竜挐虎擲! マリアナ決戦⑪

太平洋:サイパン島東方沖



 クリーブランド級軽巡洋艦の末妹たる『デイトン』は、随分と通信能力を拡充させた仕様となっていた。

 その中でも目玉となるのが、秘話装置SIGSARYである。平文以上に長い乱数鍵を収めたレコード盤を、送信と受信の双方で同時に使用することにより、数学的な安全性を確保した驚くべきデジタル音声通信システムだ。20世紀後半に急発展する電子計算機の総力をもってしても、これを用いた通話の内容を解読することは原理的に不可能というから、機材一式が50トン超かつ保守運用の手間が凄まじいという欠点を補って余りある利益を齎していると言えた。


 とはいえ通信技術が発達したからといって、世の問題がすらりと片付く訳ではない。

 それが純然たる事実であることは、第5艦隊司令長官たるスプルーアンス大将の憔悴した表情を見れば一目瞭然だろう。かの革新的秘話装置の恩恵に誰より与るはずだった彼は、真珠湾から連日連夜飛んでくる通話要求に心底辟易していた。メジュロ環礁が食中毒空母に空襲されて異常な被害が出た上、先月のマリアナ侵攻まで中断を余儀なくされた関係で、太平洋艦隊司令長官たるタワーズ大将はやたらと前線の状況を気にするようになっており……ほぼその応対に追われていたのである。


「これが海軍大将の仕事とは到底思えん。別の人間を寄越してほしい」


「まさかこのために、『デイトン』を旗艦としろと言ってきたのではあるまいな……?」


 流石のスプルーアンスも、そんな愚痴を零すこともあったという。

 もっとも縁の下の力持ちな性分の彼は当初、こここそが自分の戦場と納得することができてもいた。すなわち電話越しの話術でもって厄介な上官をあやし、麾下の部隊への余計な介入を防いでさえいれば、フォレイジャー作戦は成功するという見通しである。元々かなり無理のある内容だった気もするが、それを弥縫するために頭を捻ってきた訳ではあったし、第58任務部隊を率いるミッチャー中将は合衆国海軍随一の機動部隊指揮官だった。彼とその下に集う綺羅星の如き参謀達に、自由裁量を与えたならば、必ずや良い結果を残してくれるはずだと確信していたのだ。


 そして一連の判断は今、これ以上ないくらいに裏目に出ていた。

 情報を総合するに、日本軍に与えた打撃も決して少なくないようではある。それでも2ダース近くあった艦隊型航空母艦の4割以上が沈没あるいは大破という結果は、流石に想定外という他なく、タワーズは報告を受けるや否や完全に激昂。世界で最も高価な通信システムを用いて、地位に相応しいとは言い難い罵詈雑言を、十数分間にも亘って並べまくった。無論、『デイトン』が作戦行動中であることは言うまでもない。


「スプルーアンス君、いったい何をどう戦ったら、航空母艦が6隻も沈むのですか? しかも敵にはまだ10隻以上が、無傷のまま残っているというではありませんか。ふざけないでください、こんな無様な戦は聞いたことがありません」


「まことに申し訳ございません」


 夕食を無理矢理喉の奥に押し込んだばかりのスプルーアンスは、弱々しい声色で、電話越しに平身低頭して詫びる。

 続けて副官が差し出したメモに目を通し、暗澹たる内容に思わず呻きを上げた。無論のこと隠蔽する訳にはいかぬから、この場で上申せねばならぬのだが、胃の痛みが更に増してくる。


「それから残念ながら、訂正がございます。複数の高速戦艦を含む敵水上艦隊が南下したことを受け、第54任務部隊は航空母艦『レキシントン』の避退を断念。雷撃処分するとのことで……」


「何ですって、すぐ止めさせなさい」


 タワーズは卒倒しかねんばかりの声を上げ、


「アイオワ級が4隻もいるでしょう!? 何故、それらを回してジャップ高速戦艦を叩き潰さないのですか!?」


「長官、それが間に合わないのです。ただちに迎撃に当たれるのは『ウィスコンシン』のみ。残りの3隻は現在、サイパン島沖を後退中の敵装甲空母を追撃中で……今からこれらを『レキシントン』救援に向かわせるとしても、間違いなく敵高速戦艦群に先を越されてしまいます。ならば乗組員の救助を優先するべきかと。また新しい艦があれば彼等は再び戦うことができますし、ここで敵装甲空母に止めを刺すことができれば、建艦能力の差で我が方の有利となるに違いありません」


 スプルーアンスは苦しげながらも、一気にそこまで説明する。


「ですので長官、一旦ここで仕切り直しを考えられては如何でしょうか? 3か月もあれば我々は新たな空母を……」


「スプルーアンス君、ふざけているのですか?」


 にべもない拒絶の言葉が、遥か真珠湾より到来する。


「それでは間に合わないと何度も説明したはずでしょう? ともかく大統領閣下は、9月末までのマリアナ攻略を望んでおられる。この戦争を勝って終わらせるには疑いようもなくそれが必要だからです。それなのに君は愚かにも夥しい損害を出した挙句、すごすご負け犬めいて撤退したいと言うのですか? 我等が祖国の歴史に泥を塗りたいと主張しているのですか? 冗談ではありません、とにかく今すぐ、これ以上無用な損害を出さずに勝利する方法を考え、ミッチャーやオルデンドルフに実行させなさい」


「それは……無論、命令とあらば全力を挙げて取り組む所存です」


 色々なものが口許まで込み上げてきそうだったが、スプルーアンスは冷静沈着にそう答えた。

 タワーズを下手に刺激すると、ならば自分が直卒するなどと言い出し、本当に飛行艇でマリアナ沖までやってきたりしかねない。この厄介系人士の功名心には一切付き合いたくないが、麾下の将兵は絶対に守ってやらねばならぬ。その一心で、受話器を破壊したくなる衝動をどうにか堪える。


「しかしながら敵は依然として強力、相応の犠牲は覚悟しなければ……」


「下らない弱音を吐いてばかりいるから被害が拡大するのですよ。こうすれば負けない、こうすれば被害が抑えられる云々。そういう思考に陥った時点で負け始めます、それくらい分かっているでしょう?」


「当然、それは重々承知の上です。ところで長官、頼みの原子動力潜水艦『ノーチラス』はどうなったのですか?」


 頃合いを見計らい、スプルーアンスは努めて落ち着いた口調で質問する。


「マリアナ沖で機動部隊同士が激突する前に空母を何隻か血祭に上げ、混乱したところを一挙に叩く。元々はそんな筋書きだったと記憶しておりますし、ともすれば敵の戦力は最初から半分になっているとのことでしたが……輸送船団撃滅に成功したとの吉報を最後に、情報がぱたりと途絶えております。決戦兵器たる彼女がいったい何処にあるのか、全世界が知らんと欲しているところかと」


「むッ……!」


 タワーズが途端に言葉に詰まった。

 受話器を通らぬほどの溜息が、微かに口許から漏れる。幾ら別次元の性能を有しているものだとしても、不具合がつきものの新兵器に、それも化学兵器の漏洩事故で運用支援チームが全滅してしまったような実験潜水艦1隻に、過大な期待をかけるのはとんでもない間違いだ。当初よりそう思ってはいたが、そうした感覚の正当性は、残念ながら証明されてしまったようだった。


 とはいえどうしたものだろうか。唸るような機械音が響く中、スプルーアンスは頭を悩ませる。

 『ノーチラス』による敵空母の漸減という前提が既に瓦解しているとしても、大統領が云々という絶叫を鑑みるに、フォレイジャー作戦中止が容れられそうな気配はなさそうだった。となれば機動部隊をこのまま殴り合わせるしかないのだが、良くて相打ちにしかならないだろう。その後にサイパン、テニアンへの上陸を発動するとなると……まったくどれほど若い命が喪われるのか、まったく分かったものではない。

 そうして凄まじい犠牲の果てに、いったい何が得られるというのか。抗命の科で銃殺される運命としても、ここで艦隊を退かせた方がいいのではないか。そんな誘惑が脳裏を過った時、タワーズの声が再び響いてきた。


「たった今、確認できました。『ノーチラス』は原子炉再起動に成功、ただちに作戦海域に向かうとのことです」


「えッ、つまり今まで漂流していたのですか?」


「……その通りですよ」


 舌打ちせんばかりの声でタワーズは肯定し


「しかし既に復旧はなりました。既に20ノットで航行中とのことですから、明日の午前中にも敵主力を捉えるでしょう。ですから是が非でも勝ってきなさい。それ以外は認めません、いいですね?」


「了解いたしました」


 無感情で事務的な口調で受領し、通話はそれで終了となった。

 正直なところ、反射的に拳銃を乱射したくなるほどに酷い話だと思わざるを得なかったが……それでも援軍が来ないよりは圧倒的にましだろう。スプルーアンスは少しばかり肩の荷を降ろし、得られたばかりの情報を転送するよう命じた。きっとミッチャーはこの報に勇気百倍し、好機を誰よりも活かしてくれるに違いない。


(ひとまずこれで……うん?)


 スプルーアンスは脳裏の片隅にこびり付いた違和感に気付く。

 とはいえ暫し知恵を巡らせてみても、その正体はまるで判然としなかった。更にはそれから間もなくの午後11時に、デヨ少将の戦艦部隊が空襲を受けたとの報せがあり、余計な思考をする余裕もまた消失してしまった。

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