阿鼻叫喚の恐竜作戦・上

コタンタン半島:ペリエ近郊



「どうなってやがる、戦争はクリスマスには終わるんだろう?」


「こんなところで死ねるかよ。故郷に帰ったら俺はあの娘と結婚するんだ」


 米陸軍第4歩兵師団の兵隊達は、塹壕の底に身を潜めながら口々に罵る。

 パリ開囲戦が惨憺たる結果に終わった後も、辛うじて連合国軍が維持しているコタンタン半島。シェルブール橋頭堡などと呼ばれたるそこでは、枢軸同盟軍との睨み合いが続いていたはずだった。兵力という意味であれば確かに敵の方が優勢ではあったが、決定的と言えるほどの乖離はなく、更には英本土に展開する膨大な航空戦力や英仏海峡に展開する火力支援部隊の存在があったため、精々が小競り合いという状況が半年ほども続くこととなっていたのだ。


 とはいえそれも昨日までの話らしいと、認識を改めざるを得ない状況となっていた。

 上空には鍵十字のジェット戦闘機が大挙して押し寄せ、レシプロ機中心の味方を次から次へと血祭りに上げている。洋上に展開したる要塞の如き戦艦や巡洋艦も、Uボートの雷撃を受けて相当数が沈没あるいは後退したという話だった。当然、最前線に張り巡らされた陣地にも、榴弾やロケット弾が集中豪雨的に降り注いでおり――濛々たる砂煙と耳を聾するような轟音、それから酷く不運な者の悲鳴ばかりが、辺り一帯に満ち溢れていた。

 そしてとてつもなく厄介なのは、鋼鉄の嵐が過ぎ去った後には、凶悪な重戦車が突っ込んでくるであろうことだった。付近には90㎜砲搭載のM26パーシングもいるはずだが、その実、どれほど頼りになるか分からない。


「畜生ッ、こんなのありかよ」


「おい野郎ども、ここが踏ん張りどころと肝に銘じろ」


 多少は様になってきた小隊長が、砲声に負けぬ大音声で、狼狽える者どもを一喝する。


「ナチどもは原爆で死に体だからこそ、性急に戦果を求めてきてるに違いない。つまりここで奴等の野望を砕けば本当に戦争は片付く。ヒーローになって国に戻りたきゃ、死ぬ気で戦うんだ。いいな?」


「は、はい。ナチどものケツを蹴飛ばしてやります」


 一応は古参の一等兵が、元気よく応答する。

 だが彼は妙なことに気付いた。小隊長がどうしてか鼻水を垂らしていて、しかも呼吸が妙に苦しそうに見えたのだ。しかも何時の間にやら自分までそうなってきた雰囲気で、ついでに場違いな果実臭まで漂ってくる。嫌な予感が沸騰した。


「小隊長殿」


「シルベスター、どうかしたか?」


「その、これってまさか……えッ!?」


 進言を試みた一等兵は、目の前で小隊長が突然に痙攣し、バタリと倒れるのを目の当たりにした。

 何らかの化学兵器が使用されたのではとの直感は、まったくと言っていいほど正確だった。ただ致命的だったのは、長距離ロケット砲によって投射されたそれらが、既に大気中に充満していたことだろう。


 かくして高い機械化充足率を誇った第4歩兵師団は、近傍にあった他の部隊と同様、壊滅的な損害を被ることとなった。

 そして最悪だったのは、凶悪な化学攻撃から生き延びても尚、地獄が待っていたことかもしれぬ。砲撃から30時間後に進撃を開始したドイツ軍機甲師団は、ヒトラー総統の命令通り捕虜を取らなかったし……件の勘のいい一等兵のように、非人道的な医者達に全身を弄り回された挙句、ホルマリン漬けの標本にされる者もあったからである。





サフォーク州:イプスウィッチ近郊



「糞ッ、ナチどもは何を企んでいる……?」


 歴戦のグッドウィン少佐は、久方ぶりの大航空作戦に戦慄を覚えていた。

 一斉に発射された飛行爆弾に戦闘機隊を食いつかせた後、迎撃の著しく困難なジェット爆撃機でもって重要目標を強襲する。今年に入ってから何度か行われたそれが、まるで前例のない規模で実施されているようだった。


 無論のこと、ブリテン島を防衛に当たる者達も無策ではない。

 グッドウィンの現在の愛機となっているP-80や、連合国初のジェット戦闘機たる英空軍のミーティアなどが、幾つかの基地にずらりと銀翼を連ねていた。当初はP-51Dよりトロいポンコツと酷評された後者についても、新型のダーウェントエンジンによって見違えるような性能を発揮できるようになっており、1グロス近くが即時出撃可能な状態を維持しているともなれば、そう易々と突破を許さぬはずだった。


(だが……)


 今は熾烈な空戦の真っ最中。ドイツ空軍もまた、100機以上のジェット戦闘機を繰り出してきたのだ。

 状況は剣呑と評する他なく、グッドウィンは反射的に機体を滑らせ、Me262の横合いからの襲撃を躱す。凶悪な30㎜機関砲弾が翼を掠め――しかし予期した通り被弾はなし。反撃を試みたくはあり、僚機もそれを望んだが、感情に身を任せてはならない。それよりも本来の敵を捜索し、是が非でも撃墜してやる必要があった。


 何しろ迎撃管制が伝えてきたところによると、合計200機近い高速爆撃機が、複数方向から侵入しつつあるという。

 相手は恐らくAr234とHe177、しかもこれに後続する部隊もあるのだろう。ここ何か月かは、帰還する重爆撃機の編隊に送り狼的にくっ付いて、ゲリラ的な飛行場襲撃を行ってくるのが主だったが――ベルリンが壊滅状態になったことで、完全に激怒したちょび髭の総統が、かつての電撃航空戦のような空襲を命じたのかもしれなかった。


「こちらキャッスル。ヴァルチャー隊、聞こえているか?」


 唐突に迎撃管制員の呼び出しが割り込み、グッドウィンはすぐに応答。

 声の異様な切迫具合から、ろくでもない連絡に違いない。そうした直感は、数秒の後に現実へと変わった。


「緊急事態だ。接近するドイツ軍機は化学兵器搭載の公算大、何としてでも撃墜してくれ」


「ナチ野郎ども、畜生そういうことかッ!」


 猛烈な憤りと嫌悪感が巻き起こり、


「ヴァルチャー1、了解。機体をぶつけてでも叩き落す」


「機体はぶつけるな、だがその意気込みで頼む。そのまま5マイル直進、交戦してくれ」


「任せておけ」


 交信終了。敵愾心を全力で燃やし、血走った眼で索敵する。

 それから間もなく、高度2万フィートに爆撃機の編隊を捕捉。機体の天地を反転させ、逆落としの襲撃を仕掛ける。Ar234らしき敵は補助ロケットを用いて逃避を図るものの、時すでに遅しといったところで、猛烈果敢な機銃掃射によって先頭機に火を吹かせることに成功した。


「1機撃墜、しかし1機撃墜だッ……」


 戦闘機乗りならば喝采するはずの戦果を、グッドウィンは絶望的な声色で報告した。

 僚機のそれを含めても、Ar234の8機編隊のうち、撃墜あるいは脱落させられたのは2機のみ。残りは既に追随不可能な速度に達していて、神の奇跡でも起こらぬ限り、大災厄は阻止できそうになかった。





ワシントンD.C.:ホワイトハウス



 理解し難いことが起こり過ぎている。トルーマン大統領はそう思わざるを得なかった。

 最終兵器によって世界大戦に決着をつけたはずなのに、日独伊の枢軸3か国はいずれも恭順の意を示さないのだ。それどころか英国のチャーチル首相との電話会談を始めたと思ったら、「敵対国には奴隷化か死あるのみと公言するのではナチと一切変わらない」などと喚き出される始末。それに加え、ソ連邦も様子がおかしいらしい。合衆国が絶対的覇権を手にしつつある中、やっかみを含んでの反応なのかもしれないが……何故、世界を1920年に戻すという穏当な提案が受け入れられぬのか分からない。


 それともあるいは、原子爆弾の在庫が既に尽きたと思って、高を括っているのだろうか。

 だとすれば厄介な分析能力ではあるが、そうだとしてももう少しの辛抱だ。来年1月の末には、フラットヘッド施設から追加のプルトニウムが出荷される予定で、新たに3発が実戦投入可能となる。それらを主だった都市に見舞ってやれば、悪辣極まりないファシストとその支持者どもも、今度こそ音を上げることだろう。その先の世界が辿り着く場所は、正直分からないところもあるにしろ、願いが届くと信じ、想いと軍を走らせるしかないのだ。


「そうだ。結果は後からついてくる」


 トルーマンはそう言い、机上の木製ブラキオサウルスを人差し指で軽く叩く。


「原子爆弾は持っていれば嬉しいコレクションの類ではない、強力無比なる戦略兵器なのだ。ならば使わねば。膨大な国費を投じて開発したのはまさに使うためだろう」


「ええ、まさしく使うためにあります」


 執務室まで報告にやってきたバーンズ国務長官は、まず慇懃に肯き、それから将来構想について語り始める。

 現状の混乱はあくまで未知の大威力兵器が顕在化したが故のものであり、諸外国はそのうち現実を受け入れるだろう。そうした後には、先のラジオ演説で知らしめた通り、戦争のない世界が待っているはずだ。新たに構築する国際連合の管理下にすべての原子力施設を置き、侵略行為があったらただちに当該国の軍勢を原子爆弾で塵に変える体制を作り上げ、つい先日までは世迷言であった集団安全保障を確立する――なかなか気宇壮大で、聞いていて気分が高揚した。


「実際、政権の支持率は鰻登り。有権者の大部分がマンハッタン計画の成功を喜び、また原子爆弾が合衆国に偉大なる勝利を、それから世界に自由と民主主義を齎すという閣下の理念に共感しております」


「この間、学者達が妙な書簡を送ってきたな?」


「問題ありません。あれらは科学者ではなく、容疑者となります」


 バーンズは吐き捨て、


「じきに優秀な捜査員が邪悪な陰謀の確たる証拠を掴むでしょう。連邦捜査局のフーヴァー長官によると、容疑者の幾人かは共産主義者で、ソ連邦の協力者と頻繁に接触しておるとのこと」


「ふむ。まったく残念なことをしてくれるものだ」


 幾分顔を顰め、トルーマンは溜息を漏らした。

 優秀なる頭脳を持っていながら、何故それを天下国家のため、ひいては人類全体の福祉のために使おうとしないのだろうか。あるいは大恐慌の頃に変な思想に被れてしまったのかもしれないが、酷くもったいない話としか評しようがなく、超天才のノイマンを見習ってほしいものだと思った。


 それから連邦捜査局については、その優秀さを疑ったことはないが、少々ゲシュタポめいたところがある。

 特に20年以上も長官職に留まっているフーヴァーは本当に難物で、政治家の贈収賄や女性絡みの醜聞、特殊性癖に関する情報を一手に握っているらしい。これを下手に扱おうものなら、自分すらもナチ協力者にでっち上げられてしまうかもしれず……幾らか先の話にはなるが、何らかの形で無力化を図る必要がありそうだと考えた。


「まあいい、とにかく戦局が一気に好転したのだから……」


「大統領閣下、大変です!」


 不躾な大声とともに、補佐官が執務室へと飛び込んできた。

 その様子からして、噂されていたドイツ国防軍による政権転覆が成功したとか、枢軸国のどれかが合衆国の寛容さに気付いたといった雰囲気ではない。トルーマンは心底うんざりした表情で彼を迎えた。


「いったい何が起こったというのだね?」


「大統領閣下、本当に最低最悪なことになりました。ナチどもは恐竜作戦、すなわち無制限化学兵器戦を宣言。既にシェルブール橋頭堡や英本土、アルジェリアなどで甚大な被害が出ているとのことです」


「なッ、馬鹿な……」


 思わず言葉が失われ、顔面には驚愕ばかりが張り付いた。

 化学兵器は合衆国も大量保有しているし、市街地の無差別爆撃はこれまでに散々やっているのだから、原子爆弾の使用が極端な反応を招く可能性は低い。陸軍航空軍のアーノルド大将が自信満々に言ってのけた内容は、ものの見事に爆発四散。しかしナチどもは何故、かくも狂気的な反応をするのだと、トルーマンはただひたすらに憤る。

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