竜挐虎擲! マリアナ決戦⑰

フィリピン海:サイパン島北西沖



 今は陸軍飛行第5戦隊所属の蔭山大尉は、今日だけで既に2機を撃墜していた。

 逃走する弾着観測機を速攻で叩き落し、続けて向かってきたF6Fを火達磨にしたという具合だ。そのうちの半分は、支那事変以来1500時間を超える飛行経験が故かもしれないが、残りのもう半分は、新型長距離戦闘機たる朱雀の圧倒的性能に帰せられた。つい最近までキ83と計画名称で呼ばれていたこの機体は、両翼に据えられたハ43エンジンの大出力により、時速700キロ近い速度域での戦闘すら可能なのである。


 もっとも今まさに繰り広げられている空中戦は、すべてを焼き尽くさんばかりに激烈だった。

 憎たらしいグラマンどもも、眼下の戦艦群を守り抜かんと、死に物狂いで反撃してくる。軽快なる海軍機がまずそれらの前に立ち塞がり、得意の巴戦でもって敵機の持つエネルギーを減衰させ、生じた隙を一撃離脱に適した朱雀が上から突く。そうした綿密なる協同作戦でもって、後続する陸海軍合同攻撃隊を援護せんとしているが、志半ばで散華してしまう僚機や友軍機もまた、何十と出ているのではないかと思われた。


「だが、そろそろ決着がつきそうだな」


 愛機を旋回飛行させつつ、蔭山は冷静に戦況を見極める。

 味方の被害も少なくないが、翼に星を描いた機体は、明らかにそれよりも少なくなっていた。安堵の息が漏洩しそうになる。それを吐き出した瞬間、全身の筋肉が弛緩してしまいかねないくらいの疲労を彼は感じていたが、単座機に乗る連中はもっと大変なのだと自身を叱責する。


「それで森永、そちらはどうだ?」


「概ね敵戦闘機の制圧は完了した模様」


 偵察員の森永軍曹が、機内電話越しに報告する。


「もう間もなく……あッ、敵艦に火の手が上がりました」


「おおッ、よし!」


 蔭山は喝采し、己が肉体に気合を入れる。

 この瞬間まで生きてきた甲斐があったとの想いが、胸の奥底より滾々と湧き出てきた。それから森永が、海軍の烈風や零戦が機銃掃射を開始したようだと報告し、機首の30㎜機関砲でもって助力したいという気分もまた、どうしようもなく込み上げてきた。


(だが俺達がここを守らねば、味方は勝利できぬ)


 決して怯懦からではなく、蔭山は余計な思考を振り払う。

 攻撃隊が心置きなく本分を全うするためには、上空に脅威があってはならぬのだ。実際ここで敵機に割り込まれたら最悪で、数分ほど警戒飛行を続けた頃、東南東の空に不審な機影が確認された。


「新手のお出ましだ、各機続け」


 航空無線で通報した後、蔭山はスロットルを最大まで開いた。

 その間にも対艦攻撃は継続され、決して少なくない犠牲と引き換えに、米艦の幾つかが爆発炎上する。その邪魔立てなど絶対にさせぬと意気込み、彼は列機とともに突撃していく。





 後退中の第55任務部隊を真っ先に空襲したのは、爆装した銀河85機だった。

 それらが目的は、言うまでもなく対空火力の制圧だ。胴内に2発搭載した50番爆弾をもって直衛艦を排除し、また戦艦が舷側にズラリと並べた両用砲を破壊するという内容で――20機超の犠牲と引き換えに、概ねその任務を全うした。


 そうした好機を逃さぬのは、何も陸攻隊ばかりでない。

 新型艦で増強された第一水雷戦隊もまた、重巡洋艦3隻からなる第七戦隊の支援を受けながら、一気呵成なる吶喊を開始していた。まさしく立体作戦といった具合である。敵艦が回避運動を強いられている隙に、36ノットという高速で荒波を蹴立て、遮二無二距離を詰めていく。


「これぞ水雷戦の真骨頂よ」


 軽巡洋艦『酒匂』の艦橋に仁王立ちしつつ、古村少将は上機嫌に豪語する。

 実際、清酒を1升ほど呷った時よりもいい気分だった。雌雄を決する艦隊決戦において、機関を目一杯吹かして敵戦艦の懐へと飛び込み、その舷側に大威力の魚雷を叩き込む――そんな悲願が、遂に叶おうとしているのだ。


 無論のこと、米駆逐艦の抵抗もまた凄まじい。

 それでも『酒匂』が3基備える15㎝連装砲が、雷の声かとばかりに咆哮し、針路上に立ち塞がらんとするフレッチャー級を捻じ伏せていく。後続する第七十駆逐隊の島風型4隻も12.7㎝砲弾をここぞとばかりに撃ちまくり、三番艦『大風』の脱落と引き換えにギアリング級を大破炎上させる。相手側に軽巡洋艦が混ざっていたならば、かなり拙い事態になっていたかもしれないが、懸念された艦は既に大傾斜しているから問題なさそうだ。


「さて、どいつを狙うか」


 一時方向に敵艦隊を望みつつ、古村は思考を研ぎ澄ます。

 相手は6万トン超の巨艦であるから、狙いを分散させるべきではないだろう。実際、1隻でも削り取ることができれば、味方の勝利はほぼ確実となるのであって――そう思った刹那、彼は十数キロ彼方を進むモンタナ級戦艦の左舷に、巨大なる水柱がそそり立ったのを目撃した。


「敵二番艦に魚雷2発命中」


見張り員が咽ぶような声で絶叫し、


「今の間違い。魚雷3発命中」


「ほう、陸攻隊もやりおるな……よし、敵二番艦に止めを刺すぞ」


 古村は意を決し、麾下の艦を目標に向けて疾駆させた。

 とはいえモンタナ級は信じられぬほど堅牢だった。並の戦艦ならば大幅に速力を減じていたであろう損害を受けながらも、敵二番艦は依然として20ノット超の速力を保っている。単縦陣からは徐々に脱落しつつあるものの、僚艦とともに主砲を含めた射撃を敢行してくるほどで……遂に艦体から、悍ましき衝撃が伝わってきた。


「左舷高角砲被弾」


「負けるな、撃ち返せ」


 潮気と硝煙が混じった大気の中、古村は獅子吼する。

 時間が経過するにつれ、被弾も次第に増していく。後部甲板のカタパルトが損壊し、主砲塔も1基が破壊される。しかし艦長の大原大佐の巧みな操艦の甲斐あって、機関への致命的な被害はどうにか回避できていた。


「距離、六〇」


「よし……魚雷、撃てェ!」


 古村は渾身の力を込め、己が人生の集大成とばかりに叫んだ。

 敵の未来位置を指向した四連装発射管より、九三式魚雷三型が次々と放たれていく。島風型3隻のそれを合わせれば合計53射線で、そのうちの1割が命中すれば、さしものモンタナ級も航行不能に陥るに違いない。彼は勝利の確信とともに敵二番艦を見据えんとし、凶悪なる連装砲塔に睨み返された。


(なるほど……これもまた面白い展開か)


 擡げられた砲身が一斉に爆ぜるのを、古村は奇妙な納得とともに目撃した。

 今まさに放たれた18インチ砲弾は、俺達の命を奪うべくして製造されたのだろう。その直感は紛れもなく本物で、魚雷を発射し終えた直後、『酒匂』は弾薬庫を射貫かれて轟沈した。





「敵二番艦、大傾斜!」


 壮絶なる光景を目の当たりにした見張り員が、声を枯らさんばかりに叫ぶ。

 軽巡洋艦『酒匂』と第七十駆逐隊の執念が乗り移ったかのような九三式魚雷三型が、恐るべきモンタナ級戦艦に7発も命中したのだ。800キロ近い炸薬量を誇るそれらの威力はまったく絶大という他なく、不沈艦と喧伝されし排水量6万トン超の艨艟は、あっという間に戦闘航行能力を喪失した。


「長官、今が好機かと」


 参謀長の森下少将が、双眸を爛々と輝かせて進言する。


「第一機動艦隊の攻撃隊300機も、先程米機動部隊への突入を開始した模様です。我々も負けてはおれません」


「うむ。洋上釣り野伏、総仕上げと参ろう」


 第一艦隊司令長官たる宇垣中将は、僅かながら興奮を滲ませた口調で宣う。

 航空部隊と水雷戦隊による立体攻撃を受けた敵艦隊は、既に速力を20ノット強まで落としていた。加えて先程、ようやくのこと到着した連山28機によって滑空誘導爆弾攻撃が行われており、砲戦能力も相当に低下しているものと見受けられた。であれば一片の躊躇なく、天佑神助を信じて突撃すればよいだけだった。


 そしてその先には、日本海海戦に並ぶ大勝利があるに違いない。

 無論、相手は手負いの猛獣たるモンタナ級。空前絶後の18インチ砲艦同士ががっぷり四つに組む訳であるから、Z旗を翩翻とはためかせたる戦艦『大和』すらも、激闘の果てに海の藻屑となるやもしれぬ。だが戦艦乗りの誰もが夢に見てきた、血沸き肉躍る大艦隊決戦の中で果てるのであれば、まったく本望としか言えぬだろう。


「あッ……敵艦、左に転針しつつあり」


「やはり挑んできたか。よろしい、こちらも取舵だ。いざ尋常に勝負」


 宇垣は凛然たる声で命令し、第一艦隊もまた同航戦に向け舵を切る。

 それから間もなく。再び先頭へと復帰した敵一番艦の未来位置へ、『大和』の主砲は鎌首を擡げ――轟然たる紅蓮の炎とともに、6発の18インチ砲弾を繰り出した。対するモンタナ級の発砲もほぼ同時。国家の威信を背負った、大艦巨砲主義の極致とでもいうべき艨艟達の対決に、海原は沸騰せんばかりに煮え滾る。

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