竜挐虎擲! マリアナ決戦⑮

フィリピン海:サイパン島北西沖



「ほう、『ウィスコンシン』が生き延びたのか。流石だな」


 夜間に繰り広げられたるもうひとつの艦隊戦。その帰趨を伝えられたデヨ少将は、かの艦の奮戦ぶりを称賛した。

 アイオワ級の四番艦なる彼女は、アラスカ級大型巡洋艦2隻とともに、日本海軍機動部隊より抽出されたらしき戦艦6隻と交戦。早々に『フィリピン』を喪失し、自身も相当の深手を負いながらも、巧みな艦隊運動とレーダー射撃でもって金剛型と思しき1隻を撃沈、数に優越する敵を撃退したとのことだった。


 その一方、メリル少将に任せた先鋒隊は、あと一歩及ばなかったようだ。

 予期せぬ空襲を受けた後、殿軍として18インチ砲弾を含む集中砲火を浴びた『アイオワ』は、既に総員退艦となったとのこと。転針した『ニュージャージー』、『イリノイ』はその直後に水上攻撃機による空襲を受けたが、ようやく到着した夜間戦闘機隊の活躍もあって被害僅少で、間もなく第55任務部隊本体に再合流する予定だ。ただし敵空母撃沈を目指した彼女達の戦果は、どうやら水雷戦隊の撃滅に留まってしまったようで、損害に見合うかというとかなり怪しかった。


「さて、我々はどうしたものだろうな」


 眠気覚ましのコーヒーの香りを楽しみつつ、デヨは未だ暗い北方の水平線を戦艦『メイン』の艦橋より望む。

 敵を撃滅するべきであるのは言うまでもない。ただ相手は大和型3隻を含む7隻で、こちらはモンタナ級4隻とアイオワ級が2隻。彼我の戦力はほぼ拮抗という雰囲気で、運命の女神がどちらに微笑むかは、やってみなければ分からなそうだ。


「お互いの針路がこのままであれば、午前7時くらいに激突しそうな情勢だ。奴等が仕掛けてくるというのであれば、受けて立つのはまったく吝かではないがね」


「むしろ積極的にこちらから仕掛け、主導権を握るべきかと」


 参謀長たるクーパー大佐は、疑いようもない口調で続ける。


「戦艦同士の戦いにおいても、勝敗の鍵を握るのは制空権で……実のところこの点において、我等は敵に大いに優越すると見て間違いありません。空母機動部隊は敵味方が相撃つ形となるでしょうから、当面の脅威となり得るのは、昨日散々に叩きのめした基地航空隊のみ。その残余にしても、護衛空母群の空襲によって早々に無力化されるでしょう」


「まあ、そうであってもらわねば困るな」


 おもむろに首を縦に振った後、腕時計へと目をやる。

 現在時刻は午前5時半過ぎ。オルデンドルフ中将麾下の護衛空母18隻より発進した、合計300機超の攻撃隊が、サイパンやグアムの航空基地を目指している頃合いだった。


「それに加え、我が方には『ポート・ロイヤル』が残存しております」


 クーパーは当該の艦のある方をチラリと見つめ、


「彼女固有の戦闘機と間もなく到着する増援48機を、ジャグリング戦法でもって的確に運用していけば、艦隊防空に隙は生じ得ません。敵の長距離攻撃機が日本本土からやってきても大丈夫でしょう。一方で敵は間の子のような戦艦こそ有しておりますが、本物の空母は皆無のようですから、その意味でも我が方の優位は揺るがぬと考えられます」


「こちらの長距離雷撃隊の戦果も、多少なりともあるか」


 40分ほど前に齎された情報を、デヨは改めて思い出す。

 クェゼリン基地より出撃したB-24長距離雷撃型120機が、敵戦艦部隊を襲撃することに成功したのである。1400海里という驚異的な道程を踏破しての夜間雷撃で、往路で夜間戦闘機の迎撃を受けたこともあり、撃沈できたのは重巡洋艦と駆逐艦をそれぞれ1隻ずつでしかないが――大和型戦艦にも被害を与えたらしかった。


「とすれば、ここで尻込みする理由はなさそうだな」


 デヨはゆっくりと肯き、潮気のある大気を深く吸い込んだ。

 続けて暫しの間瞑目し――何か陥穽や見落としがないかと自問自答する。思考は澄み渡っており、また溶岩の如き熱量が胸の奥底から込み上げてくるようだった。そうして百年養った兵を用いる日は今との確信を得、彼は厳かに口を開いた。


「諸君、待ちに待った決闘の時間だ。決して生易しい戦にならぬことは、もはや周知の通りと思うが……最強の敵に見事打ち勝ち、太平洋の覇権をもぎ取ってやろうではないか」





 東の空に陽が昇ったのとほぼ同時に、上空では熾烈な格闘戦が繰り広げられ始めた。

 制空権下での艦隊決戦を望んでいるのは、聯合艦隊とて同じであるが故だ。大口径砲弾のつるべ打ちにも抗堪したバナデル飛行場より、精鋭で知られたる343空の紫電改が馳せ参じ、F6Fと激しい巴戦を展開する。やや遅ればせながら到着した陸軍第11飛行戦隊の疾風も優秀で、己の5割増しなる敵を相手に奮戦する。


 だが全体として見れば、戦況は彼等に利あらずといったところだ。

 日の丸の翼の出撃根拠地たる島嶼が、雲霞の如き艦載機に襲われたが故であることは、もはや記すべくもないだろう。お陰で艦隊支援のため出撃させられた機数は当初の6割ほど、しかも後が続かぬという状況に陥ってしまっており――航空母艦より続々と増援を上げられる米側に、天秤がガクンと傾いてしまいそうだった。

 それでもここで退いてなるものかと、菅野大尉はスロットルと闘争心を全開にし、是が非でも敵機を撃滅せんとする。


「ふむ、ふむふむ……ッ!」


 菅野は驚異的な観察眼をもって、眼前のF6Fの未来位置を予測した。

 また瞬間的に導出したそれに合わせ、三舵を条件反射的に動かしていく。続けて首を大きく回して周辺空域を警戒し、自身への脅威がないことを確認した後、左旋回中の目標を照準環に捉えた。


「グラマン、滅ぶべし。デストローイ!」


 轟然たる咆哮と同時に引き金を絞る。

 だがそのコンマ数秒後に襲ってきたのは、あるべからざる衝撃だった。


「なあッ……」


 見れば左翼中央に破孔が生じ、機体の安定性も完璧に失われてしまっていた。

 如何なる不運か、機関砲の筒内爆発に他ならぬ。負けん気の権化のような荒武者も、突然の窮地に愕然とする他なく、またこれ以上の戦闘継続は不可能と判断せざるを得なかった。


 とはいえ状況は、それ以上に悪化していた。

 弱さを見せれば何処までもつけ込まれるのは、まあ世の常かもしれないが――こと空戦にあっては即座に致命傷になる。追い詰めていたはずのF6Fは、ここぞとばかりに反撃に転じ、機体を立て直している隙に六時を取ってきた。その機影は急速に拡大し、両翼より弾雨が降り注ぐ。





「ふむ、なかなか敵もやるようだ」


 戦艦『大和』に座する宇垣中将は、無表情を保ちながらそう呟く。

 事実、艦隊上空で繰り広げられている空中戦は、航空母艦『天鷹』の隊が加わったお陰で多少は持ち直せているようだが、依然として米側優勢といった雰囲気だ。見張り員の報告によれば、敵味方はほぼ同じ割合で墜落しているとのことで、それはつまり数に劣る友軍劣勢という意味に他ならぬ。


「とはいえ、雲行きもじきに変わろうな」


「はい。真打ももう間もなく……午前7時半に到着の見込みです」


 参謀長の森下少将も、流石に緊張の滲んだ声で応じる。

 真打、すなわち決戦部隊の到着は、30分ほど遅れるということだった。とはいえ宇垣は言葉を飲み込み、戦場においては予定などあってないが如しと自身を戒めた。


 それから水平線の一角に、剥き出しの刀身が如き視線を向ける。

 30海里ほどの彼方にあるは、恐るべきモンタナ級4隻を含む米海軍の戦艦部隊。しかも正面から25ノットで向かってきているとのことで、相対速度を踏まえれば、ものの10分と経たぬうちに光学観測が可能となるに違いない。制空権なき艦隊決戦は禁止と厳命されている以上、彼等の挑戦を今受ける訳にはいかないが、逆に間合いが開き過ぎてもよろしくない状況だった。


「あッ、敵戦艦より弾着観測機の発艦を確認」


「敵はやる気になったようだな」


 宇垣は平坦な口調で肯いた。同時に己が一挙手一投足に、誰もが注目しているのを強く自覚した。

 今この場で下す決断によって、第一艦隊の何万という将兵の運命が、ひいては天壌無窮の皇国の行く末さえもが定まってしまう。双肩にかかる重量は、大和型戦艦のそれにすら匹敵しそうだった。


 それでも猛烈なる負荷に耐え、采配を振るうのが指揮官の務めに違いない。

 とにかくも意識を研ぎ澄ませ、短時間に凝縮した思考をもって状況を整理し、最善と思しき策を幾度か頭の中で反芻する。そうして結論の妥当性を再確認した後、一切の感情を排した面持ちでもって麾下の者達の姿を双眸に焼き付け……是が非でも栄光を捥ぎ取らんと口唇を開く。


「距離3万6000で全艦一斉に180度回頭」


 宇垣は機械的な、それでいて鋳鉄の如き重厚感のある声色で宣言した。

 敵に背を見せるは武士の恥、しかしひと時の恥を忍んでこそ啓ける道もある。その先にある勝利に向け、第一艦隊は驀進する。

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