竜挐虎擲! マリアナ決戦⑫

フィリピン海:サイパン島沖



 ドイツ空軍随一の奇人と評されるスタイン大尉は、再び太平洋方面へと馳せ参じていた。

 頭のどうかした東洋被れで、奇怪な鎧を着て日本刀を振り回したりするからかもしれないが……それには一応、真面目な理由が存在する。つまりは潜水空母などと呼ばれたる特型潜水艦の噂を聞いたヒトラー総統が、同様の艦を配備しろと言い出し、実際に建造が始まってしまったためだった。当然ながらその運用のためには艦載機要員が不可欠で、空軍が持て余し気味だった彼と愉快な仲間達が、訓練のためやってきたという訳である。


 もっともインド洋を渡って早々に、米機動部隊がマリアナ諸島を襲撃した関係で、諸々の予定は吹っ飛んでしまった。

 更にはスタイン一派は曲がりなりにも熟練搭乗員の集団で、ついでにゲルマン彗星ことHe218メルクーアに乗り慣れた連中でもあった。激烈な航空戦で人員が払底しそうな状況では、その存在は宝石よりも貴重。かくして交渉の場が設けられ、錫やら生ゴムやらの供給拡大と引き換えに、第五航空艦隊の指揮下に加わることなったのだ。

 そしてそんな彼等は今、飛行機乗りとしての真価を発揮しようとしていた。すなわちヤップ島を起点とした、日独・陸海軍合同の夜襲である。


「精強無比なる友邦への義理を、南蛮侍の覚悟と矜持を、今まさに示さんとす」


「拙者、瀬蓮茶之介がその先鋒。率先炊爨し、見事敵艦を食らってみせよう」


 スタインは微妙におかしなことを呟きながら、眼下の敵艦隊を睨みつける。

 煌々たる照明弾によって照らし出されたるは、巨大戦艦複数を擁する大艦隊。サイパン島の飛行場を徹底砲撃した後、後退中の第三機動艦隊を狙わんと驀進する仇敵だ。


「だが標的は其に非ず。軍太郎、標的は何処?」


「はっ、暫しお待ちを……」


 珍妙な渾名を賜った偵察員が応答し、


「茶之介殿、二時半方向」


「心得た」


 スタインもただちに索敵を開始し、漆黒の海原にそれらしき影を見出した。

 出撃前に念押しされた通り、必殺の急降下爆撃で狙うべきは、何をおいても航空母艦。空襲において最大の脅威となるそれを最優先で撃滅し、後続する雷撃隊を支援するという寸法だ。


 そうして航空無線でもって僚機に連絡し、鉄十字の中隊を誘導する。

 午後11時半の暗闇にあっても、レーダー管制の対空砲火はとかく熾烈で、たちまち1機が火達磨となる。それでも恐るべき敵夜間戦闘機の跳梁は、友軍が身を挺して防いでくれているようだ。ならば彼等が献身に応えねば。機内に持ち込んだ愛刀など撫でて武士道精神を高めつつ、目標の後上方へと遷位していく。


「そっ首、貰い受ける」


 かような咆哮とともにスタインは操縦桿を倒し、一気に愛機を急降下させた。

 点灯する照準環の中央には、転舵を終えたばかりの敵艦。逆さ向きの流星が機体近傍に群がる中を、出し得る限りの速力で遮二無二駆け抜け、平坦なる飛行甲板へと肉薄する。


「宜候、宜候……撃てッ!」


 高度550で投弾。同時にスタインは操縦桿を力の限り引き寄せた。

 猛烈なGによって視界は暗転。しかし脳裏に浮かんでいたのは、爆発炎上する敵艦の姿ばかり。実際彼の照準は精確で、那須与一の放った矢が如く、爆弾は必中の軌道を描いていく。





「敵機8、左舷十時より急速接近!」


「射撃はじめッ、1機残らず叩き落してしまえ」


 号令が発せられてから数秒と経たぬうちに、戦艦『メイン』は対空戦闘を開始した。

 片弦に連装5基据えられた両用砲が瞬き、猛烈なる勢いで5インチ砲弾を投射していく。音のほぼ2.5倍の初速を与えられたそれらは、直衛の駆逐艦の放つ火力と合流し、低空より迫る敵編隊の前方へと殺到。そのうちの幾らかは闇を裂く閃光とともに炸裂し、また幾らかは海面を叩いて水柱を屹立させ、ペギーなる渾名で呼ばれたる双発攻撃機を阻まんとする。


 無論、近接信管や最新鋭のMk.56射撃指揮装置の神通力をもってしても、そのすべてを撃破するには至らなかった。

 それでも機関砲の射程に入る前に1機を撃墜、もう1機を脱落させることに成功した。加えて回避運動を強要し続ければ、敵は攻撃位置に到達し難くなるに違いない。かように任務遂行能力を阻喪せしめることもまた、対空砲火の重要な役割――戦艦部隊たる第55任務部隊を率いるデヨ少将は、水兵達の奮戦ぶりを直接垣間見ることのできぬ戦闘指揮所の司令官席に佇みながら、戦場の道理でもって己が心を落ち着かせた。


「敵編隊、九時より接近……あッ、魚雷投下!」


「面舵一杯」


 艦長のストーン大佐は即座に発令。警報音の後、艦体はギリギリと軋み始める。

 決戦の場に推参した敵だけあって、技量はやはり高い。対してこちらは就役から半年未満。十分な慣熟航海は行ったとはいえ、実戦でどれだけ通用するかは神のみぞ知るところで――とにかく重苦しい時間を耐え忍ぶ。


「敵攻撃機1、撃墜!」


「敵魚雷、右舷を通過!」


 吉報はほぼ同時に齎され、デヨは安堵の息を僅かに漏らす。

 しかし状況は予断を許さない。夜間戦闘機を満載した航空母艦『インディペンデンス』が大破炎上した今、攻撃の自由を掌握しているのは敵の側で、余程の奇跡でも起こらぬ限り、3発前後の被雷は覚悟する必要がありそうだった。


 そして結末は予測の通りとなった。

 モンタナ級戦艦の四番艦にして最も英雄的なる名を受け継いだ『ワシントン』が、錬度不足が故か魚雷2発を受けていた。それから重巡洋艦『ウィチタ』も被雷。合計で十数機を返り討ちにしたらしくあるとはいえ、手痛い損害には違いない。


「戦艦『ワシントン』より入電。我、戦闘航行とも支障なし」


「うむ……」


 齎された報告に、デヨはしかし剣呑な面持ちで肯いた。

 排水量6万トン超のモンタナ級が、その程度で致命傷を負うはずがない。それでも先代の『ワシントン』は南太平洋の戦いにおいて、徐々にその速力を削られ、遂には大悪魔たる大和型戦艦に捕捉されることとなった。そうした厳然たる事実を、彼は想起せざるを得なかったのだ。





 フィリピン海:パガン島西方沖



「何ッ、アドンコ侍の隊が敵空母撃沈の戦果を挙げた!?」


 今は七航戦を中核とする別動隊の指揮官なる高谷少将は、齎された吉報に目を色を変える。

 日没とともに日米の機動部隊が一時後退し、態勢の立て直しを図る中、米戦艦部隊は勇敢にも前進してきた。狙いは現在11ノットで後退中の『大鳳』や『迦楼羅』と見られ、それらが襲撃されるのを阻止するため、ヤップ島の混成航空団が夜襲を敢行。急降下爆撃でインディペンデンス級航空母艦1隻を撃沈し、更には戦艦群への雷撃も成功したとのことだった。


 だが高谷にとってみれば、友軍の手柄として大いに歓迎できるにしても、正直なところ面白くない。

 小沢大将の放った600機弱の攻撃隊が、迎撃網を突破して米空母を10隻近く撃沈破したとの報を踏まえれば、米前哨艦隊撃滅が戦局に大きく寄与したらしいことは明白だった。また過酷な囮任務の中で散っていった山口中将と第三機動艦隊の将兵達の期待に見事応え、彼等が仇を討つこともできたと思ってもいた。

 それでも……肩を並べていた者達が、この竜攘虎搏の大決戦において手柄を立てていると聞くと、どうしても取り残されたような気分になってしまうのだ。


「ううむ、こうしちゃおれん」


 高谷は眠気醒ましの飴を圧倒的咬合力でもって粉砕し、


「せっかく角田中将に噛みついて、艦隊決戦支援の別動隊を第二機動艦隊から抽出してもらったのだ。俺等も早いところ攻撃隊を放って、米戦艦を撃沈するなりしないとまずい。飛行甲板とカタパルトもそろそろ直る頃合いのはずであるからして……」


「少将、その件なのですが」


 艦長の陸奥大佐が、どうにも困った顔をする。


「先程、スッパより報告がありまして……どうも搭載魚雷が軒並みおかしくなっていたと」


「何、どういうことだそれは!?」


「目下原因調査中とのことですが、ともかくも魚雷が使い物にならんのです。再調整には最低でも数時間はかかると」


「おいおい、冗談だろう……」


 高谷は信じられぬとばかりの面持ちで、芸者の前でイチモツが云々という比喩を聞き逃す。

 いざ事に及ぼうと思った矢先、とんでもないトラブルに見舞われてしまった。いったいどうしたことなのか。散々な言われようの『天鷹』だが、まさか本当に疫病神か何かでも憑いているのではと思えたほどだった。


 だがそうした邪念はすぐに振り払われた。

 経験からして、機械には言霊が通じてしまうのである。そろそろ寿命かと零した翌日に冷蔵庫は壊れたし、ポンコツと憤って殴打したらラジオも数時間で使い物にならなくなった。それら製品より遥かに巨大な航空母艦であれば、どれほどの聞き耳能力を有しているか分からぬし、何より如何なる状況であっても、出来得る最善を尽くすのが指揮官だろうと己を戒める。

 そしてかような上意を汲んだかのように、飛行隊長の博田少佐が艦橋へと飛び込んできた。もちろん攻撃計画と、それから飼い主が留守故に"I'm so ronery"などと鳴くオウムのアッズ太郎とともにである。


「少将、爆弾しかなくとも、巡洋艦くらいであれば仕留められます。新戦艦が相手では爆弾ではまともに傷もつけられんでしょうし、一方で水雷戦隊は突撃するはずですから、その意味でもここは巡洋艦を狙うべきです」


「よし。早速準備させろ」


 高谷は大音声で命じ、『天鷹』はただちに攻撃隊発艦に向けて動き出す。

 修復なった飛行甲板に持ち上げられたのはのは、紫電改8機に流星17機。後者が胴内に収納するは、以前五里守大尉が使用していい感触だったという四号爆弾の改良型だから、今度こそ戦果が期待できそうな雰囲気だ。

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