竜挐虎擲! マリアナ決戦⑬

フィリピン海:サイパン島北西沖



「ううむ……敵の排除にはもう少々かかりそうだな」


 戦艦部隊たる第55任務部隊、その先鋒を率いるメリル少将は、戦闘状況に少しばかり業を煮やす。

 将旗を掲げるは戦艦『アイオワ』で、すぐ真後ろには姉妹艦の『ニュージャージー』、『イリノイ』が続く。それ以外にも、彼の指揮下には重巡洋艦『ボルティモア』と『ソルトレイクシティ』があり、駆逐艦11隻がある。いずれも30ノット超で航行可能な艨艟で、高速をもって後退する敵空母を捕捉、撃沈する心算であった。


 だが最後の10海里ほどの距離が、凄まじい抵抗に満ちていたのである。

 敵機動部隊の残余なる水雷戦隊が、強力な大和型戦艦の支援を受けながら、巧みな艦隊運動でもって針路妨害を図ってきたのだ。数の上での優位は保っていたが、敵駆逐艦は厄介な長距離魚雷を多数搭載しているし、恐怖の代名詞とでもいうべき18インチ砲弾も飛んでくる。下手をすれば舷側に大穴を穿たれてしまうかもしれぬから、強引な突破は禁物という他なく、一方で何時までももたついていたならば、夜明けと敵の増援がやってくる可能性も高まる――そんな鬩ぎ合いに、歯が自ずと軋み出す。


「とはいえ、回復不可能なほど苦戦している訳でもない」


 己に言い聞かせるように、メリルは穏やかな口調でそう言った。

 それから腕時計を一瞥する。現在時刻は午前3時半。最大戦速で南下してきているであろう敵戦艦部隊が到着するのが、概ね午前5時頃と予想されているから、それまでにすべてを片付け、離脱してしまえばいいだけだ。


「第11射……弾着、今」


 ストップウォッチを持った大尉の声が響いてくる。

 戦闘指揮所からでは戦闘の様相を直接確認することはできぬ。しかし脳味噌とて直接外界を見ている訳ではない。そう思いながら待機していると、喜色に満ちた報告が飛び込んだ。


「命中2、敵重巡洋艦爆沈!」


「よし、よくやった」


 メリルは場を代表して喝采し、続けて戦況表示板を一瞥した。

 その直後、敵味方の駆逐艦がほぼ相打ちになったとの情報が到来。彼は神の許へと旅立った者達について短く祈り、それから決意の時は今と己を激励した。


「敵は戦艦1隻と駆逐艦4隻を残すばかり、ここで一気に畳み掛ける。全艦、敵空母に向け全速前進、減速厳禁。主砲は敵戦艦を狙え、単艦の性能なら敵が上かもしれぬが、アイオワ級3隻には敵うまい」


「了解」


 誰もが声を弾ませ、意気込みは艦全体に沁み渡り乗組員の士気は最高潮に達した。

 敵空母までの距離はおよそ25海里。彼我の速力の差を鑑みれば、概ね30分で砲の有効射程に入るだろう。それまでに厄介な大和型戦艦を始末することは、最新鋭のMk.13射撃管制レーダーとそれを用いての夜間長距離砲撃訓練を積み重ねた乗組員達の実力をもってすれば、別段難しくもないことだと確信できた。


 だが……好事魔多しとはよく言ったものである。

 アイオワ級戦艦の姉妹が22万馬力の機関を唸らせて増速し、一気呵成に距離を詰めんとしたその時。今度はレーダー室より、酷く面倒なる報告が齎された。


「方位80、距離60に敵機とみられる反応多数」





 ゴリラこと五里守大尉の率いる攻撃隊は、実を言うと少々出撃が遅れていた。

 どうにか直ったはずのカタパルトが、また不調を起こしてしまったためだ。たちまち飛行甲板は一触即発となり、怒り狂った搭乗員が乱闘沙汰を起こしかけたが……何とか30分で修理が完了し、発艦を開始したという顛末である。


 ただそのお陰か、夜戦の真っ只中に突っ込むこととなった。

 ざっと見渡した限り、多勢に無勢ということもあってか、友軍艦艇の被害は甚大であるようだ。それでも電波輻射をもって誘導してくれた戦艦『武蔵』は未だ健在で、こまめに転舵を繰り返しながら、アイオワ級戦艦3隻に対して盛んに砲撃を続けている。ただ距離が大きいが故か、命中弾は双方ともないとはいえ、どちらが先に被弾するかは火を見るよりも明らかだった。


「よし、敵一番艦を叩く」


 五里守はサッと決断を下した。

 巡洋艦らしき艦はどうしてか見当たらぬし、日の本一の大剣豪が如き『武蔵』が倒れたならば、たちまち『大鳳』や『迦楼羅』が海の藻屑となってしまう。防がねばならぬのはそれと確信し、彼は分厚い胸板をドカドカと叩く。


「つくづく魚雷がないのが惜しいが、ロケット50番なら敵戦艦にも多少の打撃にはなるだろう」


「大尉、よろしいでしょうか?」


 後部座席の曙飛曹長が唐突に声を上げ、


「我が隊が魚雷を搭載していないことに、敵はそう簡単に気付かぬかと。ですので一旦、低空侵入で雷撃する振りをして回避運動を強要、その上で爆撃を仕掛けたら如何かと」


「なるほど。ボノ、冴えておるな」


 五里守は大変に満足し、航空無線越しに作戦を説明した。

 自身の率いる第1中隊は敵二番艦、特務士官の歌川中尉に任せた第2中隊は敵三番艦。擬装雷撃を終えた後は臨機応変、つまりは行き当たりばったり爆撃だが、それで十分そうな雰囲気だ。


「よし、ゴリラフェイントアタック開始」


 そんな宣言とともに愛機を降下させ、一気に高度を落としていく。

 暗闇と海原はまるで区分し難く、ともすればそのまま吸い込まれてしまいそうにもなるが、電波高度計の数字を頼りに機首を引き起こす。飛行高度は30メートル。生じる怖気を類人猿的狂暴性でもって捻じ伏せ、更に低空へと機体を遷移させながら、砲戦の最中であるが故か案外と疎らな対空砲火の中を、シャカリキの大馬力で突き進む。


「五番機、被弾」


「構うな。このままヨーソロ、ヨーソロー……おおッ!」


 流星のコクピットに驚異の声が木霊した。

 ここで被雷して速力を落とす訳にはいかぬ。かような判断か、敵戦艦が予想より早く回頭を始めたのだ。咄嗟の射撃でその優美なる艦体に20㎜機関砲弾を送り込みつつ、五里守は作戦成功を実感する。


「よし、見事引っ掛かったな。お次は爆撃、敵一番艦にゴリラアッパーをかましに行くぞ」





「おおッ、何とも鮮やかな手際ッ!」


 戦艦『武蔵』の艦長たる猪口大佐は、666空の戦いぶりを手放しに絶賛した。

 低空へと舞い降りた流星の群れは、雷撃すると見せかけて敵の単縦陣を崩した後、上昇に転じて緩降下爆撃をやってのけたのだ。そうして爆弾複数を受けた敵一番艦は、未だ戦闘航行とも影響はないようではあったが、甲板上で発生した火災により、その方角の水平線が僅かながら明るんでいた。


 しかも鋼鉄を焦がす紅蓮の炎に、また新たな機影が群がりつつあった。

 第一艦隊主力に先行して合流する予定だった航空戦艦が、まさしく艦載機たる瑞雲や晴嵐を放って突撃してくれたお陰である。それらが空襲により、敵艦隊は更に乱れるに違いない。既に2発被弾していたことから、『武蔵』に乗り組む者達は二等水兵から中将に至るまで皆、味方空母を守って討ち死にするのもまた愉しと覚悟していたが……どうやら状況は変わってきそうである。


「悪名高き『天鷹』航空隊だが、なかなか気転が利くものだね」


 戦死した山口中将に代わり、第三機動艦隊を指揮する西村中将もまた、なかなかにご満悦といった様子だ。


「無駄飯食いだの役立たずだのと散々な言われようであったが……彼等が戦いぶりを見るに、本当に運がなかっただけなのかもしれんな。まあともかく、これで時間が稼げる。『伊予』と『讃岐』が到着するまであと20分強、何とか持ち堪えてみせよ」


「むしろせっかくの好機、逃す訳には参りませぬ」


 鬼神も恐れぬ不敵さを滲ませた音吐で、猪口は壮語してみせる。


「撃沈された『鳥海』や『名取』の仇を討つためにも、ここで敵アイオワ級を1隻、撃沈してご覧に入れます」


「なるほど。では期待しておるぞ」


「お任せあれ。目標、敵二番艦」


 厳かなる海神の前で宣誓するかのように、猪口は大音声を発した。

 重量2500トンの三連装砲塔が3基、たちまちのうちに旋回する。水上射撃にも利用可能な22号電探が目標を捉え、算出された発砲諸元に向け、まず奇数番の砲身が鎌首を擡げる。距離はおよそ15海里、夜戦であっても当てられなくはない距離だ。


「撃てッ!」


 砲術長の発令とともに、猛烈なる轟音と衝撃が艦体を包み込んだ。

 敵艦に向け放たれた6発の46㎝砲弾は、大気を鋭利に切り裂きながら飛翔し、その余熱は二度と拡散する心算などないかのよう。酣なる大艦巨砲の宴に誰も彼もが酔い痴れながら、しかし意志など持たぬ機械の如く稼働し、軍艦という超生命体にその本領を発揮せしめていった。


(だが、何か見落としはあるまいな……?)


 猪口は唐突に懸念を抱き、何もかもが昂ぶる中、思考能力の幾許かをそちらに割り当てた。

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