竜挐虎擲! マリアナ決戦⑯

フィリピン海:サイパン島北西沖



「もうそろそろ決戦海域だ。ここまできてはぐれるんじゃないぞ」


 指揮官たる岡本少佐の激励が、雑音混じりの航空無縁より響いてきた。

 声色にカラ元気が含まれていることは、誰の耳にも明らかだった。戦闘302飛行隊が真っ暗闇の中、南大東島の飛行場を発って既に4時間超。1000海里にも及ぶ洋上飛行は、単座機に乗る者にとってはあまりに過酷で、誘導の彩雲がついていながら、小隊が1個丸ごと行方不明になってしまったほどだった。


 それでも烈風を駆る赤間飛曹長は、疲労困憊している場合ではないと己を叱咤する。

 自分は今日という日のため生まれてきた、彼は一縷の疑いもなくそう確信していた。日本海海戦以来の決戦に臨まんとする、陸海軍合同の大攻撃隊。必殺の兵器でもって米巨大戦艦を撃沈せんとする彼等のため、前代未聞の長距離援護作戦を捨て身の覚悟で成し遂げると決めたのだから、ここで空戦をやれねばパイロットになった意味がないというものだ。


(その上でガスは……問題なし)


 赤間は燃料計に目をやり、まだ十分にあることを確認する。

 具体的に言うならば、全力で30分間吹かせるくらいの残量だ。本当にそれだけ戦ったならば、サイパンへの着陸もできず海水浴となるだろうが……まあそれでも致し方なしかと思う。


「おい、今誰か、燃料切れの心配をしたな?」


 いったい如何なる超能力か、岡本の声が唐突に響いてきた。


「憂う必要などなくなったぞ。左下方、十一時辺りの海をよく見てみろ」


「えッ……ああッ!」


 赤間はすぐさま勘づき、歓喜に打ち震えた。

 視線の先にあったのは紛れもなく航空母艦で、もちろん友軍のものに違いない。流石に個々の顔までは判別できぬものの、甲板に上がった水兵達は、揃って帽振れをしてくれているようだった。


「あの艦は、どうやら『天鷹』であるようだ。この辺りに来ていたとは初耳だが、燃料が切れたらあのフネに厄介になりにいけ。ただし降りても飯を馳走にならん方がいい、腹を壊して使い物にならなくなるそうだからな」


「はい、注意いたします」


 笑い声が幾つも漏れる中、赤間も屈託ない声で応答する。

 同時に沸々と込み上げてきたのは、これまで以上の闘志だった。どれだけ七生報国精神で頑張ったところで、付近に降りるところのない恐怖というのは、何時の間にやら飛行機乗りの意識を蝕んでしまうものなのかもしれず――その解消をもって個々の空戦能力が向上するのであれば、まったくありがたいという他なかった。


(よし、何が何でも勝ち残ってやろうじゃないか)


 赤間は意気込み新たにし、景気づけにサイダーをグビッと飲み干す。

 それから数分ほどの後、米対空電探のものらしき電磁波を検知と、彩雲から警戒警報が送信されてきた。つまりは戦闘機乗りの晴れ舞台に、ようやくのこと辿り着いたということだった。





「タフって言葉はモンタナ級のためにある」


「俺等は真の戦艦に乗っているのだ。以前のフネは、こいつと比べれば精々が大型巡洋艦だろう」


 被弾の衝撃をいなすかのように、戦艦『メイン』の乗組員達は嘯いた。

 それが強がりややせ我慢の類でないことは、各所より寄せられた被害報告からも明らかだった。空前絶後の艦隊決戦の劈頭、大和型の3隻は統制射撃を仕掛けてきたのだが――成層圏より大角度で落下した、魔王の破城槌が如き18インチ砲弾を、彼女は見事に弾き返した。速力、砲戦能力ともに一切の低下がないというから、重厚なる装甲板にキスをしようとする水兵が出るのも、まったく無理なからぬことである。


 ただ少しばかり業腹なのは、仇敵たる連中が突然、遁走を始めたことだろうか。

 正々堂々の決闘だと意気込んでいた、漢らしさの権化のような者どもは、敵艦回頭の報に唖然とした。それから活火山の如く憤り、罵詈雑言を並べまくった。在学中に日本文学を専攻していたさる通信士官は、武士道とは逃げ出すことと見つけたりという挑発的文面を思い付き、平文で打電してやってはと言い出したほどだった。


「まあ何にせよ、敵艦を沈めてやればいいまでの話だ」


 戦闘指揮所に座するデヨ少将は、余裕綽々とばかりの口調でそう言った。

 戦艦6隻を擁する第55任務部隊を賢明に統率する彼は、それが敵の漸減戦略の一環だと、当然のように見抜いていた。随伴する水雷戦隊を何処かで反転させてくるか、あるいは艦隊と連携した長距離攻撃機を殴り込ませてくるかのいずれかと予想され、艦のレーダーは実際、北西方向から接近する敵機およそ60を捉えていた。ならば制空戦闘をほぼ終えた迎撃機を差し向けてそれらを壊滅させ、目論見を完膚なきまでに破壊してしまえば、偽装撤退もただの潰走に早変わりという訳である。


「とはいえ、そろそろ当たってくれんかな」


「どうも主砲の散布界が、予想以上に大きいようで」


 参謀長のクーパー大佐が、少しばかり苦い声で言う。

 モンタナ級戦艦は二番艦以降が47口径18インチ砲8門を搭載しているが、これが大和型対策で急遽量産した代物である関係で、諸元表に出てこない問題が残っていた。長距離砲撃に際してそれが思い切り顕在化してしまったのか、最後尾の敵旗艦に集中的な弾着観測射撃を実施していながら、未だ有効打を与えられていなかった。


 それから正直なところを言うと、艦長として優秀なるストーン大佐には悪いが、『メイン』の錬度もやはり不十分だった。

 就役から時間がさほど経っていないことに加え、人的資源上の問題もまた深刻だったがためである。事実、忌まわしき真珠湾攻撃から2年ほどの間に、ノースカロライナ級およびサウスダコタ級の5隻を含む戦艦10隻が喪われ、乗組員も万単位で戦死する破目になった。とりわけ軍艦の屋台骨たる下士官の被害は深刻で、世界に冠たる工業大国といえど、育成に時間のかかる特殊人材を早々に揃えることはできなかったのだ。

 そうしてそれら積み重ねこそが、初弾命中に近い形で1発かましてきた大和型と、未だ空振りを続けているモンタナ級の、厳然たる差となっている――そう思わざるを得ない部分があった。


(だがそれでも、ここで勝利を飾り、大和型の伝説に終止符を打たねばならぬ)


 デヨは静かに拳を握り、身を揺すって砲弾を放つ『メイン』に意識を同調させた。

 3万ヤードくらいの砲戦に持ち込めれば、彼女も有効打を数多く得られることだろう。だが如何にそれを実現するか、相当に悩ましい状況だった。


「彼我の距離をどうにか縮めたいものだ。どうしたものかな」


「いっそこちらから魚雷戦を仕掛けるべきでしょうか?」


 クーパーもまた首を捻り、


「とはいえ焦りは禁物かと。長距離雷撃隊の第二波が到着するまで、まだ少々時間がかかる見込みですが、それによって敵の足並みは確実に乱れるはずです。仕掛けるならそれに合わせるのが上策と愚考いたします」


「ふむ、まあそうだな」


 逸る心を抑制しつつ、デヨもまた肯く。

 彼我の距離は未だ3万7000ヤード超。敵旗艦は巧みな転舵と増減速によって照準を躱してくるが、流石にそろそろ当たりそうだ――そう思った矢先、連絡を受けた航空参謀のボイントン少佐が血相を変えた。


「少将、緊急事態です。現在接近中の敵機は、すべて戦闘機の模様。それから11時方向に新たな機影多数を捕捉」


「な、何ッ……!?」


 全身から血の気が引いていくのが、否が応でも実感できた。


「いったい何処から……まさか日本本土から飛んできたとでも言うのか!?」


「不明です。ともかく『ポート・ロイヤル』に急ぎ迎撃機の追加発艦を。それから弾着観測機に避退を命じて下さい、このままでは撃墜されます」


「ああ、そうしてくれ」


 猛烈なる寒気を覚えつつ、デヨはどうにか必要な命令を発していく。

 そうした中、何より逡巡しなければならなかったのは、追撃戦を終えるか否かであった。敵はここで制空権を手中に収め、その下での艦隊決戦を仕掛けてくる公算が大である。それ故、最悪すべてを取り逃がす結果となるとしても、ここは一時後退するが得策だと彼は判断した。


 だがそれから間もなく、第55任務部隊は更なる脅威に奇襲された。

 事前の想定の通り、日本海軍は漸減邀撃を間違いなく志向しており――その悲願を実現するための、胴内に魚雷やら爆弾やらを収納した双発機が、低空より接近しつつあったのである。

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