阿鼻叫喚の恐竜作戦・下

ペンシルベニア州:ミショー州立森林公園上空



 ヒトラー総統直々に発令された、連合国に対する全面的な報復作戦。

 古代地球を闊歩した恐竜の名を冠したそれは、幾つかの方面において開始されていた。使用が予定されているのは、合計1万トンにも及ぶタブンやサリン。神経伝達物質の阻害をもって生物を死に至らしめる、従来の防護装備ではまともに対処し得ぬ新時代の化学兵器を前に、シェルブールに逼塞する第17軍集団や性懲りもなくウクライナを目指すソ連邦軍、あるいは英本土に展開する爆撃機集団などに属する人員は、瞬く間に呼吸困難に陥るものと思われた。


 とはいえ何よりも重要なのは、ベルリンの復讐を直接的に果たすことに違いない。

 その主役となるのが、マグニという愛称が相応しい巨人爆撃機Ju390である。排気タービン過給機付きのBMW801エンジンを6基も備えた鉄十字の翼は、高度1万メートルの成層圏を時速540キロで優雅に飛翔しながら、殲滅すべき目標へと接近していた。何か月か前に実施されたニューヨーク隠密偵察飛行により、米国本土への空襲は可能性として実証できてはいたものの――ノルウェーはハンメルフェスト近郊のゼーレ秘密基地を飛び立ち、防空網回避のためバフィン湾を経由してワシントンD.C.に至らんとする約7000キロの航程は、とにかく緊張の連続であったとしか言えぬ。


(それでもって、ここからが正念場だ)


 部隊長として率先垂範するヴェルナー大佐は、厳格なる顏を更に引き締めた。

 恐竜作戦に参加するJu390にはすべて、撃墜したB-29より回収・復元された敵味方識別装置が搭載されている。加えてスパイからの情報もあり、電子的には米軍機と映るようになっている。しかし不審な動きを取り続ければ、いずれは正体も露見するもので――先程地上局との交信は打ち切られた。


「隊長、これ以上の欺瞞は無理です」


「カール、よくやってくれた」


 剽軽だが有能な通信士のゲンツ中尉を労い、それからヴェルナーは航空時計を一瞥した。

 大悪魔トルーマンの根城までおよそ110キロ。よほど都合よく事が運んだとしても、150キロ手前で発見されるとの見積りであったから、まったく上出来という他なかった。あるいは電子戦型がニューヨーク沖を飛び回り、そちらに敵の目を引き付けてくれたのも大きいかもしれないが、何にせよ好機は最大限活用するべきだった。


「補助ロケット点火。魔王退治といくぞ」


「了解。補助ロケット点火」


 謹厳実直な機長たるコルベ少佐が即応し、心地よい加速の衝撃が伝わってきた。

 速力は時速660キロにまで達し、僚機もそれに追随する。第一報が齎されてから、実際に迎撃機構が動き出すまでは、どうしても数分は必要だ。それを考えれば――攻撃の成功確率は限りなく高まっていそうだった。


 そうして得られた速度を殺さぬよう、機体を一気に降下させていく。

 既に正面には敵国中枢がくっきりと映っている。高度を落とし終え、ジャーマンタウンという何とも因果な名の小都市の上空を高速航過した後、爆弾庫の扉を開いて針路を南南東へと固定。エンジンが焼き付かんばかりの速力で突き進む中、仇を取ってくれと叫んで息絶えた全身火傷の児童や、致死量の放射線被曝のため服毒自殺を選んだ婦人の姿などを、これでもかと脳裏に浮かべた。敵国民に同じ痛みを与えられないのは残念だが、似た苦しみなら与えられる――そう自らに言い聞かせる。


「間もなく投弾点」


 轟音と震動が満ちるコクピットに、落ち着き払った声が木霊した。

 機体の操縦系統は既に、爆撃手たるホス大尉に委譲されている。彼はロトフェ7爆撃照準器を覗き込み、憎悪の籠った目でホワイトハウスを睨みつけながら機械操作を継続。針路は微修正されていき、遂に運命の瞬間が訪れた。


「スレイプニル、投弾ッ」


「おおッ!」


 ホスは高らかに宣言。搭乗員の安堵とともに、Ju390はフワリと浮き上がった。

 強力無比な神経剤の充填された、重量3トン超の大型ロケット推進爆弾が放たれたのだ。弾体後部で炊かれた発煙筒を目印として、尚も無線信号を介した指令誘導が行われ、合衆国の歴史を背負って立つ市街の中心へと滑空していく。僚機の投下したそれも、問題なく議事堂を捕捉しているようだった。原子の炎を放った権力者達が骸と化し、それらを選出した老若男女が家や職場、学校で悶え苦しみながら死ぬ様を想像すると、喝采を叫びたい衝動に襲われた。


 そしてスレイプニルが目標上空で小さく爆ぜ、仇は討てたと確信した瞬間、恐るべき激震が襲撃してきた。

 遅まきながらも射撃を開始した高射砲群の、半ば当てずっぽうで放たれた1発が、左翼近傍で炸裂したのだ。ジュラルミンを易々と切り裂いた弾片は正副操縦士の生命を一瞬にして奪い去り、更にはヴェルナーの心臓付近をも貫いていた。急激な血圧低下から彼は己が死を悟り、また機体が回復不能な死のダンスを始めたことも知覚される。


(まあ、仕方ない。報復とはいえ殺しに来たんだ、殺されもするさ)


 薄れゆく意識の中、ヴェルナーはぼんやりと思った。

 できることなら大西洋の潜水艦と合流して本国へと凱旋するか、あるいは機体ごと重要施設に突っ込むかしてやりたかったが、まあスレイプニルを放てただけでも大金星だろう。そう結論付けるや、彼の視界は走馬灯で満たされ……本来見えていたはずのホワイトハウスは、一切認識されることはなかった。





ワシントンD.C.:ホワイトハウス



「糞ッ、陸軍航空軍はいったい何をやっていたのだ」


「大統領閣下、お急ぎください」


 怒り心頭に発しまくっているトルーマン大統領の耳に、警護責任者の沈着な諫言が木霊する。

 飛来したドイツ軍機を味方と誤認し続けた挙句、首都を侵されるという、前代未聞という他ない不祥事。それを許してしまった防空部隊はまさに歴史の汚点で、指揮官は間違いなく軍法会議ものではあるが……とにかく今はホワイトハウス東翼地下の防空壕へと急がねばならなかった。


 何しろ今まさに直上に到達せんとしている超重爆撃機は、化学兵器搭載機である可能性が限りなく高いとのことだ。

 そんな特大の脅威が迫る中、合衆国の最重要人物である自分が、大慌てでコロナードを駆けている。となれば一般の有権者は、まるで状況に対処できていないに違いない。特にナショナル・モールは反戦デモから鞍替えした原爆万歳パレードの参加者でごった返しているはずで、これから十数分のうちにどれだけの犠牲が生じることとなるのか、想像するだに悍ましかった。


「とにかく絶対許さんぞナチ野郎ども、次の3発は全部ドイツに落としてくれる」


「大統領閣下、こちらへ」


 誘導されるまま階段を駆け下り、地下1階の分厚い機密扉を潜り抜ける。

 警護官の手によってそれはすぐさま密閉され、続けてすぐ横のロッカーから化学防護装備が取り出された。


「万一のためです。大統領閣下、こちらを装着願います」


「ああ、分かった」


 トルーマンは防毒マスクを受け取らんとし……そこでようやく、自分の右手が何かを握っていることに気付く。

 執務室の机上に常に置いていた、木彫りのブラキオサウルスだった。何故そうしたのかはさっぱり分からぬし、記憶にもなかったが、どうやら唐突な空襲警報で避難を余儀なくされた時に、反射的に掴んでしまっていたらしい。警護官達はそのため微妙な面持ちで、若干気恥ずかしげに咳払い。


「なあブラキー」


 木彫りの首長恐竜を床にそっと置き、困惑した面持ちで尋ねる。


「いったいどうして、こんな展開になるのだろうな?」


「大統領閣下、事態は一刻を争います」


 何も答えぬブラキーに代わり、警護責任者の声が行動を促してくる。

 それでも多少は精神を落ち着かせることができた。周囲の者達から手助けを受けつつ、トルーマンは的確に防毒マスクを装着していく。自分の吐いた息が窮屈な面体の中で滞留し、不愉快なこと極まりなかったが、まずは急場を凌ぎ、しかる後に徹底した対独報復作戦を立案するしかないだろう。


「これでよし。では諸君……おおッ!?」


 猛烈なる激震が突如として走り、続いて何かが崩れ落ちる轟音が伝わってくる。

 高射砲によって撃墜されたJu390が、十分な運動エネルギーを保ったままレジデンスに落下したのだ。地下にあってはその詳細は分からぬものの、空襲の一環であることは容易に察せられ、合衆国の歴史や民主主義の理念そのものを破壊せんとする野蛮な挑戦に対し、尋常ならざる憤怒が沸き起こる。


 そうしてトルーマンは断固たる一歩を踏み出し、これまた前触れもなくふらついた。

 ワシントンD.C.だけで国務長官や下院議長を含む数千人を死亡させ、更に大勢を負傷させた凶悪なる神経剤。効率的な殺戮を目的として大気中に拡散されたそれが、ごく微量ながらホワイトハウス地下にまで到達していたのかもしれない。ともかくも身体の平衡を一時的に失った彼は、その場によろめき倒れ……直後、経験したことのない激痛に顔面を歪めた。


「だ、大統領閣下!?」


「が、があああああッー!」


 獣を思わせる悲鳴が、地下壕に殷々と響き渡る。

 下半身を何かが貫通したかの如き激痛で、実際その通りの状況となっていた。トルーマンが尻餅をついた箇所には、如何なる偶然か木製ブラキオサウルスが置かれており……ここより先はもはや記述することすら憚られる。ともかくもドイツ製非人道化学兵器がワシントンD.C.を襲った大惨劇の中、ホワイトハウスの大統領も負傷し、ベセスダ海軍病院へと緊急搬送された。一般に報道されたのはそこまでで、仔細については徹底した緘口令が敷かれた。


 ただ世界大戦終結後の大動乱期、このあまりにも滑稽な悲劇については、諸々の陰謀論が囁かれることとなる。

 大統領が二代連続で職務遂行不能と認定されたことに加え、トルーマンの治療記録などが悉く機密指定されたが故だった。後者に関しては純粋に個人の尊厳を守るためでしかなかったが、フーヴァーが毒を盛っただの影のフリーメイソン政府が手を下しただのといった話になってしまうのだから、まったく世の中というものは不条理という他なさそうだ。

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