竜挐虎擲! マリアナ決戦⑭

フィリピン海:サイパン島北西沖



 艦の底から響いてくる悲鳴を耳にする度、メリル少将は身を焼かれるような痛みを味わった。

 敗因は日本海軍の夜間攻撃機の脅威を過小評価していたことだろうか。あるいはそれへの備えであるはずだった航空母艦『インディペンデンス』が燃料庫の誘爆で沈没し、同型艦たる『ポート・ロイヤル』の戦闘機隊が迷子になったことも大きいかもしれない。しかしそれらの妥当性を今更論評したところで、まるで無意味としか言いようがなかった。


 何しろ座乗する戦艦『アイオワ』は、既に航空魚雷3発と、大小の爆弾7発を食らっているのだ。

 砲戦を企図した直後に空襲を受け、更にもう1群が北から殴り込んできた。しかも後者は水上機ながら雷装している始末で、またもフェイントかと思ったところを、まんまとやられてしまった訳である。無論すぐに沈没に至る訳ではないにしろ、最大速力は19ノットまで低下してしまっており、状況を考えれば致命的という他なさそうだった。


「もはやこれまでのようだな」


 メリルは屈辱に顔を歪めつつ、冷静にそう判断した。

 僚艦の『ニュージャージー』、『イリノイ』は未だ被害らしき被害を受けておらず、大悪魔が如き大和型との戦いを優位に進めているかの如く見える。しかしフランスから分捕ったリシュリュー級2隻に加勢されれば、戦局は一気にひっくり返ってしまうだろう。


「全艦に撤退命令。急ぎデヨ少将の本隊に合流し、再戦に備えよ」


「足の速い艦は、不利とみたらすぐ退けるのが利点ですな」


 艦長のウェルボーン大佐が自嘲的に言う。


「あと一歩のところで敵空母を取り逃がしたことが惜しまれますが……戦友達の盾となるのも悪くはありません。最終的に我等が海軍が勝てばいいのですから」


「うむ。済まないが最後まで付き合ってもらうぞ」


 決断を下し終えたメリルもまた、何処か吹っ切れた、実のところ自棄に近い面持ちで笑った。

 もはや祖国と海軍、それから仲間達のため、最期の瞬間まで勇猛果敢に戦う以外に、責任を取る方法などありはしない。であれば物事は単純、猛々しい闘争本能に身を任せればいいだけではないか。脳髄が導き出したかくの如き結論に、彼は少しばかり肩の荷を降ろした気分になった。


 そうして各艦が次々と転進の報を送ってくる中、未だ衰えていない砲戦力をもって、敵艦に向けての射撃を再開する。

 『アイオワ』の勝ち目は皆無に等しく、状況はまったく絶望的だが、それでも損害を与えられなくはないだろう。ここで与えた傷が、後の戦闘で生きれば十分――そう確信し切った矢先、通信室より新たな情報が上がってきた。


「重巡洋艦『ソルトレイクシティ』より入電。我、敵空母による拘束を受け撤退不可能。これを水上砲戦により撃沈、拘束を解除するべく、現在奮闘中なり」


「ははッ、何とな」


 まったく面白げなる驚異の声が、異口同音に木霊した。





「撤退クソ食らえ!」


「そうだ、撤退クソ食らえだ!」


 重巡洋艦『ソルトレイクシティ』の艦内は、一種異様な熱気が充満していた。

 その中心人物たるは、当然ながら艦長を務めるコーナー大佐である。先の限りなく抗命的な電文を発信させた彼の、大型爬虫類的な獰猛さすら鏤められた顔立ちには、仇敵を撃沈せんとする意志だけが宿っていた。


「敵空母を目の前にして、撤退する馬鹿が何処にいるというのだ」


「とにかく撃って撃ちまくれ。ずらがるのはそれからでも十分よ」


 艦橋に仁王立ちしたコーナーは、獅子の如く吼え、それから水平線へと飛翔する8インチ砲弾を睨む。

 戦闘指揮所に逼塞するのもクソ食らえだ。夜間砲戦でもって憎き敵空母に止めを刺し、その艦体が四分五裂する瞬間を、己が目に焼き付けてやるのだ。無論そうした後には、復讐に燃えるジャップ戦艦の大口径砲弾を浴び、この愛すべき艦もまた爆沈するかもしれぬ。しかし永遠の中に生きられるなら本望と、彼は心より思っていた。


 そうし沸々たる闘志に応えるように、『ソルトレイクシティ』は10万馬力の機関を震わせ、漆黒の海原を威風堂々駆けていく。

 避退中の敵空母2隻のうち、手前にいる艦との距離は、既に12海里といったところ。相対速力はおよそ20ノットであるから、間もなく主砲弾が命中し始めるに違いなく、視線はその方角へと自ずと移ろう。


「第6射、弾着……今ッ!」


 物怖じしたところのない声が響き、


「敵艦、挟叉しました」


「よし、次より斉射に移行。ここで確実に仕留める」


 コーナーは会心の笑みを浮かべて命じ、肉体がカッと熱くなったのを実感した。

 そうして前甲板を一瞥すると、逞しい砲身が揃ってそそり立つ姿が視界に飛び込んでくる。まったく男児の本性に訴えかけるような光景と評する他なかった。間もなくその先端は轟然と爆ぜ、斉射の反動が究極的な愉悦とともに伝播してきた。


「さあ、どうだ」


 グラスに注がれる美酒を眺めるかの如く、星弾に照らされた海面をコーナーは凝視した。

 彼がこの上なく芳醇なるそれを味わったのは、それから数秒後のことだった。重巡洋艦に乗り組む者達の執念を帯びたる8インチ砲弾が、遂に航空母艦『大鳳』を捉えたのだ。





「何が何でも貴様を打ち出すぞ。カタパルトがいかれても構うもんか」


「ああ。絶対に空に上げてくれ」


 同郷の出身で海軍予備学生の同期でもある親友の声に、関口中尉は勇気百倍して応答した。

 刹那の後、彼の乗る流星は一気に加速し、『迦楼羅』の飛行甲板を駆け抜けた。実のところ母艦は半身不随で、カタパルトも十全に能力を発揮できぬ状況にあったため、射出速度は通常よりも低い。それでも燃料をぎりぎりまで切り詰めたことが奏功し、80番爆弾を搭載したまま、どうにか失速を回避することができた。


「ああ、飛べた……皆、ありがとう」


 澄み切った謝意を航空無線越しに伝達した後、ガタついた愛機をどうにか直進させる。

 そうして機速が乗ってきた辺りで左上昇旋回。星々ばかりが輝く闇夜に、幾分不格好なる弧を描き、機首を180度反転させる。海面上にチカチカと瞬く光は、言うまでもなく米重巡洋艦の発砲炎。


「そちらがヤンキー魂なら、俺は大和魂だ」


 関口は声を張り上げ、己が覚悟を改めて反芻した。

 敵艦が急速に間合いを詰めてくる中、大破後退中の艦に転がっていた要修理機を爆装させ、無理矢理カタパルトで打ち出してもらったのだ。『迦楼羅』の艦内でただ死を待つばかりだった自分に、一矢報いる機会を与えてくれたのだ。ならば今やるべきことなど決まっている。自分自身を爆弾の誘導装置と定義し、必殺の体当たり戦法で敵重巡洋艦を確実に無力化し、戦友達の誠意に報いるのだ。


 そんな中で脳裏を過ったのは、尋常小学校の頃の快活なる思い出だった。

 故郷のヤンチャ坊主どもが敵味方に分かれて繰り広げた、幾分本格的なる爆弾三勇士ごっこである。丘の上に陣取った中国軍役が泥ダンゴを投げまくってくる中、それに当たらぬよう心技体を駆使して突撃し、担いだ"破壊筒"で"鉄条網を爆破"できれば勝ちという遊戯だ。服の汚れが"弾"に当たったが故か匍匐前進していたがためか分からぬと、勝敗を巡って大喧嘩になったり、ちょうど通りかかった女子に流れ弾が命中し、ワンワン泣き喚かれたり――今となっては何もかもが懐かしい。


「でもって今回はごっこじゃなく、本番って訳だよな」


 関口は相好を崩し、目指すべき箇所に視線をやる。

 先程とは異なる発砲炎が、連続的に瞬き始めていた。アメリカ人達も自分に気付いたのだろう。放たれるのは当然泥ダンゴなどではなく、命中したら絶対にやり直しも利かない状況だった。


 だがそれでも、幼き頃の記憶を蘇らせたことは、大なる戦術的有効性を齎した。

 つまるところ精神を相当に落ち着かせることができたのだ。忠義の士への無垢なる憧憬のままに、おんぼろの流星をどうにか操縦し、次第に鮮明となっていく目標を真っ直ぐに捉える。機体もろともに突っ込まれるとは思っていなかったのか、動きに何処か緩慢なところがあり、水兵の慌てふためく様が想像されて可笑しかった。

 そして天も照覧あれと叫んだ後、かつての無邪気な仲間達の顔を次々と思い浮かべながら、自ら決めた死に場所へと駆け抜ける。


「ははッ、また俺の勝ちだ。どうだ、凄いだろう」


 関口は悪ガキさながらに勝ち誇り、彼の愛機は玉と砕けた。

 命中箇所は第二砲塔の付け根付近。80番爆弾は艦の内奥へと侵徹したコンマ1秒後に炸裂し、重巡洋艦『ソルトレイクシティ』はたちまち猛火に包まれる。

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