神風吹かしめる時

東京:大本営統合部



 米国による原子爆弾の使用に関しては当初、厳重なる報道管制が敷かれていた。

 とはいえ外電は、特に同盟国や中立国経由のそれは何らかの形で伝わってしまうものである。加えて主要都市部での学童疎開が緊急決定され、唐突に大規模な防空演習が予告されるなどしたことから、何らかの異常事態が発生したと誰もが察するところとなった。かような状況を鑑みた大本営報道部は、関連情報の周知徹底と実践的訓練の反復によっていざという時の被害を局限するという方針に転換、結果として市井にとんでもない混乱を撒き散らすこととなってしまったのである。


 そうして国中が上へ下への大騒ぎとなる中、市ヶ谷の庁舎にも嵐が吹き荒れていた。

 季節外れの台風の目になっているのは、新たに第一強襲艦隊司令長官に任命された高谷中将に他ならぬ。異例中の異例と言われた昇進を果たしても尚、立場を弁えたところの一切ない彼は、得物の三日月刀を公然と抜き放ち、会議室に居合わせた参謀や指揮官を周章狼狽させる始末。しかも切っ先を向けている相手が、海兵40期の同期にして無二の親友であったはずの人物ともなると、本当に目を疑うしかない状況かもしれなかった。

 だが――航空科の草分けとでも言うべき大西中将が第四航空艦隊を率いており、忌み数を冠したそれが前代未聞の作戦を目的として編成されたともなると、無作法も致し方なしと思えるかもしれない。


「おい貴様ふざけるなよ、いったい何の心算だ!?」


 高谷は完全に顔を紅潮させ、出せる限りの大音声でもって面罵する。

 しかし大西は山の如く動かず、その態度が火に油を注いだ。本当に斬りかからんばかりに刀が振り上げられ、青褪めて制止に入らんとした参謀が、強烈な足払いを受けて転倒する。


「どうも様子がおかしいと思ったら……こんな外道極まりない作戦を目論んでいやがったとは。何が特別攻撃だ、搭乗員を爆弾の誘導装置にするなど言語道断、この場で今すぐ斬り捨ててやろうか!?」


「おう、やってみろ」


「何ッ」


「やってみろと言っているんだ」


 まったく平坦な口調で大西は呟き、ゾッとするほど冷徹な視線で睨み返してくる。

 鬼神にすら通じてそうなそれに、高谷も一瞬たじろいだ。相手にその気があったならば、三日月刀などあっという間に振り払われていたかもしれない。


「貴様な、できもしないことを叫ぶもんじゃないぞ」


 大西は更に追撃し、


「太刀筋を見ればな、俺を斬れんことくらい一目瞭然なんだ。いい歳こいて、その程度で物事がどうにかなると増長しておるなら、すぐに司令長官を降りろ。米国が原子爆弾を実戦投入し、肝心のサイパン島要塞が大損害を被った今、皇国は開闢以来最大の危機にある。それが理解できん奴に司令長官は務まらん」


「おい、いったい誰が分からんと……」


「まさに貴様だ、少しは頭を冷やして考えろ」


 一喝。高谷は余計にいきり立ち……しかし渋々ながら矛を納めた。

 何もかもが見透かされている、そう痛感せざるを得なかったのだ。やり場のない憤りで胸は四分五裂しそうで、四肢も条件反射的に動作しそうになるが、どうにかそれらを抑制した。


 そうして乱闘沙汰のため散らばった作戦計画書を、歯を軋ませながら一瞥する。

 米軍が間もなくテニアンに原子爆弾を搬入すると見られることから、同島飛行場の奇襲制圧に急遽振り向けられることとなった第一強襲艦隊主力。その援護のため第四航空艦隊より300機が抽出される旨が記されているが……それらはすべて十中十死の対艦自爆攻撃を組織的に実施する予定で、前々からこれが準備されてきたのかと思うと、その用意周到さにとにかく腸が煮え繰り返った。


「だが大西、こんなの外道の極みだろう」


「まっことその通り、外道の統率以外の何物でもない。しかし最悪の事態に備えるにはこれが不可欠で、実際その時はやってきてしまった。それとも何だ、従来の攻撃方法でも米機動部隊と渡り合える、とでも言いたいか?」


 まったくの図星が突かれ、


「マリアナ沖では実際そうであったし、貴様があれこれ戦訓を持ち帰ってくれたお陰で、米機動部隊と互角に戦えたのも事実と考えておる。あそこで聯合艦隊が大敗していたら、即座に第四航空艦隊麾下の航空隊を投じて盤面をひっくり返す心算だったが……流石にそれには及ばぬという結果にはなった。俺もあの時は随分と安堵したし、貴様の奮戦にも本当に感謝している」


「なら今回もそうできるかもしれんだろう?」


「馬鹿野郎、事この期に及んでは、かもじゃまるで駄目だ」


 にべもない否定。大西は同時に冊子を拾い、開いたそれを机上に叩きつける。

 米艦隊はマリアナ諸島沖に集結しつつあり、規模は艦隊型航空母艦6隻、特設航空母艦15隻に上ると分析されていた。更には支援艦隊の活動規模からして、師走いっぱいは活動可能と予想されるとのこと。原子爆弾搭載機の拠点となるであろうテニアン島を、全力で防衛せんとする意図が、凄まじく明白に感じられた。


「確かに聯合艦隊の総力をもってすれば、伍せぬ相手でもないかもしれんが……今回は確実に、かつ一方的にこれらを撃滅し、その上で貴様の第一強襲艦隊を無傷で送り込まにゃならん。そうでなければ、今度は東京に原子爆弾が落ちかねんのだ。たった一撃で十万近くが殺傷されたことくらい、貴様とて把握しておろう?」


「無論だ」


 肯きとともに脳裏を過るは、焼け爛れたベルリンの惨状を伝える写真。

 それが帝都において再現されるとなると……もはや身の毛もよだつとしか言いようがない。


「無論のこと、それくらい理解している」


「だったら失敗が絶対に許されんと分かってもおるはずだ。とにかく相打ちでは全く駄目で、これを解決する方法は集中的な特別攻撃以外にないと判断されたのだ。それに英軍の罷業作戦によってクイーンシャーロット諸島が容易になったとはいえ、黒鉛炉施設を破壊して後顧の憂いも絶たねばならぬことには変わりないから、北太平洋にも空母を何隻か回す必要がある。となれば打てる手はこれしかない。本当に断腸の決断なんだよ」


「率直に言って、気が狂いそうだ」


 高谷は拳を握り締め、机を猛烈に殴打する。

 自分が特別攻撃を命じる立場だったらどうなるだろうか。例えば流星乗りの五里守大尉。とにかく拳闘が大好きな彼は、恐らく少しは戸惑ったりはするだろうが……そのうち「ゴリラスーサイドアタックだ」などと納得して、本当に颯爽と飛んでいってしまうだろう。搭乗員というのは概ねそんな人間ばかりで、だからこそ外道の統率が許せなかった。


「だが、俺の脳味噌では反論が浮かばん。俺はあまり頭がいい方ではないから、戦略とかは先輩や同期の頭がいいのが考えりゃいいと言っておったが……その結果がこれなのかと思うと悔しくてたまらん」


「既に何もかんも狂ってきている。そんな中で、狂気に狂気をぶつけてでも戦わねばならんのだ。実際、本土防空を担当する陸軍飛行隊も、大型機の侵入に対しては体当たりでもって撃墜する方針に転換するそうだ」


 大西はあくまで冷静を保ちつつ、断固たる口調で続けた。

 それから特別攻撃の国際政治的な意義について、彼は滔々と述べ始める。要するに超兵器たる原子爆弾を投じても尚、帝国陸海軍の継戦意欲が一切潰えず、それどころか死兵的な戦術を採用するに至ったと米国民に知らしめることをもって、戦争そのものがまるで割に合わぬと彼等に理解させるという内容だった。


 加えて日本本土への原子爆弾攻撃の阻止に失敗した場合、米主要都市に対する特別攻撃すら想定しているという。

 つまるところ専用の大型徹甲爆弾を搭載した連山を必要に応じて欧州方面へと移動させ、ニューヨークのエンパイアステートビルに代表される摩天楼に対する自爆攻撃を敢行、片っ端から瓦解させるという案である。もはや語られるすべてが極まりなく異質だった。曲がりなりにも自分が知悉している戦争が、瞬く間に過去の概念となりつつあるようで、高谷は強烈な眩暈を覚えた。あるいは眼前の同期には、諸々の事情が見え過ぎていたのかもしれず――凄まじい寒気に身が震えた。


「糞ッ、どうかしているぞ」


 毒づきが自ずと漏れ、


「こんな戦、もう仕舞いにせにゃならんのと違うか?」


「本当にその通りだろうよ」


 少しばかり感情を滲ませた声で、大西が肯く。


「そしてそのためにこそ、起死回生の神風をここで吹かさなければならん。テニアンを逆襲して本土への攻撃を不可能とし、フラットヘッドの黒鉛炉を破壊して原子爆弾の量産を食い止めねばならん。どれだけ外道と罵られようと、ありとあらゆる手段を駆使し、貴様の作戦を援護する心算だと言っているのはそのためだ。貴様も司令長官なんぞ引き受けた以上、どれほど重要な作戦を完遂せねばならぬのか、十二分に自覚せねばならんのだぞ」


「相分かった。納得したくはないが、するしかあるまい」


「それでいい。とにかく時間がない、急ぎ作戦を詰めねばならん」


 もはや顔貌を直視し難くなった同期はそう宣い、中断されていた調整会議は再開された。

 高谷がかつて待ち望んでいたマリアナ救援作戦は、異常を孕みつつも急速に現実味を帯びていく。それがかつて国難において吹いた神風の再来となるかは、実のところまだ分からない。しかしその名で呼ばれることとなる幾つかの航空部隊は、既に前線基地への移動を開始していた。

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