから、テニアンを離陸するB-29を見逃すこともありますまい。加えて当面、米軍が投入可能なB-29も限られるでしょうし……」
「軍令部総長、それくらい把握しておるよ」
苦々しい言葉の後に、幾分老け込んだような溜息。
「ただ……忌憚なく申し上げるならば、意識がまるで追い付かぬ。酷い悪夢に魘されておるかのようだ。まあ海軍も事情は同じかもしれんが、陸軍には人のことを上等兵などと呼んで憚らぬ、大層嫌な奴がおってな。実際、頭の出来は多少はよかったのかもしれんし、満洲事変での手柄もあったが、このところはとんでもない宗教被れの誇大妄想狂だ」
「石原莞爾辺りでしょうか?」
「然り。予備役となった今、立命館で妄言綺語を垂れ流しておる……はずだった。だが何故、現実があの戯けの記した奇書の如き様相を呈してしまうのだ? 本当に世界最終戦とでも言う心算か? 実際、黒鉛炉施設の拡充如何によっては、原子爆弾も数十、数百という単位で生産可能となるとの見積であるし、その整備こそが帝国ひいては大東亜の将来を左右すると言っても過言ではなかろうが……もはや訳が分からん。かくの如き時代の戦争の形態を想像してみると、気が滅入ってしまってどうにもならん」
「だが東條ハン、ちと心配の過ぎではありませんか?」
やけにのんべんたらりとした苦言が、場に不釣り合いに響き渡る。
声の主は海軍大臣の嶋田大将。東條の腰巾着だの男妾だのと陰口を叩かれながらも、未だにその地位にあったりするこの人物は、今日に限っては些か特異な愚鈍さを発揮している。
「これは自分の大雑把な憶測ですがね、米英とドイツ、ソ連邦の関係は、原子爆弾だの神経ガスだのを好き放題使い合っておるお陰で、感情的にどうにもならなくなっておると思うのですな。今次大戦が一応の終わりを迎えたとしても、既にお互いが憎くてたまらん不倶戴天の間柄でしょうし、事が事だけに相手を信用するという発想が吹き飛んでおるでしょうから、その後も延々と対立を続けるしかない。つまりは前の欧州大戦のような構図が、何十年にも亘って続いてしまうのですよ。その一方、サイパンに原子爆弾攻撃を受けたとはいえ、我が帝国は未だ辛うじて従来通りの戦をやれている。となればこのままの状態で対米戦を終わらせ、さっさとドイツと距離を置いてしまえば、後はそこそこ気楽にやれるでしょう。石原某の世界最終戦にしたって、米欧ソが超兵器を撃ち合って何時の間にやら消滅し、はい大東亜の不戦勝って芽もありそうではないですか」
「相変わらず、海相はお目出度いですな」
山本が少々皮肉げに笑い、
「しかし今回ばかりは海相に同意しますよ。我が国は英ソとは既に手打ち済み、更にここで米国との最低限の妥結さえ成立すれば、我が帝国および大東亜の国防環境は一気に改善するはずですからね。そのためにも義烈作戦を成功させ、非人道兵器が本土で使用されるのを阻止し、この戦争を理性ある形で終結させねばなりません」
「なるほど、理性ね。確かに、今はそれが最重要だ」
先の醜態を恥じるように東條は言い、精神の平衡を取り戻す。
それからメモをパラパラと捲った。欧州統一勢力としてのドイツの成立を十分に支援した後、三国軍事同盟より離脱。対独戦備の関係で余裕のない英ソと不可侵条約を締結し、もって共栄圏の安定化と対米関係の正常化を図る。そうした具合の幕引き大戦略は、未だ潰えておらぬのだと、自身に言い聞かせた。
それから義烈作戦において重責を担う、第一強襲艦隊司令長官たる高谷中将の顔を思い出した。
形式的には直率しているかの人物は、陸軍内では妙に持ち上げられている向きがあるものの……忌憚なく評するならば、理性という語のまるで似合わぬ粗忽者に違いない。いったい何を思ってか、鈴をチリンチリンと鳴らしながら大本営にやってくるので、酷く啞然とさせられもする。それでも奇運の将との触れ込みであるし、運否天賦の我武者羅殴り込み作戦には、多少の馬鹿の方が適任なのかもしれぬと思う。
「であれば軍令部総長の言う通り、理性の術策たる作戦に、国運を賭する他なさそうだ」
諸々の懸念を排し、東條は穏やかな口調で言う。
「聞くところによると、高谷祐一という人間は、主力艦撃沈以外は上手くやれるとのことだからな。司令長官としては新米なのが気にかかるが、まあ信じて任せるしかあるまい」
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